2.息をするように謝る
「申し訳ありません」
深々と頭を下げながら謝罪する青年を見ながら、私は紅茶を飲んだ。
父の顔は見るからに怒っている。
母は眉をハの字にして妹を慰めている。
妹は物語のヒロインのようにハラハラと涙を流している。
…そしてその三人に向かって青い顔で謝罪している青年こそ、妹の婚約者であるエドガー・ウェインライト様だ。
その光景は私に言わせればいつものことだった。
ちなみに誰も気付いていないようだが、悪いのは妹である。
「エドガー君!」
父、フォルレイン伯爵が机を叩いた。
「リリアはまだ十七だぞ!あまり追い詰めるような真似はやめなさい!」
「申し訳ありません」
「だから謝ればいいという話ではない!」
「あなた、落ち着いてくださいませ」
母は妹の肩を抱き寄せる。
「リリアも頑張っているのですから」
頑張っていないだろう。
少なくとも今回については。
私は昨日、妹が庭園で友人たちと追いかけっこをしている姿を見ている。
元病弱だった妹は今でも体が弱いことになっているが、実際のところ、かなり元気だ。
少なくとも走れる。おそらく私より速い。
「お父様…私が悪いんです…」
妹が潤んだ瞳を伏せた。
「エドガー様は悪くありません…」
それならなぜ泣いているのだろう。
結果的にエドガー様が怒られエドガー様の仕事が増えていくだけなのだから、このやり取り自体効率が悪い。無駄な茶番を見ているとモヤモヤしてしまう。
「リリアは悪くない!」
父が即座に否定した。
早かった。それはもはや反射と言っていいほどに。
妹も驚いていないので慣れているのだろう。いつもの光景だ。
「私の言葉が足りませんでした…申し訳ありません」
エドガー様は再び頭を下げた。
なるほど、今日も平常運転らしい。
私は静かにカップを置いた。
今回の騒動の発端は、領地経営の勉強会である。
リリアは将来このフォルレイン伯爵家を継ぐ予定だ。
本来であれば私が継ぐ立場だったが、いつの頃からか話は変わった。理由は知らない。聞かされなかったし、聞く気もない。
継ぎたくなかったのでそれは別に構わなかった。
問題はそこではなく、継ぐ予定になったリリアが、まったく勉強をしないのである。
帳簿を開けば眠くなる。
収穫量の報告書を見れば頭痛がする。
税の話を聞けば体調を崩す。
なるほど大変器用な虚弱体質だ。
そしてエドガー様は、その不足分をすべて埋めていた。
今日もそうだ。
期限が迫っていた書類の確認をお願いした。
それをリリアは後回しにしたのでエドガー様が軽く注意した。
注意されてリリアが泣き、それを見た父が怒った。
実に分かりやすい、いつも通りの流れである。
「クラリス」
突然、父がこちらを向いた。
嫌な予感がした。
大抵こういう予感は当たる。
「お前はどう思う」
やはり当たった。
全員の視線が集まる。
妹は涙目。
母は心配そう。
父は苛立っている。
エドガー様だけが少し申し訳なさそうだった。
なぜ貴方が申し訳なさそうなのか。
私は本当にそれが分からない。
「そうですね」
私は少し考えたあと、正直に答えた。
「リリアは元気そうでした」
沈黙が落ちた。
それはもう見事な沈黙だった。
庭園の鳥の声まで聞こえる。
「…何?」
父が低い声で聞き返した。
「昨日、庭で走っていましたので」
妹が固まった。
母も固まった。
父も固まった。
エドガー様だけが何故か俯いた。
よく見ると肩が震えている。
笑っているのだろうか。
「クラリス!」
「はい」
「そういう話をしているのではない!」
「そうでしたか」
私は頷いた。
ではどういう話だったのだろう。
少なくとも私にはよく分からない。
「それは失礼いたしました。」
父は額を押さえた。
母は困ったように笑う。
妹はむくれている。
そしてエドガー様はどうやら笑いを堪えているようだった。
その瞬間に私は初めて気付いた。
ああ。この人、笑えるんだな、と。




