11.エピローグ
クラリスが王宮文官補佐となって、一年半が過ぎようとしていた。
忙しい。
それでも、とても平和だった。
怒鳴る人はいない。
泣いて責任を押し付ける人もいない。
仕事は山ほどあるが、人間関係は良好で、誰も必要以上に他人の事情へ踏み込んでこない。
疑問を口にすれば答えてくれる人がいて、分からないことは一緒に調べればいい。
そういう環境だった。
私はこの仕事が好きだった。
書類へ視線を落としながら、ふと思い出す。
……そういえば。
数か月前、エドガー様から手紙が届いていた。
王都税務局へ採用されたこと。
婚約を辞退したこと。
簡潔に、それだけが書かれていた。
返事を書こうと思っていたのだが。
「……忘れていましたね。」
まあ、そのうち書けばいいだろう。
そう思いながら仕事を続けていると、先輩文官がこちらへ歩いてきた。
「クラリス。」
「はい。」
「新しく税務局から異動してくる者がいる。」
「そうですか。」
「若いが、なかなか優秀でね。」
それは良かった。
仕事ができる人が増えるのは歓迎だ。
「紹介しよう。」
私は書類を置き、立ち上がる。
やがて廊下の向こうから、一人の青年が歩いてきた。
見覚えのある顔だった。
「あら。」
青年も足を止める。
そして、少しだけ笑った。
「ご無沙汰しております。」
「ご無沙汰しております。」
私は小さく首を傾げた。
「税務局から異動される方とは聞いていましたが。」
「はい。」
「エドガー様だったのですね。」
「はい。」
以前よりも少しだけ柔らかい表情で、エドガーは頷いた。
「無事に採用されました。」
「婚約も辞退いたしました。」
「そうでしたか。」
私は少し考える。
「そういえば、そのように手紙へ書いてありましたね。」
エドガーが苦笑する。
「返事を書くのを忘れておりました。」
一瞬だけ沈黙が流れる。
やがてエドガーは吹き出した。
「……やはり。」
「はい?」
「クラリス様らしいと思いました。」
私は首を傾げる。
「そうでしょうか。」
「ええ。」
以前なら、そのまま謝っていたかもしれない。
けれど今のエドガーは笑っていた。
私はそれを見て、小さく頷く。
「では。」
「これからよろしくお願いいたします。」
エドガーは穏やかに微笑んだ。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。」
その笑顔は、あの日、伯爵家の書庫で初めて見た笑顔よりも、ずっと自然だった。




