第1話 灯台下暗し、本当に欲しいものは案外みえちゃいない。
「婚約の時以来か、元気そうでなによりだ」
「ウィルこそ元気そうでなによりです、少し冷えてきましたので体調の変化を心配しておりました」
アルお兄様との再会から数日後、少し肌寒くなってきた今日この頃。
本日は公務のために、久しぶりにウィルと再会しました。
「それならば問題ないぞ、エスター」
ウィルは自信ありげに胸を張る。
「俺は今の今まで風邪も引いた事がなければ、特段、大きな病気にもなった事はないからな!」
あぁ、うん……なんとなくわかります。
「それ自信もって言う事じゃないだろ……」
ウィルの後ろでボソリと呟くウィルフレッド様に、心の中で同意します。
「それにしてもエスター、今日のドレスも中々似合っているぞ」
「ありがとうございます、ウィル」
今日の私は公務の内容に合わせ、落ち着いた印象の濃紺のドレスを着ています。
とは言ってもそれではあまりにも面白みに欠けるので、スカートの裾部分から花々が咲き誇るように刺繍を入れてみました。
はるか離れた東の国の絵描きが、単色の背景にアイリスの花を書いていた絵画のデザインを参考にしています。
またこの刺繍は、座席に着席した際に前面の手すりの壁に隠れるので、観客の視覚情報を邪魔しません。
刺繍に用いた金糸も控えめで、宝石の類も華美ではないものを選択しています。
頭につけるものもドレスと同じ色合いの落ち着いた花飾りをつけました。
「ウィルも今日のスーツとっても似合っていますよ」
いつもの軍服と違って、今日のウィルの装いはスーツです。
私のドレスの色合いに配慮してか、蝶ネクタイとチーフを濃紺で合わせていました。
……んん?
近くで見ればこの黒のスーツ、同じ黒生地でも光沢のある糸を用いて柄模様が織り込まれているではありませんか!
光の当たり具合によっては、光沢の糸で編まれた花柄がうっすらと浮かんでみえます。
照明の光を浴びていない時は、ただの黒のスーツに見える所もいいんじゃないでしょうか。
「気になるのか?」
ウィルの言葉にハッとした私は、その場に一瞬固まる。
生地を良く観察するためとはいえ、無意識のうちにウィルの身体に顔を近づけすぎました。
私は慌てて近づけてた顔を離す。
「あっ……えっと、ごめんなさい!」
いくらなんでも、距離感が近すぎました。
公爵令嬢にあるまじきはしたなさです。
「せっかく近づいたかと思えば、此方が触れるより早く離れていくとは……君はまるで猫のようだなエスター」
ウィルは少し残念そうな表情を見せると、空中で行き場を失っていた手を引っ込める。
「エスターが望むのであれば、このスーツと同じ生地を後で君の部屋に届けよう」
「ほ、ほんとうに!?」
しまった! そう思った時にはすでに遅く、あまりの嬉しさに前のめりになったせいで地面に躓く。
「……なるほど、こうやればエスターに触れるのか」
倒れそうになった私の身体をウィルは優しく受け止める。
以前も晩餐会の時に転びそうになったのを助けて貰いましたが、その頃から私は何も成長していないのかもしれません。
「それにしても……エステルの奴も刺繍が好きだと言っていたが、さすが双子だけあって趣味も似ているのだな」
ぐへっ、早速墓穴を掘りました。
つい先日、バレないように気をひきしめましょう、なんて言っておいてこれは流石に恥ずかしいです。
「えぇ、そうです、私たちは双子だから趣味も似ているのです……ほほ、おほほ」
な、なんとか誤魔化しました。
本物のエスターに刺繍なんかできないだろ、どうするんだ? というヘンリーお兄様とアルお兄様の視線がとても痛い。
そして後ろに控えるエマの笑顔がとっても怖いですが、見なかったことにします。
これはきっと後でお説教コースでしょうね……。
「ところでお前たちと会うのは面談の時以来だな、そちらの仕事には慣れたか?」
ウィルは私の後ろに控える護衛騎士の2人に視線を向ける。
「お気遣い感謝いたします殿下」
護衛騎士の隊長を務めるティベリアは、胸に手を当て首を下げる。
マールバラ公爵家の令嬢である彼女は、金髪青眼の見た目も相まって、上位貴族に相応しい高潔さを漂わせる美しい容姿をしています。
所作や立ち居振る舞いに無駄な動きがなく、普段の仕事ぶりからも余裕を感じられるのは、自らが積み重ねた自信の現れでしょうか。
「ティベリア、まさか貴女にエスターの護衛騎士を務めて貰えるとは思ってもいなかったぞ」
「私の方こそ、まさかあの皇太子殿下の婚約者様の護衛を務める事になるとは、昔からは考えられませんでしたよ」
そういえばアルお兄様が、ウィル達3人とティベリアは貴族学校時代からの知り合いだと言っていましたね。
「ところで、ヘンリーはどうでしょう? 使い物ににならないようでしたら、またこちらで鍛え直すので気兼ねなくおっしゃってください」
ティベリアがチラリと視線を向けると、ヘンリーお兄様は身体をビクッと反応させる。
「ティ、ティベリア先輩、何をいってらっしゃるんですか、俺なら大丈夫ですよ……ははっ……」
ヘンリーお兄様からティベリアの話を聞こうとすると、どこか様子がおかしいのです。
アルお兄様の話からラブ的な何かだと期待していたのですが、この2人の間には一体何かあったのでしょうか。
ヘンリーお兄様のこの反応を見るからに、あからさまにラブ的な何かとは違いますね。
今のヘンリーお兄様の反応は、皇后様を前にした時のあの情けないヘンリーお兄様を思い出させます。
「ヘンリー……いえ、ヘンリー殿、貴方はマールバラ公爵家と並ぶ、サマセット公爵家の次期当主でしょう?」
ティベリアはヘンリーお兄様に詰め寄る。
「つまり家格として私と貴方は同格、年齢は私の方が上だけど……コホン、それは置いといて、その上で今の貴方は皇太子殿下直属の近衛であり、私はその皇太子殿下の婚約者の護衛なのです」
私の護衛騎士達は皇族の私兵という形で雇われているために、通常の近衛騎士のように帝国からお給金が支払われているわけではありません。
護衛騎士達は最終的には皇帝陛下が承認し、皇族の資産からお給金が支払われています。
また侍女達のお給金の方も護衛騎士同様、皇族の資産から支払いがなされているのですが、エマは以前と変わらずサマセットの方からお給金を支払って雇っている。
皇族の私兵となっていまうと、サマセット公爵家が自由に扱えなくなってしまうためにそういう措置をとりました。
また護衛騎士達は一般の近衛騎士と、私の侍女達は一般の皇宮侍女と同格に扱われますが、ティベリアの言うように、皇族の直轄は明確に格上となります。
「つ・ま・り、今現在の立場では貴方の方が私より少し上なのですよ、皇太子殿下直属の近衛がそのような情けない態度でどうするのですか?」
「……す、すみません……じゃなくて、す、すまない、次からは注意する」
しゅんとなったヘンリーお兄様をみてこれは使えると確信しました。
何かある時は、ティベリアを利用してヘンリーお兄様にお願いしましょう。
「本当にお前達は相変わらずだな」
「相変わらずティベリア先輩はおっかない……」
ウィルが苦笑いする隣で、ウィルフレッド様は鎧をガチャガチャと震わせた。
「殿下、お久しぶりです」
「久しぶりだなアル、お前とこうやってちゃんと顔を付き合わせるのは数年ぶりか」
アルお兄様だけは身内という事もあり、面談もなくすんなりと了承されました。
ヘンリーお兄様とアルお兄様は年齢が近い事もあり、皇都に滞在していた幼少期にウィルとの面識があります。
2人が会うのはこれが数年ぶりの再会だと聞きました。
「しばらくみないうちに立派になったな」
「幾つもの死地をくぐり抜けてるだけはありますね、これではもうどちらが兄なのか……」
ええ、私もそう思います。
私はウィルとティベリアの発言に心の中で頷く。
「いや、アルは子供の頃からしっかりしてたよ、俺なんかよりな……」
自虐的に笑うお兄様の肩を、ウィルフレッド様が優しく叩く。
流石に少しかわいそうになってきました。
元気のないヘンリーお兄様のために、今度、何か甘い物でも差し入れしようかな。
「そんな事はありません、私は兄の事をとても尊敬しております」
アルお兄様、そういうところですよ。
そういう事を言うから、ますますヘンリーお兄様の立場が……。
「ふむ、お前たちやエステルをみていると、弟というのも存外悪くないな」
エステルという名前に思わずギクリとしました。
もう! その名前は心臓に悪いですよ、ウィル。
思わず正体がバレたのかと思って、額から汗がでました。
「そういえば、俺がエスターと結婚すればエステルも弟となるわけか……」
ウィルはそう呟くと、ヘンリーお兄様の方をちらりと見る。
「ヘンリー、お前にはアルという優秀な弟がいるんだ、エステルの1人くらい俺に寄越せ、俺も弟が欲しくなってきた」
「はは……」
笑ってごまかすしかないヘンリーお兄様の心中をお察しします。
寄越す寄越さない以前に、今、貴方の目の前にいるのはそのエステルなのですよー。
家族の裏切りによって、もう寄越されちゃってると言っても過言ではありません。
もちろんそんな事、口が裂けても言えませんけどね……。
まぁ、それはそうとして、ウィルはいつまで私を抱き寄せているままなのでしょうか。
「そ、それはそうと、そろそろ離していただきたいのですが……」
「ん? どうしてだ?」
どっ……どうしてって、そんなの恥ずかしいからに決まってるじゃないですか!
私がそう反論するよりも早く、ウィルは言葉を続ける。
「先ほどのように転んでしまっては、せっかくの綺麗な衣装やヘアメイクが台無しになってしまうではないか」
それを言われると何一つ言い返せません。
「だから、このまま会場まで俺がしっかりとエスコートするから、エスターは安心して寄りかかるといい」
ぐぅ……何故かわかりませんが、婚約の儀の時といいウィルの距離感が以前よりやたらと近い気がします。
今日は女性の身体になっているためか、この近さは妙に恥ずかしくて仕方がありません。
周囲を見ると、アルお兄様は少し驚いた表情をしていましたが、ヘンリーお兄様とエマはほっこりとした表情でこちらを見守っていました。
見守ってないで、助けてくださいよ!
「それではいこうか」
「……はい」
とは言えどうしようもないので、私は大人しくウィルに従います。
しかしこれも将来のエスターのためと思えば、この羞恥心にも耐えて見せましょう。
私はウィルに強引にエスコートされるがまま、今日の公務となるチャリティーコンサートが行われる市街地にある大きな教会に向かう馬車に乗り込みました。
お読みいただきありがとうございます。
ヘンリーの事は今までお兄様と呼んでいましたが、それではアルジャーノンとごっちゃになるので、ヘンリーお兄様という呼び方に変更しております。
ご了承ください。
なおエスターのドレスのデザインは、現代でわかりやすくと言うと琳派、尾形光琳の作品を見て貰えばわかりやすいかなと思います。
尾形光琳の作品は実際の世界でも着物のモチーフにも用いられているので、それを参考にしました。
最後に、感想、ブクマ等ありがとうございました。
お楽しみいただければ幸いです。




