第2話 チャンスを掴むには恐れず一歩を踏み込む事が重要だ。
「お待ちしておりました殿下、エスター様」
会場に着くと外で待ち構えていた女性が、お手本のような美しい所作で私たちを出迎える。
彼女の名前はモニカ・ウェルズリー、ウェストミンスター公爵家の御令嬢です。
彼女がここにいる理由は二つ。
そのうちの一つは、今回のチャリティーコンサートを主催しているのはウェストミンスター公爵家だと言う事。
そしてもう一つは、彼女がこの私の教育係であり、上級侍女に任命されているからです。
上級侍女は普通の侍女と違い、私の普段の生活などの身の回りの世話をするわけではありません。
その代わり普通の侍女が同行できない場所、公務や晩餐会などの上流階級の会合などに同行するのが彼女たちの仕事です。
仕事に対するお給金などは発生しませんが、どこそこの上級侍女を務めていました、という経歴こそが最大限の対価と言えるでしょう。
中でも未来の皇后の上級侍女となるとその後の利点も多く、ウェストミンスター公爵に対しての見返りとしてはこれで十分ではないでしょうか。
「世話になるモニカ」
「モニカ、今日はよろしくお願いします」
モニカは私と同格の家柄ですが、年齢は彼女の方が上です。
本来であれば年上の彼女は敬称をつけるべき相手ですが、教育係とはいえ侍女という立場上、私の方が目上となるので呼び捨てにしなければなりません。
ティベリアもそうですが、エステルの立場や、本来のエスターの立場であれば呼び捨てにするような人達ではないせいか未だに慣れずにいます。
私たちは挨拶を交わすと、舞台袖近くに用意された控え室に案内されました。
「これが本日の進行表になります」
進行に関しては移動の際に確認していますが、変更があってはいけないので念入りに確認します。
今日の私のお仕事はお父様の代理として祝辞を述べる事なのですが、こういう経験は初めてなので少し緊張してきました。
ウィルの方はさすがは皇太子殿下だけあって、この状況に動じる素振りもありません。
何時もとは違う、皇太子としてのウィルの側面を見た気がします。
「どうした、俺の顔に何かついているのか?」
少しお顔を見すぎてしまったのでしょうか?
私の視線に気がついたウィルと思わず目が合いました。
「あ、いえ、ちょっと緊張してて……ウィルはいつも通りだから、その……」
ウィルは狼狽える私の手を取ると、ソファに座る私の前に跪いて目線を合わせる。
「緊張するなとは言わない、ただ失敗したとしてもエスターの側には常に俺がいる事を忘れるな……それに俺だって緊張する時くらいはある」
そう言うと、ウィルは私の手を自らの胸へと押し当てる。
とくん、とくん……ウィルの鼓動は私の鼓動より少し早い。
私はその心地よいリズムに自然と目を閉じる。
ウィルの鼓動と私の鼓動が徐々に重なり、私の音なのかウィルの音なのか段々と区別がつかなくなっていくと、私は無意識にその鼓動に耳を傾けた。
「……エスター、私も悪かったが、できればそれは2人の時にして欲しかったな」
「えっ?」
その言葉の意味に理解が追い付いた私は、ハッとなって目を開ける。
すると目の前にいたウィルは、少し気恥ずかしそうに視線を逸らしてごまかしていました。
私は慌ててウィルの胸元から手を離す。
あの距離で婚約者を前に目を伏せるなど……そう取られても仕方ありません。
なんというとんでもないことをやらかしてしまったんでしょうか。
穴があったら入りたいとはこの事です。
「お、おぉ……」
ティベリアは手をで顔を隠しつつも、その指の隙間から食い入る様にこちらを見ている。
「あら……まぁ! 噂にたがわず仲がよろしいのですね」
モニカは動じる事なく、私たちの事を微笑ましく見守っていました。
流石は婚約者がいるだけあって、モニカはこう言うのにも慣れているのでしょうか……。
「エスター、いつでも結婚を繰り上げてもいいんだぞ」
眼鏡をクィッと上げながら、俺はわかってるからな! みたいな顔をするのはやめてくださいヘンリーお兄様!
さっきのはたまたまなんですから! 決してキスなんて待ってませんからぁ!!
「……エスター、俺は何時だってお前の意思を尊重する」
ほらぁ! アルお兄様も乗っかってきちゃったじゃないですか!
そう取られても仕方のない素振りを見せた私が一番悪いんですけど!!
私は行き場のない恥ずかしさから、側にあったクッションで赤くなった顔を隠す。
「ほらな、失敗をしても案外どうにかなるものだろう」
「あっ」
気がついたら、先ほどの緊張がどこかに吹き飛んでしまいました。
「まぁ何せ、俺なんか失敗ばかりしているからな!」
「違いねぇ……」
ポツリと呟いたウィルフレッド様の言葉にみながクスリと笑う。
ふふ、ウィル、そこは胸を張って言うことじゃないですよ。
「そろそろ時間ですね、舞台袖に移動しましょう」
会場となる教会、その中の大聖堂の祭壇には、左右の舞台袖に部屋が一つづつあります。
私たちは右側にある舞台袖の部屋に移動すると、モニカは先に壇上に上がって行きました。
まずは主催であるモニカが挨拶し、皇族代表としてウィル、その後にサマセット公爵の代理として私の挨拶、その後に他の貴族の挨拶へと続きます。
ちなみに右側の舞台袖が私たち、左側は他の貴族達の待機場所になっている。
「続きまして、ウィリアム皇太子殿下からのお言葉です」
挨拶を終えたモニカを拍手で見送った客席の貴族達は、ウィルを迎えるために座席から立ち上がる。
「それではいってくる」
「はい、いってらっしゃいませ」
私は祭壇へと登壇するウィルと護衛のヘンリーお兄様、ウィルフレッド様を見送ります。
拍手で迎えられたウィルは、登壇すると全体をぐるりと見渡しました。
あれ? 緊張が解け周囲がよく見えるようになったのか、私は一つの違和感に気がつきます。
そういえばウィルって、手に原稿を持ってなかったような……私の不安を他所にウィルは無難に始まりの挨拶を述べると本題を切り出す。
「帝国は長い歴史の中で大きく発展した、それはひとえに、其方達貴族の長年に渡る忠義があってこそだと言える」
皇族からの労いの言葉に、観客達からは拍手が起こります。
忠義の矛先が帝国か皇族なのかに明言しなかったのは、どちらの派閥にも媚を売ったのでしょう。
「しかしその一方で帝国の発展と比例するように、この皇都にもスラムと呼ばれる一帯が形成された」
観客席が少しどよめく。
やってくれました……皇族であるウィルが、皇都にスラムがあると認めるのは、かなり踏み込んだ発言だといえるでしょう。
壇上に共に上がったヘンリーお兄様とウィルフレッド様の反応を見る限り、どうやら2人とも聞かされていなかったようですね。
せめて自らの侍従と私にくらいは、事前に伝えておいて欲しかったです。
「スラムに住まう者達には、戦争で腕や足を失ったり、失明した事で働く事が困難となった者達が多いと聞く」
ここは良い具合にぼかしましたね。
スラムの中には、戦争に参加していない者、つまりその戦争で被災した者達も多くいます。
しかし軍閥の貴族もこの場にいる以上、皇族がそこに言及すれば戦争の是非につながかねません。
現在、多くの戦で領土を拡大してきた帝国も、一つの転換点を迎えたと言えます。
今の帝国はこちらから積極的に戦を仕掛け、領土を拡大する事を望んでいません。
余計な発言はそれが発端となって、大人しくしていた軍閥の中の過激派を刺激する可能性もあります。
「私は彼らを救済し、その者達が活躍できる職務を与えるためにも、平民議会を設立したいと思っている」
もちろん平民議会設立の理由はそれだけではありません。
ですがこの場に絡めるのであれば、ちょうど良いもって行き方ではないでしょうか。
戦争に参加した者達の救済の拡充は、軍閥内の派閥に関わらず、また軍閥以外からも陳情が出ていると聞いています。
「そしてスラムには、そういった者達の子供の数も少なくないと聞いている」
もちろんスラムにいる子供達は、そのような子供達だけではありません。
スラムの中で生まれた子供。
スラムに流れ着いた家族の子供。
戦争孤児や、訳あって捨てられた子供。
その理由は様々でしょうか。
「今回のチャリティーコンサートで集められた寄付金は、そのスラム街の子供達の食事、医療、教育のために扱われる」
人は生まれた時から平等ではありません。
私やウィルのように恵まれた家庭に生まれる者もいれば、そうではない者もいます。
ただし私やウィルのような家に生まれれば、責任も伴いますし、別の苦労や重圧ものしかかるでしょう。
しかしその日のご飯が食べられない、まともな治療が受けられない、学ぶことすらできない、ということは基本的にありえません。
だからこそ私は、全ての子供達にそういった最低限の権利を保障し、平等にチャンスを与えるべきだと考えています。
「我々皇族は、このチャリティーコンサートを主催するウェストミンスター公爵の考えに賛同し、できる限りの支援を行っていこうと考えている」
ウェストミンスター公爵家は、トレイス正教の敬虔な信徒でもあるため、こういった慈善活動には昔から力を入れています。
「この行動に、多くの貴族達が賛同してくれることを心より期待している」
ウィルが挨拶を終えると、私は舞台袖で誰よりも早く拍手します。
原稿もなく話を始めるので、一体何を言うのかひやひやしましたが、何事もなく安心しました。
皇族がスラムを認知している事など、結構踏み込んだ発言も多かったですが、あえて踏み込んだ事で聴衆の心には響いたのではないでしょうか。
ただ今回はミスがなかったから良いものの、原稿なしは一つの失言がとんでもない方向に行く事もあるので、心臓には非常に悪いです。
「以上をもって皇太子殿下の挨拶は終了いたします、続きまして、今回のチャリティーコンサートに協賛していただいたサマセット公爵家のエスター嬢のご挨拶です」
さぁ、次は私の番です。
壇上から降りてきたウィルはすれ違いざまに呟く。
「後は任せたぞ」
「はい」
私は手に持っていた原稿をエマに渡すと、ウィルと入れ替わるように壇上にあがる。
ウィルのこの流れを上手く使うためにも、私も用意していた無難な原稿を手放すことを決断しました。
お読みいただきありがとうございます。
申し訳ありません。
感想欄で日間のお礼で短編投稿を示唆していましたが、まだ最初の辺までしかできてないです。
金土日で間に合いそうにないので、その代わりに2話を先出し投稿いたします。
今回の話は初公務です。
以前までこの仕事はウィルではなく皇后様、エスターではなくお母様が担当していました。
公務の中では比較的無難なものである事、モニカがエスターの上級侍女になった事、色々な利害関係が一致した結果、この公務が2人一緒の初めての仕事になりました。
最後にブクマ、評価ありがとうございました。
次回はエスターの演説になります。




