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小説の先にある世界  作者: 藤咲玲


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第45章:酔い醒ましと、やっつけの「停」

大衆酒場を出てすぐの、湿ったカビと生ゴミの匂いが漂う薄暗い路地裏。俺は胃の腑から込み上げてくる強烈な吐き気と必死に戦いながら、冷たいレンガの壁に両手をついて前のめりにうずくまっていた。


「オェェェ……。いくら久々の豪遊だからって、調子に乗ってあの分厚い極上ステーキと、キンキンに冷えたジョッキのラガーを胃袋に詰め込みすぎたか……」


少しでも早く楽になろうと、胃酸の分泌と腸の蠕動運動を強制的に活性化させるための代謝強化の魔法を強引に構築し、体内で発動させたのがマズかったらしい。急激なカロリー消費と魔法行使の反動で、身体のあちこちが不自然に熱を持ち、まるで高熱を出した時のように酷い汗が吹き出している。


(……まあいいじゃないか。たまにはこんな薄汚れた路地裏の暗がりで、脳内でインテル(インテリ)風に、あるいはハードボイルドな探偵みたいに格好良く理知的な独り言くらい喋らせてくれよ)


ウィック……ッッ。

決意とは裏腹に、口から漏れ出したのはラガービールの芳醇な麦の香りがする、盛大で間抜けな酔っ払いのゲップだった。


ふと、すぐ傍のゴミ箱の陰、レンガの壁の向こう側で、目を爛々と光らせた一匹の黒い野良猫が「シャーッ!!」と全身の毛をウニのように逆立てて、こちらに向かって激しく威嚇してきた。


「うりゃー、なんだなんだ。野良猫の分際でこの偉大なる冒険者の俺様に喧嘩を売るってんなら、喜んで相手になってやるぞ……こら、足元がフラフラしてまっすぐ歩けねぇな……っ」


……(酔)……(酔)。

威勢よく絡もうとしたものの、足元はおぼつかず、カニの横歩きのように千鳥足で壁に肩をぶつける始末だ。


しかし、猫が威嚇している理由は俺の酔っ払いムーブのせいではなかった。どうやら、今の俺の身体からコントロールを失ってダダ漏れになっている高濃度の魔素が、猫の敏感な鼻先やヒゲの周囲で、バチバチと不快な静電気のように弾けていたらしい。猫の毛が逆立っていたのは威嚇だけでなく、純粋な物理現象(静電気)の結果だったのだ。


「……おいおい。いくら魔素が漏れてるからって、動物にまでこんなに露骨に嫌われるのは、さすがに精神的に深く傷つくぞ、コンチクショウ」


俺は情けなく深いため息をつき、フラフラと足元をふらつかせながら、泥水の中に落ちていた適当な長さの乾いた木の枝を拾い上げた。

冷たい夜風に当たったおかげで酔いは半分ほど冷めてきたものの、脳内の思考回路はいまだにアルコールと溢れんばかりの魔力のせいで、アクセル全開の多動気味に空回りを続けている。


「えーっと、確認、確認……ステーキ(ステータス)っと」


まだ舌が回らず言い間違えながらも、ふと脳裏に呼び出した半透明のウィンドウ。そこに刻まれた現在の俺の魔力数値を見て、俺は酔いも吹き飛ぶ勢いで再び顔から血の気を引かせた。


※¥_@&?:1.1258990e15


(いやいやいや、ふざけんな! なんだよこの天文学的な数字は! このまま放置してたら、明日にはこの街一帯が俺の毛穴から漏れ出続ける超高濃度の魔素で満たされて、『致命的な魔力汚染』を引き起こしちまうぞ! 街の住人が突然変異するか、空間そのものが崩壊するかもしれない。……いや、それより何より、酒場が吹き飛んだら、せっかく見つけたあの最高に美味いラガービールが一生飲めなくなっちまうじゃないか!!)


世界や街の危機よりも、明日のビールの心配を優先するフラフラする重い頭で、俺は地面の湿った泥を、拾った木の枝で雑にガリガリといじり始めた。

別に、王宮にいるような偉そうな学者面をして、大層で複雑な術式を綺麗に何重にも組む気なんて毛頭ない。要するに、今の俺は水が勢いよく噴き出している壊れた水道管みたいなものだ。なら、そのだだ漏れの「蛇口」を外側からギュッと力任せに締めてやればいいだけの単純な話だ。


「ええと……まずは『臨界(ここが魔力の限界値だ)』……からの『停(これ以上は増やすな、ここで一旦ストップ)』……そんで『維持(あとは生きていくのに必要な分だけ、適当に最低限の補填をしておけ)』っと」


地面の泥に木の枝で描き殴ったのは、学園の埃っぽい図書館で見たような美しく高尚な魔法陣とは似ても似つかない、まるで酒に酔った子供がふざけて描いた落書きのような、線がグニャグニャに歪んだ不格好な六芒星だった。


だが、今の異常なまでに跳ね上がり、神すら凌駕しかねない俺の無法なステータススペックなら、こんな適当極まりない雑な落書きレベルの術式であっても、強引に世界の「理の書き換え」を実行することが十分に可能なのだ。

俺は脳内に浮かぶステータス表示、その「1.1258990e15」という脅威の数値に向かって、今泥の上に描いたばかりの即席の制御式を、力技でベチャッと強引に貼り付けた!


「……よし、これでいい感じだ。これで魔素がアホみたいに溢れ返って大惨事になる前に、体内の魔力ゲートがピシャリと閉まるはずだぞ」


「……ヒック……へへへ。あれ? 待てよ、確かこういうのって、脳内のステータス画面じゃなくて自分の腹(丹田)に直接貼り付けて刻み込むんだっけか? まあいいや、どっちにしろ自分自身に紐付けられたんなら結果オーライっしょ!」


ペタペタと自分のたるんだ腹を手のひらで軽く叩いた瞬間。

――カチリ、と。体内の奥深くで、重厚で巨大な金属の歯車がガッチリと噛み合ったような、極めて明確で確かな手応えがあった。


直後、さっきまで俺の全身を内側から破裂させんばかりに圧迫していた、溢れんばかりの魔素の暴力的な圧力が、まるで嘘のようにピタリと完全に収まったのだ。周囲の空気を歪めていた熱もスッと引いていく。

すると、先ほどまで俺をこの世の終わりのような顔で威嚇していた黒い野良猫も、警戒を解き、何事もなかったかのようにその場に座り込んで、満足げに自分の前足の毛繕いを始めているではないか。レンガの壁の隙間から覗く街の夜景も、陽炎のような歪みが消え、いつも通りの穏やかで平和な灯りの揺らぎを取り戻していた。


「はぁー、よかった。やっと頭の中のガンガンする耳鳴りも静かになったぜ……。さてと、魔力漏れの危機も去ったことだし、胃袋にもう少しだけ空きができた気がするな。よし、店に戻って、もう一杯だけあのキリッとした冷たいラガービールを引っかけて、今日はさっさと宿に帰って泥のように寝ようっと」


俺は自らの腹の奥底で、巨大な力を封じ込めて静かに脈動する魔法陣を服の上から優しく撫でると、すっかり軽くなった足取りで鼻歌を歌いながら、再び賑やかな喧騒が漏れ聞こえる大衆酒場へと、嬉々として引き返していったのだった。

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