第一章:お仕事募集中です(5)
中から微かに何かの叫び声が聞こえてきた。そして、返事はない。
それでもクライブは勝手に扉を押し開き、中へと入った。
ガシャン――
バキッ――
きらびやかな部屋には似合わない音がする。その結果なのかどうかはわからないが、長椅子は倒れ、テーブルもひっくり返っている。
「……ん、ぎゃぁ。おぎゃぁ、おぎゃぁ」
「あぁ、よちよち。泣くんじゃないよ。どうちたのかな? お腹が空いたのかな? それともおしめ?」
大泣きしている赤ん坊をあやしているのは絹糸のような銀髪の男である。
「イリヤ・マーベル。お前は魔法が使えるな?」
クライブの言葉に、心臓がドクンと大きく音を立てた。
今まで家族以外、誰にも言ったことがないはずなのに。
「いったい、何をおっしゃっているのでしょう? はは、ははははは……」
渇いた笑いと共に誤魔化してみる。だが、イリヤの隣にいるのは、この国の宰相を務める男。年齢は二十四歳と若いが、前任が辞するときに、クライブを宰相にと任命したのだ。そのとき彼はまだ二十二歳。その若さで指名されるだけの頭脳と実績を持っている。となれば、イリヤの嘘などまるっとお見通しなのだろう。
じろりと睨まれた。
赤ん坊は泣き止む様子がない。そして赤ん坊が泣くたびに、室内にある調度品が浮いて、落ちて、浮いて、落ちてを繰り返している。
「とりあえず、この部屋をこれ以上破壊されないような魔法は使えるか?」
「ですから、魔法ってなんのことでしょう?」
「誤魔化せると思うなよ。オレたちは、お前が魔法を使えることを知っている」
「なんで?」
あ、という表情を見せたイリヤは慌てて自身の口を押さえた。今、言ってはいけないような言葉を言ったような気がする。
「とにかく、これ以上の被害を出したくない。なんとかできないか? 魔法を使ってこの場をなんとかしてくれたら、お前は採用だ。面接代わりみたいなものだと思えばいい」
イリヤとしてはなんとしてでもあの仕事に就きたい。そして面接代わりに魔法を使えと言われたら、使うしかないだろう。
「わかりました……。とりあえず、現状を教えてください。この部屋の状況を作り出しているのは、あそこのお二人と思ってよろしいでしょうか?」
イリヤの言う二人とは、銀髪の男と彼が抱きかかえている赤ん坊である。
「厳密に言うならば、あの赤ん坊のみ。陛下は赤ん坊を必死に宥めている」
今、クライブは「陛下」と言った。その言葉が意味するところを、イリヤはもちろんわかっているつもりだが、とりあえず今はこの現状をなんとかするのが先だろう。
「わかりました。では、とりあえず赤ちゃんを眠らせるってことでよろしいでしょうか?」
「できるのか?」
「眠りの魔法であれば……実は、妹たちにも何度か使ったことがありますので」
足を肩幅程度に広げ、胸の前で両手を組む。魔力を多く消費する魔法を使う場合、こうやって無防備な姿になってしまうから、人前で使うのを避けていた。いや、使えることを他の者に知られたら悪用されるのを、母親は心配していたのだ。
目を閉じたイリヤは、頭の中で球体を思い浮かべる。それで泣き叫んでいる赤ん坊を包み込むイメージだ。
ぱっと目を見開く。
――今だ!
黄金に輝く球体は、赤ん坊だけを包み込んだ。すると、赤ん坊の泣き声は次第に弱くなり、しまいにはすぴすぴと鼻を鳴らして眠った。
「……見事だな」
「てことは、合格ですか?」
「ああ。採用だ。ということで、かまわないですよね、陛下」
やはり銀髪男に向かって、クライブは陛下と呼んだ。
「ああ、助かった。もしかして、例の求人を見てここに来てくれた人だろうか?」
銀髪男の笑顔がまぶしい。だけど、目の下にははっきりとした隈ができている。
「こちら、イリヤ・マーベル嬢。見ての通り、魔法が使える娘です」
「イリヤ・マーベル……マーベル子爵家の?」
「あ、はい。イリヤ・マーベルと申します。よろしくお願いします」
イリヤも慌てて腰を折った。クライブがあれだけ陛下陛下と言えば、目の前の銀髪男が、マラカイト王国の国王であると気づく。それに、デビュタントのときも挨拶を交わしたのだ。
「マーベル子爵家にはいろいろと悪い噂が流れているようだが……」
使用人がやってきて、国王の腕の中の赤ん坊を預かっていく。
「……ふぅ。とりあえず、休ませてくれ。クライブ、これをなんとかしてくれ」
これとはひっくり返った調度品を指す。
「でしたら」
どうせ隠し通すことのできない力だ。ここまできたなら、有効に活用したほうがいいだろう。
イリヤが指をパチンとはじいた。すると、ひっくり返っていた調度品たちは元のあった場所に戻ろうと勝手に動く。
部屋はどうにかして元に戻った。それを目にした国王は、長椅子にどさりと身体を預けた。
「お茶でも飲まれますか?」
クライブが尋ねると「頼む」とだけ返ってくる。
イリヤはどうしたらいいかがわからず、その場に突っ立っていることしかできない。そんな彼女にクライブが声をかける。
「詳しい話をしたい。陛下の前に座れ」
「は、はひっ」
状況もよく飲み込めない。そのためか、声が変に裏返ってしまった。
使用人がやってきて、テーブルの上にはお茶やらお菓子やらがあっという間に並べられていく。
「みっともないところを見せた。改めて挨拶をしよう。私は、エーヴァルト・マラカイト」
イリヤもその名は知っている。やはり、目の前の彼は国王だった。年は、クライブと同じ二十四歳であると記憶している。この二人は、幼い頃から兄弟のように心を通わせているというのも有名な話である。
「それで、求人票を見て、こちらに来たのだよな?」
「あ、はい」
イリヤはエプロンワンピースの前ポケットから、求人票と紹介状を取り出した。先ほどから乱暴に扱われているため、ぐちゃぐちゃである。
「こちらで家庭教師を募集しているという求人を見つけまして……」
「うん。間違いなく募集はしている」




