第八章:これは雇用契約なので溺愛は不要です、と思っていたはずなのに(1)
澄み切った青空がどこまでも続いており、行楽日和といえるような天気である。しかし、今日は行楽ではなく、魔物討伐のために森へと入るのだ。
イリヤも先ほどから何度も今日の行程を聞かされていた。
とにかく、ミルトの森周辺に巣くっている魔物を倒す。それが目的である。
アレン率いる第四隊に同行する形になっている。
「あだぁ?」
イリヤは抱っこ紐でマリアンヌを自身の身体にくくりつけた。
「聖女様。お嬢様も連れていかれるのですか?」
アレンは驚いた様子で尋ねてきたが、むしろ彼の反応は正常だろう。
「はい。この子、人見知りが激しくて。おいていきますと、侯爵家のみなさまにご迷惑をおかけしますから」
「だぁだぁ」
そうだそうだ、とマリアンヌが言っているようにも聞こえた。
「聖女様がそうおっしゃるのであれば……」
アレンはイリヤと会話しながらも、その視線はちらちらとエーヴァルトを追っていた。その気持ちもわからなくはない。
「アレン様に、ご迷惑はおかけしませんから」
めっそうもないとでも言うかのように、彼は首と手を同時に振った。
「こちらこそ、聖女様の足手まといにならぬよう、努めさせていただきます」
ミルトの森はオロス侯爵の城館から馬車で一時間のところにある。それでもその間に村が一つあり、ミルトの森で魔物が大量発生し、森から出てきた場合、最初に標的となるのがその村なのだ。そしてすぐさま、アレンの元に助けてほしいと声が届く。
移動時間も貴重な作戦会議の時間となった。
「魔物たちは私たちが惹きつけますので、聖女様にはまずは時空の歪みを確認していただきたいのです。あわよくば、瘴気を祓っていただきたく」
アレンの言葉にイリヤも力強く頷いた。
「できるだけのことはやらせていただきます。ですが、私も不慣れである故、大目に見ていただけると」
つまり、瘴気を祓えるかどうかはわかりませんと、遠回しに伝えているつもりだった。
「今日は、初日ですから」
「あだ、あだ」
重苦しい雰囲気の中、マリアンヌの声だけは明るく響いていた。
馬車が止まって外に出ると、すでに第四騎士隊のメンバーは揃っていた。アレンがイリヤを紹介する。
「聖女イリヤ様だ」
たったそれだけのことであるのに、彼らの士気が高まったように見えた。
これが聖女の影響力なのだ。聖女がそこにいる。その事実が、彼らの背を押す。
せっかくエーヴァルトもこの場にいることもあって、彼から騎士たちへ激励の言葉をかけてもらった。しかし、イリヤが紹介されたときほど盛り上がりはしなかった。
「では、森の中に入ります。森の中は、どこから魔物が現れてもおかしくないような状況です」
イリヤの前にはアレン率いる第四隊の騎士たち。そしてクライブが隣にいて、後ろにはエーヴァルトと彼の護衛の騎士たち。
森へ入った途端、周囲の空気がピリリと張り詰めた。
「時空の歪みは、森に入り三十分ほど歩いた場所という報告だった」
引き締めた表情のクライブは、眼鏡を押し上げるような仕草を見せたが、今日も眼鏡はかけていない。それはクセになっているのだろう。
「その辺に瘴気が漂っているということですね?」
「あぁ。調査報告によると、まずはそこで時空の歪みが確認され、その後、魔物の出現が増えた」
「それがおよそ一年半前?」
「そうだ。すぐに聖女によって時空の歪みを封じてもらえれば、これほどまで魔物の姿も増えなかったのだが……」
それは叶わなかった。だから、イリヤがここにいるのだ。
「クライブ様。過去を悔やむよりは、これからの未来をよくしましょう」
驚いたようにアイビーグリーンの目を大きく開いたクライブは、そのまま目尻をやわらげて笑みを浮かべる。
「そうだな。そのためにも、まずは目に見える魔物を倒すしかないな」
「だぁ、だだだだだだぁ」
急にマリアンヌが暴れ出した。手足を大きく振って何かを一生懸命訴えている。
「どうしたの? マリー」
「あだぁ、あ、あ、あ~」
マリアンヌは右手を伸ばして、そっちを見ろと言っていた。
「?! クライブ様!」
「アレン殿」
クライブもそれに気づいて、先に行くアレンに声をかけた。後方にいたエーヴァルトたちは剣をかまえて、睨みをきかせている。
「……グルルルルルッ」
低い獣のうなり声。ただの獣ではないと一目見てわかったのは、鋭い牙があったから。
真っ黒い毛で覆われている獣は四つ足でこちらを見ている。赤い目はぎょろりとしていて、大きく開けた口からは牙がのぞき、だらだらと涎をたらしていた。長いふさふさの尻尾までついている。尻尾だって攻撃になるのだから、なかなかあなどれないのだ。
魔物だ。それも一匹ではなく、複数。そしてそれらは飢えている。
魔物の好物は肉。家畜でも人間でも、とにかく肉を糧とする。
瘴気によって、今、姿を見せたのかどうかもわからないが、これだけの魔物が人の集まる場所にいることを想像しただけで、背筋がぞっとした。
となれば、とにかくそれを殲滅するのが最優先である。
すっとクライブが剣を抜いた。
イリヤも右足を下げてかまえる。
魔物と対峙する。隙を見せれば、襲いかかってくるだろう。
アレンが右手をあげて合図をすると、騎士たちが魔物に向かって走り出す。
身の危険を感じた魔物たちも、こちらに向かって地面を蹴った。
「イリヤ」




