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第五章:それは追加契約になります(5)

「正確に言うならば、マリアンヌを抱いたイリヤ嬢だ。あ、おんぶでもよいぞ?」


 どういうこと? とイリヤは首を傾げる。

 クライブがやれやれとでも言いたそうに肩をすくめてから、言葉の先を奪った。


「マリアンヌが召喚されたとき、マリアンヌだけではなかった。彼女は服を着ていた」


 さすがに真っ裸で召喚されたら、された側も嫌だろう。マリアンヌの場合は、赤ん坊で自我すら芽生えていないから問題ないかもしれないが。


「つまり、聖女が触れているものは共に召喚できるらしい。だから、召喚の儀が行われる時間帯に、イリヤがマリアンヌを抱いていればイリヤごと召喚できると考えた。まあ、神官長と魔法使いたちの言い分だ」


 なんとなく理屈はわかった。


「マリアンヌとイリヤが共に召喚された場合、皆、イリヤを聖女だと思うだろう」


 希望を持っている者から見れば、聖女が赤ん坊であるという考えは無意識的に避けるにちがいない。その心理を使おうとしているのだ。


「そこで、少しだけイリヤが魔法を見せればよい。神官長が聖女の証を見せたほうがいいだろうとか言っていたからな。オレたちからしたら、魔力も聖なる力も区別はつかない。ただ、聖なる力には瘴気を祓う力があるだけで、魔法と同じようなものだと言っていた」

「だから、みんなの前で私が何かしら簡単な魔法を使えばいいと?」

「できるか?」


 乗りかかった船だ。いや、もうとっくに船は沖に出ている。ここまできて帰りたいとは言えない。


「ええ。気中の水分を花にでもかえましょうか? こんなふうに」


 イリヤがパチンと指を鳴らすと、小ぶりの花がぽんと生まれて、ふわふわと落ちていく。もう一度指を鳴らせば、それはぱっと消えた。


「イリヤ嬢、すばらしい。これなら、あの口うるさい奴らを黙らせることができるな」


 エーヴァルトが勝ち誇った笑みを浮かべている。


「だが、イリヤ。聖女の代役になるということは、これからイリヤは聖女として扱われるということだ」


 クライブが、少しだけ苦しそうに言葉を吐き出した。


「子どもを守るのは母親の役目です。マリアンヌのために引き受けます。ですが、閣下。最初は聖女の母親役ということで今回の仕事を引き受けました。それでも聖女の代役となれば、最初の契約内容と異なります。ここは、追加契約ということでよろしいですか?」

「なんの契約だ?」


 クライブは眉間に深くしわを刻んだ。


「そんなの、決まっているじゃないですか。私と閣下の雇用契約です」


 それを聞いたエーヴァルトが盛大に笑っていた。





 帰りの馬車の中では、クライブがずっとイライラしていた。まだ日が高いというのに、イリヤが帰ると言ったらクライブがついてきたのだ。

 イライラするくらいなら、ついてこなければいいのに。


「閣下、どうかされました?」


 イリヤとしては、イライラしたままマリアンヌに会ってほしくない。


「どうもしない」

「どうもしないって、明らかに怒っていらっしゃいますよね?」

「そういうつもりはない」

「そうですか?」


 イリヤは穴があくくらいにじぃっとクライブを見つめる。

 クライブはその視線から逃れるように顔を背けたが、あまりにもイリヤが見てくるものだから根負けしたようだ。


 はぁ、と大きく息を吐く。


「閣下。ため息をついたら、幸せが逃げていきますよ」


 イリヤが微笑むと、クライブは困ったような視線を向けてきた。


「一つ、尋ねてもいいか?」

「はい?」

「なぜイリヤは、陛下を名前で呼ぶ?」


 なぜと聞きたいのはイリヤのほうである。なぜ彼はそのようなことを尋ねたのか。だが、聞かれたのであれば答えなければならないだろう。当時のエーヴァルトとのやりとりを思い出す。


「そうですね。前回お会いしたとき? 陛下のほうからそのように提案されました。私がマリアンヌの母親であって、将来マリアンヌとアルベルト殿下が結婚したら、私はアルベルト殿下の義母にもなると。そうなったときのために、今から名前で呼び合う練習をしたほうがよいのでは、と。ですが、マリアンヌが結婚したら私は閣下と離婚する予定でしたので、そのような理由から申し出をお断りしました」


 クライブの唇の端がひくりと動く。


「ただ、私と閣下が離婚しても、私がマリアンヌの母親という関係性は残るからということでして。まぁ、そんな理由です」

「あいつの考えそうな屁理屈であるのはわかった」


 やはりクライブは機嫌が悪い。腕を組んでいるところから、他人と距離を取ろうとしている気配を感じる。


「だったら、なぜオレのことを名前で呼ばない?」

「え?」


 結婚した当初も、同じようなことを言われたが、この結婚は契約結婚。いや、雇用契約である。


「私たちは、夫婦ですが夫婦でないですよね。それに、最初に私の雇用主になるとおっしゃったのは、閣下ではありませんか」

「そうだな。あのときはイリヤが家庭教師募集の求人を見つけてこちらにやってきたからな。だが、あのときと今では状況が異なっている。何事も臨機応変に対応する必要があるのでは?」


 臨機応変と言われても。


「これからイリヤは聖女として生きていくことになる。そのとき、イリヤはオレの妻であると公表する」

「えっ?」


 これはいろんな意味で初耳である。クライブが結婚したことはやはり公にされていなかったのだなというのと、それを公表する事実と。マリアンヌの母親であればよいとさえ思っていたから、クライブとの関係は必要最小限のところに知られていればよいとも思っていた。


「聖女であれば、さまざまな者たちから狙われる。いろんな意味でな。だから、伴侶がいたほうが周囲も諦めがつく」

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