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第一章:お仕事募集中です(1)

 イリヤ・マーベルは、若草色のエプロンワンピースの裾を翻しながら、王都エクルベシュのレンガ路を歩いていた。向かう先は王城である。


 彼女のマホガニー色の髪は太陽の光を受け、艶やかに輝いている。ただ歩いているだけなのに、どことなく気品に溢れているのは、イリヤの生まれ育った環境のせいだろう。


 イリヤはマーベル子爵家の第一子として生を受け、どこから婿を迎えても恥ずかしくないようにと、両親がありとあらゆる手を尽くして育ててくれた。

 社交界デビューを迎えた日も、父親とのファーストダンスを終えた彼女を誘いたそうにしている男性は、列をなすほどであった。

 それはイリヤの美貌もさることながら、彼女と結婚すればもれなく次期マーベル子爵という身分もついてくるからだ。爵位を継げない次男、三男がこぞってイリヤを狙っていた。


 そんな状況から一変してしまったのは、イリヤの社交界デビューから一ヶ月後に、マーベル子爵が不慮の事故で命を失ってしまったから。


 このマラカイト王国では、女性に爵位の継承は認められていない。そしてマーベル子爵には、夫人との間に娘しかいなかった。しかも四人。

 まして成人している子はイリヤのみ。ここでイリヤが結婚をしていたら、その相手に爵位が引き継がれるのだが、残念ながらイリヤにはそういった相手はいなかった。

 となれば、次のマーベル子爵となったのは、父親の弟――イリヤから見たら叔父である。幸いにも叔父は独身であったため、母親は彼と再婚した。


 母親に言わせれば、娘たちを守る手段であったようだ。しかし、なんやかんやで夫婦二人うまくいっているようにも見える。幼い妹たちも新しい父親に馴染んではいるものの、イリヤだけは別だった。


 叔父は、イリヤを一人の女性として見ている。


 むしろ、イリヤを手に入れるために母親と結婚をしたといっても過言ではないほど。

 そして母親はそれを知っていた。だけど、イリヤの他にも幼い娘が三人。母親は三人の娘を守りたかったのだろう。どちらかというと、イリヤであれば自分の身は自分で守れると思ったに違いない。イリヤ自身もそう思っている。妹たちを守るのであれば、自分を犠牲にすることも厭わないつもりだ。


 だから母親を恨んでいるわけでもないし、母親の気持ちもよくわかる。


 実際にイリヤは、自分で自分の身を守っていた。その結果、あの家を出ることにした。

 いや、母親がこっそりと紹介状を手渡してくれた。


 ――サブル侯爵家では家庭教師を探しているの。あなたであれば務まると思うわ。ごめんなさい、イリヤ……。


 母親は何に対して謝っていたのだろうと、今になって思う。

 イリヤから見ても三人の妹たちはかわいいし、彼女たちにはすくすくと育ってもらいたいと願う。

 自分が犠牲になることで彼女たちの生活を守ることができるのならば、喜んで犠牲になる。

 昔からイリヤはそういう女性だった。


 紹介状をもとにサブル侯爵家を訪れると、これほどか! というほど歓迎された。

 サブル侯爵は三年前に妻を亡くし、五歳と七歳の娘と暮らしている。そしてイリヤに求められたのが、その娘たちの家庭教師であった。


 特に五歳の娘の癇癪が酷く、どんな家庭教師も長続きしないのだとか。

 同じような年齢の妹たちの世話をしていたイリヤにとって、五歳と七歳の娘の家庭教師は、ある種、天職でもあった。もちろん住み込みとのことで、イリヤには離れの一部屋が与えられた。こちらの離れでは、他の使用人たちも暮らしている。


 一ヶ月も経てば、彼女たちもイリヤに心を開く。勉強以外にも一緒にお茶を飲んだり遊んだりと、まるで彼女たちの母親的存在になりつつあった。


 そう思っていたのは、娘たちだけではなかったようだ。

 どうやらサブル侯爵本人も、彼女には娘たちの母親、すなわち侯爵の妻になってほしいと願っていた。


 しかしイリヤはまだ十九歳。サブル侯爵は三十七歳。夫というよりは父親の年齢に近い侯爵である。

 イリヤはやんわりと断ったのだが、それがサブル侯爵の神経を逆なでしたようだ。


 あっけなく家庭教師はクビになった。


 次の仕事のための紹介状ももらえなかった。仕方なくイリヤは自分の足で仕事を探すが、なぜかイリヤ・マーベルという名を聞くだけで、どこの屋敷も嫌な顔をする。


 男の執念というものなのか。

 ありとあらゆる貴族に根回しをしていたのはマーベル子爵とサブル侯爵であった。


 イリヤ・マーベルは、貴族の男を手玉にとっている毒婦――


 そんな噂が広がっていたのだ。


 だからイリヤは、職業紹介所へ足を運ぶことにした。ここにはいろんな人たちに向け、さまざまな仕事が集まってくると聞いている。


「う~ん。厳しいかもしれないわね」


 窓口の女性が、イリヤの記入した用紙を眺めながらぽつりと呟いた。


「どんな仕事でもやりますから。力仕事でも」


 イリヤは窓口で担当の女性に食いついた。


「どんな仕事でもやるって、軽々しく言わないほうがいいわ。特にあなた、噂のイリヤ・マーベル嬢でしょ?」

「え?」


 たくさんの人たちが足を運ぶ職業紹介所にまでイリヤの名が知れ渡っているとは、思ってもいなかった。


「ほら。ここはいろんな仕事を受けるからね。あなたの噂も入ってくるのよ。そのマホガニー色の美しい髪。ラベンダー色の魅惑的な瞳。ほんと、誰もが虜になりそうな見目よね」


 人から人へと伝わる噂は、貴族の間だけでなく、本当にさまざまな人たちに伝わっていくらしい。身分や住んでいる場所など関係なく。


「紹介できるとしたら、高級娼館くらいかしらね? あなたなら、たくさんの客がつくと思うけれど?」


 窓口の女性が、イリヤの唇をつつっと右手の人差し指でなでた。同性であったとしても、それがあまりにも蠱惑的に見えて、顔が火照ってしまう。


「やぁねぇ? そんな初心(うぶ)な反応を見せて。演技も上手なのね。あなたなら間違いなくナンバーワンになれるわ。どう? ここ。紹介するわよ……って、もしかして、本当に初心?」


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