第76話 ソバと家族計画と陰り
【ホマレ視点】
「あれ?何だかいい匂いですね?」
キッチンで料理をしているナギの元へセシルが興味深そうに近づいて行く。
「何ですか、それ?麺料理?」
「これ?おソバゆがいてるんだけど?いー匂いなのはこっちのお汁だね。お出汁取って調味料でちょちょいと味付けしたの」
「ほうほう。『オソバー』ですか」
発音も違うし微妙に間違えてるぞ。
まあ、この世界の出身ながらも猛勉強の末に日本語を習得したリリィ姉さんでも未だに発音とかおかしいくらいだからな。
多分、あの言語は色々と難しいのだろう。
「ナギとホマが居た地球のお料理だよ。麺の味とかは流石に再現難しかったけど、お汁の方は同じ様な感じの出来たんだ。懐かしいかなーと思って」
「くー、ナギって時々、こういう強烈なアドバンテージを見せつけてきますよね」
悔しがるセシルを見てナギは軽く微笑んだ。
「そんな強烈でも無いよ。ナギがふと食べたいなぁって思っただけ。それに、ホマは何だかんだでこっちの世界での人生も長いしねー」
確か前世で俺が死んだのが23歳。そしてこっちでは現在24歳。
そう考えるとこっちでの人生の方が長い。
もちろん、和食なんて聞くとちょっと懐かしくなる。
だから和食を知っているナギの気まぐれは正直嬉しかったりする。
ちょくちょく前世を思い出す様な食材、例えばダイコンに近いものなどを見かける。
実家でも食卓に上がる事もあったのだがおふくろ達はこっち出身だからな。
味付けもナダ風かイリス風になる。親父も料理をするが割と雑なので姉さん達からは不評だった。
うん、楽しみだ。
あっ、そういえばダイコンで思い出したが親父はたくあんを作ってたな。
礼によって発音聞き間違いで『タクワーン』と認知されている上、こちらの世界では臭いから不評だったりするけど。
□
皆でそばを食べ終え一服する。
こっち出身であるフリーダとセシルは苦心しながらフォークで食べていたが俺とナギは箸で食べられる。
まあ、箸文化はこの国にはなく基本オーダーメイド品になる。
異世界人が影響を与えまくっている割にどうも箸は浸透しないなぁ。
「ホマレもナギも凄いよな。あんな2本の棒で器用に食べ物を掴めるなんてさ」
「本当に。何かこう、魔法を見ているみたいです」
「魔法だなんて大袈裟だよ。ちょっとしたコツがあるだけで押さえたら2人にも出来るからね」
微笑ましい光景だ。
前世では散々な目に遭っていたがこっちの世界に転生できて本当に良かった。
家族にも恵まれているし俺は幸せ者だ。
「そろそろ欲しいかな、子ども」
ふと、そんな言葉をつぶやいた。
すると3人が少しの間、動きを止める。
おや、何かいかんことを言ってしまったか?
「そ、そうだな。確かにそろそろいいかもしれないよな」
「あたしは3番目がいいですよね。もしくは3人」
もうこれ、俺のせいとかじゃなくて『3』に取りつかれてるだろ。
現実的なのはまあ、3番目だろうな。
「………………」
盛り上がる二人と対照的にナギは少し複雑そうな表情をしていた。
おや?こいつがこういう表情の時は何か悩んでいるな。
どうしたのかと声を掛けようとしたが……
「それじゃあ『ヴィネストーク』に手紙を出さないといけませんね」
幼馴染が無邪気に放った言葉が空間の空気を凍り付かせた。
え、今こいつなんて言った?
「えっと……セティ?それって……」
「え?赤ちゃんが欲しいと思ったら『ヴィネストーク』に手紙を出すんですよね?そしたらキャベツ畑まで運んでくれるって……あれ?な、何ですかこの空気?」
ちなみに『ヴィネストーク』はいわゆる『コウノトリ』の様な鳥だ。
メール辺りに聞けばより確かな事がわかるが確か教典で赤ん坊を運んでいるとかそういう記述があってその伝承を基に縁起のいい鳥としてこの世界では広く知られている。
「あ、あのさセシル。赤ちゃんはヴィネストークが運んでくるわけじゃ無いぞ?」
恐る恐る指摘するフリーダ。
セシルは『へ?』と首を傾げていた。
ああ、こいつ本気だ。
「……おい、だれかこいつに生命の神秘を教えてやってくれ」
□
半時間後、ナギに赤ん坊が出来るメカニズムを説明してもらい顔を真っ赤にして顔を隠して悶える幼馴染妻の姿があった。
マジかよ。お前、24歳なのにガチで知らなかったのかよ……
「こんな恥ずかしい勘違いしてだなんて……あたし、もうお嫁に行けない!!」
いや、もうお嫁に来てるだろうが。
お前が大好きな3番目だぞ?
「流石に知識に乏しいわたしでも知ってたぞ」
「よく考えたら聖女宮に居た子って殆どこんな感じだったんだよねー。早い子だと5歳くらいから聖女宮で住んでいる子とか居たしさ」
触れなければその知識を習得することは出来ない。
聖女宮で暮らしていればそういうものに触れないからな。
「じゃあ、ナギは何で知ってるんですか!」
「地球では学校で習うんだよ」
「えぇっ!?」
ちなみにそういった教育はこっちじゃ学校では教えず親が子にこそっと教えていくものだ。
まあ、俺の場合は親父がその辺は雑だったし何よりすでに色々知ってたからな!教育の必要無し!な優等生だった。
優等生……なのかな?
「それにナギ、聖女になる前にホマと関係持ってたしさ」
「ちょっ、それは……」
「みんな知ってることだし、隠す様な事でも無いじゃん」
まあ、確かになぁ。途中までだったけどナギは俺にとって『はじめて』の人だな。
ただ、あの時の事はあんまり触れて欲しくない。
もう何というか凄く甘い想い出だけど色々と思いだしただけでも恥ずかしくて隠れてしまいたくなるような事をしでかしたからな。いや本当に顔が熱くなってくる。
それにしても本当に、あんな別れ方をしてよく戻って来てくれたものだよな、ナギは。
「ナギが、ナギが凄く大人に見える!ああっ、眩しい!!」
「大袈裟な奴だなぁ。まあ、ナギは実際の所、色々と教えてくれる大人のお姉さんだからな。わたしも色々教えてもらったし」
ナギの場合『悪い事も教えてくれるお姉さん』的な側面もあるんだがな。
夜の知識なんて9割方ナギが教えてた。中々に刺激的な光景だったなあれは。
フリーダの言葉に苦笑するナギだったが一瞬、その表情に陰差した。
やっぱり、何かおかしいな。あの表情には見覚えがある。
あれは……
「だけど子どもを作るなら順番とかも考えないといけないな」
確かにそうだ。
セシルを迎えた時、親父から言われたことがある。
『計画的にしろ』だ。
我が家では3人の姉さんは同じ日に生まれた。
つまり、そういうことだ。親父の雑さがよくわかる。
賑やかだったがやはり色々と大変だったらしい。
「あたしはさっき言った通り3番目がいいです。なので、ひとり目と2人目はフリーダとナギでどうぞ」
まあ、セシルはこういうやつだからいいとして。
俺としては最初はナギがいいと思っているんだがな。
詳しくはないが歳を重ねる程にリスクが増えていくらしいし。
地球の医療技術があるならまだしもやはりそこはまだまだ医療技術も未熟なこの世界。
一番年上のナギとの間には出来る限り早く子どもを持ちたいものなのだ。
以前、ナギに夜這いをした結果フリーダにこっぴどく叱られたがあの辺もそういうことをきっちり考えての行動だ。
決してノリじゃないぞ。多分。
「…………ナギは、別にいいかも」
「え?」
空気がぴりっとしたものに変わった。
「ナギ、子どもは欲しくない。だからフィリーが先に……」
あれ?あれれ?
「えっと……ナギ?」
俺の言葉にハッと気づいたナギは両手を広げておどけて見せる。
「えーと……何ていうかほら、ナギって歳いってるしさ。いざ構えるとちょっと不安だなーって思わず言っちゃってね。えーと、ちょっと片付けして来るね」
足早にキッチンへ逃げ込む年上妻。
うーん、これは正直まずいな。
そう、ナギが見せたあの陰のある表情。
あれは……ナギが俺の前から姿を消した直前に見せていたものと同じであった。