第一話:赤紙(差押令状)を貼る瞬間のために生きている
「リディア、貴様のような『計算しかできない無能な女』は、我が婚約者にふさわしくない。本日をもって追放、および婚約破棄とする!」
豪華絢爛な王宮の謁見の間。
金髪を傲慢に揺らす第一王子・ジュリアスが、私に向かって冷酷な宣告を叩きつけました。
その隣には、私の母の形見である『真珠のネックレス』を厚顔無恥にも首にかけ、勝ち誇った笑みを浮かべる聖女ミーナが寄り添っています。
「……追放、ですか」
私は静かに声を漏らしました。
視界が少しだけ、熱に浮かされたように揺れます。
悲しみではありません。
ついにこの日が来た、という震えるような歓喜が、私の腹の底からせり上がってきているのです。
思い返せば、この三年間は地獄でした。
王家は私の実家である公爵家に「婚約の担保」という名目で無理やり難癖をつけ、全資産を没収しました。
私は無一文で王宮に引き取られ、そこから始まったのは『会計官』という名の、家畜以下の労働です。
窓のない、カビ臭い地下の書庫。
そこが私の寝床でした。
食事は一日に一度、聖女が「飽きたから」と捨てた残飯のみ。
さらに、彼らが贅沢三昧をするための予算を捻り出すため、私は自らの『寿命(生命力)』を魔導計算機の燃料として捧げ、昼夜を問わず数字を叩き続けさせられてきたのです。
「どうした、絶望して声も出んか? 安心しろ、貴様のような『数字の奴隷』でも、その辺の平民として細々と生きる権利くらいは与えてやる」
ジュリアス様が鼻で笑いました。
聖女ミーナが、私のネックレスを愛おしそうになぞりながら、追い打ちをかけます。
「リディア様ぁ、ごめんなさいね? でも、貴女が計算した予算で買ったこのドレス、とっても着心地がいいの。貴女の命を削った魔力、最高に美味しいですわぁ」
……。
……ああ。
最高です。
その言葉。その態度。
それこそが、私が三年間、心臓の鼓動を数字に変換しながら待ちわびていた『最後の一押し』。
「……確認ですが。追放ということは、私はもう『王宮の会計管理者』ではないということでよろしいですね? 私の労働、および資産の提供義務は、今この瞬間をもって消滅した。そう解釈して間違いありませんか?」
「ああ! 何度言わせる! 今すぐその汚らしい顔を私の前から消せ!」
「承知いたしました……。ああ、神様。ありがとうございます」
私は感極まって、愛用の魔導端末を強く抱きしめました。
ドクドクと、全身の血が沸騰していくのを感じます。
溜まりに溜まった鬱屈。
奪われ続けた尊厳。
それらが今、黄金の輝きを放つ「債権」へと昇華されていく。
「では。こちらが、本日まで積み重なりました『累積未払い金一括請求明細』となります」
私は端末を操作し、空間に巨大な魔力ホログラムを展開しました。
そこには、三年間で彼らが踏み倒した経費、不当に没収された私の実家の資産、そして……私の寿命一秒ごとにつけられた『正当な労働対価』が、緻密な数式と共に並んでいます。
「……金貨、8億枚。これが、貴方たちが私に支払うべき『債務』の総額です」
「はぁ!? 8億!? 何を寝ぼけたことを言っている、このキチガイ女が!」
「お支払期限は……はい、今この瞬間です。……あら、お顔の色が悪いですよ? お支払いが難しいのでしょうか? 当然ですよね、王宮の金庫は、昨晩の聖女様のパーティー費用で『空っぽ』ですもの」
私は一歩、王子に詰め寄りました。
彼の喉元から、恐怖の匂いが漂ってきます。
それが、私にとっては何よりの香水。
「支払われない場合、私が保有する『契約魔法』に基づき、直ちに強制執行に移行します。……ああ、待って。この感覚、三年間ずっと夢に見ていたんです……!」
私は濡れた瞳で、指先を空中に掲げました。
全身の毛穴が開くような、猛烈な快感が背筋を駆け上がります。
「……差押。」
私が指を弾いた瞬間。
謁見の間全体が、ドクン! と大きく脈動しました。
王子の背後にある玉座。
天井から吊るされた巨大なシャンデリア。
そして、聖女が身につけているドレスや宝石。
バチン! バチン! バチン!
耳を劈くような音と共に、それらすべてに真っ赤な魔法の封印紙が、吸い付くように貼り付けられていきました。
「な、なんだこれは!? この紙、剥がれんぞ!?」
「私のドレスが……重い! 身動きが取れないわぁっ!」
「ふふ……ふふふふ! ああ、なんて鮮やかな赤! 傲慢な権力者の持ち物が、私の指先一つで『無』に帰すこの快感……! ゾクゾクします、中が、熱くて、とろけてしまいそう……!」
私は頬を染め、吐息を荒くしながら、のたうつ二人を見下ろしました。
差押魔法。
それは対象の所有権を剥奪し、物理的に固定・拘束する最上位の法縛魔法。
三年間、私の生命力を吸い取ってきたこの国そのものが、今度は私の魔力によって『食い尽くされる』番なのです。
「王子、貴方のその正装も、もちろん差し押さえの対象です。……ああ、見て。特注のシルクが、私の赤紙に締め付けられて、貴方の無様な姿を強調しているわ。……素敵。最高に滑稽で、最高にそそりますわ」
「貴様……狂っているのか!? この私を誰だと思っている!」
「不法占拠者。……それが、今の貴方の肩書きです」
私は一歩、また一歩と、地に伏した王子に近づきました。
ヒールの音が、差し押さえられた大理石の床に小気味よく響きます。
かつて私を地下へ閉じ込めたこの床も、今は私の愛撫を待つ従順な下僕。
「今日からこの王宮は、私の私有物……いえ、私の『おもちゃ箱』です。陛下が戻るまでの間、貴方たちは家賃滞納者として、庭の犬小屋で過ごしていただきます。……あ、もちろん、犬小屋もさっき差し押さえたので、一分ごとに利息を徴収しますけれど」
私は王子の額に、最後の一枚――【本人(動産扱い)】と書かれた赤紙を、愛を込めてペタリと貼り付けました。
「……ああ、イッてしまいそう。……完璧な、清算です」
私はその場にへなへなと座り込み、自らの身体を抱きしめました。
指先一つで国を止める全能感。
奪われたすべてを、数字という暴力で奪い返す快楽。
この日、大陸史上最も美しく、最も変態的で、最も苛烈な『取立無双』が幕を開けたのです。
「……さあ、夜は長いですわよ。……次は何を、私の色に染めてあげましょうかしら?」
夜の王宮に、狂おしいほどの歓喜の笑い声が、いつまでも響き渡っていました。




