この世界
この星アーシアは全能の女神、フリージアによって創られた。
始まりのアーシアは神々の住まう美しい星であったが、フリージアをはじめとする高位の存在達はもっと多くの生命を欲した。自分たちの住まうこの星がより賑やかで、生命の歌に満ち溢れたものになってほしいと望んだ。
そこで彼らは配下の天使たちの力も借りて、アーシアのあらゆる場所に生命を生み出した。自分の仕える神から手渡された「命の種」を、天使たちはアーシア中に蒔いていった。
そうして生まれた始まりの生命はごく単純な化学的構造の、目にも見えないほどの小さな有機体だった。
それらが世界の様々な場で同時多発的に産声を上げ、長い時間をかけて少しずつ進化と成長を繰り返していった。神々はこの生命体の成長を心待ちにした。
始まりの生命は体の構造をより複雑で高度なものに変えていった。
単一の細胞でしかなかった彼らは、やがて複数の細胞と結合して一つの生命を形作るようになり、肉や骨を持ち、神経や脳を備え、時には他の生命を吸収して自らの体を構成する要素の一部に変えていった。中には魔法の力を持った種族も生まれ始め、それらは後に精霊種と呼ばれることになる。
自分たちの予想を超えたスピードでの進化と高度な生命体の誕生に、神々は目を見張った。進化した生命は海を、陸を、空を埋め尽くし、多くの神や天使がこの出来事を歓迎した。
生命と呼ばれる存在が生まれて途方もない年月が経った頃、一際神に近い姿をした種が現れた。
それは精霊種をも凌駕する極めて強い魔法の力と長寿を備え、高い知能を持っていた。彼らに牙をむくあらゆる存在は、その強力無比な魔法の力の前に倒れるか、恐れをなして逃げるかのどちらかだった。彼らは指先一つで雷撃を放ち、轟炎を広げ、大地を凍てつかせることができた。また、特に才能あるものは未来を見通すことや、自他の体を癒すことすらできた。これだけの力を持ちながら、彼らはその力を安易に行使することはしなかった。
さらに少し遅れて、この種族とほぼ同じ姿を持ちながらも魔法の力を持たない別の種族が現れた。
神々はこの二つの興味深い種族のうち、前者を「ノス・アルゴノス」、後者を「ノス・テリネウス」と名付け、この二つの種の成長と繁栄を上位の存在の住まう世界から見守ることにした。
やがて興味深いことが分かる。
両種族は魔法の能力の有無に限らず、多数の性質や生態において驚くほど対極的な性格を持ち合わせていたのだ。
まずノス・アルゴノスは争いを好まず、他の種族を尊重する生き方を好んだ。
協調性こそないものの、だからと言って同族の他人や他種族の生き方を否定することもなかった。
そうした思考や性質は個体ではなくノス・アルゴノスという種が根本的に保有する性質であり、それは歴史上でアルゴノスが一度も同族間での戦争を経験したことがないという事実が証明している。
協調性の欠如は、彼らによって作られた大規模な社会や国家、陣営が歴史上にほとんど確認されていないという形で表れていた。
また、アルゴノス達は単独ないしは小規模の集団での生活を好み、人生の大半を他種族の手助けや奉仕、魔法の研究に費やすことが多かった。多くが好奇心旺盛でありながら大人しい学者タイプや医者タイプのパーソナリティを備えており、好戦的な戦士タイプや活発な冒険者タイプはごく少数だったというわけだ。
彼らのもう一つの特徴が長寿だ。
まだ社会や文明といえるようなものがアーシア上に存在せず、弱肉強食の概念に基づく生態系の中に彼らが身を置いていた時期ですら、その平均寿命は150年を優に越えていたと言われている。現在ではテリネウス社会が世界にもたらした生活水準の向上や医療技術の進歩によって、彼らの平均寿命はなんと400年前後にまで増加している。
さらに驚くべきことに彼らには老化の概念が存在しない。アルゴノスもテリネウスも赤ん坊の姿で母体から産まれ、誕生から15年程度で性的成熟を迎えるという点では共通していた。テリネウスの場合ここからゆっくりと老化していき、現代社会においては約80年前後でその生涯を終える。
しかし、アルゴノスの肉体に成熟後の老化は起こらない。彼らは肉体が成熟したその時の若々しい容姿と身体機能を保ったまま、長い人生を全うするのだ。
テリネウスが肉体の老化や身体機能の低下をゆっくりと自覚しながら死を待つのに対して、彼らの寿命による死は突然やってくる。長生きしたアルゴノスの死の姿はまさに眠っているようであり、なんの予兆や前触れもなく彼らの魂を天へと運ぶ。
一方テリネウスは多くの点においてアルゴノスとは正反対だった。
温厚で他者を尊重し、対立の平和的な解決を是とするアルゴノスとは対照的に、ノス・テリネウスは臆病でありながら好戦的だった。いや、その好戦性は臆病さに裏打ちされたものかもしれない。テリネウスにとって、争いという概念は切っても切り離せない存在だった。彼らは歴史上において、個人、集団、陣営、国家問わず、争いを繰り返し続けてきた。
また、彼らの多くは魔法の力を一切持たなかった。
ごくまれに魔力を持った者が生まれることもある。そうした存在はテリネウス社会では「才能ある子」として持て囃された。しかし、テリネウスにとっての才児はアルゴノスにとっての劣等生にすら遠く及ばなかった。ノス・テリネウスとは基本的に「魔力を持ちえない種族」であり、生命力や身体能力においても他の動物に大きく後れを取っていた彼らは生態系内においてヒエラルキーの下位に位置する種族だった。
事実、ノス・テリネウスは誕生以来、歴史上において幾度も絶滅の危機に瀕したことがあった。アーシアという宇宙に浮かぶ巨大な星に現れた新参乗組員を、アーシア自身と他の種族の多くが手厳しい歓迎で迎えたのだ。
凍てつく長い冬の時代の到来、大地の底までもが冷えたことによる不作と飢餓、恐ろしい疫病の発生、悪魔や邪神が神の真似事で生み出した怪物たち、敵対種族によって構成された魔王軍の侵攻……。
繰り返される悲劇を弱者側の種族であるテリネウスが乗り越えられたのはなぜか?
危機に陥るたびに彼らが団結して立ち向かい続けたことや、フリージアをはじめとする神々が手を貸し続けたことも要因の一つだ。
だが、最大の要因はアルゴノスの存在だった。彼らはテリネウスが絶滅の危機に瀕するたびに立ち上がり、その魔法の力で弟や妹たちを救い続けてきたのだ。
永遠に続くかと思われた氷と雪と闇の時代、アルゴノス達は黒い雲に覆われた空を自らが生み出した小さな太陽と炎で照らし続けた。寒さに震えるテリネウスの家族がいれば、彼らの住まう家を訪れて暖炉に消えることのない暖かな火を灯した。死への恐怖と寒さに震える家族にアルゴノスは微笑み、囁いた。「大丈夫だ。弟たち。この恐ろしい時代はもうすぐ終わる」と。
アルゴノス達の言っていた通り、のちに歴史学者たちから「氷雲期」と名付けられるこの時代は終わった。だが、次にアーシアの生物たちを襲ったのは植物の大量枯死と、それに伴うあらゆる食料の枯渇だった。全ての生けるものに平等な飢えと死が降りかかった。だがアルゴノス達だけが慌てなかった。
彼らは魔法の力で土地を改良し、そこに農作物を芽吹かせた。
僅かに生き残った植物の種子をかき集めて生長させ、再び緑を繫栄させた。彼らが大地に種を植えて手をかざすだけで、3日とかからずに種子は立派な樹木へと姿を変えた。アーシアの大地では作物が実り、動物たちが肉をつけ、食料が満ち溢れるようになった。その豊かさたるや氷雲期到来前以上と謳われるほどだった。こうしてテリネウスを含むすべての生き物が、待ち望んだ春の到来を心から喜べるようになった。
かつてないほど豊かな時代の到来に、テリネウスは爆発的にその人口を増やしていった。アーシア各地に点在していたテリネウスの小さな生活圏はその大きさと抱える人口を急速に拡大し、他の生活圏との融合を長い時間をかけて繰り返した。この時の彼らはまだ国家や陣営といった概念を持たず、親テリネウス派のエルフ、ドワーフをはじめとする他の精霊種やノス・アルゴノスをゆっくりと取り込みながら比較的平和な社会を築き上げていった。
数百年の月日が経った頃、テリネウス社会を揺るがす未曽有の事態が発生する。
それは疫病の蔓延だった。大陸間や島々の交易が活発化していた当時、「パデスプ」と呼称されるその病の病原体は人々の体に侵入して海を渡った。
パデスプは瞬く間に感染者の数を増やし、感染者の増加に続く形で死者数も増えた。
各大陸のテリネウス社会は感染症の蔓延を食い止めるために手を尽くしたが、彼らの苦労が報われることはなかった。交易の閉鎖により社会や経済の発展は停滞し、封鎖された大陸社会の中で、感染者と死者がとめどなく溢れていった。
パデスプはノス・テリネウスにのみ感染する疫病であり、テリネウスと共生していた他の知的社会性種族にはなんら影響をもたらさなかった。
世界中の路頭はパデスプの犠牲となったテリネウスの死体で溢れかえり、家々のベッドには死を待つのみとなった感染者が苦しげに息を喘がせながら横たわっていた。各地の指導者は頭を抱えた。自分や家族までもがパデスプに感染することを恐れて、安全な場所の噂を聞きつけるや、民を捨てての移住を目論む者もいた。
この危機に、一人のアルゴノスの医師が立ち上がる。
彼は名をタニース・ルク・ジャルマンといい、疫病蔓延以前からテリネウス社会で種族を問わず多くの人々を診療してきた高名な医師だった。当時のアルゴノスの基準に照らし合わせてかなりの高齢だったジャルマンは、まさにあらゆる医療分野に精通した男だった。幼少期より医学の道を志していた彼は、生涯を勉学と研究、そして助けを求める患者の治療に費やしていた。
高度な治癒魔法を使える彼が目の前のパデスプ患者を治療すること自体はわけもない話だった。だが患者はすでに世界中に溢れかえっており、いくらジャルマンが魔法と医学に秀でていても、たった一人ですべてのパデスプ感染者を救うのは不可能だった。
そこで彼はまず自身と同じ治癒魔法の能力を持つアルゴノスによって組織された医療団を結成。彼らに魔法によるパデスプの効果的な治療法を伝授したのち、各地に散開させて治療と回復の指導にあたらせた。当然ながらこれでも医師の数は到底足りない。ジャルマンはこれを見越し、テリネウス社会でも再現可能な、魔法を使わない治療技術の確立に執心した。しかし、当時の医学的知識や技術はあらゆる面において現代よりも遅れており、魔力を持たないテリネウスにも扱える治療法の開発はジャルマンにとっても至難の業だった。また、ジャルマンは高齢であり、彼自身の死の瞬間がいつやってきてもおかしくない状況だった。タイムリミットは刻一刻と迫っていたのだ。
ジャルマンはアルゴノスや精霊種、免疫を持ったごくわずかなテリネウスに完成したワクチンを託し、それを世界中に拡散させて人々を助けるよう依頼した。
ワクチンとは本来非感染者に注入することで免疫をつけさせ、感染することを防ぐものだ。しかしジャルマンが生み出したこのワクチンは治療薬と本来のワクチンの両面の効果を兼ね備えたものだった。非感染者に使用すれば感染のリスクを恒久的に防ぐことができ、感染者に使用すれば症状を劇的に改善することが可能だった。
残念ながらジャルマンは疫病の終息を見届けることなくその生涯を終えた。
だが世界各地のテリネウス文明に届けられたワクチンは感染者、非感染者問わず多くのノス・テリネウスの命を救い、彼らをパデスプによるさらなる大量死と絶滅の危機から救った。
各文明や社会の指導者たちが次々にパデスプ根絶完了を宣言し、猛威を振るった疫病は感染者の消滅という形で静かにテリネウス社会から姿を消した。
ジャルマンがノス・テリネウス社会にもたらしたのは単なるパデスプ根絶によるテリネウスの救済だけではなかった。彼が開発した病原体の特定と解析法、ワクチンや治療薬の生産方法のほとんどは魔法に頼らない画期的なものであり、それはすなわち、テリネウス社会が自らの力で病に対抗する術を手に入れた瞬間だった。
それまでテリネウスが疫病に対抗する手段といえば、アルゴノスや精霊種が持つ治癒魔法に頼るか、自らの体に備わった免疫や治癒力を信じるしかなかったからだ。
ジャルマンの死を全てのテリネウスが悼んだ。
彼の名と活躍は現在に至るまで語り継がれ、ほとんどの国の世界史の授業でその名が登場する。また、カティ・アムという国にはジャルマン国営病院という病院が存在し、この病院は彼が運営していた診療所をテリネウスたちが引き継ぎ、拡大する形で現代に引き継いだものだった。
カティ・アムは世界でもアルゴノスを信仰する宗教が国内人口における多数派を占める珍しい国家だった。
現在のテリネウス社会で最も多くの信者数を抱えるのは女神フリージアを信仰するフリージア教であり、次いでガーレット教やサ・フーラ導教が最大手だ。しかしカティ・アム国民の多くはかつて疫病から救われた経験からノス・アルゴノスを信仰し、いつか彼らが帰ってきたときに受け入れられる態勢を整えている。ノス・アルゴノスを信仰する宗教にも宗派や教義の違いはあるものの、それらはすべて同盟関係にあり、表立っての対立は確認されていない。
疫病が終息してなお、ノス・テリネウス社会を長きにわたって苦しめている問題があった。
それは怪物の跋扈だ。
先の氷雲期や飢餓、疫病ほどの大規模な死者数こそ出してはいないものの、テリネウスがアーシア上に産声を上げて間もない頃からその命を食らい続けてきた恐ろしい存在だった。
多くのテリネウスの学者たちがこの怪物たちの正体について研究と解明に努めてきた。結果、怪物は神の手によって生み出されたあらゆる生物の遺伝子と全く異なる遺伝子構成をしており、宗教歴史学上で確認されてきた悪魔や邪神の遺伝子サンプルに極めて近い遺伝子構成を保有していることが判明している。
怪物が悪魔や邪神によってアーシア上に産み落とされた存在であるという説は確実視されていた。しかし邪神たちがなぜこのような危険な生物群を作り出したかという意図については現在でも判明していない。
怪物は多くの種が狂暴である点で共通しており、アルゴノスやテリネウスを好んで襲い掛かる。
魔法で自衛できるアルゴノスからすれば多くの怪物は取るに足りない相手だったが、問題はテリネウスだった。魔法も、強力な身体機能も持たず、銃という強力な武器を持っていなかった頃のテリネウスからすれば、怪物たちは天敵以上の存在だった。
一度狙われれば個人や少人数での撃退はまず不可能。弱い種ですら大型肉食獣に匹敵しうる強さを持ち、強力な種ともなれば数百メートルの巨躯を持つものや魔法を扱う種まで存在しうるこれらの怪物たちを相手に、テリネウスはあまりにも無力だった。
腹を空かせた怪物を前に村や町一つが壊滅状態にまで追い込まれることも珍しくはなく、稀に小国や中規模のコミューンまでもが怪物を前に犠牲となることもあった。
誕生以来、アルゴノスはテリネウスの守護者であり続けた。
彼らはテリネウスの依頼を受ければ怪物撃退のためにどこへでも駆け付け、これを退けた。
アルゴノスは守護者であり、英雄であり、勇者だった。どんなに恐ろしい怪物でもアルゴノスの魔法の力の前では無力に等しかった。
現代でも世界各地にアルゴノスの活躍を称えた伝承や英雄譚が星の数ほど残っている。彼らがいなければノス・テリネウスという種族が現代まで生き残ることは不可能だったと多くの歴史学者や生物学者が断言していた。
そして現在から約100年前、邪神、悪魔、魔物、怪物によって構成された超大規模な軍がノス・テリネウス文明とアーシアを征服するべく攻勢を仕掛けた。
これはテリネウスが直面したあらゆる危機の中で最も彼らを絶滅に近い位置まで追いやった事件であり、戦争開始当初は侵略戦争と呼ぶことすら憚られるワンサイドゲームになることが予想された。
ノス・テリネウスの危機に黙っていなかったのがアルゴノス達だった。
彼らは精霊種をはじめとする友好種族に呼びかけ、アーシア各地で多種族間連合軍を結成して魔王軍を迎え撃った。だがいかに強者種族であるアルゴノスとはいえ、今回ばかりは苦戦を強いられる運びになった。
相手は邪神や悪魔。アルゴノスが耐性を持たない闇属性の魔法を扱う彼らを前に、連合軍は多くの犠牲を払った。闇属性魔法はアルゴノスや精霊種が得意とする防御魔法を貫通ないしは無効化することが可能であり、これまで闇属性魔法の戦術の研究や対策を怠ってきたアルゴノス達はこの戦法に苦しんだ。
また、アルゴノスが種族単位で抱えていた問題である、繁殖力の低さに起因する数の不足がここへ来て露呈する形となった。ノス・アルゴノスの長い人生において繁殖のチャンスはたった十数度しか訪れない。これは繁殖力が低いことで知られるハイエルフと同等であり、当時のノス・アルゴノスの老若男女合わせた総人口は約300万人、戦いに赴いた男性の数は110万人程度だったという調査結果が出ている。
これは異界からアーシア全土に侵攻を仕掛けた悪魔や魔物、怪物を相手にするには完全に不足している数字であり、世界各地に戦力が分散したことや魔王軍が闇魔法を使うことによる犠牲者の増加、同族間との協調性に欠ける性格がもたらす戦術面での遅れ等により、アルゴノスを中心とした連合軍は劣勢に立たされることとなった。
この事態を受け、見守りに徹していた神々と天使がついに連合軍へ加勢する。
人類軍へ加勢した神の中には女神フリージアやガーレット神、大司天使サ・フーラもいた。
彼らの加勢は連合軍の士気を大きく向上させたが、魔王軍の持つ数の暴力と兵士層の厚さを前に、どうにか互角の状況へと持ち込むのがやっとだった。
過酷な戦乱の時代が40年ほど続き、双方が大量の犠牲者を抱えることになった。
連合軍で最も犠牲者を出した種族はテリネウスだったが、アルゴノス、精霊種、さらには天使や神までもが多くの犠牲を払った。
女神フリージアはこの戦いに決着をつけるべく、アーシアの地上に生まれた二つの人類に力を授けた。
まず、フリージアはアルゴノスに自らの力を分け与え、彼らが本来持っていた魔法の力を強化した。さらにもう一つの人類、テリネウスが持つ「進化と知恵の可能性」に着けていた枷を解いた。後者はフリージアにとって苦肉の策であり、他の神や天使からの反対を押し切っての独断であった。
アルゴノスとテリネウスは女神フリージアが生み出した生命の種から産まれた種族であり、我が子ともいえる両種族がこの地上から消えてしまうことはフリージアからすれば何としても避けたい事態だった。
ノス・テリネウスという種族が地上に生まれてから彼らを観測し続けていた神々は、すぐにこの種族が持つ可能性と狂暴さを恐れた。彼らは魔法も、自然を生き抜くための爪や牙すらも持たない。誰もがこの種族はすぐに地上から消え去ってしまうだろうと考えた。だが、テリネウスは兄弟種族ノス・アルゴノスの助けも借りながら、あらゆる知恵と戦術を駆使して数万年の時を生き延び続けた。
道具を生み出し、仲間と連携し、狩猟と農耕の技術を発達させ、書物に情報を記録して後世に伝達しながら命を繋ぎ続けた。
だが、時として互いに武器を向けあうこともあった。ノス・アルゴノスとは比較にならないほど多くの同族間の戦いを経験し、アーシアの地上を他種族と同族の血で染め続けた。鍛え上げ、進化させた武器を、テリネウスはいつも同じテリネウスに向けたがった。飢え、資源、思想や宗教の対立、恐怖、あらゆる要因が彼らを狂暴化させ、臆病な弱小種族を好戦的で残虐な種族に変えた。
多くの上位存在達が、彼らに可能性を与えたまま放置することは危険だと考えた。同じテリネウスの血だけでは飽き足らず、いずれアルゴノスや他の種族たちを滅ぼし尽くすかもしれない。ひいては自分たちにも牙を剥くかもしれない。
異種族大戦が勃発する遥か昔、神と天使は長い話し合いの末に、彼らの力でノス・テリネウスの「可能性」、そして「技術」に枷を着けた。彼らがそれ以上技術や知識を進歩させ、さらなる強さを持つことがないよう計らった。
女神フリージアはまさにノス・テリネウスをこの枷から解き放ったのだ。
枷から解放されたテリネウスたちは自らが直面する危機に立ち向かった。国家や陣営の垣根を超え、持てる技術や能力を惜しみなく互いに伝授しあった。これによって世界が戦火のさなかにあってなお、テリネウス社会が持つ技術力は飛躍的に進歩した。
そしてテリネウス社会に新たな武器、「銃」が生まれた。
銃はそれまでに存在したどんな武器よりも遠くに死をもたらすことができた。火薬の力によって目にも止まらぬ速さで飛ぶ金属の弾は、弓矢や槍を跳ね返す怪物の皮膚に深く突き刺さり、致命傷を与えることが可能だった。
力を強化されたアルゴノスの戦士たちは魔王軍の戦線を押し下げ、テリネウス社会が銃の機構をより洗練されたものに進化させるための猶予を作った。
誕生当時の銃は発砲するたびに手動で実包を装填する形式であったために一発ずつしか撃てず、連射が効かなかった。テリネウスの技術者たちは当初の銃が持っていたこの弱点を問題視し、ボルトと呼ばれる機構の操作で薬室への装填を完了する小銃や、火薬の燃焼を利用して発射と薬室への実包の装填を同時に行う機関銃を開発した。これによってより素早い連射が可能になり、怪物の大軍を相手にするに足る性能の銃器がついに完成する。
完成したこれらの銃と弾薬は急速に量産と実戦配備が進められ、テリネウス側の各国軍隊が怪物を相手に戦果を上げ始めた。この時代のテリネウスはまだ数や技術の優位性を十全に活用する戦術を考案していなかったが、銃を持ち、野砲を備えた兵士たちは怪物や悪魔の死体を次々と積み重ねていった。魔王軍の占領地をアルゴノスの戦士たちやテリネウスの軍が奪還したという報せは人類軍を奮い立たせ、戦況は次第に人類軍の優位に傾いた。
魔王軍は占領地を次々と奪われ、一部の悪魔は元居た世界に敗走し、身を隠した。強大な邪神ですらアルゴノスにその身を封印されるか滅ぼされるかし、魔王軍を率いる邪神は片手で数えられる程度にまで減った。
この好機を見計らい、連合軍は魔王軍が本拠地を置く戦場、シャイアードに大攻勢をかけた。両軍ともにこの戦いですべてが決まることを理解していた。長きにわたって続いた戦争に終止符が打たれる時が来たのだ。
アルゴノスの戦士たちと精霊種が軍を先導し、射程の長い銃と野砲を備えたテリネウス軍が後方から彼らを支援した。一方魔王軍は残存する戦力が人類軍を迎え撃ち、魔王や幹部の撤退の時間を稼ぐ勝負に出た。
悪魔や邪神、魔物たちの狙いは人類や神の手の届かない異界に逃げ込み、遠い未来に再び力を蓄えて再びアーシアに攻勢をかけることだった。また、怪物たちの多くは繁殖力に優れ、少しの時間で大きく数を増やすことが出来る。彼らは異界に逃げ込むことはできないが、再びアーシアの地上に散らばり、人類の手の届かない場所に逃げ込めば、個体数を回復できた。
シャイアードの戦いは苛烈を極めた。犠牲者数はそれまでにアーシアで起こった全ての戦乱の中でも最大であり、現在に至っても正確な数の把握は困難だった。
連合軍の多くが怪物の牙や爪、悪魔や邪神、魔物が放つ恐ろしい魔法に倒れた。
アルゴノスも、精霊も、テリネウスも関係なく命を落とし、シャイアードの大地は倒れた者たちの血を吸って湿った。
だが、魔王軍が多くの死者を出したことも事実だ。死因の多くはアルゴノスや精霊種の魔法で討たれたことだったが、悪魔や魔物をもっとも恐怖させたのはテリネウスが扱う銃や大砲だった。
彼らは見えないところから死を運んできた。戦闘の混乱と喧騒の中、さっきまで話していた仲間を見えない何かが穿ち、その仲間は首や頭に空いた赤黒い穴から血を流しながら死んでいる。あるいはどこか遠くで太鼓のような音とともに放たれた何かが頭上から降り注ぎ、悪魔たちの隠れる陣地や要塞を爆音とともに粉砕し、彼らの血肉と土と瓦礫を混ぜ合わせる。
こうした新しい兵器による死者の報告は各地の戦場から挙がっていたが、魔王軍はテリネウスと彼らが生み出した兵器を軽視し、アルゴノスや精霊種、そして神や天使といった上位存在への対策に力を入れていた。だが、この最後の戦いで、魔王軍の戦士たちはテリネウスの兵器の進化と自分たちを何としてでも倒そうとする彼らの執念をその身をもって思い知る形となった。
魔王軍の防御網に穴ができた隙を見計らい、連合軍が魔王の住まうシャイアード城へと突撃を図った。この城の内部でどのような戦いが展開されたのか、魔王や幹部たちがどのようにして討ち取られたのかについては、どの歴史書にも詳しい記録は記載されていない。
しかし、城の中から魔王と幹部たちの死体が担ぎ出され、その顔が確認されたことによって、長きにわたって続いた魔王軍と連合軍の戦争は幕を閉じた。これは事実だった。
戦争の終結後、女神フリージアはその力をもって、悪魔や邪神が住む異界とアーシアへの扉を封印した。これで悪魔たちがアーシアへ再びやってくることは不可能になった。だが、フリージアにもその命の限界が近づいていた。
この世界の神にも寿命がある。フリージアはすべての神の中でも最も長く生きていた女神だった。さらに戦乱や異界への扉の封印で力を使いすぎたことが彼女の寿命を縮める原因となった。
神、天使、精霊種、ノス・アルゴノス、そしてノス・テリネウスが彼女の死を悼んだ。戦争が終結したばかりであり、国家や陣営が復興に手を付けてすらいないタイミングでの彼女の落命は、世界中を揺るがす訃報だった。
このころには世界最大の宗教となっていたフリージア教の内部では大混乱が発生し、フリージアの死を信じない派閥や復活を信じる派閥、その他無数の分派が生まれ、危うく宗教戦争が勃発しかける事態となった。
新たな戦乱の発生を危惧したガーレット神と彼を信仰する宗教、ガーレット教の活躍によってこの事態は回避されたが、世界は絶望の底から立ち上がることを余儀なくされた。
悲嘆に暮れる種族たちの中でいち早く動いたのがテリネウスだった。彼らは魔王軍によって破壊された社会基盤の再建に専念した。かつて存在した社会の在り方をもう一度再現するのではなく、枷から解き放たれた彼らの知恵と技術によってすべてを造り直すというやり方によって。
産業、工業、教育、医療、軍事、政治。全てを一新することを望んだノス・テリネウスは世界各地で生活基盤の一新に着手した。
各国家や陣営、宗教が手を取り合い、国境や種族を超えて技術やマンパワーを貸し与えた。国家再建のための技術を必要とする国があれば、技術面において世界を先進する国が海を越えて協力を名乗り出た。進んだ工業や産業を持ちながらも、それらを動かすための人員が不足している国には近隣諸国から募った派遣労働団が助けとなった。
こうした大戦後の復興と再建は数十年かけて続き、世界中のすべてのテリネウス国家が、戦前の水準とは比較にならないほどの豊かな暮らしと安全な生活を手に入れた。
人口も爆発的な回復を見せ、豊かな暮らしを望んだ他種族がテリネウス国家に流入することも多かった。テリネウスたちは彼らの来訪を歓迎した。
ノス・テリネウスたちの躍進は再び天界からの見守りに徹していた神々や天使、共生するあらゆる種族を驚嘆させた。「彼らの作り出す国家こそが楽園である」という言葉まで生まれ、ノス・テリネウスの進化はとどまることを知らなかった。
大戦後の動乱と復興が落ち着き始めると、次第に国家間の対立や足の引っ張り合いが目立ち始める。技術や経済面において取り残される地域が出始め、表面化した格差があちこちで国や地域間の小競り合いを生んだ。こうした対立ははじめこそ規模の小さなものだったが、やがて嵐のように周囲を巻き込み、多くの犠牲者を伴う巨大なものとなった。
この動乱を見た他のノス・テリネウス国家は我こそは巻き込まれまいと、軍事力拡大の動きを見せた。自国軍の人員を拡大し、兵士に持たせる装備の研究を重ねた。より効率的に敵を殺せる兵器が古いものに取って代わった。世界中のテリネウス国家が、競うようにして刃を研ぎ澄ませていったのだ。
それは国家参加型のレースであり、褒賞もなければ名誉もない。ただ平和と安全のために力を求めるという原初の本能的な臆病さが、テリネウスを駆り立てていた。
また、多くの者が予想した通り、怪物の個体数が増加し始めた。
テリネウスが踏み入ることを恐れる、世界各地の危険地帯に潜伏した彼らは、驚異的な生命力と繁殖力で個体数を回復させた。生息圏から溢れた怪物たちは再びテリネウス社会に侵入し、その命を喰らった。
犠牲者は増える一方だった。怪物の討伐や鎮圧に軍隊が動くことは少なかった。軍は大量の人員と強力な装備を保有する一方、わずかな戦力の動員にも多大な費用と労力、そして時間がかかる。
仮に怪物が出現し、市民に被害を与えたとしよう。怪物は強く、数も多いため民間のハンターや警察の手には負えそうもない。そこで政府関係者は軍の派遣を決定する。まず怪物が出現してからこの判断が下されるまでに多くの時間がかかり、怪物には市民を攻撃するだけの多大な時間的猶予を与えてしまっている。
めでたく兵士の出動が決定されたとしても、実際に正規軍が出動を決定してからの作戦立案や稼働部隊の準備、そして実際に戦闘が行われて怪物が倒されるまでには莫大な手続きと時間がかかるのだ!しかも軍が動くことによる外交問題が懸念される国境付近などではさらに問題が山積みになる。
ではこうした制約の影響を受けにくいノス・アルゴノスはどうか?
古き良き時代のように、彼らが怪物退治に出向くというのは?
事態はそう単純な話ではない。女神フリージアの死後、ノス・アルゴノスが持つ魔法の力は大幅に弱体化していた。原因として考えられたのは、力を強化していたフリージアの死、そして彼らを呪った悪魔や邪神の力によるというものだった。
さらにアルゴノス達は戦前に比べてその人口が激減していた。大戦によって多くのアルゴノスが犠牲になったこと、そして彼らの繁殖能力が低く、損耗した人口の回復が進まなかったのが原因だった。
もはやノス・アルゴノスたちに、以前のようにノス・テリネウスを守るだけの力は残されていなかった。テリネウスは自分の力で身を守るしかなくなったのだ。
これからは恐ろしい怪物に立ち向かうのはアルゴノスでも精霊種でも、神でも天使でもない。ノス・テリネウスなのだ。
これらの情勢から、世界各地で軍需産業が拡大の一途をたどった。
より高性能で強力な銃、弾薬、装具の生産と販売を行う企業が続々と生まれ、自国だけにとどまらず、他国に自社の製品を熱心に宣伝した。
官民問わず、多くの人々が武器を必要としていた。
恐ろしい怪物から自身や家族の生命、財産を守るために。いつ侵略してくるとも分からない他国に対抗するために。
そして新たな脅威も生まれる。急激な社会の変革と銃器の氾濫は凶悪犯罪者の出現に繋がった。入手した銃を用いての殺人や強盗、組織的な犯罪ビジネスを行うこれらの存在は「ローグ」と呼ばれる。彼らによる犯罪は怪物と同様に世界中で発生し、各国共通の社会問題として指導者同士の会議で議題として挙げられるまでになった。
ローグの発生当初は警察機関がその鎮圧にあたっていた。しかし、ローグ側がより組織的かつ重武装になっていくにつれて、従来の法執行機関が彼らを抑え込むのは困難になっていった。
世界各地で鎮圧失敗事例や警察側の殉職者の増加が相次ぎ、その対応は次第に後手に回ることが増えた。一方ローグの犯罪手段はさらに狡猾で洗練されたものに変化していった。
そして世界を揺るがした重大事件、『アーリトン・テスカー事件』が発生する。
町一つが支配され、警察が守るべき市民までもが積極的に犯罪に加担したこの事件は、ローグという存在の恐ろしさと凶悪さを全世界に知らしめ、新たな組織の必要性を痛感させた。
その組織は法執行機関よりも重武装で、軍よりもフットワークの軽い存在でなくてはならない。警察機関が扱うものよりも強力な銃や防具に身を固め、軍よりも素早く動くことが可能な兵士で組織された半民半政の組織。
この需要に応える形で発足したのが特殊脅威対策局、通称STCB(Special Threat Countermeasures Bureau)だ。そして同機関に所属する隊員たちは通称RAT兵と呼称される。
STCBは発足当初、ヴェルトール共和国やアロセント王国、メサッチ連合国といった一部の国家内でしか活動していなかった。これらの国は怪物による被害やローグによる犯罪が他国と比較してより深刻だったという点で共通しており、STCBのような組織を強く求めていた。
STCB発足直後はRAT兵の作戦の失敗や不手際が相次ぎ、時には市民によるSTCBの解体を求めるデモが発生するほどに社会からの評価は低かった。彼らはRAT兵たちを殺戮を求める傭兵紛いの集団と見なした。スレイナーやマークスという蔑称が次々に考え出され、メディアにおいてもこの名前が使われていた時期もあった。現在ではRAT兵という名前が公式化している。しかしこの名称すら「ネズミども」という市民からの蔑称から公式化したという説がある。
初期こそ戦死者や作戦の失敗例を多数生み出したSTCBだが、次第にニュースで作戦の成功例が報じられる例が増加していった。
『民間人に多数の犠牲者を出す可能性のあった怪物の討伐』
『未開拓地域内に侵入し、資源を持ち出そうとしていたローググループの摘発と殺害』
『エルフやアルゴノスを標的に拉致・売買を繰り返していたキッドナッパーグループのアジトに突入。抵抗した犯人たちは射殺。監禁されていた被害者の全員救出に成功』
こうしたニュースは大々的に取り上げられ、STCB側の積極的な広告キャンペーンと相まって市民からの印象改善に役立った。現在でもSTCBやRAT兵を快く思わない民間人は多いが、少なくとも初期のような「ならず者を始末するならず者」というイメージは払拭された。
彼らの活躍は世界的にも広く認知されるに至り、多数のテリネウス国家がSTCBの支部や基地を自国に迎え入れることを望んだ。
需要増加による組織の急激な拡大に伴い、STCBは戦闘員の大量確保に追われることになる。発足当初のRAT兵はSTCBで独自に訓練された人員や軍からの引き抜きで確保された人材がほとんどを占めていた。しかしこれらの方法は人材確保に時間と手間、そして多くの費用が必要とされた。
STCBはこの問題解決のため、新たなリクルート手段を取り入れる。
それは各国に溢れかえっていた退役軍人の雇用だ。この当時、テリネウス国家の多くの国々が小・中規模の戦争や紛争を経験しており、各国は従軍や軍務を経験し、退役した元軍人を多数抱えていた。これらの退役軍人の再就職や雇用に関する問題は政府にとって悩みの種だった。
STCBの活躍と規模拡大はまさにこうした退役軍人問題を解決するための願ってもないチャンスだった。彼らはそれぞれの軍で厳しい訓練に耐え、戦闘に参加した実績がある。わざわざSTCBの訓練施設で体力錬成を施したり銃の扱いを一から教育したりする必要はない。作戦規定に関する最低限の教育さえすれば、即座に戦力として実戦に投入できる人材たちだった。
こうしてSTCBのリクルーターたちは町中の通りや職業斡旋施設の待合室にいる退役軍人たちに誘いをかけた。リクルーターたちの誘い文句はおおむね以下のとおりだ。
『職業にお困りではありませんか?モールの警備員や射撃場のインストラクターよりも稼げる仕事がありますよ。軍歴のあるあなたならお判りでしょう。軍と同じく、誰かを守り、社会の役に立てる仕事です。我々にはあなたのスキルと経験が必要です』
テレビではSTCBが制作したCMが頻繁に放送された。そのCMは各家庭の家族がそろって食事をする時間帯に決まって流れる。歯磨き粉や最新の家電を宣伝するCMの後、そのストーリー仕立ての広告は画面に映し出された。
まず細身の若い男がリビングのソファーに座り、スマートフォンでゲームを弄っている。背後にやってきた彼の母親が、ため息交じりに「いつになったらまともな職に就くのかしら」とつぶやく。男は渋々といった様子で求人サイトを開き、STCBの公式サイトを見つけ、そこに書いてあった電話番号に思い切って連絡する。
2週間後、リュックサックを背負った彼はSTCBが運営する訓練施設の門をくぐり、晴れて入隊する。厳しい訓練に耐える様が次々と映し出され、2ヶ月後、訓練施設を出た男は見違えるほどに精悍な面立ちと、がっしりとした体つきになっていた。
男のスマートフォンが鳴り、電話を取った彼の表情が鋭くなる。早速怪物の討伐依頼が舞い込んだのだ。STCBの基地へ向かった彼は装具を身に着け、自動小銃で武装し、同じく武装した仲間とともに軍用トラックで戦地へと向かう。ここで画面が暗転し、『我々はあなたの入隊を待っている』という文字が映し出されるのだ。
これは軍歴のない若者向けのCMだ。ほかにもバリエーションがいくつか存在し、退役軍人向けのものもある。
警備員の制服に身を包んだ30代半ばほどの男が、どこかのショッピングモールで億劫そうに警備業務に臨んでいる。昼食のために休憩室に入れば年下の上司から延々と説教を聞かされ、女性スタッフの集団から振られた世間話に愛想笑いで相槌を打つ日々。
ようやく一日の業務を終えて帰宅すると愛する息子と妻が彼を出迎える。食事の時間、息子がテレビで宣伝されていたおもちゃを欲しがるが、妻がそれを宥め、男もどこか申し訳なさそうな暗い顔をする。
カメラが動き、キャビネットの上にある一枚の写真立てを映した。
そこには迷彩服を着ている若い頃の彼が、同じく若い頃の妻の肩を抱き、微笑む写真が入っている。
そう。彼は元軍人だった。
ある日、いつもと同じく警備業務中だった男は足を止め、あるものに見入る。
それは通路の壁に掲示されていたSTCBの広告ポスターだった。
『軍を辞めた?それはあなたの第二のキャリアの始まりです』
STCBに入隊し、教育期間を終えた男が基地のロッカールームで戦闘服に着替える。チェストリグを装着し、肘や膝にパッドを着け、しっかりとブーツも履いた。正規軍の兵士にも劣らない完全武装だった。武器庫で機関銃を手にし、久しぶりに実戦を共にする銃の感触ににやりと笑う。ここはスローモーションで映され、カッコよさ重視の演出だ。また、背後に映るRAT兵たちの中には別バージョンのCMで主人公だったあの若いRAT兵の姿もある。
巨大な怪物を始末した元軍人の男は、多額の報酬を得る。銀行で給料を引き出した彼が向かうのはおもちゃ屋だった。店員から商品の入った大きな箱を受け取り、向かう先は家族が待つ家だ。迷彩服のまま帰宅した男はリビングで待っていた息子に箱を渡す。幼い少年が興奮を隠せない様子で箱を開け、中からおもちゃを取り出し、父に向かって満面の笑みを浮かべる。見守っていた妻も、頼れる夫に幸せそうに笑いかけた。
画面が暗転し、STCB採用部の連絡先とともに次のメッセージが表れる。
『あなたの経験と技術がもたらす成果に、我々は報酬を惜しみません』
退役軍人たちがSTCBに入隊する動機は様々だった。
多くが金のためか、あるいは退役後に社会に馴染めず再び銃を手にすることを選んだかのどちらかだ。特に戦争を経験して祖国に帰還した、いわゆる帰還兵は後者の理由でRAT兵になることを選ぶパターンが多かった。
こうした軍での在籍経験のあるRAT兵は、のちにグリーンラットと呼ばれるようになった。これは彼らが軍人時代に着用していた軍服や迷彩服の色にちなんだ呼び名だ。
規律を学び、長期にわたって訓練を受け続けたグリーンラットの中には戦争への派遣経験を持つ者も少なくない。中には特殊部隊や空挺、コマンド部隊出身のエリートもいた。彼らはその数を大きく増やし、STCBの活動と市民の生活を支える重要な存在となった。
戦闘能力の高いグリーンラットの増加は作戦成功率のさらなる上昇をもたらし、結果、市民からのSTCBへの印象改善に一役買った。また、行き場を失った退役軍人の再雇用の場として、STCBは非常に大きな役割を果たし始めた。
また、グリーンラットとの区別として、STCB運営の訓練施設で教育と訓練と修了した民間人上がりのRAT兵は、グレイラットと名付けられた。誰がどのような理由でこの名を付けたのかは不明だが、もっとも有力な説は「民間人上がりの半端者」という意味が込められているというものだった。
STCBの公式発表によれば、現在のRAT兵の人口は全世界で約320万人とされている。
現在の彼らの任務は多様化が進み、単なるローグや怪物の討伐のみに留まらない。未開拓地域への資源や地質の調査に赴く調査隊の護衛、および資源回収。新種の怪物の生態調査、通常の犯罪者よりも攻撃的な性質を持つローグ集団の捜査、怪物やローグから奪取した都市の治安維持等多岐にわたっている。
STCBとRAT兵たちは、もはやアーシア上のテリネウス社会の維持のために欠かせない存在となった。ノス・アルゴノスの戦士たちがかつて果たしていた役目を、今や世界各地のノス・テリネウスの兵士たちが取って代わっている。
それは魔法を操って戦う温和な守護者たちではなく、テクノロジーと合理性で武装した冷徹な兵士の集団だった。




