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ベナートン 害獣駆除 事情聴取と偵察

「ではこれを。あんたのライフルだ。タグと中身の確認も頼む」


STCBベナートン支部の荷物受け取り口。

カウンターで職員の男からライフルケースを受け取った。

黒いソフトケースは重く、それは中に俺のKarov-104アサルトライフルが入っていることを意味している。


今日請け負う仕事に必要な道具だった。

平和な街とあって、荷物の受け取り口には俺以外のRAT兵の姿は見当たらない。

カウンターの向こうの作業所には荷物を流すためのコンベアがあるが、稼働はしておらず、ここから見える職員たちもどこか暇そうだ。ここには倦怠が煙草の煙のように滞留している。


「中身はそっちの台で確認しても?」


「ああ、構わない」


ケースを近くの作業台に持っていき、開封する。

中にはライフルが入っていた。ケースの中の衝撃吸収材の上に、弾倉の抜かれた銃本体と予備弾倉。つまり、中身は完璧な状態で揃っているということだ。

ライフルを手に取って遊底を何度か引き、その作動に滞りがないかも調べた。

しっかりと油が差されているために動きはスムーズ。こちらも問題ない。


検査の済んだ銃をケースに戻してファスナーを閉める。


「問題なかった。ありがとう」


「どういたしまして。この後は仕事かい?幸運を」


基地を出て敷地の裏手に回り、駐車場へ向かった。

来客用駐車スペースの片隅に俺のバイクがある。ライフルケースとバックパックをバイクの荷台に括り付け、ヘルメットを被った。

この後はSTCBにスニファー駆除を依頼した牧場のオーナーと会うことになっている。牧場の詳しい被害状況、怪物の数、現場の様子などの聞き取りを行うのだ。


腕時計を見て、現在時刻を確認した。

ここから指定の場所までバイクで向かえば、ちょうどいい時間に着くことが出来るだろう。


基地の門の方を見た。

その向こうには通りが広がっていて、往来をトラックや自家用車が行き来している。

通行人が何も気にしていない様子で通り過ぎ、小銃を持った警備兵が彼らに敬礼と挨拶を行っていた。


バイクに跨ってエンジンをかける。

空は快晴で、澄み渡っていた。この世界のどこにも、銃で撃たれる人間や、怪物の群れに食い散らかされる哀れな牛たちなんていないかのようだ。そんな温かい陽気の中、俺は今から牛の死に場を検めに行く。


町から離れ、北西の方角に40分ほどバイクを走らせたところに『ダニエルズ・ファーム!ようこそ私たちの牧場へ!ここでは美味しい牛乳とたくさんのフルーツがあなたを待ってます!』と書かれた看板があった。

ラナから牧場の目印にするよう言われていた看板だ。その下の古い木製のゲートは空いていて、未舗装の道が敷地の奥まで続いている。


ズボンのポケットから携帯を取り出し、オーナーの番号にかける。

2コールもしないうちに、しゃがれた声が出た。


「もしもし?」


「依頼を受けてきました、STCBの者です。現在牧場入口の前に着きました。そちらへ伺っても?」


「ああ、どうぞ。建物の場所は分かるか?」


「ええ聞いています」


「ならいい。迷ったときはまたかけてくれ。俺は家で待ってるよ」


電話をしまい、腰のホルスターに入れているBlockerのグリップに触れる。

それからいったんバイクを降り、ライフルケースからKarovを取り出した。ケースは畳んでバックパックに収納し、銃にマガジンを挿入して遊底を引いた。それから安全装置を掛け、スリングで胸の前に吊る。

これでオーナーの家に着くまでの道でスニファーに襲われてもライフルが使える。

群れで行動することの多いスニファー相手にBlockerピストルだけでは心許なかった。ライフル弾の貫通力と小銃の連射力はどんな状況でも頼りになる。


再びバイクに乗ってスロットルを捻り、看板の下を潜った。

結論から言えば道中で化け物に襲われることはなかった。あったのは想像以上に長い道のりと、森と草地、農地の繰り返しだけ。


細い分岐の先には進まず、太い道をまっすぐ進めば家が見えてくるとラナは言っていた。

いつまで経ってもそれらしい建物が見えなくて焦りかけていた矢先の牧草地。その真ん中に大きな木造の家があった。納屋やガレージが隣接していて、そこが誰かの生活の拠点なのだと一目でわかった。


少し離れた場所にバイクを停め、バックパックとB15の入ったガンケースを持って降りる。

家に近づいてポーチを上がろうとしたとき、入口の扉がひとりでに開いた。

中からは血色の良い長身の男性がこちらを覗いていた。壮年で、毛量が多く、灰色のひげを蓄えている。彼の眼は俺が胸に吊っているライフルと手に提げたガンケース、そして腰の拳銃を何度も往復している。


「戦争でもするのかって恰好だな?」


「驚かせたなら申し訳ありません。ですが一人で活動する以上、どんな状況にも対応できるようにこうして色々な銃を用意するんです」


「前に来たRAT達はそんな恰好じゃなかったぞ。町の若者と大差ない服装だった。それに武器もピストルや小さなマシンガンばかりだった」


俺は少し考え、それから答えた。


「そのRAT兵たちはグレイラットではありませんでしたか?」


オーナーは記憶を探るように視線を泳がせた。それから眉間にしわを寄せて考え込んだが、答えは見つからないようだった。


「まあ、そう言ってたような気もするし、違うかもしれん。とにかくそいつらは俺たちが望んでたような仕事をしてはくれなかった。あんたがあいつらと同じじゃないことを祈ってるよ。それじゃ、中に入ってくれ。その胸の大砲をケースに仕舞ってからな」


アサルトライフルをケースに仕舞ってから、俺は荷物を持って家に上がった。

そこには独特の匂いがあった。時代を経験してきた家屋にはその家独自の匂いがつく。家族の生活から染み出す匂い。体臭。洗剤、料理、動物。

この家も例に漏れていない。こうした匂いを嗅ぐたび、俺の体はノスタルジーとも拒絶ともつかない奇妙な反応を示す。いるべきではない場所に迷い込んでしまったような気分だった。


リビングには大家族用のテーブルと椅子、そしてソファーがあった。

さっきのオーナーは俺が立っている入口から見て一番奥の席に腰かけている。そしてそのそばには彼の妻と思しきふくよかな女性。リビングの入口から入ってきた俺を見て不安そうな表情を隠せていない。ついに怪物が家の中に上がり込んできたとでも言いたげだ。


「適当な場所に座ってくれ。それとリンディ、彼に何か出してやってくれ。おいあんた、飲みたいものは?」


「あー、コーヒーを、ホットで……」


俺はどこに座るべきか少し迷ってから、テーブルを挟んでオーナーと向き合える席に座った。ここには普段誰が座るのだろう。彼の息子か、それとも娘か。あるいは孫かもしれない。


正面に向き直れば大きなクルミ材のテーブルの向こうから疲れ果てたような顔のオーナーが見返してくる。これまで経験してきた牧場のどんな過酷な業務ですら、ここまで彼を追い込んだことはなかったに違いない。スニファーどもはタフなこのオーナーに牛の食害という嫌がらせを行い、その鋼のような精神を疲弊させることに見事に成功していた。

羊皮紙のような色黒の顔の皮膚には深いしわが刻まれ、その奥の落ちくぼんだ瞳がこちらを見ている。俺がどんな人間なのかを見定めようとしているようだった。


「本題に入ろうか」


キッチンをバックに、オーナーが疲れたような声で言った。

その声が小さいうえに、キッチンからは彼の妻が薬缶やカトラリーを動かす音が聞こえてくるので、俺は耳をそばだてて彼の言葉を聞く必要があった。


「あんたがどこまで知っているのかは分からないが、俺が所有する牧場には現在スニファーが出没して、牛たちを食い殺している。初めは俺が牧場に出てスニファーがやってこないか監視してたんだが、それだと牧場の仕事を放ってしまうことになる。うちには牛以外に馬や鶏もいるからな。俺が監視に出てしまうと妻一人に牧場の管理を任せることになるんだ」


俺から見て左側の壁沿い。そこには各種収納棚が並んでいる。棚の高さは俺の腰くらい。

棚の上には家族の歴史と思い出を切り取った写真を収めた写真立てが、ずらりと整列していた。

入り口近くには若い頃のオーナーと、太い腕に抱かれて微笑む彼の妻の写真。妻の方は今と比較してかなりほっそりしている。部屋の奥に行くにつれて、現在に近い写真になっている。列の中央にある一枚には小さな赤ん坊が登場した。その赤ん坊は年月を経るごとに成長し、さらにはその弟や妹が家族に加わる。最も奥にある写真は家族そろっての集合写真であり、そこには大人になったその赤ん坊の子供、つまりオーナー夫妻の孫が生まれていた。


「子供たちならいない。みんな都会で暮らすことを選んだ。大学に行き、結婚したからな。俺みたいに土を弄って家畜の糞に塗れながら生きることよりパソコンを使って稼ぐことを選んだのさ。ああ、でも一人は海兵隊に進んだな。2番目の子だ。まあそれは構わないんだが、こういう時に身内に頼れる人間がいないのはどうにも不便でな。結局あんたたちに頼ることを選んじまった」


俺の考えを読んだように頭を掻きながらオーナーが呟く。もごもごとした喋りには「子供たちの中に、一人くらいは自分と同じ生き方を選ぶものがいてほしかった」という不満が滲んでいた。


「で、あんたはどうなんだ」


「というと?」


「この仕事を引き受けてくれるのか?どうなんだ?」


目の前にソーサーに乗ったコーヒーカップが置かれた。コーヒーの香りを乗せた温かい湯気が立ち上り、ちょうどカップの中を覗き込んだ俺の顔を蒸した。

カップを置いたオーナーの妻が、夫のそばの席に戻っていく。


「まだ被害現場を検めていないので何とも。スニファーが5、6体出るとは聞いていましたが実際にはそれより多い可能性もある。あるいは少ないかもしれない。あまりにも多いと俺一人では手に負えなくなりますからね。応援を呼ぶことになるかもしれません」


オーナーは腕を組み、険しい顔で宙を見上げ、何かを考えこんだ。

谷の如き顔面の襞が深みを増し、渓谷を形作る。


「その応援ってのにさっき言っていたグレイとやらも交じってくるのか?」


「グレイラットのことですか?彼らが来る可能性は少ないでしょう。何か気になることでも?」


「いや、さっきも言ったがSTCBに頼るのはこれが初めてじゃないんだ。半年前にもスニファー退治を依頼したことがあった。それでやってきたのがそのグレイラットとかいう連中だったような気がする。奴らの仕事ときたら散々だった!」


オーナーは目を見開き、声を張った。

渓谷の中でブラウンの眼球が輝く。


「俺たちの牧場でピストルを振り回し、マシンガンをぶっ放した挙句、スニファーの一匹も始末できなかったんだ!なのに、『俺たちは命を懸けて化け物を追い払ったんだから報酬をさらに払え』だの言ってきやがった!」


「結局その報酬を払ったんですか?」


「奴らが吊り上げてきた分は払わなかった。だが、俺がごねると、奴らは妻まで威圧してきやがった!STCBに貴様らの仕事ぶりを報告してやろうかと言ったら、ようやく引き下がったよ。だが、スニファー1匹仕留められなかったネズミどもに報酬を渡す羽目になっちまった。まったく!その結果がこれだ。奴らはまた戻ってきて、牛たちを食べ散らかしてやがる!」


俺はオーナーの妻の方を伺った。彼女が俺を恐れている理由が分かった。チンピラ紛いのグレイラットに威圧された結果トラウマを植え付けられたのだ。彼らは求められた仕事をしなかった。過去に報酬をふんだくられ、自分たちに攻撃的な態度を取られたとあっては新しく派遣されてきたRAT兵である俺に恐怖心を抱くのも当然だった。


「失礼なことを言うが、正直言って心配で仕方ない。あんたが元軍属か警官なのは見てわかるが、なにせ一人だ。スニファーの群れを駆除してくれるのか、また前の連中みたいに追い払うだけで済ませるんじゃないのかと疑ってる」


「できる限りのことはしますよ。俺一人に対処できそうなら奴らを全て駆除する。できそうにないならSTCBに報告して仲間とともに山へ入って奴らを狩る」


「『できる限り』ね。本当にベストを尽くしてくれるんなら、こっちもあんたの仕事への報酬に色を付けてもいいぜ。もとの金額に5万をプラスでどうだ」


オーナーの口の端が吊り上がる。


「応援を呼ばれた場合、こっちはSTCBにさらに多くの報酬を支払わなきゃならん。だが、あんたが一人でやってくれるんならこっちは大助かりだ。何人ものRATを呼ばれるくらいならあんたに最初に約束していた報酬に追加分を足した方が安く済む。もちろん、応援を呼ぶなってことじゃない。あんただけじゃ手に負えないってんなら、お仲間を呼んでもらっていい。うちの敷地内ではだれにも死んでほしくないからな」


コーヒーを啜り、考えた。

これは願ってもないチャンスだった。スニファー駆除で追加の報酬が入る!これほどラッキーな話はない。もし応援を呼んでしまった場合、俺の取り分は減ってしまうからだ。

数体のスニファーを駆除して17万ペルクが手に入るのは大きい。比較的安全な仕事で高報酬が手に入るのは素晴らしい!今の俺には金の神、パキュルがついているのかもしれない。


「仕事を俺一人で進めるかは現場を見てから決めさせていただいても?」


「構わんよ。今から行くのか?」


「ええ。スニファーは夜行性です。現場に調査に出かけるのなら日中がいい。それに、牧場内の地理に詳しいあなたの案内も必要ですから、同行をお願いしたい」


それまで目を伏せていたオーナーの妻が顔を上げ、ちらと俺を見た。日中とはいえ、スニファーの餌場と化した敷地内に夫を連れていこうとする俺の正気を疑っているに違いない。


「分かった。そういうことなら俺も準備しないとな。リンディ、俺は彼と一緒に出掛けてくる。家の中で待っていてくれ。扉をしっかりと閉めて、鍵をかけてな。あんたは玄関で待っててくれ。上から銃を取ってくる」


立ち上がって居間を出るオーナーと俺の後ろを、オーナーの妻が静かに付いてきた。

俺は玄関に立ちながら、階段を上がっていくオーナーの広い背中を見送った。そんな俺のそばで、リンディさんは静かに立っている。彼女は何か言いかけては黙るということを3度ほど繰り返した。


「実は俺、ヴェルトールの出身なんですよ」


俺の方から話を切り出した。これ以上畏怖と不信感を秘めた視線で見られることに耐えられないのもあるが、このかわいそうな夫人に恐怖感を与えたグレイたちと同類と思われることに我慢ならなかった。


「言葉にヴェルトール訛りがあるでしょう?イルディン語は学生の頃に学びました。昔、この国には一度旅行で来たことがあります。言葉が通じないこともありましたが、今ではだいぶマシになったと自負してますよ。どうでしょう?俺の言葉、訛ってますか?」


夫人は目を見開いて見つめてきた。喋る虎を見つけたとき、人はこんな顔をするのだろうなという表情だった。夫の瞳はブラウンだったが、彼女はダークグレーだ。


「そんなことないわ。確かに少し特徴があるけど、とてもお上手よ」


「それは良かった。ここにやってくる怪物にも言葉が通じて、山へ帰ってくれればいいんですがね」


階段を軋ませながら牧場の主が戻ってきた。手には長物が握られている。

小口径の民間用セミオートライフルと、上下2連式の散弾銃だ。木製ストックの5.56㎜に祖父の散弾銃(グランパズショットガン)。牧場とその家族を守るためのホームディフェンスガン。その定番中の定番。だが、スニファー駆除には確かに少し心もとない。


「なにか話してたのか?」


「いいえ、ちょっとした世間話よ。彼がいい人だってことが分かったわ」


リンディ夫人が夫に微笑んだ。


「そうか。それじゃあんた、牧場へ向かおうか。俺はピックアップトラックで行くが、あんたはどうする?一緒に乗るか?それともバイクでついてくるか」


俺は少し考えて答えた。


「バイクでついていきますよ」


バイクに乗り、オーナーの運転するレッドのピックアップトラックの尻をひたすら追いかけた。石と下生えが支配する地面をピックアップの巨大なタイヤが踏みしめる。オーナー夫妻が何度も家と牧場を往復してできた轍を、来訪者である俺のバイクのタイヤが遠慮がちになぞっていった。


轍はバーントウッドの小さな林まで続き、木々の間を抜けた先には広大な平原が広がっていた。

地面は緩やかに下っていて、林と平原の境界でピックアップが沈黙した。

俺もバイクを降りて、車のそばへ歩み寄る。


「あれが畜舎だ」


車から降りたオーナーが、眼下の放牧地の端に建つ巨大な建物を指さした。

ここから150メートルほど下った先に、大きな木造の畜舎が見える。さらに畜舎と放牧地を広く囲むようにして柵も建っていた。

放牧地の中心、俺たちのいる場所から80メートルほどの地点には黒い毛並みの牛が倒れている。哀れな犠牲の中の一頭であることは近づかずとも分かった。


「やられたのがあの1頭だけというわけではないんですよね?他に牛が犠牲になったのはどのあたりですか?」


「畜舎の中とその裏手だな。ここからじゃ見えないが、建物の中と裏にも死骸が放置されてる。本当は片付けなきゃいけないんだが、作業中を襲われたらたまったもんじゃないからな」


「賢明な判断だと思います。奴らは嗅覚が鋭い。牛の死骸を動かしていたら、現場に残ったあなたの匂いを覚え、敵と判断していた可能性が高い。匂いを辿って、家にやってきていたかも」


「熊みたいな習性だな」


「実際そのあたりは熊と似通っている。自分の獲物や戦利品に強い執着を示しますから、奴らが残したものを動かすのは危険なんです」


バックパックを下ろし、中から双眼鏡を取り出した。

レンズを覗き、視野の中に畜舎を収めて倍率のダイヤルをいじる。

ぼやけていた視界が一気にクリーンになり、牛たちを収めた畜舎の像が鮮明になる。畜舎は外壁がなく、柱と柵と屋根だけで構成されている。中では茶色や黒の牛たちがひしめき合っている。人の気配を察知しているのか、かなり離れた場所にいる俺たちの方へ首を向けているものもいた。


「それにしてもかなり大きな畜舎ですね。中には何頭いるんです?」


「肉用牛が82頭だ。昔はまだいたんだが、後継者がいないために数を減らすしかなくなってしまってな」


オーナーがカウボーイハットを脱ぎ、ぼりぼりと頭を掻く。


「牛以外の家畜がいると言ってましたよね?それらは今どこに?」


「ここに来る途中に脇へそれる道があったろ。その先の厩舎にいる。厩舎の壁は補強してあるから、馬たちの方は心配いらない。馬は腹の中に子供がいてな。もう少しで生まれそうなんだ。今夜にでも生まれるかもしれん。だが、敷地を化け物がうろついてる今の状況じゃ、俺も馬も落ち着かないのさ。実のところ、それもあんたを呼んだ理由の一つだ。こっちは今すぐにでもスニファーを始末してほしい」


「なるほど」


双眼鏡を、放牧地の真ん中に放置された牛の死骸の方に向ける。

草原に寝そべった黒い巨体。目は見開かれていて、嚙み破られた皮膚の内側からは赤茶色の乾燥した肉と、血で汚れたあばら骨が露出している。その周りをハエが舞っていた。


双眼鏡を下ろし、オーナーに向き直る。彼はセミオートライフルを抱えて、所在なさげに弄っていた。銃口は天を向いているが、利き手の人差し指が引き金にかかっていた。


「スニファーは日中は森や山の中で休んでいます。そして深夜になると人里へ降りてきて悪さをする。ですので今夜、俺はここから双眼鏡で畜舎を監視し、奴らの群れの規模を把握します。仲間を呼ぶか、一人で対処するかの判断はそれから行う。報告書にあった通りの数なら、明日の夜に俺一人で駆除に当たります」


「夜の間、俺たちはどうすればいい?家で待っていればいいのか?」


「ええ。全ての扉や窓をしっかりと閉めて、外には絶対に出ないでください。駆除に取り掛かる際はこちらから連絡します。事態が解決するまで昼間の外出も極力控えてください。奴らが家の中に入ってくる可能性は低いが、無いとも言い切れない」


「分かったよ、兵隊さん」


「それと、次に息子さんが来たときは彼から銃の扱い方を復習しておいたほうが良いかもしれません。怪物や熊が出没した時のことを考えると、上手く扱えるに越したことはありませんからね」


その後、俺は一度宿に戻ってから、21時過ぎに部屋を出て再び牧場へと向かった。


夜のベナートンの市街地は静かで、車も人も少ない。おかげで快適にバイクを飛ばすことが出来る。

人影といえば、通りの歩道をうろつくパーカーを被ったハイティーンの集団くらいのものだ。仲間の家で酒とクスリのパーティーでもやったのか、あるいは納車したばかりの車を自慢し合った帰りか。

集団が、交差点で信号を待っている俺の前を横断する。


若者の一人が俺の方を見た。

パーカーの影に隠れがちな視線が、バイクの車体に取り付けられているガンケースに、それからヘルメットの下の俺の顔に移る。


「スレイナーめ!」


ガキが叫んだ。

仲間がくすくすと笑う。


「聞こえないのか?人殺し!銃持ってんだろ?撃ってみろ!」


喉を掻き切るジェスチャーをしながら、ガキがさらに叫ぶ。

視線をくれてなどやらなかった。


夜の牧場の敷地内は完璧な闇が支配していた。

そこいらで虫たちが鳴き、ヘルメットを被っていてもフクロウの鳴き声が聞こえてくる。バイクのライトが照らす光の中を、ウサギや野良猫が横切ることもあった。ここには街灯も、建物から漏れる生活の明かりも存在しない。


暗闇の中で生きていられるものだけが、夜の広大な敷地内でのパーティーに参加する権利を持っている。ノス・テリネウスである俺は本来部外者だ。そしてスニファーたちはVIPゲストだった。数頭の仲間とともに牛舎へ赴き、そこで生のビーフにありつく。無抵抗に等しい牛たちを、スニファーは強靭な爪と顎で仕留めて捕食する。


新鮮な血が溢れる上物の肉。

まだ温かく、内臓は活動している。飢えた腹が満たされるまで奴らは肉を食らう。時には腹が満たされていても牛を襲う。怪物とはそういうものだ。狩猟本能や嗜虐性、狂暴性がずば抜けている。

全てに飽きれば、また山へ帰る。日が昇っているうちはねぐらに籠り、日が落ちればまたこの牧場へやってくるのだろう。


俺はオーナーに呼ばれてこの牧場へやってきた。

スニファーたちは牧場周辺の生態系のトップの座をほしいままにしている。生身の人間が出会ったらひとたまりもない。だが、牧場の管理者はオーナー夫妻だった。暴れ者の客たちはオーナーの怒りを買い、オーナーは俺を召還した。これから俺はその暴れ者たちを偵察し、必要な情報を収集して、早くて明日の夜には排除する。


スニファーは聴覚と嗅覚が鋭い。

特に嗅覚の鋭敏さは怪物の中でも特筆すべきものだ。バクのように長く伸びた鼻先を宙に向け、空気中の微細な匂いから様々な情報をキャッチする習性がある。スニファー(嗅ぐもの)という名前の由来も、この習性からきている。


バイクの強力なライトに助けられているとはいえ、夜の道は迷いやすく、実際に間違った道に進みかけたことが何度もあった。道中の看板と、スマートフォンに記録していた目印に助けられた。


目的地から1.5キロほどの看板のそばにバイクを停め、エンジンを切る。ここからは徒歩だ。バイクに乗って牛舎まで近づけば、エンジンの音を聴かれて警戒される恐れがある。


ガンケースからKarovを取り出し、安全装置がかかっていることを指先の感覚で確認した。さらにバックパックに取り付けたポーチから暗視ゴーグルを出し、頭に装着する。

電源を入れると世界全体がエメラルドグリーンに変わり、真っ暗闇の中でも数キロ先まで見渡せる視界が手に入った。周囲に生えている植物の種類、陰影、地面の凹凸までもが判別可能になる。

このゴークルは恐ろしく高価だった。ランク3グリーンラットの割引がついていたとはいえ、それまで貯めていた給料のほとんどがこいつのために消えた。おかげで夜間や暗所での戦闘能力を獲得したわけだが、出番はさほど多いとは言えない。


全ての荷物を持って、歩き出す。

轍に沿って進めばすぐにオーナーと下見した森のはずれまでたどり着くはず。ミドルカットブーツが踏み均された硬い地面を踏み、ごりっという音が響く。ここの地面はクレイウェルとは正反対だった。


銃とバックパックを持って歩くというのは、軍で何度も経験した行軍訓練を想起させる。

でも、よく考えれば当時とは違うことでいっぱいだった。共通していることといえば、武装して歩いているということくらいのもので、細かな部分に留意するならばむしろ相違点の方が多い。


今の俺が持っている自動小銃はG39ではなく、Karov‐104だった。


軍にいた頃はほとんど触らせてももらえなかった暗視ゴーグルを自費で購入して装着している。


支給された迷彩服ではなく、ODカラーの私物の戦闘服を着ている。


重い防弾ヘルメットはもう長いこと被っていない。軽くてソフトなキャップ帽の感覚に慣れていて、重く硬質なあの感覚を忘れつつある。


ヴェルトール国内の訓練場ではなく、アロセントの牧場を歩いている。


母国のためではなく、初めて会う誰かのために銃を握っている。


仲間とではなく、俺一人で歩いている。


やがて、オーナーと下見をした場所まで到着した。

ここは放牧地や牛舎から見て風下側になっており、俺の匂いがスニファーに届く心配は少ない。風は穏やかで、聞こえるのは虫と草木のざわめきだけだった。

それから、牛たちの退屈そうな鳴き声も。


音を立てないように静かにバックパックを下ろし、地面に座る。それから、双眼鏡で牛舎を見下ろした。

ゴーグルの効果で濃淡に違いはあれど、牛たちの体色までもが緑色に染まっている。黒毛の牛だけがゴーグルの世界の軛から逃れていた。


数十頭の牛たちは比較的のんびりとしていて、何かに襲われたような気配はない。

眠っている奴もいれば、ぼうっと立っている奴もいる。柵のそばに設置されているコンクリートブロックのような岩塩の塊をしきりに舐めている奴もいる。昼に見た死骸もそのままだ。


今日はまだスニファーは来ていない。間違いない。


犠牲になった牛がまだ出ていないのは良いことと言える。だが悪いのは、スニファーの群れの規模をまだ把握できていないことだ。

これは待つしかない。


草原の中に腹ばいに伏せ、地面に肘をつきながらひたすら双眼鏡で牛舎と放牧地を監視した。

退屈と渡り合うことは慣れている。我慢強く待つのは得意だ。


牛たちはただ思いのままに夜を過ごしていた。

昼間と違って徒歩でやってきた俺に気づかず、襲撃者に怯えることもない。あくまで俺の目にそう見えているだけで、実際の彼らの精神は被食者らしい警戒と恐怖で満たされているのかもしれないが。


顔の周りを蛾や羽虫が横切ることがあった。邪魔ではあったが、払うことはしなかった。


喉が渇けば水を飲み、体をゆっくりとほぐしながら待つ。


一度双眼鏡から目を外し、眼輪筋をほぐして、またレンズの中を覗く。気を張っているのは疲れる。


緑色の世界の中に変化が訪れていた。牛たちが慌ただしくなっている。

眠っている牛はいなかった。牛舎の一角に固まり、周囲に首を傾げ、捕食者の気配に備えようとしている。彼らの耳はレーダーの役割を果たそうと、せわしなく動いていた。だが、位置を特定することまでは出来ていないようだ。


俺も念のためにKarovを手繰り寄せた。

スニファーはいったいどこから迫ってくるのか。牛舎全体が像の中に収まるように、双眼鏡の倍率を下げた。

ばらばらな方向を向いていた牛たちの頭が、北の方角を向いている。周囲を伺っている個体は一頭もいない。避けられない嵐の到来を目にしたかのように、北にあるバーントウッドの森をじっと見つめていた。彼らの視線を追い、双眼鏡をそちらの方へ向ける。


森の中から一つの影が現れた。四つん這いで、動きは速い。

ごわごわとした体毛が1.5mほどの全身を覆っていて、体に対して目はかなり小さかった。鼻はブタよりは長いがゾウほど極端ではない。


走り方はトラやオオカミといったどんな肉食動物にも似ていない。形容が難しいが、「這う」ような走り方をしている。高速で動くには向いていない走り方のはずだが、アーシア原産の動物とはかけ離れた筋肉や体組織の構造がこの速度を実現していると聞いたことがある。四肢を凄まじい速さで動かすというシンプルな方法で、奴らは他の動物に追いすがる。暗視ゴーグルの中に映るエメラルドグリーンの世界の中、そいつは矢のような速さで牛舎に接近していた。


ふいにそいつはぴたりと動きを止めた。

バクのような鼻を地面に近づけ、それからのっそりと体を起こして、一時的に2本の足で直立する。前足を腹の前に置き、長い鼻で今度は虚空を探る。スニファーという名前の通り嗅いでいる。


悲鳴のような声が牛舎の中から上がった。

聞くに堪えない叫びだった。牛たちはパニックに陥り、でたらめに牛舎の中を駆けまわる。住むには広いが、逃げるにはあまりにも手狭な鉄と木の空間の中を82頭の牛が走り回っていた。時折聞こえてくる鐘のような鈍い音は、牛の角か何かが壁に激突した音だろう。


スニファーは彼らをよそに悠々と牛舎に近づいていく。

目を離した間に、先頭の後ろにはさらに4体の仲間がついていた。体の大きさに多少の違いはあるが、どれも先頭の個体と同程度で、成熟している。がっしりとした体格の捕食者の群れが、逃げ惑う牛たちの家へと駆けていく。


スニファーたちは容易く柵を乗り越え、牛舎の中に侵入した。

手近な牛に狙いを定めると、彼らは狩りを開始した。

その方法はオオカミほどは洗練されていない。体の強さと狂暴性、そして数に任せた狩りだった。オオカミはまず、獲物の群れの中から、弱った個体や幼い個体を分断させてから狩りを開始する。さらに群れの中で役割が分担されていて、時間をかけて獲物を疲弊させてからとどめを刺す。


一方スニファーの狩りは残忍で不格好だった。

リーダーと思われる個体が牛の中から一頭を選び出す点はオオカミに似ていた。その後の行動は単純で、群れの仲間が選ばれた牛にただひたすらに飛びつき、引っかき、噛みつく。奴らの前足の爪は長く、鎌状に曲がっている。全身に強靭な筋肉を備えているから、そんな爪で切り付けられたらひとたまりもない。標的にされた牛は全身を自らの血で濡らしながら、失血で地面に倒れる。


鼻の利く捕食者たちは、血の臭いに興奮しているようだった。

ほとんど動かなくなった獲物をさらに切り付ける。牛の動きが完全に止まったあたりで、ようやく食事が始まった。前足と顎を器用に使って肉を千切り、鋭い歯の生えた口で咀嚼する。


走ることに疲れた牛たちは、牛舎の外へ出ることも出来ないまま、仲間が食われ続ける瞬間を呆然と眺めるだけだった。

勇敢な牛が頭を低くし、角を向けながら近づこうとするが、食事を邪魔されることを嫌ったスニファーの牽制に怯み、一矢報いることは叶わなかった。


その夜はさらに1頭が犠牲になった。胃袋を満たされたスニファーは、来た時と同じ身軽さで牛舎の壁を乗り越え、元来た山のほうへと帰っていった。


分かったこと。群れの数は5体。奴らが来たのは午前1時1分。帰っていったのは2時43分。北の森からやってくる。子供はいない。


得られた情報をメモ帳に記録し、カーゴパンツのポケットへとしまう。その後も牛舎の監視を続けたが、新たな脅威が襲撃してくるようなことはなかった。


太陽が顔を出したころ、俺は道具をしまってダニエルズ・ファームを後にした。

それからホテルに戻って少し眠った。目を覚ました時には電話をかけるのに丁度いい時間になっていた。


「おはようございます。例の駆除の件ですが、予定通り単独でやらせてもらいたい」


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