~遭遇~ ひと時の事情
『ファルファーラ』周辺宙域は太陽嵐が活発である。加えて、小惑星帯、双子月からも電磁波が発生して、不安定な宙域を形成している。
電磁対策のない機器はすぐに死滅して、人体もまた宇宙服を着ていようとも有害である。
双子月とは『ファルファーラ』とを挟んでその影響力は薄いが、太陽と小惑星帯だけでも『ノア』の高次元レーダーに支障をきたす影響力はあった。
そのため、飛来物の索敵能力が低く、デブリ除去も後手に回ることが多い。もし外部から敵に攻め込まれたら、対応の遅さが際立つことだろう。
だが、『ノア』にとってそれくらいの障害を気にしない。『ファルファーラ』には宇宙へ飛び立てるだけの技術はなく、天文学にしても未熟な点が多い。危険分子と呼べるものはない、と専門職の管制官たちの間でそんな風潮が蔓延している。
一〇年前のシャトル撃墜も小惑星との接触事故を外敵による攻撃だと政府が誇大解釈したのだろう、と。
管制室の観測員たちはシャトルの受け入れを終えて、あとは怠惰に談笑を楽しんでいた。何の実りもない会話がだらだらと連なっていく。
その間にも、『ノア』へと接近する影が小惑星帯を隠れ蓑に接近していた。
特別自然保護区を観覧し終えて、時刻はお昼下がりの時間に差し掛かる。
桜たちはビジネス街にひっそりとあるオープンカフェへと立ち寄る。電気自動車を路肩の駐車スペースに止める。
「こういうところは一度来てみたかったのだ」
「それは結構なことで」
ミュウが車窓の向こうに見えるオープンカフェを見て、期待に瞳を輝かせていた。
隣の勇子は彼女の喜ぶ顔を窺って、安堵の表情を浮かべる。先の特別自然保護区でも彼女は楽しそうにしていた。地球に生息していた花々を愛で、人工授精で再生された動物たちの数々を嬉々として時に驚愕の表情を浮かべていた。
ミュウ・ミュレーヌ・レルカントにとって『ノア』はおとぎの国のような場所なのだろう。
「失礼します、姫様。どうぞ、お足もとにお気をつけください」
先に降りた桜が後部座席のドアを恭しく開けて、ミュウに降車を促した。
「ご苦労。しかし、人通りが多い。その呼び方は控えた方がよいぞ」
「はい……。申し訳ございません」
ミュウは足をそろえて座席から道路へと降りつつ、頭を下げる桜を横目に捉える。使用人のように従順に働いてくれている。そのことがどうにも腑に落ちない。
車道から回り込んだ勇子がミュウの隣に立つと、その背中をそっと押した。
「どうぞ。こちらへ」
「う、うむ……」
勇子に促されるまま、ミュウはオープンカフェへと足を進める。
しかし、後部座席のドアを閉めた桜はそのあとに続こうとはしない。黙って帽子をかぶりなおし、申し訳なさそうにその場に立ち尽くす。
後ろ髪をひかれる思いにミュウは隣りでリードする勇子に言う。
「あの者は、あれでよいのか?」
「規則ですから。それに、姫様にご迷惑をかけると彼女はわかっているのでしょう」
「…………」
ミュウは畳まれたパラソルテーブルに歩み寄り、逐一桜の方に視線を送った。
歩道を行く人々の流れの中で彼女だけがぽつんと立っていた。まるで人形のように物言わず、視線を常に足元を向いている。
パラソルを開く勇子も心配そうにサングラス越しに見ていたが、視線を向けないよう努めてミュウに席を勧めた。
「先ほどもそうだったが、彼女はなぜああも人と距離を取っている?」
席につき、ミュウはニット帽を取って、甘栗色の髪を後ろに払う。特別自然保護区の時も、桜はミュウたちの後ろを黙ってついてくるばかりで並んで歩こうとはしなかった。
彼女の少し乱暴な手つきに勇子は不機嫌な色を感じ取る。
向かい側につく勇子は奥歯を噛み締めて、どう切り出していいのもか逡巡する。
『ノア』に暮らす人間ならば一般教養の話だ。『ファルファーラ』から来たミュウに話したところで理解が得られるとは限らない。それだけデリケートな話であるし、何より桜に対して申し訳が立たない。
すると、店からメニューとお冷を持ったウェイターが来た。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
勇子がメニューを取り、それをまねるようにミュウもまたウェイターからメニューを受け取る。
ウェイターはテーブルを軽くふき、お冷のグラスを二人の前に置く。その間に勇子は何を頼むか決めた。
「ひ————、みゅ、ミュウさん? メニューは決まりましたか?」
「ん? そ、そうだな……」
勇子の違和感丸出しの呼び方に、ミュウの声まで上擦ってしまう。
メニューにずらりと並ぶ異国の言葉に目を回すミュウ。語学を学んだとはいえ、そう簡単には答えを出せないのが常だ。ウェイターの冷静な態度が余計に焦りを呼び込む。
焦っていると勇子がぎこちなく提案する。
「でしたら、その、一緒のものを頼みますか?」
「そ、そうだな。頼む」
「じゃぁ……、クリームソーダ二つで」
勇子が無難だと思うものを注文する。
ウェイターはかしこまりました、と言って一礼すると店へと引き返していった。
二人の間にあった妙な緊張感が一気に抜けて、そろって深々とため息を吐き出す。
「申し訳ございません。ご無礼な言葉遣いを」
「いいや、わらわもこの方が気楽でよい。それに、周りの目もある」
「はい、かしこまりました」
ミュウは慇懃な勇子の態度に毒気を抜かれつつ、話を切り出す。
「それで? あの者、桜はどうして同席しない?」
「…………ご気分を害されるかもしれません」
「かまわん。念押しが過ぎる」
ミュウも我慢の限界といったようにお冷を一口含んで眉を吊り上げる。
勇子は一度固く唇を結って、視界の端にたたずむ桜にすまないと口の中でつぶやく。罪悪感と悔しさがこみ上げてくる。
「あの子は、この『ノア』に望まれない人なのです」
「望まれない人、とはなんだ? 意味が分からん」
勇子は苦い表情でサングラスを外す。その瞳を切なそうに伏せて、喉の奥から言葉を絞り出す。
「ミュウ様がおっしゃることはもっともです。ですが、この『ノア』の人口が増減がほとんどないのはお話ししましたね?」
「それと何の関係がある? 子を育むのは生きとし生けるもの、当然のことであろう」
ミュウの凛然とした言葉。彼女の生きている環境がいかに豊かで、子孫繁栄を常識としているのかが窺える。
だから、勇子は彼女たちの生きる世界の尺度を羨ましく思う。
「ここでは子供を育てるのにも、行政の許可が必要なのです。無断で出産することは許されておりません」
ミュウは目を白黒させて、桜の方に視線を移した。
電気自動車の前で佇む白雪のような女の子。その横を過ぎていく人たちは汚いものでも見たように、彼女から距離を取って歩いていた。
無関心ならまだよかった。彼らの目は明らかに嫌悪を感を抱いており、慈悲など持っていない。
桜もまた委縮するばかりで、何も言い返そうとはしなかった。諦めているように閉口し続ける。
「あの子はこの世界に許されずに生まれた子です」
「だとして、なぜそのような法律が存在する? いや、そもそも桜が一体何をしたというのだ」
ミュウは勇子に視線を戻して語気を強める。
そこに、注文していたクリームソーダが運ばれてきて一度会話が途切れる。勇子が淡々とウェイターと対応し、先払いの会計を済ませる。
その様子をミュウは不愉快に感じながら、目の前に置かれたクリームソーダを一瞥する。
ウェイターが会計を済ませると彼女たちの前を去った。
勇子がタイミングを見計らって口を開く。
「ミュウさん。ご覧のとおり『ノア』は限られた空間で生活しなければなりません。節操なく人口が増えれば、すぐに飢饉や生活領域に支障をきたします。だから、制限する必要があります」
「縛り付けなければ、生活も困難か。難儀な」
「あの子が発見された時は三歳になっていたそうです。両親はきっと彼女のことを可愛がっていたことでしょう」
勇子は静かに目の前に置かれたクリームソーダを見ては寂しげに言う。
ミュウにはグラスに注がれた青く細かな水泡を上げる液体と溢れそうに浮かぶ白いものと泡、散りばめられた小さな葉を凝視しながら、手を付けるのを躊躇う。
「あの者はただ生まれ落ちただけで差別を受けるのか。それが使役階級であるなら仕方のないことだが」
ミュウはつぶやいく。桜に対して無用な期待をかけていたのを虚しく思う。心の奥底に揺らめいていた希望がしぼんで、急に彼女たちとの行動が不毛なものに感じられた。
『ノア』は思った以上に窮屈な場所なのだろう。
勇子もとつとつと説明する。
「この場所は生まれてくる命に対して祝福も慈悲もありません。そして、桜・マホロバと呼ばれるあの子は数百年前に両親を元老院によって殺されました」
「…………確かに気分の悪い話だ。そういう連中だったか」
ミュウが素っ気なく言う。
「元老院にとっては殺害などとは思っておりません。規律を乱した人間は排除し、他の人たちへの見せしめにする。残ったあの子は数百年にわたって、人間のふしだらさが生んだ子と蔑まれ標本も同然に展示されていました」
勇子の語る口調が怒りを込めて、膝元で固く握り拳を作る。悔しくて、歯がゆい。彼女の存在を教育機関で学んだ時の衝撃を思い出させる。親を取り上げられた苦しみ、級友から後ろ指を刺される敗北感を知っていたから、桜に対して親近感を持つようになっていた。
「生まれただけで罪、とは……。こうして彼女がいることも何か意味があるのか?」
ミュウは沈んだ声で言って目を伏せる。
どこか似ている。望まれて生まれたはずの自分。世襲制の家系の中では外交カードの一つとして使われる程度の価値。外交官としてこの場に来たのは自分の存在意義を王である父に再認識させるためだ。認めてもらいたい。生まれてきた子が優秀であるなら、その生みの親、母もまた優秀であった、と。
「ファルファーラへの接近が認められ、彼女の罪も移住計画が始まればなくなるはずでした。しかし、十年前の事件と同じくして冷凍睡眠を解かれた彼女には悲惨なものです」
「十年前の事故について、わらわも聞き入っている。しかし、桜をだしに国を開放するつもりはないことをここに言っておく」
ミュウは冷たいと思いながらも、外交官としての立場を意識した。
本心では憐れんでいる。移民計画を実施して、桜を助けたいと思う。だが、大量入植はさせられない。万全な準備もなしに、『ノア』の住民が大挙として押し入れば、互いの領分が大きく崩れてしまう。
勇子もミュウの言い分はわかっていたから、感情的な反論はせず黙っていた。
重い空気が立ち込めて、二人の間にしばらく沈黙が流れる。
休日の昼下がりを楽しむ人たちの談笑が嫌に耳に入り、息苦しい圧迫感が押し寄せる。こんな話を、しかも話題の当人が傍にいることもあって嫌な気分が増すばかり。
「すまない。この食べ物————、というのか? どうすれば……」
ミュウが沈黙に耐えきれなくなり、目の前で放置されていたクリームソーダを指差す。アイスが溶け出し、不格好な形をしていた。
「ああ、こうです」
沈んだ顔をしていた勇子が笑顔を無理やりに作って、柄の長いスプーンを手にする。それからスプーンでアイスを掬って口へと運ぶ。
その優雅な手つきをまねて、ミュウもまたアイスを一口。
「ん!? 甘い。冷たいっ。なんと美味」
ミュウは口の中に広がる甘味と舌の上に広がる冷たさに驚きを隠せなかった。ファルファーラでは味わえない不思議な食感で一口で虜となった。
勇子も彼女の反応を見てほっとして、ストローを突き刺してソーダを口に含む。弾ける炭酸とアイスと交わった濃厚にして爽やかな風味に自然な笑顔になる。
ミュウも見よう見まねでソーダを飲むと、電撃でも走ったかのように髪の毛が逆立った。すぐに平静さを取り戻すと真剣な眼差しで言う。
「こういう文化があるとは思いもよらなかったぞ」
「そうですか? ミュウさんのいらっしゃる国ではこういうものはないので?」
勇子は微笑んでアイスを口に運んだ。
「ま、まぁ、ないな」
ぎこちなく、ミュウは返答してソーダを飲んだ。
そこで会話が途切れてしまって、沈黙が再び降り立った。
二人はしばらくクリームソーダの味を堪能して、暗い空気を払いのけようとした。しかし、悪意ある眼にさらされる桜のことを忘れることはなく、大いに楽しめる余裕はなかった。




