~接敵~ 荒野を渡る旅人
〔アル・スカイ〕がロフクスの町を後にしてからは、とにかく北へ向けて歩き続けるしかなかった。
空を移動するには雲一つない青空は危険であった。大気層の揺らぎや電離層の影響力を鑑みても、視界が開けていると高高度で移動するリスクは増してしまう。かといって、地上を高速で移動しようとするのも同等のリスクを伴う。
だから、〔アル・スカイ〕は徒歩で茫漠たる荒野を歩んでいた。お昼過ぎの暑い日ざしを浴びて、マントをかすかに揺らしながら進む姿は旅人そのものであった。
「あんまり飲みすぎないでください。ちかくなりますよ」
と、勇子は映像回線で飲料パックに口をつけるミュウにぴしゃりと言いつけた。
ミュウはムッと口元をとがらせて、吸引口を噛む。
「わらわの勝手であろう?」
ミュウは吸引口をくわえると、シートの上で手足を伸ばした。ビキニに隠れた胸をそらせて、しなやかな足がわずかに正面のマルチ・モニタを蹴った。
「モニタを蹴らない! まったく……」
ピリピリしている勇子はキャミソールの肩紐を正して、それから結わえている髪をとく。下ろした髪が肩口をくすぐって、少し汗臭いにおいが立った。
「排便するとき、大変なのはご承知でしょう? 皇女として恥じらいを持ってください」
「がぅ……」
ミュウは歯を立てて吸引口を噛んで、すまし顔をする勇子を睨んだ。
〔アル・スカイ〕の操縦席には生理現象や生活習慣への考慮はされている。とはいっても、付け焼刃の急増品であったり、宇宙環境に対応した設備である。たとえば、排泄のためには二通りの手段がある。パイロットスーツの臀部には小に対応する機能が備わっており、もう一つは大小に対応できる吸引装置つきのカップである。
どちらも最低限の機能があるだけで、快適なものではない。
ミュウはそのことを一、二度経験したこともあって羞恥心に頭が熱くなる。
「嫌な言い方だ」
ミュウは飲料パックを手にしてキャップを占めると、操縦席の右の肘掛けのカバーをあける。そこには飲料パックのほかにキャンディやキャラメル、金平糖が宝石のように保管されていた。おやつ箱のようなものだ。
ミュウは飲料パックを収めると金平糖を二粒とって口に放り込んでからカバーを閉じた。甘い味が口の中で転がって噛み砕くとさらに心地よい歯ごたえが得られた。
それから、コンソールを操作してハッチを開いた。
正面のモニタが消えると、三重のハッチが開いて乾いた風が吹き込む。モニタと寸分たがわない荒野の地平線と青空が目の前に広がる。
「いつまでも狭いところで涼んでいると体を壊すぞ」
ミュウは勇子にお返しとばかりに言って、せり出している第一ハッチへと移動する。小さな縁側になっているハッチに立って、腕を上部ハッチに着けながら体を弓なりにして伸びをする。
むくんだ足やなまった体がしゃんとする感触を覚える。差し込む日差しが素肌に当たるとぽかぽかと暖かい。
「落ちないで下さいよ」
そういう勇子はサングラスを取って、左の肘掛けの収納スペースからドライシャンプーのチューブを手にしていた。水を必要としない洗髪剤だ。ほかにもウェットティッシュや化粧水、生理用品、歯磨きセットがある。こちらは衛星用品が詰まっているのだ。
チューブからジェル状のドライシャンプーを出すと、勇子は洗髪を始める。泡がたつようなものでないが、ミントの爽快な感触が頭皮を刺激する。
「落ちるものか。それに、砂嵐など来るようには見えないぞ?」
ミュウは操縦席から聞こえた勇子に答えて、上部ハッチの手すりをしっかりとつかむ。
「ジッドさんの情報をもとに気象情報を予測してるわ」
勇子はそこで区切って、一度音声入力のスイッチを人差し指で弾いた。
「ファイル四、カテゴリー五七七、表示。姫様に送信」
勇子は下ろした髪をなでるように洗いながら必要なデータを呼び出した。
ミュウは振り返って操縦席の方で立体スクリーンが浮かんだの確認する。それから少し後退してハッチとの合間に立って内容を目で追う。そこに勇子の凛とした声が重なった。
「日暮れ頃から空っ風が来るみたいです。気温もぐっと下がって、それが温暖気候のこっち側に流れ込んでくるみたい」
勇子は解説しつつ、映像回線に見る眉間にしわを寄せるミュウの顔に呆れる。気象現象についてわかっていない様子だ。
「はぁ。これくらいの気象情報は読めるようにしてください。射撃に影響するんだから」
「数字の上でどうこう言うのは好きじゃない」
ミュウはきっぱりと言って操縦桿のスイッチを押して立体スクリーンを消した。
「実際、この目で見て感じなければわからんことも多い。もちろん、勇子の支援にも感謝しておる」
「だったら、今後はこういうデータにも目を通してください」
勇子は生真面目に言って、左の肘掛けから圧縮されたタオルを取り出す。簡易圧縮袋に入ったタオルはスイッチひとつで文庫本サイズからハンドタオルの大きさに再生する。
「いつ何が起こるか、わからないのですからねっ」
勇子は強く言って髪を丁寧に拭き始める。
「言ってくれる……」
ミュウはその声を無視して、再び右の肘掛けのカバーを外して飲料パックを取るとハッチのほうへ歩んだ。
神経過敏になっているのがよくわかる。八つ当たり気味なのはおそらく勇子も承知だろう。だから、とがめる気はなかった。どうしてもむしゃくしゃしてしまう時もあるのだから。
すると、そこに桜の声が割り込む。
「勇子様、落ち着いてください」
「何よ!」
勇子は過剰に反応して、髪を拭ているタオルを乱暴に膝にたたきつけた。それから桜映像回線を開く。
しかし、映像には桜のショートパンツのぷっくりとしたお尻が映っていた。
「あたしは、落ち着いてるわ」
勇子は一瞬面食らって怒鳴る気が失せた。
「お声を聞く限りでは、そう思えません」
桜はといえば、シートを前に倒して奥にある洗濯機からパイロットスーツ一式を取り出していた。精密機器、主に生命維持装置とを分離させた気密服、グローブにブーツは水と洗剤、さらに加熱殺菌で十二分に清潔にすることが出来る。ヘルメットは加熱殺菌、殺菌剤などを駆使して洗浄される。
でなければ、皮脂と汗、ふけで不衛生になったものを常に着込まなければならない。
「それに休めるときに物騒な話をされても困ります」
「のんきにしてられる状況じゃないでしょ!」
「勇子様は気を張りすぎなのです。アチチッ」
桜は熱くなっているヘルメットを取り出して、わたわたとお手玉をする。
その後姿を見る勇子はふざけているようにしか見えなくて、サングラスをかける。
「気に入らないわ。その言い方」
「どうしてです?」
桜は勇子の刺のある言い方こそ気に入らなかったが我慢した。
それを間で聞くミュウは陰険な言い合いにため息をついて、ハッチに腰を下ろす。飲料パックを口にくわえて二人の話を傍聴する姿勢を整える。
「あなたは状況をわかっていないわ。『ノア』はわたしたちの動きをマークしてる。侵略軍をたたく前に、標的にされて周りを巻き込むわよ」
「それは覚悟の上でやってきたはずです」
桜は南の島で起きたファルフェンたちの惨劇を思い出してメガネの位置を直した。その光景が侵略軍ではなく、『ノア』の〔カムシャリカ〕に置き換えても違和感はなかった。
侵略軍だけでなく、いつかは『ノア』と衝突することは予期できた。そして、自分たちの行動によって引き起こされるだろう戦いも考えられる。
「わかってる。わたしが言いたいのはそういうことじゃない。あなたは……、何とも思わないの?」
「『ノア』のことですか?」
桜は勇子を試すように言って、上部ハッチを開放する。真っ青な空と鋭い日光が差し込み、思わず目を細める。白い長袖のシャツが輝くように光を反射する。
「そう……。わたしは『ノア』の人たちが移住できるようにしたいの。なのに、このままだと武力衝突するのは目に見えてる。だから、早く同盟を確約させたいの。そうすれば敵は侵略軍に限定できるじゃない?」
勇子は『ノア』のことに鈍感な桜に訴える。
「あなたはそれは……、『ノア』では色々あったでしょうけども――」
そこまで口にして自己嫌悪が沸き立つ。
勇子には桜の人生など想像できない。安い同情や共感でわかるものなら、桜に対して複雑な嫌悪を抱かずに済むのだから。
桜はパイロットスーツを引っ張り出すと、ヘルメットと一緒に抱え込んだ。
「わたしは正直、『ノア』のことは嫌いです」
勇子は予想していたとはいえ、はっきりという桜に怒りを覚える。だが、今この場で切り出したことに違和感を覚える。
それでも桜は穏やかに、折りたたんでいるシートを足場に立ち上がる。
〔アル・スカイ〕の天頂部の白い曲線と青い空の景色は神秘的な光景。傾いた太陽の光でブレードアンテナの影が装甲の上を走っていた。強い風が吹くと、彼女の白い髪がさらさらと揺れる。
「お父さんとお母さんを奪って、生きる時間も奪われました」
桜はとつとつと語りながら、後部にスライドした第一ハッチに向いて手鏡ほどの大きさの外部コンソールを開いた。そして、素早く操作すると右手で装甲の一部が展開する。
支柱を伸ばし、その間に煌びやかに光るワイヤーが一本走る。簡易的なお立ち台の手すりとしての機能だが、高さを調節すれば物干し竿になってくれる。
「本当なら……ここにいるはずのない人間だったはずです」
「それが不満か?」
「いいえ。全然」
桜は本心で言った。それから、ヘルメットを物干し台の支柱の突起に引っ掛けて、パイロットスーツの背部にあるフックをワイヤーに引っ掛ける。
「いろんな方々に出会えましたから」
桜は一度屈んで、今度はブーツとグローブを手にした。それから、映像通信にやわらかい笑みを向ける。
「皆様、いい人で凄い方ばかり。わたしも頑張らなければなりません」
笑顔を向ける桜に勇子はかすかにサングラスのレンズを下げる。映像に移る桜は無邪気でとても澄んで見えた。
「前向きというか、なんというか。卑屈になったりしないのね」
「生まれてこのかた、褒められたことなんて数えるほどですから。誰も何も認めてくださらなかった」
勇子は立ち上がる桜から視線を外してサングラスの位置を直す。
「そんなの、わたしだって――」
誰からも認められない。勇子はその言葉の重みに胸が苦しくなった。どれほどの苦渋と悔しさを味わってきたか。そして、みんなから認められようと努力をしてきた。
「わたしだってそうだったわ……」
それは勇子もそうであったはずだ。純血ではないと罵られ、どんなに頑張っても周りからは冷ややかな目をむけられる。だから、誰よりも優等生で成績を収めてきたはずだ。
勇子は急に目頭が熱くなって、胸が苦しくなる。悔しさと辛い思い出がよみがえって胸が押しつぶされそうであった。
そこに桜の声が響く。
「だから、わたしは皆様の良いところを見習わなければなりません」
勇子は桜の芯の強さに何も言い返せなかった。ただただ自分の矮小さを思い知らされるばかりだ。嫉妬する心ほど醜いものはないと痛感させられる。
それでも、彼女は桜ほどまっすぐに気持ちを伝えられる力はなかった。
だから、映像回線を切ってしまった。
そのことを桜は一瞬足元を見たときに察して、大きく息を吐いた。今までにない緊張が解けてひと段落する。
「洗濯物を干すというのも、なんだか不思議ですね」
桜はさらにブーツを支柱に止めて、グローブは留め具を使ってワイヤーに止めると支柱の高さを上げる。
真っ青な空にパイロットスーツが揺らめいて、日差しをいっぱいに浴びる。
彼女にしてみれば洗濯物を干す意図はよくわからない。乾燥機があって、服がぬれていないのだからそれで済む話である。進歩した機械の恩恵に頼らない古来の方法だと理解し、それが『ファルファーラ』で一般的ならば試してみたくもなる。
桜は効果のほどを期待しながらシートへと身をひっこめる。あまり強い日差しは彼女の肌には毒であるからだ。
「ミュウ様、洗濯物を干されてはいかがですか?」
「うむ。それもよいな。機械で乾かしたのでは変な臭いがするものな」
ミュウは第一ハッチに腰掛けて、足を宙にふらつかせるのをやめて操縦席へと戻る。
その際、一度ハッチをくぐるときに振り返った。
進行方向の地平線がかすかに砂埃の膜が上がっているのを見つけた。
「砂嵐か……」
ミュウは砂嵐が来る前に早く天日干しをしようとシートの腰掛けを倒す。
それから、一度桜との通信回線を閉鎖して、勇子に言う。
「砂嵐が来るのだろう? 天日干しくらいしておいたほうがよいぞ」
「……了解」
勇子は深いため息をついてミュウの催促に応じた。
「落ち込んでおるのか?」
ミュウが猫なで声で問いかける。
「そんなつもりないわっ」
「フンッ。気丈なことね」
ミュウは勇子の素直になれない気持ちをなんとなしに察してそれ以上何も言わなかった。
勇子も自分が解決しなければならないことだと強く理解して、まず〔アル・スカイ〕のハッチを開いて乾いた空気を吸った。




