~揺らぎ~ 夕日の小川
見下ろす景色は仙郷か。
赤い夕陽に照らされた幾多の岩の群れ。自然が創造した岩の尖塔はこの世の光景とは思えなかった。カルスト地形と呼ばれる特殊な地形で、水に溶解しやすい岩石が溶食されて出来上がった場所である。林立する岩石は緑に覆われて、その溝を流れる小川がきらきらと橙色の光を反射させている。
桜たちは『ファルファーラ』の北西域の大陸に足を踏み入れて、宇宙を漂う『ノア』、ミュウの故郷のレルカント領とは違う情緒と幻想的な土地に思わず感嘆してしまう。
「おお、あのすべてが岩山と言うのか? あはっ」
ミュウは目を輝かせて、隆起している岩を眺めながら、その天頂に鳥たちが群れているのを発見する。邪魔くさいヘルメットを取って、さらに目を凝らし暗くなりつつあるこの地形をじっくり観察する。
桜と勇子もヘルメットを取ると、周囲の状況を観察する。好奇心が大半であったが、〔マリーネン〕や生体反応の探査も忘れない。
「機体の高度を下げます。野宿できそうな場所、あればいいのですけど……」
桜はメガネを掛けると、そう告げる。
「川辺に着ければいいわ――――、ちょっと待って。桜、生体反応あり。現地人かしら?」
勇子は反応があった箇所をスクリーンで呼び出しながら、〔アル・スカイ〕の降下を待たせる。
拡大モニタで確認すると、川辺に数人、たむろしているのが見える。川に入って何かを取っているのか、腕を振るたびに小さな影が岸の方に飛んでいく。
「どういたしましょう?」
「刺激しないように、このあたりで一度着陸しましょう」
うかつに近づいては、驚かせてしまう。
〔アル・スカイ〕はスラスターの滞空でゆっくり降下しながら、周囲を見回す。背部と大腿部にあるスラスターから噴き出すビーム推進の光は目立つことを桜は失念していた。
人影が空中で空気椅子をするようにして降りてくる〔アル・スカイ〕の影を見つける。呆然と立ちすくんで、しばらくは様子を見ていたが。
「茂みの方に逃げておるぞ?」
ミュウが拡大モニタを見て淡々と言う。
「気づかれたわ。機体を寄せて」
勇子も痛恨のミスに思い至って、おでこを抑えていった。
「待ってください! わたしたち、お尋ねしたいことがあるだけです」
桜は外部スピーカーで説得を試みながら、〔アル・スカイ〕を小川に着陸させていく。脚部を伸ばして、小川に着けると屈伸運動で衝撃緩和をする。背部の吐き出すスラスターの熱風に周囲の茂みが大きくざわめいた。
「これでは脅かしているのではないか?」
ミュウは周囲を気にしつつ、そう言った。
「仕方ないでしょう……」
勇子は〔アル・スカイ〕が人影の見た場所まで歩く間に、索敵を行う。熱感知センサが川べり近くの茂みに何人かの熱量を感知する。人間よりも体温が高いが、間違いなく生き物だ。
桜は熱量のある方に機体を向け、跪かせる。浅い小川の流れを遮るようにして、〔アル・スカイ〕は膝を突き、頭部の放熱機構から熱風を吐き出す。
「あれは、お魚でしょうか?」
桜はメイン・モニタがとらえた映像を拡大して、大きな石だらけの岸に荒縄に繋がれた川魚の束が放置されているのを見つける。
「食料を取っていたところをお邪魔して申し訳ございません」
桜は外部スピーカーで非礼をわびながら、ハッチを開ける。
「桜、ちょっと待って!」
「わたしが出れば、警戒を解いてくれるかもしれません。勇子様はそのまま監視を、ミュウ様はいざとなった時の援護をよろしくお願いいたします」
「わかった。無理はしないようにな」
「姫様まで……」
勇子は自分の話を聞いて貰えないことに、不満を感じながら、映像回線から桜が見えなくなるのが不安になった。
夕暮れの赤が〔アル・スカイ〕を照らし、その頭部からはい出た桜は足元に気を付けながら、肩部に降り立ち、リフト・ワイヤーを出して小川へと降りていく。
「…………」
茂みの中では降りてくる桜の容姿に疑義を抱く人たちが小首をかしげる。
その中で一人、息を殺して、腰にあるモノに触れた。
桜は水しぶきを上げて、小川に降り立った。涼やかな川のせせらぎ。緑の青々とした臭いを、岩石の合間を流れる風が運んでくる。
帽子のない白い髪がさらさらと夕日の中で一層煌びやかに揺れる。
「…………大丈夫ですっ」
彼女はメガネの位置を直して、自分を鼓舞する。それから、暗がりの茂みに目を向けてゆっくりと歩み寄る。泥と石の不安定な足場によろけながら、一歩一歩前に進んでいく。
「あの、お顔を見せていただけませんか? みなさまとお話ししたいのです」
桜が呼び掛けるも、茂みからの返答はない。
暗闇の中から、襲撃する機会を窺っているのだろうか。不用心に近づいて、飛び道具で射殺されたり、飛びかかられて命を落としてしまう場合も有り得るのだ。
それでも近づいてみなければ、わからない。
「動きは?」
「ありません。撤退する様子もです」
〔アル・スカイ〕に残るミュウと勇子も気が気ではなかった。
桜がずんずん岸に歩んでいくものだから、援護のしようも難しくなる。勇ましいのか、お人よしなのかわかったものではない。
「どうして、そうもヒトを信じられるのよ、あの子は……」
勇子は小さく愚痴り、トラックボール型の操縦桿を握る手に力がこもる。
見知らぬ土地で、見知らぬ人に警戒心を抱くのが当然になっている彼女には桜の思慮不足な行動は理解しがたかった。どちらが取引に有効な手段を持っているか、あるいは優位な立場でなければ正面切って交渉できるわけがない。
この場合、〔アル・スカイ〕の脅威を茂みの中で感じている現地人にとって、桜は格好の獲物である。捕らえてしまえば、怖いものはないだろう。そのために援護を任されていても、相対距離を縮められては〔アル・スカイ〕の火器の巻き添えになってしまう。
「あの……。もし……?」
桜は大きな石で埋め尽くされた岸に足を乗せて、ゆっくりと右から左へと視線を流していく。
息遣いが聞こえてきそうだが、そのような息吹は感じられない。冷たい、誘うかのような暗闇だけが広がっている。
「まだ、警戒しているのでしょうか?」
桜は足元に横たえている魚の束を目にして、それを持ち上げる。ずっしりと重く、荒縄に連なる魚の鱗がテラテラと光る。
するとまだ息のある魚が震えて、暴れた。
桜はびっくりして魚の束を茂みに法に突き出しながら、おっかなびっくりに呼びかける。
「忘れ物、ですよ。夕食に使うのでは、ありませんか?」
すると、手前の茂みがざわついた。
桜はその箇所を見据えて様子を窺った。待機している勇子とミュウにも緊張が走る。
「…………」
茂みを割って現れたのは、女の人であった。年のころは桜たちより、一、二歳上だろうか。野性味のある鋭い瞳と、中性的な顔立ちで乱雑な髪をしているが、身に着けている髪に着けたビーズの装飾や麻の上着と羽毛で出てきたスカートから、女の子だと推察した。腰にも道具入れのようなものを下げている。
ただ普通の人と違うのは肘から先、膝から先が熊のような毛皮に覆われ、鋭く太い爪が生えている。
しかもその手で短刀を握っているではないか。
「お前、何者だ?」
彼女はどすの利いた声で問う。
姿勢を低くして、短刀を手ににらみを利かせている。警戒して、自分たちの収穫物を取り返そうと必死なのだ。石の転がった地面の上で緩やかに横に足を動かして、間合いを計っている。狩猟民族らしい動作だ、と桜は思った。
「わたしは桜・マホロバと申します。貴方様は?」
桜は彼女から目を離さず、緊迫した状況に心臓は破裂しそうになるも、声を絞り出す。互いの名前を知ることで緊張を解くきっかけを探す。
「…………キルレ・ワウ」
彼女、キルレ・ワウは立ち止まって、静かに答える。だが、攻撃の姿勢を解くことはない。彼女と桜との距離は二メートルほどだが、すぐにも肉薄できる範囲にあった。すでに、キルレの間合いにあるのだ。
柾は反芻するように、彼女の名前を口にして、思わず一歩足を前に出す。
「動くなっ!」
キルレが一喝する。
桜は驚いて、委縮する。
「……ん?」
キルレは一瞬小首をかしげるが、ゆっくりと桜に歩み寄って、彼女の手にする魚の束を引っ手繰る。短刀の切っ先は桜の喉元を捉えている。
「どうする? キルレとか言うヤツ」
その様子を見守っているミュウが言った。集音装置を最大にして、桜たちの会話を聞き取りながら、状況を慎重に見極める。
キルレが有害か、無害か。
「どうにもできないわよ。姫様もどうして、もっと早くに行動できなかったのよ!?」
「うぅ……」
勇子のヒステリックな悲鳴に、ミュウは喉を鳴らす。
確かにキルレの動きにもっと用心すべきだったのだろうが、彼女が単身で動いているのが気になった。茂みにはまだ仲間がいるのだろうし、王手をかけたその瞬間に仲間が飛び出して茂みに連れ去ってしまうこともできたはずだ。
それができないのは、何か事情があるのかもしれない。
勇子にその思考がないのは、桜の行動に不信感を持っているが故であろう。
「あの……?」
「ん。しゃべるな」
桜は首筋に短刀の腹を押し付けられて、ぞっとした。ひんやりとした刀身が、熱く流れる動脈の脈拍を強く意識させる。
彼女の獣の手からは生臭い匂いが漂っていた。本当に獣の血なまぐさい臭いがべっとりとしみついている。
キルレは一度魚を足元に降ろすと、その熊のような毛深い手で身体検査をする。無遠慮に肩から両脇、両腕、胸からお腹、背中に腕を回して、身体を擦り付けるようにしている。その間でも短刀を首筋から離すような隙は見せなかった。
桜は気が気でなかった。
全身をくまなく触られていることに、妙な感触を覚えるのもあったが、彼女の熊を思わせる手の分厚い肉球らしい感触と硬い爪の先がお尻を引掻いた時には思わずつま先立ちしてしまった。
「動くな!」
「はいっ」
彼女の手が頭を押さえつける。その瞬間、クマに襲われたかのような恐怖心が全身を駆け巡った。頭の上に肉球らしい独特の弾力と温かみが脳みそを溶かしてしまいそうな程伝わってくる。
キルレは念入りに瞳を除いて、乱暴に頭を下げさせると白い髪に鼻先を埋めて匂いを嗅いだ。獣が仲間を識別するかのような仕草だ。
「ひゃぁぁ……」
桜はつむじがむず痒くて、こんな風にされたのは生まれて初めてで顔が真っ赤になる。次第にその鼻先が下って、耳を撫で、頸筋に当たる。全身に鳥肌が立って、震える。
心中、これも仲良くなるためだと言い聞かせて羞恥に近い異文化交流に身を置いた。
「……」
すんすんと鼻を鳴らして、キルレは桜の放つ体臭を嗅ぎ取る。甘いような、酸っぱいような、はたまた花の蜜のような脳髄に染みる臭いをかぎ分ける。
〔アル・スカイ〕で見守る勇子とミュウは、二人の絡み合いを見て唖然とする。
「何だか、敵ではなさそうだな」
「姫様、彼女がラトゥ族と言う種族なのでは? 話によれば、獣のように勇ましいとか、戦に長けた種族だとか……」
レルカント領からここに着くまでに、協力を求める候補としてラトゥという種族が挙げられた。
彼らは西の大陸に暮らしている戦人で、マリーネンの扱いにも長けていると聞く。その種族と接触するのを目的としてきたのだが、勇子は眉を顰めてしまう。
「あの格好でマリーネンを動かすのか?」
ミュウはキルレの姿見を言った。
狩猟民族らしい生活感がありありと見える彼女からは、とても〔マリーネン〕のような機械を扱う知性を感じなかった。
と、キルレが桜から短刀を引いて、腰の道具入れに収めるとじっと顔を見つめる。それから、ぺろりと桜の鼻頭を舐めた。
「ひっ!」
桜はびっくりして短い悲鳴を上げた。
「どうした?」
キルレにとっては友好の証を示したつもりだ。人間が握手や軽く抱擁をするようなものだ。
柾はずれたメガネの位置を直して、改めてキルレの顔を見る。鼻先にはざらついた彼女の舌の感触が残り、唾液の臭いがこびり付いていて少し不快であった。
「敵じゃないみたいだ。導師様か?」
「一応は……」
「ふぅん……」
桜が答えると、キルレは素っ気ない態度で返事をすると茂みの方に顔を向ける。
「みんな、導師様だぞ!」
その一声にそろそろと、おっかなびっくりに他の人たちが姿を現す。
小さい子供からキルレと同い年ほどの女の子が数人。みな、物珍しそうに桜を見てはぐるりと囲った。
「どうしさま?」
「どうしてさ?」
「どうしても?」
「どうしたって?」
小さい子供たちの言葉遊びが飛び出すと、続いて年頃の女の子たちは恭しく頭を垂れたり、握手を求めたりと桜との出会いに感激している様子である。
先ほどまでキルレに深く疑われていたというのに、彼女たちにはそうした疑念はなく、心底嬉しそうに笑顔を振りまいている。
「あ、えっと……」
桜は両手を握手でふさがれて、そのもそもそする手の感触にほんのり幸せな気分であった。熱烈歓迎は悪き分ではない。
〔アル・スカイ〕で待機する勇子とミュウも一息ついて、緊張を解いた。
「受け入れられたようだな」
「運が良かっただけよ」
柾がいくらキルレたちに受け入れられても、そのやり方には勇子は賛同できないままであった。
「導師様、我々を御救いに来てくださったのですね?」
熊の手で桜の手を包む一人の少女がそう言った。
桜はその言葉に胸が痛んだが、笑顔を浮かべて全員に目を配った。どこの地域にもやはり問題が起きている様だ。それを解決するのも桜たちの旅の意義である。
「ええ。お困りごとがありましたら、お力になります。キルレ様、どうか、皆様の長に合わせていただけないでしょうか?」
「わかった。ついてこい」
キルレは快諾する。
「あ、もう二人、仲間が下りますので、よろしいでしょうか?」
「導師様の付き人ならば、いいよ」
キルレはフランクに言って、魚の束を担ぐとさっさと茂みの方へ歩き出す。
桜の様子を見ていた勇子とミュウもほっと一息ついて降機する。
夕焼けが沈む頃合いになる。紫の垂れ幕が次第に暗くなり、隆起する岩石の影がより濃くなっていった。




