~抵抗~ 生きる道を探して
ニィたち、ファルフェンの集落への道のりは桜たちとって危険なものである。
高さ三〇メートルはあろう巨木の枝と枝の橋渡しに、蔦を編んだだけのつり橋、おまけに足元は苔で滑りやすくなっている。
雲霧林の蒸すような暑さの中では、体力がすぐに搾り取られてしまう。
三人は薄手のシャツに厚めのカーゴパンツにブーツのせいか、下半身が蒸れて気分が晴れない。背中から両脇をぐるりと締め上げるショルダーストラップの食い込みも気になる。しかし、それがなければ背中に背負っているカニ型作業機械を運ぶのに苦労するのだ。
「重い……。これがなんの役に立つのだぁ」
最後尾を歩くミュウは汗ばんだシャツの襟周りを気にしながら、腰につけているベルトから水筒を取って、中のスポーツドリンクを口に含んだ。
「探検に必要なツールがこの子に詰まってるんですよ。姫様、辛抱してください」
その前を行く勇子も背中の鋼鉄の塊に辟易しながら、額の汗を拭ってサングラスの位置を整える。
そのさらに先で桜は道案内をするニィの後ろ姿を見ながら、枝を掴んで一歩一歩慎重に進んでいた。
周りを囲む枝葉はその白魚のような肌を引っ搔いて、赤く腫れを作っていた。
「あ、ああ!」
その背後で勇子の悲鳴が上がって、桜がハンチング帽を押さえながら振り向いた。
勇子が丸太ほどある枝の上で片足を引っ掛けて、両手でどうにか落下を免れている状況に陥っていた。間抜けな光景ともとれるが、その実、地面との距離を目にしてしまえば恐ろしいことこの上ない。
「勇子様!」
「まったく……」
桜とミュウの手を借りて、勇子は枝に跨る姿勢になると大きく深呼吸を繰り返す。冷や汗が止まらず、支えていた腕も震えだす。
彼女の後ろにいるミュウは呆れた風に息をついて、足元を確かめる。
「その視界を悪くするもの、外したらどうだ? 格好つけていて、落ちたではシャレにならんぞ?」
「わかりますけど……」
勇子はサングラスのことを言われて、反論できるはずもなかった。実際、雲霧林の中をサングラスをしたままでは日暮れのような暗さになって視界良好とはいえない。
「わかりました」
渋々といった様子で勇子はサングラスを外すと、腰のポーチに仕舞いこんだ。青い瞳が現れて、彼女の視界もクリアになった。
「何を意地になっているのやら。ほら、後がつかえている」
「わかってます。桜は先に行って」
「あ、はい……」
桜は勇子の指示に従って、前に進む。何度か振り返って、彼女たちの様子を窺ったが、特に問題はない。
「導師様、あたしたちの村です」
桜より数メートル先で体の小さいニィが飛び跳ねて、手を振っている。長い耳がジャンプに合わせて跳ねて、二つの尻尾も嬉しそうに揺れている。
その振動は桜たちの足元にも伝播して、思わずへっぴり腰になって足が止まってしまう。
「バカ! 気をつけろ!」
ミュウからの罵声が飛んで、ニィがむくれながら動きを止める。
二人の間は険悪なままでちょっとしたことでも衝突してしまう。ニィにとってこの足場に慣れているようだが、桜でもやはり不安定なのは厳しいものだ。
「ニィ様、わたしたち、あまり慣れないものですから、ご勘弁願います」
「導師様……」
ニィは桜の言葉を聞いて、しゅんとする。だが、すぐに顔を上げて桜たちを迎える。
勇子は歩調を緩めてミュウに近づきつつ、耳打ちする。
「本当に桜を導師という存在だと思い込んでいるんですか?」
「子供だからな。それでも、桜の容姿はそれだけ納得せざるを得ないものがあるのだ」
「そういうものですか?」
「あなたもここの言葉をうまく使ってみせよ。舌を巻くイントネーションが甘い」
ミュウはちろりと舌の先を出していった。
それには、勇子も正直に受けとめる。
「了解です」
「でなければ、目的は果たせんぞ?」
「わかっています」
ミュウと勇子は互いに目的意識を確認して、桜の後を追った。
「しかし、不思議です。この星の言語は別の種族間でも通じるんですね」
勇子はそんなことをぼやきながら、先行する耳長の少女が枝葉の中に消えていくのを見た。
彼女の知る地球史の言語の発達は諸説あり、国ごとに言語は異なっていたという。しかし、『ファルファーラ』ではまったく同じ共通言語を使っている。驚かされるばかりだ。地勢の関係やその土地に住まう生物の体系もお構いなし、といった感触がある。
対してミュウは波打つ長い髪を軽く払ってうなじに風を送りながらいう。
「同じヒトだからな。当然であろう?」
「それがおかしいんですってば」
「何がおかしい? 言語を扱い、文明を築くことができたのはヒトだけだ」
その認識には勇子も賛同するところがある。
ヒトという生き物が事実、文明という力をつけたのは地球史でも同じことだ。考え方的には、それぞれの地域で発展を続けてきたものと考えてもいい。だが、『ファルファーラ』はさらに特出した身体機能を有して、地球の民族以上に土着の進化を遂げている。
それが意味するところは、確かに互いの領分に干渉しない鎖国政策の表れも納得がいく。
が、その根底にあるコミュニケーションの基礎が全く同じというのはやはり不自然なのだ。
「この星、何かある……」
口の中で言って、枝葉のカーテンを払って進む桜の後に続いた。
その先に広がっていた光景に、桜たちは目を疑った。
「わぁ……」
思わず感嘆の声が漏れ出す。
そこは木々が織りなす幻想的な集落であった。
枝葉を剪定し、あるいは蔓のロープで開いた青空。そこから降り注ぐ亜熱帯の陽気はキラキラと木漏れ日を作っている。天然の天蓋解放ドームのようである。
「こっちだよ」
「は、はい」
先行するニィに桜は返答しながら、綺麗に整った足場にほっと一安心する。言っても、丈夫に編んだ蔓の幅広い橋ではあるが。それらがいくつも蜘蛛の巣のように張り巡らされ、下に注目すれば何層もある。
後に続く勇子も落下の心配がなくなって、観光気分が沸き立った。
「原始的なところだけど、これほどまでの技術力があろうとは……」
辺りにはニィと同じファルフェンと呼ばれる種族が出歩いている。往来は少ないも、活気のある集落らしく晴天に干された洗濯物や張りのある声がこだまする。
「家が木と一体になっておる。何ともまぁ」
ミュウは彼らの住居が張り出した木のこぶを掘削して作った場所だと知る。ツリーハウスのように枝の上に家を建てているのではなく、文字通り木を削って内部をくりぬいた場所だ。
煙突代わりの筒状の茎からもうもうと煙が上がっているのを見ると、生活感がぐっと身近に感じられた。
蔓の橋が軋む音を立てる中で、乾いた太陽の光のおかげで桜たちに湿った嫌な感触はなくなっていた。だが、吹き上げてくる地面の青臭さは一層増したように感じられた。
「ニィだ! おい、キィとシィのとこの娘が返ってきたぞ!」
と、各所にある橋の踊り場の一つからそんな声が上がった。桜たちのいる場所より一段上のロータリーだ。
桜たちが枝葉をまとめ上げて踊り場にした場所につくと、集落の人々が集まってきた。民家から顔を出す人、赤子をかかえてくる人、ニィと同じ年頃の子供たち。集落にいるすべてのファルフェンが注目した。
ニィは驚いた様子で耳と尻尾をピンと張った。それから、周囲を見渡していると人垣を割って一組の男女が前に出てきた。
それを見たニィが尻尾を大きく振って駆けだした。
「あ、お母さん、お父さん」
父親と母親のもとに飛び込んで、抱き着く。
「お前は全く、心配かけて……」
「無事でよかったわ」
桜たちは親子の光景を見て、胸がじんとするのを感じながらも、周囲の怪訝そうな視線はどうにも居心地が悪かった。
視線の針のむしろとなって、三人は体を寄せ合い、視線だけを動かして様子を見る。
「なんだか、歓迎されてないようね」
「当然だ。異邦人は珍しいものだし、それに導師様もいれば混乱する」
勇子とミュウのやり取りを聞きながら、桜はしゃんと背筋を正してニィたちのもとに歩み寄る。その間も勇子とミュウは油断ならない視線を周囲に向けながらその場にとどまった。
純白の少女の動きにファルフェンたちがざわめく。伝承の『導師』ではないか、とまことしやかにささやき合って対処に困っていた。
集中する視線の中で桜は緊張しながらもハンチング帽を取って、白い髪を晒して深紅の瞳をニィ親子に向ける。
どよめきが大きくなる。
「あの、ニィ様にはお世話になりまして、ご迷惑をおかけしました。ですので、あまり叱らないであげてください」
ニィの両親は目を丸くして、目の前の異邦人にどう返していいのか困った。とにかく、世間体な言い方だったから、伝え聞く導師のイメージとの齟齬が思考を混乱させる。
「いえ、お役にたてたのなら幸いです。その————、導師様、でいらっしゃる?」
ニィの父親キィが母子を庇うようにして前に出て問うた。
「はい。一応……」
桜は尻すぼみに言った。
しかし、その返答に周囲の人々は唖然として桜を見た。半信半疑の心持で本当に彼女が導師ならば、丁重に迎え入れるのが筋だ。
「もし、そこの者……」
と、人垣の中からしわがれた声が上がった。
ニィたち、ファルフェンは耳をそばだてて、ゆっくりとその声の主のために道を開ける。恭しい態度で、同時に不吉な予感を感じている複雑な表情を浮かべていた。
「ツェ・ズゥ」という声がそこここからさざ波のように広がる。そして、人垣の中から一人の年老いたファルフェンが顔を出した。
ミュウと勇子は桜の後ろにつきながら、その老人がツェ・ズゥという名前だと推測した。
腰を曲げた禿頭の男で、枯れ枝のような四肢をしており、触れただけで骨が折れそうな弱々しい姿をしている。長い口髭とまつ毛で表情が判別つかない。産毛の抜けた長い耳や日本の尻尾は肌色の皮膚が露出しており、一層の生々しさを持っていた。身に着けている服装も他の人とは違う僧侶のような袈裟がけをしている。
「ほぉ……」
ツェ・ズゥは腰を折ったまま、桜の前に立つと感嘆の声を上げた。
開いた天蓋の太陽の光を浴びた桜はその白い肌と髪を輝かせており、彼の濁った瞳でもそのシルエットがはっきりとしていた。
桜は緊張しながら、口を開く。
「あの、あなた様が皆様をまとめられている方でいらっしゃいますか?」
「まぁ、そんなところかの……。ここで話をするのもなんじゃな。わしの屋敷に来なさい。詳しい話を聞こうではないか」
ツェ・ズゥは淡々と言って、踵を返す。
桜たちは一度顔を見合わせて、意を決して彼の後についていく。その間にも他の人たちは不安げな面持ちをして、彼らの行脚を見守っている。
ニィも両親のそばでハンチング帽をかぶりなおす桜の後ろ姿を見るしかなった。
「ツェってどういう意味でしょう?」
「ほかの人たちの呼び方を見るに、称号なのだろう。王様とか、長といった」
勇子とミュウは小声で言いながら、ファルフェンの文化を分析する。
すると、ツェ・ズゥはそんな二人の会話を感知して、吊り橋を渡りながら言う。
「ツェ、とはわしらの間では賢人と言ってなぁ。まぁ、年寄りの知恵袋といったところかのぉ」
擦れつつ間延びした話し方をするツェ・ズゥに、ミュウと勇子は背筋を正して正面を見た。
桜は彼の後を慇懃についていきながら、目先にある樹木に視線を上げた。
「立派な屋敷ですね……」
「お褒めにつかり、光栄です」
ツェ・ズゥは尻尾を引きずりながら、我が家を見上げる。耄碌してしまった目では全体像は見て取れないも、長年住んだ家であるから踊り場に足を踏み入れただけでも日々の変化を感じることができる。
そこは集落の中心に位置したひときわ幹の太い大木であった。その張り出したコブはでっぷりと膨らんで、巨大なかまくらのようになっている。
布を張っただけの玄関を潜れば、広々とした空間が待ち構えていた。切り取った天窓から降り注ぐ日の光が空間を照らしており、閉塞感や湿った感じはなかった。
リビングも兼用しているのか、日用雑貨がそここに置かれており、奥の壁には布の垂れ幕が下りている。その下に巨大なクッションらしいものと絨毯が敷かれている。
「木の香りでいっぱい……」
桜は清涼感のある空間と優しく包み込む木の香りに深呼吸をする。
勇子とミュウも 当たりを見渡しながら木の床を歩く。
ツェ・ズゥは巨大なクッションへと足を向けて、たどり着くなりそこへ腰を下ろした。そこは日光が当たる場所で、どこかくらいの高い席だと感じさせる。同時に奥の方から、奉公人らしい若いファルフェンが出てきて、ツぇ・ズゥの前に跪いた。
桜たちはどこに座ればいいのか困惑しながら、とりあえず絨毯の前に立った。
「何か、菓子を用意しなさい」
ツェ・ズゥは奉公人に言って、彼を下げさせると改めて桜たちを見た。
「お坐りなさい。そこの絨毯の上にでも」
「はい。失礼します」
桜はハンティング帽を取って丁寧にお辞儀をすると、ブーツを脱いで絨毯の上に正座した。帽子を置いて、背中の作業機械をおろし、背筋をぴんと伸ばす。
その所作に、ミュウと勇子は不満の瞳を彼女に向けるが伝わらない。
導師様が何を下手に出ているのか、と怒鳴りつけたかった。もう少し不遜な態度を取って、威厳らしいものを見せるべきなのだ。
「…………」
「…………」
ミュウと勇子は一瞬目配せし合って、仕方なしと桜と同じ所作を取って並んで座る。
その間にもツェ・ズゥはクッションに体を沈めて、大きく息を吐いた。
ミュウは作り笑顔を浮かべながらも、そのふてぶてしい態度に怒りを覚える。客人に対する礼儀作法がない。思わず口の端が引くつく。
「これだから、ファルフェンは……」
忌々しげに、しかし、聞こえないように口の中で言う。
すると、ツェ・ズゥのよれよれの耳がふっと動いた。
ミュウの顔が一気に強張る。
「さて、おぬしらは何用でこのような辺鄙な場所へ、来たのかのぉ」
おっとりとした口調でツェ・ズゥが問いかける。その眠たげな言い回しは彼の癖らしく、口元がもごもごと動いている。
ミュウがほっと胸を撫で下ろす横で桜はしゃんとした態度で答える。
「はい。この星で起きている事態を考えて、多種族との同盟に参加していただきたく、この地にやってまいりました」
「ほほぉ……」
ツェ・ズゥは髭を撫でながら、桜の声に感嘆の声を上げる。
そこに勇子が割って入る。
「ついてはこちらの導師を中心として、我々は所属不明勢力との対抗戦線を張るために協力を願います」
「お前さん……、何者かね?」
「わたしは宇宙にあります『ノア』の者です。我々が漂流をしていた時に、かつての導師と接触しました。そして、我が方で保護され、この方が継承いたしました」
ツェ・ズゥは訝しむように体をよじらせて、青い瞳の少女を見た。
ここまでは勇子たちが事前に考えていたシナリオ通りである。桜を導師に仕立て上げるにしても、彼女が伝承に描かれる英雄とイコールにするのはあまりにお粗末だ。だから、その子孫として名乗らせて継承という儀式的なものを押し出したのだ。
それが有効であるのは『ファルファーラ』出身のミュウも認めている。血族の継承は大義を持ち、その文化は彼女以外の種族にも適応されている。外交官として地道に活動していた時の調べだ。
「空に昇った導師の末裔だと言うのか? そこの者」
「…………」
それは桜に向けられた質問であったが、彼女は一瞬逡巡してしまう。どうしても、仰々しい役柄が身につかない。
すかさず、勇子が代行する。
「はい。ご覧になれば、おわかりいただけると思いますが?」
「勇子、口が過ぎる」
ミュウは挑発的な勇子の口調に喝を入れた。
というよりも、勇子が調子づいているように思えた。彼女が押し出していることは宇宙に住むものの考え方で、地上のことなど考えていなかった。導師を餌に部族を操ろうという魂胆が見えている。
案の定、ツェ・ズゥにもその下心は見抜かれていた。
「よそ者よ。お前さんが望む様なものなど、わしらは持ち合わせておらん。残念じゃったな」
勇子はぐっと歯を食いしばって、身を引いた。成果を上げようと躍起になっていた。同時に桜の役不足を補えるという驕りもあった。
桜はそんな彼女の悔しそうな顔を横目に見て、呼吸を正して口を開く。
「ツェ・ズゥ様。それでは、ここに住む方々はどのようにするおつもりですか? 所属不明勢力は次々と他国を攻め入り、戦いを広げています。いずれ、ここにもやってきます」
それに同調して今度はミュウが出張った。
「近海の島国にはわらわの祖国もある。同盟が成立するならば、防衛線を張る用意もある」
「このファルフェンのために挙兵すると? ニンゲンが、か?」
「————ッ。善処する」
ミュウはツェ・ズゥの抜け目なさに苦い表情を見せてしまった。
彼らにも確執があり、ニンゲンとの共同戦線を嫌うのもおかしな話ではない。それは連綿と続く英雄譚の陰部でもある。導師という光の存在を得て互いに協力し合ったこともあれば、逆にそれまではいがみ合っていたこともまた語り継がれている。
根強い伝承の記録はこの世界に住む人を縛っている。ミュウも目の前の老人を見て一層強く感じられた。
ツェ・ズゥはまた深く息を吐いて、深々とクッションに沈む。
「所属不明の軍勢、か。侵略の野望を掲げるのもまた人類でたる由縁である」
「どうして、そうお考えになるのですか?」
桜は問うた。
と、そこに奉公人が木製のトレイに乗せたお菓子を三人の前に並べる。
果肉を縦長にさばいて干したドライフルーツようなものに、ムーズのようなものが添えられている。質素なもので、デザート感覚の食べ物であった。
桜たちが奉公人にお礼を言うと、彼は静かに礼をして奥の部屋に下がっていった。
「まぁ、食べなさい」
ツェ・ズゥに勧められて、桜たちは出されたものに手を伸ばす。
「いただきます」
スプーンや箸といったものはなく、直接手で食べる方式である。
桜はドライフルーツを一口そのまま食べる。酸っぱい味が広がる中で、筋張った繊維が絡みつく。素朴な味と言える。
ミュウと勇子も微妙な顔をしている。
「さて、質問の答えじゃがな」
「…………はい」
桜は口の中にあったものを燕華して、まっすぐにツェ・ズゥと向き合った。
ミュウと勇子はとりあえずといった感じでドライフルーツにムースをつけて口に運んだ。
「む、美味」
「おいしい」
ミュウと勇子は口の中に入れたお菓子に目を向いた。
酸っぱいだけのドライフルーツにふんわりとした甘いムースが合わさり、程よい風味が生まれる。繊維の感じもムースの上で溶けて気にならない。
その間にも桜はツェ・ズゥとの会話を続ける。
「食べてみてわかったじゃろうが、わしらはこの森の実りに支えられておる。そして、実りはわしら以上に豊富で幸福じゃ。しかし、それが逆転すれば他から取ってくるほかあるまい。人類だけがそれをできてしまうのはなぜか?」
「適応してしまうものだから、でしょうか?」
桜は自信なく答える。彼女は数百年の眠りについて時代の移り変わったスペースコロニーの中で生活した。その様式の変化に戸惑いながらも、適応したのが彼女だ。だから、歴史の見地ではなく経験則からの意見である。
ツェ・ズゥは小さく頷いた。
「雑食であるのも一つの理由かの。お連れが気に入って食べているのを見ているとそう思う」
その一言に、ミュウと勇子は肩を震わせる。気恥ずかしくて顔が真っ赤になる。
桜はその様子に緊張ではなく、安堵の表情を浮かべる。元気が一番だからだ。
「動物であるから、食べて、寝て、子供を産んで、死んでいく。それが自然の成り行きじゃ。侵略もまたしかり」
ツェ・ズゥの言葉に桜は違和感を覚える。
「侵略行為が自然の成り行き?」
「左様。生きるための行動じゃ。そして、滅びもまた必然である」
ツェ・ズゥは気怠そうに尻尾の先を揺らしながら、純白の輪郭を見据える。
桜の目つきが鋭くなる。
「何もしないおつもりですか?」
「いいや、するだろう。だが、徒労に終わる」
ツェ・ズゥはそれが真実であると確信している。今はまだそれを覆せるものはない。
「わしらの種族は見ての通り、強力な利器はない。お前さんらが使っているあの鎧のようなものは……、ない」
桜はその疲れ切った言い回しに同情を覚える。身勝手なことであったが、彼はすでに戦えるだけの精気を持っていない。種族を引っ張っていける力も、生きることにさえも。
自然の節理を持ち出したのは、悟りを開きたいのだろうと思う。寿命か、それとも賢人の称号を持ってしまったからかはわからない。
しかし、賢いばかりに敵を想像するのは容易く彼我の戦力差の絶望を知っている。
それでも、桜の胸中に去来するのは強い否定観念だった。
「生きるのを諦めたら、それまでです。あなた様のおっしゃることはそういうことです。何もしておりません」
「打開策があると?」
その素早い切り返しに桜は閉口してしまう。
「集落は、ここ以外にもあるんじゃ。それをまとめ上げても、逃げるので手一杯じゃろうて」
ツェ・ズゥは冷静に状況を言う。
それにはミュウと勇子も望み薄だと感じ始めていた。そもそも、自分たちがここにいるのは共同戦線を張るための各国の同盟締結のためである。が、ファルフェンが参入しても特になるようなことはない。守護をするというアピールができる程度のことである。
桜はしかし、そんな表面的なことは頭になかった。同盟だ、共同戦線だ、と言い並べてもと大切で単純なことが抜けている。
ツェ・ズゥが問うているのは、本能的な部分だ。
「逃げる作戦くらいはできます」
「この地を離れることはできぬ。その気持ちがあるから、問題なのじゃ」
ツェ・ズゥは濁った眼を細めて、白い影に不信の念を抱く。
彼は初めから導師云々の話は気にしていない。伝承を利用して、何かを求めるのならば、それまでの俗人である。しかし、純白の肌と髪、深紅の瞳は深層心理に訴えかけるものがある。
信じられないが、期待感があるのだ。伝承が実在すると言わしめるような気勢や神通らしいものを宿している。それは年老いた目ではなく、耳や鼻、肌の触覚から口の中にまで及ぶ超絶的な感覚。
彼女だけはファルフェンの生きる道を模索しているようであったから、なお気がかりである。
すると、たまりかねたようにミュウが口を開く。
「うだうだと何だ!? わらわはそんな世迷いごとを聞きに、ここへ来たのではない!」
「姫様、落ち着いてください」
勇子が興奮するミュウを咎めるが、彼女は止まらない。
「うるさい! 自然の成り行きで訳の分からん連中に殺されてたまるか。そうなったら、悔しいと思わないのか?」
「はぁ…………」
ツェ・ズゥがため息をつく。
「賢人が聞いてあきれる。民を見殺しにするしか、考えられん奴など役に立たん」
ミュウは直球に言うと少しはたまっていたストレスも紛れた。
そして、立ち上がるとツェ・ズゥを指差す。
「所詮は老いぼれ。耄碌した目では先など見るはずあるまい。ファルフェンが滅ぼうと大した損害でもないしな」
「あぁ。若く青いものよ」
「なんだと?」
ツェ・ズゥのぼやきをミュウは聞き逃さなかった。
侮辱を受けてようやく悔恨が出てきたか。そうでなければ、種族の賢人の名もなくというものだ。
「確かにわしは目が悪い。千里眼などない。じゃが、お前さんに人を動かせる器があるかの?」
「当然。わらわは生まれてより、王族の身である。それが責務というものだ。だから、こうして同盟を作るために動いた」
「心行きやよし。が、少々狭い視界じゃ。わしと変わらん」
ミュウは青筋を浮き上がらせて、拳を作る。悔しくて、妬ましい。所詮は劣等種族か、と内心で毒づいた。
勇子がそこで立ち上がり、彼女に抱き着くようにした。
「冷静になってください、姫様」
「放せ。下等生物に言われる筋合いはないッ」
その言葉は勇子の耳元でささやかれた。
ぴくりとツェ・ズゥの耳が波打った。
勇子は肩を抱き寄せるようにして、彼女の瞳をじっと見据える。青い瞳は爛々として、彼女の瞳に映り込んだ。
「その言い方が、相手に不快感を与えているのです。高慢と高貴は違います」
「むぅ……」
ミュウは口元を尖らせて、不満な顔を浮かべる。
勇子は小さく頷いて、そっと体を離す。
「ツェ・ズゥ様。あなたが先を見据えられないのは、当たり前のことなのです」
すると、桜がはっきりと発言する。
正座のまま背筋を伸ばして、深紅の瞳に力を込める。強い意志の表れのように、眼鏡越しの瞳は燃えるようであった。
ツェ・ズゥは皺だらけの顔に、さらに眉間に皺を寄せた。
「わたしもこの先のことがどうなるか、見当もつきません。正直、抱いているのは願望でしかありません」
「おい。何を弱気な——」
「しかし、わたしはただ死んでいくだけの道など認めたくありません」
ミュウの言葉を遮って、桜は敢然と言い放った。
「まだ力の弱いわたしなのです。導師としての力など到底ありません。ですから、お願い申し上げます」
桜のへつらう態度に勇子は厳しい眼光を向ける。
導師としてのお膳立てをさせておいて、それをひっくり返すようなマネをしたのだ。交渉を有利に進めるためにはその称号が頼りのはずなのに。
しかし、桜の態度は媚を売るのでも、土下座するような弱気はなかった。むしろ、対等にツェ・ズゥと向き合っていた。
「あなた様の知識をお貸しください。伝承があるのであれば、わたしが証明いたします」
桜の決意。
ミュウと勇子はその申し出に度肝を抜かれた。導師であることを否定した。だが、それを手放すようなことはしない。証明するために動こうというのだ。
「できるの?」
「可能性はある」
「どんなです?」
ミュウと勇子は密談して、二人の様子を横目に見る。
「わらわが桜を導師としてみたように、彼らが持つ伝承に何かしらの説得力があるかもしれん」
「だって、偶然なんですよ。それで、他のことに信憑性が増すわけないじゃないですか」
「分の悪い賭けであるが、やるしかあるまい。伝承の証明を」
二人は冷静に言い合いながら、後には引けない状況だと張り詰めた空気から察する。
ツェ・ズゥが長い眉毛に埋まった瞳を大きく見開いて、はっきりと純白の影であった桜・マホロバを視界に入れた。
「なんと、無謀な……」
呆れ半分といった声が漏れた。
「かまいません。わたしはその無謀を積み重ねなければ、生きる道を作ることはできません」
桜は緊張しながらも言葉を重ねる。誠実に、真摯に、純真に想いを告白する。
「ともに生きるために。そうでなければ、あまりにも心が貧しいではありませんか」
偉そうに豪語しているも、心中は重責と罪悪感に押しつぶされそうだった。だが、今『ファルファーラ』が一丸となって抱く希望の輪郭は、『導師』という存在だ。容姿が似ているだけでも、少しでも希望を抱ける。
大それた役だ。だが、それになってみせなければここにいる人々は無力に命を散らしていくことになる。
それを守りたいと強く願うのは、生きたいと常に願い続けている彼女の信念であった。
野鳥のさえずりが天窓からこだまして、ツェ・ズゥはゆっくりと瞳を閉じながら大きく息を吐き出した。
緊張して見守る三人。
もごもごと口元をゆらしていた彼の口が開かれた。
「よかろう。お前さんの願いに応えよう」
その一言は桜たちを試すと同時に希望を託す意味合いを持っていた。
桜、ミュウ、勇子は導師というものの本質をわかっていない。だから、それに近づけるように今は行動するほかない。




