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スカイ・レコード  作者: 平田公義
第十六章
116/118

~海底~ 深海の陽光

 深く、深く、深く……。


 常夜の海の世界はどこよりも深く、重い。生物はその目を閉ざし、発達した聴覚と触覚でこの海の中で生きている。


 しかし、異様にも海底の地平線にはまるで夜明けを待つような、薄明の光がぼぉっと光っていた。その光は地上に向かって砂時計の様に光がくびれては広がっている。


 その焦点ともいる光の集合部は明星のように暗い海の中で輝いている。


〔アル・スカイ〕は海の明星を目指して深海二〇〇メートルの砂丘を歩む。砂が埃のように舞い上がるたびに海流に攫われて逆巻いた。行く手を阻むようにして海の砂塵が右往左往から機体を叩き、周囲は砂嵐のただなかにあるような荒れ模様である。


 (サクラ)たちは操縦席に響く鋼のきしむ音に体を強張らせる。


「大丈夫なのか? この機体は?」


 ミュウが不安げにつぶやくと、ピシッと亀裂が走ったような音が響いた。


 ぎょっとして辺りを見渡すも、スクリーンに一切のヒビは見当たらず肩肘の力を抜く。それから、束ねた髪を大事そうに撫でながらウィンドー表示されている(サクラ)勇子(ユウコ)を見やる。


「これくらいの水圧なら耐えてくれます。とはいえ、水中――。さすがに資料不足だから、こっちも適宜修正をしないと……」


 勇子(ユウコ)の方は機体の状態と排熱、排気ダクトの閉鎖弁などの防水機能状況を見つつ、修正箇所を洗い出す。


「宇宙運用を主眼に置いていると、こういう重い空間は違ってくるわ」


 機体が踏みしめる一歩が今にも波にさらわれそうで、気が抜けない。


 そんな〔アル・スカイ〕とは裏腹に周囲を回遊するマリーネンは茶化すように泳ぎ回る。


「向こうは魚の様に泳いでおるぞ。もちょっとどうにかならんか?」


 ミュウはムスッとして右往左往するマリーネンを睨み付ける。


「そういわない。あっちは水中特化に設計されてるのよ、たぶん。アルにだってできない事はあるわ」

「まったく――、まったくっ」


 ミュウが愚痴るのを咎めるように、機体全体が大きく振動した。


〔アル・スカイ〕が突風のような海流にぶつかり、足元がふらついたのだ。すぐに脚部に踏ん張りを聞かせて、姿勢を低くする。


「危ないでしょうっ!」

「も、申し訳ございません……」


 叱責を受けた(サクラ)はしゅんとして、すぐに周囲の状況に目を走らせて機体を歩行させる。


〔アル・スカイ〕は砂丘を踏みしめて、進んでいく。


「ん……。何?」


 と、勇子(ユウコ)が不慣れなソナーの反応を見て、真上を見上げる。


 (サクラ)とミュウも後方から迫ってくる何者かを察知して、警戒心を強める。リア・カメラの映像を呼び出して、モニタに映るものとウィンドー表示の背後を見比べる。


「なんと、魚群か?」


 ミュウは映像を見た第一印象を口にする。


「それにしては大きい――」


 勇子(ユウコ)は訝しんで映像の解析を急いだ。


〔アル・スカイ〕も歩みを止めて、膝をつき、懸架されているバリアス・ショットガンにマニピュレーターを伸ばす。


 そして、頭上を過ぎていく巨大な群れ。


 それは光に誘われるようにして、ゆっくりとひだをひらめかせてゆく。ぶよぶよとした丸っこいシルエットは少女たちの目には生理的に受け付けない感はあった。


「データ照合――。アメフラシ、とかいう生物に似てるらしいわ。けど……」


 勇子(ユウコ)は機体のデータベースを検索して、検出された固有名詞とイラストを見て首をかしげる。


「あんな巨大な、荷馬車よりも大きくて変な生物がいるのか?」


 ミュウはぞっとして肩を震わせる。


「いえ、最大でも三〇センチほどらしいけど、あれは一〇メートルはくだらないわ」


 冷静にいう勇子(ユウコ)であるが、苦々しい表情を浮かべる。


 アメフラシは元来浅瀬に生息する軟体動物である。それが深海にまで潜り、群れを成しているのは奇妙な光景であった。いや、それ以上にイカのような、タコのような、何とも筆舌に尽くしがたい気持ちの悪いモノが密集している光景はお腹の底が掻き毟られるような不快感を覚える。


「害はなさそうです。先に、進みましょうか」

「あぁ、目指す場所には頭上のアレらがいると思うと、気分が……」


 海育ちのミュウでも顔を真っ青にして、額に手を当てる。


 そんな我がままに付き合っているわけにもいかず、〔アル・スカイ〕は再び歩き出す。


 とにかく深海の生態系は光に満ちた浅い海とは全くの別次元である。


〔アル・スカイ〕の足元には触角を足のように動かし、わたわたと駆けまわる深海魚。海流に揉まれて、装甲のあちこちにぶつかってしまう光るクラゲに半透明の軟体動物。


 そして、水に交じった鋼鉄の匂いにつられてか、奇妙奇天烈な魚たちが周りをうろうろ。顎が外れたような長い魚や、目が潰れて鼻先が触角の様に伸びたカタツムリのような魚。虹色の光を放ちながら、反物がひらめくように泳ぐ魚まで多種多様であった。


「何とも、深海の百鬼夜行とでもいうのかしらね」


 勇子(ユウコ)はピンポン玉のように飛び出した目玉と、不細工な顔つきの魚を見送りながらつぶやく。


 光が降り注ぐ海域へとゆらゆらと進むマリーネンはまるで指揮者の様に〔アル・スカイ〕や周囲の生き物たちを扇動する。


〔アル・スカイ〕を中心に光を放つ深海魚たちのパレードは不気味に揺らめきながら、七色の光をばらまく。


 (サクラ)は背後の光を見ては、暗い彼方まで見える生き物の煌めきに胸が締め付けられる。感動的であったと同時に暗い宇宙の光景を思い出して苦しくなる。


 やがて、光が強くなるにつれて、一匹、また一匹と深海の魚たちは巨人から離れて暗い海へと引き返していく。虹色の光たちは静かで薄れていくように闇の中へと溶けていく。


「魚が離れてく……」

「ねぇ、あの光――、生き物?」


 ミュウが離れていく魚のことを言うと、勇子(ユウコ)は近づいてきた光の境とその頭上を指さした。


〔アル・スカイ〕が暗い砂から、白く輝く光の中へと足を踏み入れる。ふわりと舞い上がる砂粒が輝きを放ち、暖かな水色に満たされる。


 その恩恵をもたらすのは散光するレンズのような巨大クラゲであった。薄く引き伸ばされたような傘に枝垂れのように伸びた長短さまざまな触手が雲の様に揺らめく。それも一匹ではない。そのさらに上には一回り小さい個体、さらにその上にもまた小さな個体と砂時計のくびれを作るようにクラゲたちが連なっている。


 七夕飾りのような、あるいは連なって飛ぶ凧のようにクラゲたちは一本の長い触手で繋がり、地上の光を一点に集め、それをまた海底へと広げている。


「クラゲ、でしょうか?」


 (サクラ)はまるで太陽のごとく輝く光に目を細めて、手で影を作りながら深海の空を見上げる。


「それも地上の光を海底深くにまで運んでくる変わった生態の、ね」


 勇子(ユウコ)は明るい海底を見渡しながら、白い砂の地平線に息をのむ。


「こんなことして、どんな得があるのかしら?」

「クラゲにはクラゲの事情があるのだろう。アレとか」


 ミュウは地平線の先にちらつく海藻の森を捉えて、カメラをズームさせる。


 緑色の麻布のように揺らめく巨大な昆布や綿帽子の様に膨らんだテングサらしい赤々とした枝葉。太い幹に支えられて青々と靡く昆布の梢は光を浴びて、煌びやかに映える。テングサの赤い枝先は先取りの紅葉を思わせる紅色に染まっていた。


 その生垣の様に凹凸を見せる岩や朽ちたサンゴの骸が転がり、海藻たちはそこに根を張り、大規模に広がっている。


「少し上から観察できるかしら、(サクラ)。マリーネンの動きもわかってる?」

「はい。先行してる方は海藻の森の上ですよね?」


 (サクラ)はコンソールを操作しつつ、機体内の圧力を調整する。


「スラスターだって万能じゃないのだから、慎重にお願い」


 はい、と勇子(ユウコ)の警告と共に(サクラ)は〔アル・スカイ〕を跳躍させる。


 機体はすぐに水の力に阻まれて、思う以上の飛距離が出ない。しかし、向かい風にあった海流が海底から数十メートルを飛んだところで一転、背中を押し付ける流れに変わる。


 三人は操縦席の中でシートに背中を打ち付けて、下方に広がる海藻の海を見渡す。


「広い……」

「海底の森がこれほどとは――」

「地平線の先まで伸びてる。どこまで続いているのかしら?」


 俯瞰してみて少女たちの目に映る広大な海藻の森、そして、光に照らされた砂丘のまだら模様は空から見た大地と変わらなかった。


 少し顔を上げてみれば、先行していたアメフラシの群れが何やら煌めくものを放出していた。


「何かしら? 結晶?」


 勇子(ユウコ)はアメフラシが体を震わせて、ボロボロと落とす結晶体に注目する。


「足元にも痕跡……。(サクラ)、サンプルを取って」

「はい」


〔アル・スカイ〕はスラスターを噴射して海藻の森へと接近する。


 その圧力に押し負けたように海藻たちが大きく倒れて、円形に広がっていく。そして枝葉に絡まった雪のような結晶を露わにする。


〔アル・スカイ〕のマニピュレーターはそのいくつかを掬い上げる。次いでセンサーアイでその成分を解析。時間は数秒で済んだ。


「これ、砂糖の塊じゃない」

「砂糖? なるほど」

「成分表記がそうなんだから――、実際食べてみたりしないとわからないけども」


 勇子(ユウコ)はミュウの発言云々よりも成分結果や眼に見ているだけでは、どうしても信じきれなかった。


 サトウキビなどを原料とする砂糖が海底の生物から採取できるというのは習ったこともない事例である。


 勇子(ユウコ)にとっての常識はこの星の生態系では測れない大きさをしているのだろう。


「アメフラシ、というのだから、飴を降らせるのだろう?」


 ミュウは自分で言ってクスッと笑みをこぼす。


 しかし、勇子(ユウコ)は聞いておらず(サクラ)もきょとんとした顔をしている。


「…………先を急ぐぞ、(サクラ)っ」


 (サクラ)は赤面するミュウを不思議そうに見ながら、フットペダルを踏み込む。


〔アル・スカイ〕は再び上の海流に乗ってマリーネンの後姿を捕捉する。その手からサラサラと結晶は落ちて、海藻の中へと消えていった。


 しばらくして、マリーネンは銛が途切れ始めたところでゆったりと潜り始めた。


〔アル・スカイ〕もスラスターを噴射して、細やかな泡を引いて距離を稼ぐ。海底に近づくと巨体のシルエットが海藻の枝葉を撫でる。


「窪地かしら?」


 勇子(ユウコ)は森の端に出てきた窪んだ土地を見定めて、マリーネンが着地姿勢を取るのを目にした。


「いよいよ本拠地、といったところか」


 ミュウは息をついて、操縦桿を握り直す。


 ジャングル、カルスト、荒野、樹海、雪原、空へ、そして、海底。星が内包する様々な場所へと旅をしてきて、多くのことを見てきた。


「……」


 (サクラ)はパチパチと弾ける泡の音を耳にして、機体を着陸態勢に整える。


『ファルファーラ』が大きな星であり、多くの種族が住まう豊かな風土を持っていると痛感するとともに、生きるヒトビト、生物たちもまた数多の生きる術を身に着けていた。


 誰が海底で光を浴びて生きていこうと考えるだろうか。


 自分たちが星を離れて、機械によって生きながらえてきたことを考えると『ファルファーラ』のヒトは生きていると感じられた。


 そして、『ノア』は生かされていると考えさせられる。誰かの意思によって、何者かの都合によって、命は管理されている。


〔アル・スカイ〕が窪地に差し掛かる。


 (サクラ)たちはモニタに広がる景色に再び息をのんだ。


 今度は海底に広がる花園のような街並みであった。海盆に形成される街並みはバケツの中の箱庭のようにちんまりとしていた。


 石造りの不揃いな家々からは煙突が立ち並び、とつとつと白い水泡を登らせている。そして屋根には色とりどりのイソギンチャクが並び、家の前に並ぶ厩のような係留策には人ほどの大きさをしたタツノオトシゴが尻尾をからませて休んでいる。


 何より驚くべきは生命維持装置もなしに、海底の水圧も何のそので泳ぐ人々の姿であった。


 彼らは巨大タツノオトシゴを馬車馬のように泳がせて、貝殻でできた荷馬車を引かせている。子どもに至っては蝶々を追うように色鮮やかな小魚を追い回してる。全員が海底の水圧など気にすることもなく、当たり前に生きていた。


「凄いわね。ここの塩分濃度は低いわ」


 不思議と窪地に降り立った周囲の水は真水に近い構成をしている。海流が入り込まない、山に囲まれた無風の町のような場所であった。


「それに、水圧は二〇を超えるというのにここのヒトたちは泳いでるわ」


 勇子(ユウコ)は彼らが鯨並みの身体能力を有していると思って、愕然とする。


『ノア』のヒトにとっては人類の範疇を超えた超人の域である。


 と、マリーネンが町はずれの方で〔アル・スカイ〕を手招きして誘導する。


〔アル・スカイ〕は機体をひねり、スラスターで起動を整えると誘導される方へと進んだ。


 そして、マリーネンはサラサラの砂地へマニピュレーターを突き刺すと何やら操作をした。


 次の瞬間、砂丘がびっくり箱を開けたように開かれて今度は地底へと進む道を現した。


 三人は気持ちを整えると、機体をその道へと滑り込ませていった。

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