~音楽~ 生きることは死ぬためにある?
「思うに、わらわたちはもっと尊大に扱われるべきではないのではないか?」
「はい。おっしゃる通りです。姫様」
「…………」
不満たらたらなミュウと勇子は口裏を合わせ、困り果てて縮こまる桜に視線を向ける。
「それもこれも、桜。あなたの腰の低さが問題ではないのか?」
「そうおっしゃられましても……」
「でなければ――」
ミュウは弱気な桜から視線を外して、今いる状況を見据えた。
「牢屋などに入れられようものか!」
冷たい鉄格子しがみついて、石積の固い壁に吠えかかる。
ミュウの熱の入った声などは冷えきった空間に溶けていき、代わりとばかりに悲しげな音色が染み出していた。
牢獄の全体像は至極シンプルで、通路の片側に牢屋が並んでいる。牢屋同士を隔てる壁も石と粘土で積み重ねられ、唯一の天窓からは午後の光が射し込んでくる。
「姫様。少しは落ち着いてください」
「落ち着けと? この姫に?」
ミュウは胸に手を当てて振り返り、尊大にいって見せた。
外の世界では王族などという飾りは意味をなさないことくらい彼女も痛いほど実感している。しかし、生来の気位の高さは抑え込んでいられない。
こんな不条理にはワガママの一つも、吐き捨てたいものだ。
「そうです」
勇子もサングラスの奥で目元をひくつかせる。
「ワガママばかり言っていますと品格を疑われますよ?」
「なにも知らないまま、目が覚めたら牢屋におるのだ。それも、二度目だぞ。二度目!」
ミュウは大口を開けて、桜と勇子に吠えて、肩で息をする。かと思えば、すぐにつばを飲み込んで恐々とした口調でいう。
「今度はとって食われてしまうぞ。あぁ……」
お姫様は嘆くような息をもらして、ふらりと体の向きを変えて鉄格子にしがみつく。
桜と勇子は頭の中で気絶する前にみた人狼の姿を思い出して、一瞬ぞっとした。
「でも……、それはいくら何でも考えすぎではありませんか?」
桜は嫌な想像を振り払って、今一度冷静に問いただす。
落ち着いて考えてみよう。
この星にはミュウのように人間に近い姿のヒトもいれば、ファルフェンやロフクスのような半獣人、そして、ネーミラのように獣の外見をしたヒトだっている。
「またそういうーー」
ミュウはむくれた顔をして、つんとお尻を上げる。だが、そんな所作に怒りの意味があるなどとは桜が気づくはずもない。
「ミュウ様……」
桜はおずおずと胸の前で手を組みながらミュウを見据えた。
「いくら、その、狼のような姿をした方だからといってそのお考えは性急すぎではありませんか?」
「わらわが怖がっているとでも?」
「そうではございません。ただ今は待っていたほうがよろしいかと……」
尻すぼみになっていく桜の声に勇子が重ねる。
「問題を起こして、ややこしい事態になることはさけなければなりません」
勇子の保守的な意見は納得できる。
しかし、ミュウはじっとしているのもイヤになっていた。
ミュウは一層強く鉄格子を握りしめ、にらみつける。外側には錠前がつるされて、くすんだ光を反射していた。使い古されている感じが窺える。
「ええいっ。牢屋はもう飽きた。それに――」
彼女の言葉を区切るとともに、悲しげな音律が耳の奥に入り込む。
それがお姫様の甘栗色の髪の毛を逆立てる。全身に微弱な電流が走るようにつま先から脳天まで産毛がざわざわと
逆立つ。
「うっとうしい音楽もだ!」
瞬間、彼女は鉄格子から離れて、すっと背を軽くそらす。そして、小さな脚が怒りに任せて鉄格子を蹴りつけた。
ガァンッと鉄のこすれる音が反響する。
「ミュウ様っ」
桜があわてふためいて、立ち上がる。
「うるさいっ!」
ミュウの鋭い眼光が一瞬桜を捉える。それだけで、桜は委縮して、石像のように動きを止めてしまう。
止めに入りたいが、今のミュウを止めにはいると後が怖い。それに、怒りのこもった大声を上げて、鉄格子を何度も蹴りつける彼女の剣幕にも気圧されていた。
「気の済むまでやらせましょう」
勇子は呆れて傍観に徹することにした。
「ですが……」
「大丈夫でしょう。いくらなんでも姫様のキックで――」
が、勇子の予測とは裏腹に錠前で固定されている蝶番が先に根を上げる。
ミュウの力のこもった蹴りは軸を捻じ曲げ、あまつさえへし折ってしまったのだ。鉄格子の扉がガラガラと乾いた音を立てて地面に倒れ伏した。
「壊れちゃった……」
ぽかんとして勇子は土ぼこりを上げる鉄格子と肩で息をするミュウの背中を見比べる。
「行くぞ! こんなところにいつまでも居てたまりますか」
閻魔顔のミュウは吠えると、さっさと牢屋からでていってしまった。
「ああ、待ってください」
「姫様。危険です」
桜と勇子も慌てて駆け出す。
颯爽と先を行くミュウは石畳を強く蹴り上げて、耳にかかる髪を後ろに運ぶ。
「姫様、道わかるんですか?」
「音のする方へ進めば、ヒトはいるだろう」
彼女の耳は鋭敏に通路にこだまする旋律を聞き分けていた。音源は低く、唸るように空気を震わせる。
牢屋の天窓から差し込む四角い斜陽が後ろへ流れていき、三人の息遣いが粗くなっていく。
三人が十字路に入る。その真ん中で立ち止まり、息を整える。
「どっち?」
勇子は胸を押さえて周囲を見渡すミュウに問いかける。
ミュウは今一度耳元にかかる髪を撫でて、耳を澄ます。そして、四つの道を見てから音源の方に爪先を向ける。
「こっち!」
言うが早いか、ミュウは走り出した。
「ま、待ってください」
頬を赤くして、肩で息をする桜はかたい唾を飲み込む。
「早くしなさいよっ」
勇子が走り出すと、桜も身体に鞭打って走り出す。
通路は松明の明かりに変わり、パチパチと炎の弾ける音がする。三人の影が右から左へと移ろい、切る風が火を揺らした。
進むたびに、音が強くなる。しんしんと響いていたものから、壁一枚隔ててくぐもった音に変わりだす。現に彼女たちの進む先には、木製の扉が一枚。
「そこかぁ!」
ミュウは確信して、一層蹴る足に力を込める。そして、扉をぶち破ってみせた。
瞬間、眩しい太陽が少女たちを迎えて世界を白く染め上げる。
そこで三人の足は止まり、瞳はあまりの光に細くなる。徐々に光に慣れてきた目は辺りの鮮やかな景色を捉え始める。
「ほらっ」
ミュウは顎をしゃくって、したり顔を浮かべる。
「ここは?」
「中庭、じゃないかしら?」
息を整える桜と勇子は辺りを見回しながら言う。
赤茶けた地面と石積みの塀がぐるりと四方を囲っている。そして、一方にだけアーチ状のトンネルがある。振り返れば、尖塔の頂がかすかに見える。
そして、中庭の中心には痩せ細った木が大きく枝葉を広げている。
その木陰で物悲しい旋律を奏でる楽句隊がいた。
「いるではないか」
ミュウはすぐに笑みを崩すと、ずんずんと楽句隊の方へ足を進める。耳の奥に入り込んでくる弦楽器の緩んだ音、覇気のない管楽器の調べが胸をむかむかさせる。
「ミュウ様っ」
「待って。桜……」
先を行くミュウにかけようとうとしたが、勇子に腕をひかれて止まってしまう。
「どうしてです?」
「様子がおかしいって思わない?」
「おかしいって……」
どういうこと、と桜は眉をひそめる。音楽が不安をあおり、視線はおろおろと勇子とミュウとを見比べた。
そうしている合間にもミュウは楽句隊の前に立ち、尊大に腕組をした。
「その音! やめい!」
ミュウは怒鳴り声を上げると、演奏をしていたヒトたちはギロリと厳しい視線を少女に浴びせる。音が止み、遠くから聞こえる音すら梢のざわめきの中にかき消された。
だからといって、怒り心頭のお姫様をくじけさせることなどできはしない。
「何だ、その顔は? まったく、ここに来てからというもの、陰気な音楽を聞かされっぱなしだ」
そこで一度区切り、ミュウは背後から近づいてくる桜たちを一瞥し、再び人狼たちに視線を戻した。
「責任者を出せ。話がある」
そうして、人狼たちの視線は木にもたれる一人に集まった。
きめの細かい刺繍が施されたポンチョに身を包み、つばの広い帽子で顔を隠している。その腕にはギターが握られて、アコースティックの柔らかい音色を軽く鳴らして見せる。
「それが返事のつもりか」
ミュウは小さく毒づいたが、木陰の人物は帽子から飛び出た尖った耳をくるりと回した。
「お嬢ちゃん。ここの流儀はご存じないだろうが――」
と、低い声と共に衣擦れの音がした。
桜と勇子がミュウの左右に並ぶと、木陰で揺れる大きな尻尾が見えた。
「無法者に尽くす義理はねぇ。さっさとおうちに帰んな」
「目も合わそうともしない腰抜けに言われる筋合いはない」
ミュウは毅然として言い放つ。
勇子が慌てて腕を引いた。
「ちょっと――」
「事実だ」
ミュウがきっぱりというと、リーダー格はすっと顎を上げて鼻先を引くつかせる。目元は広いつばでいまだ見えない。
「そうかい? 目なんぞ見なくても、お嬢ちゃん、お前さんの血気盛んな臭いはわかってるつもりだ。それに横の、お嬢ちゃんは――」
鼻先が勇子に向けられた。
「さて、どういったものか。冷静だが、酷く怯えている風だ」
勇子は肩をぴくりと弾ませて、リーダー格の鼻先をまじまじと見つめようとして、ふと、彼の耳が角度を変えていることに気づく。
勇子の反応を察したかのように、リーダー格は小さく笑う。
「ククッ。何を驚くことがある。いやはや、別の土地で暮らすヒトはどうもダメだな」
「よくわかりますね。えっと……」
勇子は自分の胸の内を探られないよう言葉を続けるが、彼の名前はまだ聞いていなかった。
それに自己紹介もしていない。
「失礼。わたし、勇子・星許といいます。あなたのお名前、お伺いしてもよろしいですか?」
「言ったろう。無礼者に義理はかけられんと。しかし、まぁ……、これも何かの縁だろう」
リーダー格の言葉に周囲の人狼たちは静かにうなずいた。
「冥土の土産くらいにはちょうどいいかもしれない」
「どういうことです?」
桜が誰よりも早くに反応した。
「わたしはベロッキ・クムという」
リーダー格の人狼、ベロッキは桜の声を無視して自己紹介する。
そして、白いビー玉のような瞳を帽子の奥からのぞかせた。
「あなた、その目……」
勇子はその目に驚きと後悔の念を覚える。
白く濁った目。白内障なのだろうその瞳はしかし、不思議と桜を捉えているような気さえする。
「そちらの心配してくれてるお嬢さん。君の名前をまず、聞きたい」
「はい。桜・マホロバといいます」
「ああ、いい響きの名だ。どこの土地かは知らないが、その柔らかい声もあって、とても穏やかな気持ちになる」
「そんな、滅相もありません」
桜はあたふたと首を振った。
しかし、ベロッキは顔を伏せると長い口の端を釣り上げる。その隙間から白い牙がちらつく。
「純真な娘のいうことだ」
ククッと彼の笑い声が漏れる。
それをみていたミュウは面白くなく、胸を持ち上げるようにして腕組みをする。そして、桜のほうに視線を向けた。
「このわらわ、ミュウ・ミュレーヌ・レルカントには聞きもしないとな」
「少しは大人しくしていた方が華だぞ? 子犬ではあるまいし」
ベロッキの言い方に、ミュウは唸る。まるで不機嫌な子犬のような声音で、人狼のいう通りであった。
すると、周りからも乾いた笑いが起きた。
「あの巨人に乗ってきただろう子たちなら、異国の者なのだろうがね」
周りに座る人狼の一人がつぶやいた。
「目撃していたなら、わたしたちは敵ではないとわかってくれますか?」
勇子はベロッキから視線をはずして、周囲に投げかける。リーダーを名乗るベロッキ一人を相手にしていても話が進まないと思ったのだ。
「だから、我々も困るのだよ」
ベロッキは言う。
三人は顔を見合わせて、小首を傾げる。彼の本心がわからず、混乱しながら再び視線を戻す。
耳に入る音楽がむなしくて、吸う息まで重く感じられる。息苦しくもあり、諦観した旋律。その音色は勇子やミュウのように精力的な子には毒にしか思えない。
しかし、それを正確に二人が理解しているわけではない。
その音に意味を見出すことが出来るとすれば、音色に怒りなど抱かないヒトであろう。
だから、桜だけが重苦しい表情を浮かべている。
「死を望んでいる、と?」
「桜、失礼でしょうっ」
勇子は桜の発言を窘める。
「自分から死ぬこともせず、敵に襲われるのを待っているなど、ありえない……」
ミュウも勇子の意見には同意であった。
「なぜ、そう言い切れる?」
ベロッキは穏やかな口調で問いかける。
「そんなこと、誰が望むものか」
ミュウは毅然として言い放つ。
「他人に自分の命を、委ねるというのか。それも、奪われるために」
「死は誰にでも訪れる」
「ですが、それは他者によって決められることではないでしょう?」
勇子の苦しい言い方にベロッキはわずかに口元をゆがめた。
「文化が違えば、死に対する信仰も違う」
「では、宗教の?」
勇子の素早い切り返しに、人狼たちは難しそうに小首を傾げる。
「いや、それは語弊だな。そういうものでは、ないな。おそらくは……」
ベロッキは歯切れの悪い返事をする。
「習慣や性というべきものであろう」
習慣、性という言葉に今度は桜たちが理解に苦しむ番であった。
これまで出会ってきた種族とは違う価値観に戸惑ってしまう。必死に生きることが当たり前で、どんな苦境にも立ち向かい未来を手にすることを選択してきた。
それは本心からそうするべきだと考えたからだ。
しかし、ベロッキたち、人狼のヒトビトは違う。
「我々はいつか罰が下ると教えられ、この土地で育った。導師の伝承に対する罪を清算するためにも」
「本気でそう思っているのか?」
ミュウは思わず握り拳に力がこもった。
「だから、最後は心安らかに我らは音を奏で続ける。裁きを下す敵を引き寄せるためにも」
ベロッキは顔を上げて、鼻先を揺らした。
その湿った鼻先がかすかにもっと湿っぽい臭いを感じ取った。
「泣いているのか?」
問いかけは桜に向けられたものであるが、ベロッキはすぐにそれが一人だけでないことを感じた。
「だって、悲しすぎます」
桜は涙ぐみ、じっとベロッキを見据えていた。
「自分たちのしてきたことを否定されたから、か?」
人狼の問いかけに少女は首を横に振る。
桜たちはこれまで多くのヒトと出会ってきた。だが、悲観し諦めようとしていたヒトたちであっても、生きることを自ら放棄する者はいなかった。
必死に足掻いていた。必死に抗ってきた。
精一杯生きようとしていた。
それが当たり前ではないのか。
「生きていたいって思わないのですか?」
「定めとあれば、従うのが我らの性だ」
「性。それが本心なのでしょうか?」
桜は問う。
対してベロッキは初めて眉をひそめた。
「本心でなければなんだ?」
「無理をしているのではないか、と」
桜は中庭を囲む塀を穿つアーチのむこうを見る。
その先は光に包まれて景色など見栄はしなかった。眩しいくらいに輝いて、少しの暗がりがアーチの内壁に張り付いている。
「素敵な演奏をなさるのに、少しも楽しそうに聞こえませんから」
「そういう風にみな、楽器を手にしている。敵を引き寄せるため、怒りを誘うように」
そこでミュウと勇子は合点がいった。
いや、理屈でしかない。音色ひとつで自分たちが心を乱していたのは事実だ。だが、いま響いている音楽は聞きようによっては感傷的で繊細な旋律を堪能できる。
それができないのは、戦いの中で生きている者だから否定してしまうのである。
死にゆく者がいる戦場で、自ら死を望んで待つだけの存在は目障りでしかない。
しかし、桜だけは違っていた。どこまでも寂しげに、赤い瞳は光を見据えていた。
「ヒトの怒りや憎しみで死んでしまったら虚しく、ありませんか?」
「虚しい、か」
ベロッキは手にしているギターを摩りながら、つぶやいた。
その感触は慣れ親しんだ木の感触。使い古した小さな傷までも掌で思い出となって脳裏によぎる。その思い出が数日、数か月、数年、数十年と積み重なって重みを増していった。
「もし死ぬ時が来たら、わたしは――」
桜は言葉を区切り、小さく息を吐いた。
そして、ベロッキたちの方へ向き直る。
「泣いてくれたら嬉しい。看取ってくれたら、喜びを抱いて死ねると思います」
「……」
ベロッキは何も言い返す言葉がなかった。
どんなに悲しみに自分たちを沈めても、まだここで生きている美景に耳を塞ぎ、鼻を塞ぎ、口を閉じていられるだろうか。
ここに生きる音楽、ここに生きる者の息遣いを無下にしてよいものか。
そのすべてを自らの死をもって終わらせることの、無情を悔やまないでいられるだろうか。
「戦の中で、パッと散る命だとしたら?」
ベロッキは最後にそう問いかける。
故に桜は答える。
「その時は花のように散っていくだけです」
すべてはただ今を生きるための問答である。
命に価値をつけるとき、ヒトは何を以て価値を決めるのだろうか。
純白の少女がそれを思う時は決まって一つの事柄だけである。
「それが精一杯に生きた結果なら、それでいいとわたしは思います」
いつだって生きようとするかぎり、そこに優劣はなく、区別や侮蔑はない。
貴賤があるとするなら、ヒトの善と悪の相違であろう。




