後編(二)
『なんだか降りそうな空してるねぇ』
『降る? 雨か?』
『ううん、雪だよ。天気予報見てないの真成君? 関東で雪なら、あっちはもっと降るんだろうなあ』
『イギリスのことか? なんでそんなに嫌そうな顔になってるんだ?』
『だって今はイギリスのことを考えるだけで、憂鬱になるんだから』
『本当に英語が嫌いなんだな、唯ちゃん。だけど、唯ちゃんの論文のテーマなら避けて通れない道じゃないかって、菖子ちゃんもこっちを発つ前に言ってたよな』
『それはもう言わないで……。英語のせいで頭が痛くって、菖子ちゃんとも連絡取らないようにしてるんだよ。真成君は菖子ちゃん最近元気か知ってる?』
『つい昨日連絡――――、というかここ最近毎日やり取りしてもらってるよ』
『えっ!? まさかとは思うけど、あの英語の長文で? 真成君も?』
『そうだけど、唯ちゃん。本当に随分嫌そうだなあ。ははは』
『だって……、だったら真成君はすごいよね。だって菖子ちゃんってば全部英語での返信なんでしょう』
『菖子ちゃんなりの激励だろう? 俺は就職試験でどうも英語が要りそうなんだ。今から慣らしておくのも手かと思って協力を仰いだんだよ』
『もう就職試験のこと考えてるの!? しかも英語を使うだなんて。うう、聞いてるだけで頭痛くなるよ……』
『俺は報道関係が志望だから、まあ英語はそのうち必要なはずなんだ。志望してるところの人事採用が今年からちょっと変わるみたいなんだよ。それに備えるっていうのもあるさ』
『つまりは、英語が必要な仕事を志望してるってことだなんだね。さすが国際政治学科生だね……』
『何言ってるんだ、唯ちゃんだってそうだろう』
『菖子ちゃんも真成君も、具体的なんだよねえ……。まだ二年生も二ヶ月以上残してるっていうのに。わたしなんて卒業論文のテーマですら揺らいでるんだから』
『先はどうなるかわからないんじゃないか? 唯ちゃんだって国際色豊かな職につくかも知れないぞ』
『ええ? そんなことってあるかなあ。でも菖子ちゃんなら、本当になんでもできそうだよねえ』
『それは言えてるな。向こうでも充実してるみたいだし。――――悪い、唯ちゃん。これから用事があるんだ。唯ちゃんも帰りは気をつけろよ』
『なんか最近は真成君も忙しいよね。いいなあ、みんなして楽しそうでさ』
『はは、唯ちゃんらしくないな』
『人間は日々変化するものなのよ』
『だったら、唯ちゃんにも楽しいことはあるさ』
『その言い方だと、苦しいことのほうが多いって聞こえるけど……』
『英語をサボっていたら苦しくなるのは確実だろうけどな』
『その話、もう終わったんじゃなかったの!? いいんだもん、わたしはこれからもなんとなく生きていくんだもの』
『さっき日々進化するって言わなかったか?』
『そこはコーヒーカップの精霊でお願いします。それに進化じゃなくて変化だってば』
『いい加減だなあ、それ……』
『真成君が発案したんだから、責任とってよねえ』
『オヤジくさいって言ってたのはどこの誰だよ。悪い、時間だから行くわ。また明日な』
『そんなこと覚えていないで忘れてよお、うん、また明日ね――――』
◆◆◆ ◆◆◆
「ああ、ちょっとちょっと。桂木さん、桂木さん、ああ。カップが落ちそうですよ」
慌てたようなその声に、唯がはっとして手もとを見たときには、彼女の手にしているものは今にもそこから滑り落ちそうであった。割れてしまってはせっかくの売り物が台無しになるだろうと謝れば、目の前の秀麗な狸顔の人物は思ってもないことを聞かされたという態で唯を見た。そのことに唯は一瞬、面喰った。
「は? あ、いやいやどうということはありません」
「でもこれ、人に譲るというか売るんですよね? わたしが傷をつけてしまったら、売れなくなっちゃうんですよね」
「いや、なんですか、じつはそのことで」
「え?」
「お返ししたほうがいいんじゃないですか」
「は?」
秀麗な狸顔の人物、もとい神崎の問いがあまりに率直で、唯は思考が追いつかなかった。
「どういうことですか?」
「そうですねえ……」
神崎はどことなく物思うような目を、唯の持つカップに注いでいた。それは彼女が最初にこのコーヒーカップを見せたときの表情と近いものだった。
「あの。このカップ、何か問題があったんですか? 引き取ってもらえないような……」
唯はそう口にしてから落胆を思った。ついさきほどの菖子との会話から受けた衝撃をどうすればよいのか、このコーヒーカップはなにもかも教えてくれる気がした。胸にかかえた焦燥のままにこの古い家の門をくぐったけれど、手にとったカップはひんやりとした温度を伝えるだけで、なにかを教えてくれることはなかった。そのうえ、このコーヒーカップは引き取り手がないのかもしれない。
――――行き場がない。このコーヒーカップも、わたしも。
唯は肩を落としたままコーヒーカップの紋様を眺めた。
「なんでマリア・テレジアっていうんでしょう? このカップ……」
唯の買ったコーヒーカップは、薔薇がモチーフとして描かれているものだった。
白地に、模様はすべて樅の木色のみで着色されており、それはくすみがかったやや黄みを帯びる濃い緑色だ。花も葉も蔓もすべてその色で着色されていた。
モチーフはカップ正面に、ひとつの蔓から伸びる薔薇が二輪。
ひとつは、中心より右側に右向きにひらく薔薇が大きく描かれており、その薔薇と対照にほぼ後ろ向きで左に向かってひらくもうひとつの薔薇は小さく咲いている。薔薇を取り囲むような葉と、その下に伝う蔓が大きくひらく薔薇を控えめに支えている。それは把手の上部の丸みがはじまる手前――接合部分と、下部の丸みが終局する付け根部分に沿うていた。
ソーサーは、カップと同柄の薔薇がひとつだけ描かれている。形状はティーカップのそれのように平らではない。ソーサーの縁にわずかに傾斜があり、ごく浅い小さいボウルを思わせる。縁はごくゆるく波を打っていて、縁部分には金彩が施されていた。
「――――その薔薇はハプスブルク家のものだそうですよ。そのカップは、工房の職人がマリア・テレジアに感謝を印す意味で贈ったようです。難しい言葉でいうと、謹呈というらしいんですな」
「きんてい……?」
聞き慣れない言葉に、唯は首を傾げた。
「つつしんで差し上げるってことですねえ。骨董に詳しかったのは私でなくて、私の親父だったんですよ。何がそんなにいいのか皆目わかりませんでしたがね。ただそのカップは、綺麗なもんだってのは思います。だからってやっぱり、骨董の好さがわかるってわけじゃあないですがね」
神崎はボリボリと頭をかいた。
唯は神崎のその様子に微笑ましさをさそわれた。彼女は通された和室を見回して、いかにも年代物な置時計だとか、骨董事典との背表紙がある雑に積み重なっている本だとかを目に入れた。
「骨董に詳しいひとって、お父さんだったんですか」
「こんなに残してくれて、一時期は途方に暮れましたなあ。でもなんとかなるもんです。人の縁ってものにだいぶん助けられましたよ」
「じゃあこのマリア・テレジアも、いくつかこの家にあったんですか?」
「どうにも食器の類はひとつも揃えていなかったようですねえ。だけど親父が亡くなる前、頻繁に本に目を通していて、何度もオーストリアの宮殿に行ったときのことを口にしていましてね。ほら、あそこにたくさん積んであるやつです」
神崎は部屋の一角に雑に積み重なっている本のほうに顔を向けた。その顔の動きにあわせて、白髪まじりのパーマをあてたような髪がふんわりとゆれた。
唯は今度は和室の天井を仰いだ。
「このお家、ほんとうに古いですねえ……。でもわたし、こういう家は憧れます。学生のときから気になってた家に入れるなんて、いま不思議な気分です。昔も勇気を出して、入っていればよかったなあ」
「頑固で神経質な親父でしたからねえ。家を守るってことずいぶんこだわりがあったんでしょうねえ。そのわりにこんな洋物を嗜んでいたなんて今でも冗談みたいですよ」
「神崎さんがマリア・テレジアをご存知だったのはそのせいなんですか」
「はあ。まあ自分でもなんとなくは察しております、私は骨董向きの顔立ちをしておりませんでしょう?」
「顔立ちって、そんな……」
唯の表情を気にしたようすもなく神崎は相好をくずした。笑うと鼻筋に顔中の皺が集まるかのようなその狸面を正面にとらえて、唯は目をぱちぱちとさせた。しかし彼女は、神崎がマリア・テレジアという骨董を知っているということに、どうにもしっくりこなかったわけをここでやっと得心した。唯の手の温度がようやく伝染したかのように、小ぶりなコーヒーカップは若干の温みを宿していた。唯はカップの丸みをそっと撫でた。
「そういえば感謝っていうのは?」
話が逸れていたことを思い出して、唯は尋ねた。
「ああ、そうでした。本で見てもらったほうが早いでしょうな」
神崎はおもむろに立ち上がり、『西洋アンティークの魅力大事典』と題名のついた、小脇に抱えるというにはいささか大きさが過ぎる本を、脇に抱えて戻ってきた。
見開きで神崎が示したページを唯は読んだ。本は銀器、陶磁器といった種類ごとでページが区分されているらしくそのどれもがカラーで掲載されていた。陶磁器の色彩のうつくしさに、唯はしばしみとれた。
『マリア・テレジア』は、経営困難に陥っていたウィーン工房を国営化――つまり皇室直属の工房にしたことに、工房の職人たちが女帝のその好意に感謝して謹呈した食器シリーズである、と書かれてあった。
唯はそのさきの文を読んで、素直に感嘆した。
「わあ……。これ素敵ですね。“この食器シリーズは、女帝の狩猟館アウガルテン宮殿のディナーセットとして贈られたもので、樅の木は18世紀狩猟のシンボルであったものである”――――あっ、これですね。この花の絵付けは、この柄を含めて六種類――――」
唯は薔薇のモチーフを指差した。
そこには、薔薇・いぬ薔薇・ひな菊・菫・水仙・ストローフラワー、とそれぞれ異なった模様のカップの写真が載っていた。六つの模様を工房が作ったのは、狩猟館に一同に集まる賓客を一人一人もてなすための彼女の心配りを表したものであると記されていた。
「カップができるのにいろんな経緯があるんですねえ。知らなかったなあ」
唯が目を輝かせて言うのを見てとって、神崎は言いにくそうに切り出した。
「桂木さん、それでそのお……。これはやっぱりあなたがお持ちになったほうがいいんじゃないですかねえ」
唯は考えるまでもなく返した。
「いえ、使いません」
「はあ。こちらで引き取るのにはなんら問題ないんですが、でも――――」
「いいんです、あったって使わないんです、だって」
――――手元においてあるからって、戻ってくるわけじゃない。
唯はコーヒーカップをぎゅっとつつんだ。
「……あなたがさっきここに来られたときに、そうしたほうがいいように思えたんですがねえ」
「え……?」
神崎は少し困ったような顔をしてみせた。
「さっき、カップを手に取られたときも、安心したみたいな顔をなさっていたもんですから」
「安心?」
「はあ、まあ思い違いかもしれませんがねえ」
――――そんな、だって、菖子ちゃんは覚えていなかったのに――――?
「……変な話なんですけど、大学生のときに“コーヒーカップの精霊”っていう言葉というか単語をよく使っていた時期があったんです」
「コーヒーカップの精霊ですか」
「意味は、いい加減って意味です」
その言葉は、当時の唯たちの友情の発露だったに違いない。唯は手のなかのカップをますます強くつつんだ。
――――なんで、なんで、覚えていないの菖子ちゃん!
ぽかん、としか表しようのない菖子の顔に、一瞬の懐かしさにあのとき唯はとらわれた。けれどそれは、もうすべてが昔のままの菖子でないことを唯に突きつけるものだった。昔の菖子が舞い戻ったかのような感動は、ぱっと華やいだ雪となって唯の目の前で散った。華やいだ雪の一瞬の輝きのなかに、思い出のすべては内包されて、それはもう届かないもののように思われた。
けれど、それは慟哭のような喪失ではなかった。諦めをともなった納得のなかで、唯は瞼をとじた。
「ある友達は覚えていなくて、あるひとは覚えてくれてて、でもわたしだって忘れてた……」
瞼のうらに浮かぶ、二人の友人の姿。一人は憧れの友達だったひと。もう一人は、友達とは呼べなくなったひと。そのひとが自分をみつめる決して優しいだけではない双眸。
唯の胸はにわかに締めつけられた、そして甘さに比重をますのは、彼の姿だった。
ああ、苦しい。苦しくて甘くて、なんてあざやかな衝動――――。
「勝手なものですねえ、人なんていうのは」
いかにもそれは、神崎の経験による胸間であったのだろう。唯は言下に返した。
「勝手です、でも、どういうときに納得ができるものなんですか? 変わってしまうことは、どうしたらいいんですか? いい加減なままに、流されて生きていけたらみんな楽だって思っていたのに……」
“コーヒーカップの精霊”
このひと月ほどの間ににわかに思い出した言葉にすがろうとしている自分はなんだろう。
なぜこれほど急に、周りは変わっていってしまうのだろう。
自覚してしまえば、もうもとに戻ることはできないのは、なぜなのだろう。友情も恋も、自分をめぐる立ち位置すべて、いいや自分そのものがおなじ場所にはいられないことを、とめることはできない――――。
重いガラス戸が急にちいさく揺れた。ひゅうう、という音が二人のいる和室に通って響いた。神崎は玄関を眺めていた。
「玄関の前に、南天の木がありましたでしょう」
南天、とつぶやいて唯は合点した。自分の背丈より少し高い、赤い実をつけたひょろひょろと伸びる木があったことを思い出した。この男が自分を玄関に出迎えたとき、すぐ傍にあった南天の木と男の背丈を符号させていたことは、唯の無意識下の判断であったろう。
「あれは、親父が植えた木でしてね。あの木の背丈が低いのが、親父は好きだったんです。でもその親父が去年亡くなって、手入れしないままに伸びてしまいましてねえ」
神崎の話を、唯は少しの困惑をもって聞いた。
「この家の整理に来て、あの南天を見たとき、ああ、ひとが亡くなるってのはこういうことなんだなあと、胸につかえていたものが、すとんと落ちてきたんです」
「それは納得のできるものなんですか?」
唯は、神崎のさびしそうな顔を見て尋ねた。もしかしたらそれは、自分の表情だったのかもしれない。いま自分は、きっと理由を必死でさがしているのだ。諦めることの理由を。受け入れることの理由を。
「あなたが来たとき、ちょうど親父のことを考えていて……、まあ、この家の整理をしていたら考えなくても考えてるんですがね。親父は妥協という言葉が大嫌いで、私も親父に反抗することが情熱のようになっていたんですなあ……。でも親父が亡くなってあの南天を見たとき、親父はああいう生き方をしたんだと思いましたよ」
「ああいう生き方……?」
「ほんとうに神経質で融通が利かなくて、それなのに自分の好きなことには文句を言わせないまったくもってそういう親父でしたよ。そういう生き方しかできなかった、でなくて、そういう生き方をしたんだと」
「それが、すとんと落ちたっていうことなんですか?」
神崎は、頭をボリボリとかいた。
「いや、まあ、うまい言葉が見つかりませんねえ。それでねえ、桂木さん、ほとんど初対面のひとに言うのも変な心持ちというのはあるんですが、なんだか桂木さんは、コーヒーカップを取り戻しに来たようだって言いたかったんですよ。私が親父のように学者だったら、他に適当な表現ができて苦労しないでしょうがね」
「学者? 神崎さんのお父さんは先生だったってことですか?」
神崎は唯の問いを受けて、いつかのように目をしばたかせた。
「ああ、ああ、そうでした、言っていませんでしたっけねえ。佳明館の教授をしてたんですよ」
「佳明館の?」
「そうそう、そうですよ。たしか、“いちかん”って言い方なさってましたね。いや、覚えておりませんか、桂木さんが初めてか二回目かに来られたときに、“しょかん”がどうのと私が言ったでしょう」
「はい……、え? そうでしたか?」
「政治学部の一号館を、親父は“しょかん”ってずっと呼んでいたんですよ。佳明の校舎で最初に建てられたものだから、たぶんそんなふうに呼んでいたんでしょう」
「神崎さんの前でも、そういう呼び方をされていたんですか?」
神崎はここにきて初めて、苦笑いといった表情をした。鼻筋の通った秀麗な狸のような貌が、やけにさまになっているように思われた。
「随分前に、親父の荷物を届けに大学まで行きましたよ。親父が電話で“しょかん”の近くの校舎だって言うもんだからそれを信じて行ったらどうにもそんな建物がなくて、結局“文学部はどの校舎ですか”と人に訊いた始末です」
「え? じゃあ、お父さんはずっと一号館のことを“しょかん”だって思われていたってことですよね」
「訂正する人間もいなかったんでしょう、あははは。滑稽なもんですねえ」
なんだなんだ、そうだったのかと、ひとりごちる神崎を唯はしばしぽかんと見つめた。
玄関の引き戸をたたいた風が、また少し重さをまして唯の耳に届いたようだった。
◆◆◆ ◆◆◆
六回目のコールで、掛けた相手は電話をとった。ひゅうぅ、と重い風が唯のコートをゆらした。
見上げる煉瓦の時計台も、心なしか風の冷たさに耐えているように思えた。
唯は息をすって背筋をのばした。腕にかけた紙袋が、腰に軽くあたった。電話口の相手の戸惑うような雰囲気が伝わった。
「あのね、あの……。ずっと言えなかったことがあったの。どうして今までそれらしいことを一言も伝えなかったんだろうって、後悔した。だってね、わたしたちの関係が変わるなんて思っていなかったし、あんなこと言われるなんて、考えもしなかったから。わたしはね、ずっと憧れていたんだよ、菖子ちゃん――――」
それを渡されたとき、唯は途方に暮れたような思いで神崎を見つめた。
――――わたしがこれを持っていることに、意味ってあるんでしょうか……?
――――決まってしまったものなんてないように思いますよ。人の生活なんて思い込みを直されないくらい滑稽なものなんじゃないですかね――――
そう言って『マリア・テレジア』のコーヒーカップを元の箱に入れ、神崎は唯にそれを返したのだ。
今そのコーヒーカップは、唯の腕にかかる紙袋のなかにある。
風がもう一度唯の足もとに流れてから、地に鎮まるようにおさまった。
唯の前には、ふんわりとした雪が降りてきた。
唯は時計台を見つめたまま電話口の相手に話した。
「ねえ、菖子ちゃんに“人の気持ちがわからない”って言ったひとは、少なくとも話はできるひとじゃないかな。羨ましいって、菖子ちゃんはわたしに言ってくれたけど、わたしのほうこそずっと菖子ちゃんが羨ましくて、憧れだったんだよ。だからね、そのひともきっと、憧れてるのにくやしくて、そんなことを言ったんじゃないかなあ」
電話口の菖子は答えない。意外なことを聞いたとでも思っているのだろうか。
「あとね、わたしこれからちゃんと言うよ。真成君にも、菖子ちゃんにも、自分の思ってることをちゃんと言うから。菖子ちゃんも教えて。思うことをちゃんと教えて――――」
唯はまた電話を掛けながら、今度はマフラーのなかに顔をうずめた。雪はふわふわとマフラーにとける。
大切なことって、なんだろう――――。
電話の呼び出し音は鳴り続けている。
ふんわりふんわりと、雪はとける。
白く降りる雪が、苦いコーヒーに落ちれば、ミルクのように広がるだろうか。
曖昧で、いい加減に日常に溶けるように。
それはコーヒーカップの精霊みたいに。
ふんわりと、白い。
『――――はい』
聞こえた声に、胸が苦しくて泣きたくなった。
なんて、甘い。砂糖菓子よりも、もっともっと、苦しいくらい甘い。
「真成君、あのね――――――」
甘いなら、とけてなくなってしまうのだろうか。
いつか雪のようにとけて。
とけるから、切ないのだろうか。
切ないから、あざやかなんだろうか。
ねえ、教えて――――
教えて――――――……?
(了)
最後はかなり駆け足で、説明的な部分が多い内容となりました。この作品をリクエストくださいました方にまず差し上げたいと思います。加えて、とても憧れていたユーザー様が先日退会されました。作品を見ていただくことはもう叶いませんが、その方にも今までの感謝を込めて捧げたいと思います。目を通してくださったすべての方に、篤く感謝申し上げます。
もぃもぃ