75話 受け継がれた思い
穏やかな朝日が、防災対策課・医療室の窓から静かに差し込んでいた。
無機質な病室には、心電図の電子音だけが規則正しく響き続けている。
「……」
俺――橙真はまぶたを持ち上げ、ゆっくりと目を開けた。
意識がはっきりしてくると、昨夜の過酷な痛みに比べれば、身体は少しだけ楽になった気がした。
それでも、全身を苛む激しい痺れと、熱を持った痛みは依然として残ったままだ。
その時、病室の扉が静かに開いた。
「橙真くん。おはようございます」
「……おはようございます、花江さん」
花江さんは枕元の心電図や点滴の経過を素早く確認すると、ほっとしたように柔らかく微笑んだ。
「脈拍もすっかり安定してきていますね。容態も落ち着いていますよ」
「そうですか……よかったです」
少しの間を置いてから、俺は花江さんをまっすぐに見つめた。
「花江さん……朝早くから申し訳ないんですが、風宮さんを呼んでもらえますか?」
「風宮さんですか?」
「はい。風宮さんに、どうしても話しておきたいことがあるんです」
俺の真剣な眼差しを感じ取ったのか、花江さんは小さく頷いた。
「分かりました。すぐ呼んできますね」
そう言い残し、花江さんは足早に病室を後にした。
***
それから数分後。
病室の扉が、再びゆっくりと開いた。
「日向、俺を呼んだか」
風宮さんが病室へ入ってくる。
「はい。風宮さんをお呼びしました」
風宮さんはベッドのすぐ横まで静かに歩み寄り、傷だらけの俺の顔をじっと見つめた。
「それで、用件は何だ?」
俺は一度深呼吸をしてから、静かに口を開く。
「昨日の夜……ガブリエルと話しました」
風宮さんは、すぐに眉をひそめた。
「……ガブリエル? 誰だ、それは?」
「あっ、そういえばまだ風宮さんには話していませんでしたね」
俺は少しだけ言葉を整理してから続ける。
「天使のことです。月影さんが最期に残した『天』の文字を見た時、何か胸の奥に引っかかるものがあって……それで、前に起きたことをいろいろ振り返っていたら、天使のことを思い出して。それで、その後いろいろあって、ガブリエルと知り合って、昨日の夜、情報交換をしたんです」
その言葉を聞いた瞬間、風宮さんの表情が一気に強張った。
「おい、ちょっと待て。日向、お前……昨日の夜に一人で、天使と会ったのか?」
「はい!」
「そんなことがあったなんて……気づかなかったな」
風宮さんは腕を組み、重苦しく息を吐き出した。
「はぁ……言いたいことは山ほどあるが。まずは昨日、ガブリエルという天使から聞いた話を詳しく聞かせてくれ」
「分かりました」
俺は昨夜、ガブリエルと交わした会話を、最初から最後まで話して聞かせた。
神門教の教会の地下にいた、異質な邪神体のこと。
ガブリエルが教えてくれた、月影さんが調べていた『扉と鍵』の一部。
そして、かつて『扉』を造るために、天使たちが大勢犠牲になったという凄惨な過去について。
俺が語るにつれて、病室には息苦しい沈黙が広がっていった。
「……っていうのが、昨日ガブリエルと話した内容のすべてです」
風宮さんは腕を組んだまま、静かに目を閉じて思考を巡らせている。
花江さんもまた、真剣な表情で黙り込んでいた。
やがて、風宮さんがゆっくりと目を開ける。
「別に日向に隠していたわけではないが、月影が最期に俺に託していったUSBの解析の一部が、ちょうど終わってな」
「USBの……」
「ああ。その中に保管されていた情報と、お前がガブリエルから聞いた内容には、一致する部分が多い」
「やっぱり、そうでしたか」
俺は思わず息を呑む。
偶然とは思えない。
月影さんが命を懸けて残した情報と、ガブリエルが語った言葉。
それらは、同じ真実へと繋がっている。
「ああ。月影が命を懸けて遺した情報。そして、日向がガブリエルから引き出した情報」
風宮さんは、俺と花江さんを交互に見つめる。
「この二つの重要なピースを繋ぎ合わせれば、俺たちは真実へ辿り着けるかもしれない」
***
――コン、コン、コン。
その時、病室の扉が控えめにノックされた。
「入るぞ」
蒼太がドアを開けて病室へ入ってくる。
そのすぐ後ろには、気遣うような表情を浮かべた碧羽の姿もあった。
蒼太は俺の顔を見るなり、心底安心したようにニッと笑う。
「橙真が起きたって花江さんから、連絡をもらって、そのまま、すぐに飛んできたぜ。せっかくの夏休みなのに、お前がこんなところで寝込んでたら落ち着かないからな」
「悪い。心配をかけたみたいだな」
「本当にそうなんだからね。せっかくの夏休みなのに……少しは反省してよね、橙真」
「分かった分かった。ちゃんと反省しておく」
俺が苦笑すると、碧羽も小さく笑った。
そんな俺たちのやり取りを、風宮さんは穏やかな目で見つめていた。
そして、静かに告げる。
「日向、まだ急ぐ必要はない。今は身体を治すことだけを最優先にしろ」
「分かりました」
俺はベッドの上から、ゆっくりと窓の外へ視線を向けた。
そこには、どこまでも澄み渡る青空が広がっていた。
月影さんが命を懸けて託し、調べ上げてくれた大切な情報。
そして、ガブリエルから聞かされた、この世界の真実に繋がる情報。
二つの情報が、今ここで一つに繋がり始めた。
俺たちはまだ、真実のすべてを知らない。
それでも――この二つの情報を手掛かりに、俺たち全員で必ず、隠された真実を見つけ出してみせる。
そう強く心の中で誓いながら、俺は朝日に眩しく照らされた空を、静かに見つめ続けていた……。




