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129話 あいつとの再開

 右手の人差し指から、灰が落ちた。


 風に舞うこともなく、足元へ静かに落ちていく。


 俺――橙真は、その指を見つめた。


 痛みはない。


 だからこそ、不気味だった。


 まるで、自分の身体ではない何かを見ているような感覚だった。


「橙真くん、動かさないで」


 花江さんが俺の手を取る。


 淡い光が流れ込み、指先を包んでいく。


 しばらくして、花江さんが小さく首を横に振った。


「……駄目です」

「止められないんですか?」


 碧羽が尋ねる。


「うん……。これは、ただの傷じゃない」


 花江さんは苦しそうに俺を見る。


「身体そのものの性質が、変わってしまってる」


 蒼太が拳を握った。


「じゃあ……どうすれば」

「まだ分からない」


 誰も言葉を続けられなかった。


 俺は右手を見つめる。


 その瞬間、頭の中に炎の光景が蘇った。


 地震。

 燃え広がる家。

 崩れた梁。


 届かなくなった父さんと母さんの声。


 そして――一度、途切れた俺の命。


 あのとき、俺は死んだ。


 それなのに、炎の中で再び目を開けた。


 そこにいたのが――。


「……カマエル」


 名前を口にした直後だった。


「そうです」


 目の前から声がした。


 全員が振り返る。


 白い巫女装束を身にまとった女――カマエルが、少し離れた場所に立っていた。


 俺は息を呑む。


 忘れるはずがない。


 あの日、炎の中で俺を見つめていた存在。


 そして、俺の左耳にイヤホンを付けた女。


「……全部、お前だったんだな」

「はい」


 カマエルは静かに答える。


 その表情には、罪悪感も動揺もない。


 まるで、ずっと前から決められていたことを確認しているだけのようだった。


 蒼太が前へ出た。


「だったら、どうして橙真を生かした!」


 カマエルは蒼太を見る。


「彼の中にある力が、まだ完全ではなかったからです」


 俺は眉を寄せた。


「……プロメテウスの力か」

「はい」


 カマエルは俺の左耳を見る。


「イヤホンによって力を抑え、あなたの身体を安定させました」

「俺を助けるためじゃなかったんだな」

「あなたを生かしておく必要があったのです」


 胸の奥が冷たくなる。


 十一年前。


 俺が死んだあの瞬間から、こいつは俺を見ていた。


 俺の中で力が完成するのを待っていた。


 そして今――カマエルの視線が、俺の右手へ移る。


「ようやく、完成しました」

「……何が?」

「あなたの力です」


 その言葉と同時に、指先からまた灰が落ちた。


 ぽろり、と。


 小さな灰が床に触れる。


「そして、その灰が必要なのです」

「俺の……灰が?」

「はい」


 俺はカマエルを睨む。


「何に使う」

「それを知る必要はありません」

「ふざけるな」


 声が低くなる。


「俺の身体がこんなになってるんだぞ」


 カマエルは黙って俺を見る。


「だったら、俺を元に戻す方法を知ってるんだろ」

「……いいえ」


 予想していなかった答えだった。


「ありません」


 花江さんが息を呑む。


「どうして……?」

「これは傷ではないからです」


 カマエルは淡々と告げる。


「力を使った代償は、消すことができません」


 俺は右手を見た。


 灰になった指先。


 そこには、もう戻れない何かが残っていた。


「……どんな力でも?」

「はい」

「治癒の力でも?」

「戻りません」

「お前でも?」

「私でもです」


 その瞬間、隣から声が聞こえた。


「……嫌です」


 咲だった。


 俯いたまま、拳を握っている。


「私、嫌です……!」


 顔を上げる。


 目には涙が浮かんでいた。


「橙真先輩が、このままいなくなるなんて……嫌です」


 俺は返す言葉を失った。


 蒼太も、碧羽も、風宮さんも黙っている。


 誰も、この現実を受け入れられていない。


 それでもカマエルだけは、静かだった。


「あなたの灰が、必要なのです」


 その言葉だけを残して、カマエルは背を向ける。


「待て!」


 俺が叫ぶ。


「その灰を、何に使う!」


 カマエルは足を止めた。


 だが、振り返らない。


「それは、まだ知らなくていいことです」

「待てよ!」


 俺は一歩踏み出す。


「俺の身体を壊してまで必要なものなんだろ!」


 カマエルは答えなかった。


 ただ、わずかに顔を横へ向ける。


「いずれ、分かります」


 白い光が彼女の身体を包む。


「そのときには――あなた自身も、答えを知ることになるでしょう」

「何を言って――」


 次の瞬間、カマエルの姿が消えた。


 静寂が戻る。


 誰も、しばらく動かなかった。


 俺は自分の右手を見た。


 灰が一粒、床へ落ちる。


 拾うこともできない。


 ただ、それを見つめるしかなかった。


「……俺の身体は、少しずつ失われてる」


 口にした瞬間、その言葉が現実として胸に突き刺さった。


 指先だけじゃない。


 この先、腕も。


 身体も。


 そして――いつか、俺自身も。


 そんな未来が頭をよぎる。


 咲が小さく息を呑んだ。


「橙真先輩……」

「大丈夫だ」


 そう言いながら、俺自身がその言葉を信じられていなかった。


 カマエルは、俺の灰を待っている。


 何のためなのか。


 俺の力を完成させて、何をしようとしているのか。


 まだ、何も分からない。


 ただ一つだけ確かなことがある。

 俺の身体は、確実に何かを失い始めている。


 そして――カマエルは、その灰を必要としている。


 その答えだけが、闇の中に残されていた。

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