114話 橙真の現状
「急ぐぞ!」
俺――蒼太は、橙真を背負った。
そのまま公園の出口へ向かって走り出す。
「……軽い」
背中に伝わってくる重さに、思わず呟いた。
橙真は俺より背が高い。
普段なら、それなりの重さを感じるはずだった。
なのに――今は妙に軽い。
まるで身体の中から、何か大切なものまで抜け落ちてしまったようだった。
「蒼太!」
碧羽が横を走ってくる。
「風宮さんに連絡する」
「分かった」
碧羽はスマホを取り出した。
「風宮さん、橙真を見つけました」
『日向を?』
「はい。ですが、意識がありません」
『分かった。すぐに戻ってこい。医療班を待機させる』
「お願いします!」
通話が切れる。
俺は橙真を背負ったまま、走り続けた。
「橙真……」
返事はない。
それでも、背中には体温がある。
生きている。
今は、それだけを信じるしかなかった。
***
防災対策課のエントランスへ飛び込んだ。
「水沢!」
正面から風宮さんと花江さんが駆けてくる。
「橙真は!?」
「ここです!」
俺は背中の橙真を見せた。
二人の表情が、一瞬で変わった。
「……橙真くん」
花江さんが駆け寄り、橙真の顔を覗き込む。
白い髪。
灰色の肌。
閉じたままの瞳。
花江さんは、すぐに橙真の首元へ手を当てた。
「……脈はある」
だが、声に安心した様子はない。
「医療班」
「はい!」
待機していた医療スタッフが、一斉に動き出す。
「こちらへ!」
「担架!」
「酸素の準備を!」
エントランスに緊張が走った。
俺は橙真を背負ったまま、その声に従って走る。
「俺が運びます!」
「蒼太くん、ここからは私たちに任せて!」
「でも――」
「早く!」
その一言に、俺は足を止めた。
医療スタッフが橙真へ手を伸ばす。
俺はゆっくりと身体を屈めた。
「分かりました。橙真のことをお願いします」
背中から橙真を下ろす。
その瞬間――また、軽い。
そう思った。
腕に伝わる重さが、あまりにも小さい。
「もちろん、任せて」
「……橙真」
俺は無意識に名前を呼んだ。
返事はない。
橙真は担架へ移され、そのまま運ばれていく。
「急いで!」
花江さんも走り出す。
俺たちは後を追った。
廊下を抜ける。
角を曲がる。
医療スタッフの足音が響く。
担架の車輪が床を叩く。
俺は、その姿を見失わないように必死で走った。
やがて、扉の前で担架が止まった。
「集中治療室へ入れます!」
扉が開く。
橙真が中へ運ばれていく。
「俺たちは……?」
「水沢たちには悪いが、ここから先は医療班しか入れない」
扉が閉まった。
俺は、その場に立ち尽くした。
「……橙真」
碧羽が隣に並ぶ。
その向こうには、大きなガラスがある。
中の様子が見える。
橙真はベッドに横たわっていた。
身体には、いくつもの機器が繋がれている。
白い髪が枕の上に広がり、灰色の肌が照明に照らされている。
さっきまで背中に感じていた体温が、今はガラス一枚を隔てた向こう側にある。
俺は拳を握った。
「……大丈夫なのか?」
しばらくして、花江さんが戻ってくる。
「橙真くん、今のところ生命状態は安定しています」
「意識は?」
「まだ戻っていません」
その言葉に、胸が重くなる。
「身体への負担が大きすぎます。しばらくは集中治療室で経過を見る必要があります」
俺は何も言えなかった。
ガラスの向こうで、橙真は眠っている。
いつもなら、何か言えば返してくれる。
くだらない話にも付き合ってくれる。
それなのに今は――ただ、静かに横たわっている。
その時だった。
花江さんが、咲へと視線を向けた。
「それでは、咲さん」
「はい」
「お話を聞かせてもらってもいいですか?」
咲が顔を上げる。
「どうして、あの教会にいたの?」
咲は少しだけ俯いた。
「……橙真先輩たちが、また学校に来ていなかったからです」
俺たちは黙って、咲の話を聞いた。
「ずっと心配で、何かあったんじゃないかって……」
咲は両手を握りしめる。
「防災対策課に行けば、橙真先輩たちのことが分かると思いました」
「なら、どうして来なかった?」
風宮さんが静かに尋ねる。
「……怖かったんです」
咲は一度、言葉を詰まらせた。
「一人でここへ来る勇気が、なかなか出ませんでした」
少し間を置いて、咲は続ける。
「それで……前に橙真先輩たちと一緒に行った場所なら、少しは勇気が出るかもしれないって思って」
「それで、あの教会に?」
「はい」
咲は頷いた。
「教会へ行って、そこで少し気持ちを落ち着けてから、防災対策課へ向かおうと思っていました」
しかし――。
「教会に着いて、しばらくした時です」
咲の表情が強張った。
「突然、橙真先輩が教会の方から飛んできました」
「橙真が、飛んできた?」
「はい。それも、ものすごい勢いで……」
咲は、あの時の光景を思い出すように話した。
「橙真先輩は、全身を炎に包まれていました」
碧羽が息を呑む。
「その後ろから、黒い天使が追ってきました」
「黒い天使……」
風宮さんが呟く。
「私は、その天使と目が合いました。その時、黒い天使が……少しだけ、驚いたように見えたんです」
「咲を見て?」
「はい」
「それからどうした?」
「黒い天使は、そのまま離れていきました」
咲はガラスの向こうにいる橙真を見る。
「私は橙真先輩のところへ行って……話しかけました」
「それで……炎が消えた」
「……はい」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
なぜ黒い天使は、咲を見て反応したのか。
謎は深まるばかりだった。
「この件は、後で詳しく調べる。今は日向を優先しよう」
俺たちは、もう一度ガラスの向こうへ目を向けた。
橙真は、今も、眠ったままだった。




