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103話 異変の始まり

 大地を揺らしていた地震が、ようやく収まった。


 私――ミカエルは、まだ微かに揺れの残る大地を見つめていた。


 周囲からは、泣き声や叫び声が聞こえている。


 家の中から飛び出してきた人々は、互いに身を寄せ合いながら、空を見上げていた。


「……怖い」


 誰かが呟く。


「やっぱり神様は、助けてくれないのか?」

「ああ、神様は俺たちがこんなに困っているのに助けてくれないのかよ!!」

「祈りは無駄だったてことか」


 別の場所から、いろいろな声が聞こえた。


 私は胸の奥が締めつけられるような感覚を覚えた。


 さっきまで、この人たちは神々に祈っていた。


 どうか、飢えから救ってください。

 どうか、家族を守ってください。

 どうか、この苦しみから救ってください。


 けれど今は――祈りの中に、疑いが混ざっている。


 そして、不安や恐怖がどんどん大きくなっている。


「ガブリエル」


 私は我慢できずに、隣にいるガブリエルに声をかけた。


「ねえ、ガブリエルってば」

「少し待て、ミカエル」


 ガブリエルは目を閉じる。


 天使同士は、遠く離れた仲間とも、意思を通わせられる。


 声を使わず、意識そのものを繋げることができるのだ。


 しばらくすると、ガブリエルが目を開いた。


「ラファエルからだ」

「ラファエルから?」

「ああ」


 ガブリエルの表情が、わずかに険しくなる。


「北の地で、これまでにない規模の異常な吹雪が発生している」

「吹雪……?」


 私は思わず聞き返した。


 北欧。


 ラファエルとウリエルが向かった場所だ。


「これまでにない規模だそうだ。風も雪も、神の力だけでは説明できないほどに強くなっている」

「人々は大丈夫なの?」

「被害は出ている。だが、それ以上に、ラファエルが気にしていることがある」

「何?」

「人々の感情だ。神々への信仰が、少しずつ薄れているらしい」


 私は息を呑んだ。


 ここ日本で起きていることと同じだ。


「……北欧でも?」

「ああ」


 そのとき、少し離れた場所にいたカマエルがこちらへ歩いてきた。


「私からも報告があります」

「カマエル?」

「サリエルから連絡が来ました」


 カマエルは、いつものように落ち着いた声で話し始める。


「インドでも、激しい雷雨が続いているそうだ」

「インドまで……」

「それだけではない」


 カマエルの表情が曇る。


「人々の間に、不安と恐怖が広がっている。神々に祈ってはいるが……その祈りにも、疑いが混ざり始めているそうだ」


 私は言葉を失った。


 日本、北欧、インド。


 離れた場所で、同じことが起きている。


「……偶然なのかな」


 私が呟くと、ガブリエルが首を横に振った。


「分からない」

「でも、同じような異変が同時に起きている」


 カマエルが空を見上げる。


「何かが、世界中で同時に起きているのだ」


 その言葉に、私は空を見つめた。


 厚い雲が広がっている。


 まるで、この世界そのものが苦しんでいるように見えた。


***


 その頃、ギリシャでは、ゼウスのもとへ次々と報告が届いていた。


「日本で大地震が発生」

「北欧では異常な吹雪」

「インドでは激しい雷雨」


 神々が集まるギリシャの神殿に、重苦しい空気が漂っている。


 ゼウスは玉座に座ったまま、黙って報告を聞いていた。


「……すべて、ほぼ同じ時期に起きているのか」

「はい。そのようでございます」


 報告を終えた神が頭を下げる。


 その隣で、プロメテウスが静かに口を開いた。


「ゼウス」

「なんだ」

「私は、単なる自然災害だけの問題ではないと思う」


 ゼウスがプロメテウスを見る。


「どういう意味だ?」

「人間たちの感情そのものが、変わり始めているように感じる」


 プロメテウスは、ゆっくりと言葉を続けた。


「日本でも、北欧でも、インドでも……人々の中に不安や恐怖、疑いが広がっている」

「神々への信仰が失われ始めてているということか」

「それだけではない」


 プロメテウスは目を伏せる。


「信仰が失われる一方で、別の感情が強くなっている」

「……恐怖か」

「そうだ」


 神殿に沈黙が落ちた。


 神々にとって、人間の感情は力そのもの。


 ならば――信仰が失われれば、神々の力も弱まる。


 その一方で、人間の恐怖や不安までもが力として膨れ上がれば、何が起きるのか。


 まだ、誰にも分からなかった。


「原因は、日本なのか?」


 ゼウスが尋ねる。


「最初に大きな異変が確認されたのは、日本だと言われている」


 プロメテウスは答えた。


「ならば、確かめる必要があるな」


 ゼウスが立ち上がる。


 その声に、神殿にいた神々が一斉に顔を上げた。


「すべての神々に伝えよ」


 ゼウスの声が、神殿中に響く。


「日本へ集結せよ」


 ざわめきが広がった。


「世界各地で起きている異変の原因を突き止める」


 ゼウスは、集まった神々を見渡す。


「日本を中心に、何かが起きている」


 その隣で、プロメテウスは黙っていた。


 そして、誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。


「……人間の感情が、世界を変えるほどの力になっているのなら」


 その先の言葉を、プロメテウスは口にしなかった。


***


「ゼウスからだ。すべての神々を日本へ集結させると」

「……すべての神々を日本へ?」


 ガブリエルからゼウスの命令を聞いた私は、思わず聞き返した。


「ああ」


 ガブリエルが頷く。


「世界中の神々が、ここへ向かう」

「それって……」


 私は、日本の町を見渡した。


 飢えに苦しむ人々。

 家族を失うことを恐れる人々。

 神々に祈りながら、それでも救われない現実に疑問を抱く人々。


 そのすべてが、私の目に映っている。


「もっと大きなことが、起きようとしているの?」

「その可能性はあるだろう」


 ガブリエルが答えた。


 カマエルも静かに頷く。


「だから、神々を集めるのだろう」


 私は拳を握った。


 このままでは、いけない。


 何が原因なのかは分からない。

 どうすれば止められるのかも分からない。


 それでも――。


「……放っておけない」


 私は東の空を見つめる。


 そこには、分厚い雲が広がっていた。


 世界中から、神々が日本へ集まってくる。


 いったい、この国で何が起きているのか。


 そして、この先に待っているものを――私はまだ、何も知らなかった。

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