吸血
それからしばらく歩いていたら、ナギサは何者かに背後を取られた。彼女が振り向くや否や、目と鼻の先には刀の切っ先が迫っていた。
「おっと!」
咄嗟の判断により、ナギサは後方宙返りをした。すんでのところで攻撃をかわした彼女の目の前には、和服に身を包んだ男がいる。
「その身のこなし……やはりただ者ではないでござる。やはりお主らは、あのナギサとスバルで間違いないでござるね」
「そう言う君は、一体何者なんだい?」
「拙者はクレナイ……ジョージ様の護衛でござる。感染症が拡大している今、ジョージ様を守らなければ水の国は滅びてしまうでござる!」
ここに二人の存在を知る護衛がいるということは、ジョージが殺し屋の襲来を想定していたということになる。その上、クレナイはジョージの素性を聞かされていない様子だ。ナギサはため息をつき、スバルに指示を出す。
「ここは任せたよ……スバル。僕は手加減があまり得意ではないからね……彼を殺してしまいかねない」
あくまでも悪人は殺さない――――それが彼女の美学だ。
「ああ、任せろ」
スバルはこの場を引き受けた。ナギサはすぐに眼前の扉を潜り、次の部屋へと進んだ。
彼女に美学があるように、スバルにも美学がある。
「先ずは話をしないか……クレナイ」
どんな相手が目の前に現れようと、彼は先ず話し合いによる解決を目指す。それが彼の美学だ。
「どんな話でござるか?」
「とりあえず、この会社の闇について語っておくか」
スバルは深呼吸をし、それからジョージの悪行について話した。
数分後、彼はジョージの素性について語り終えた。しかしクレナイは、彼の言うことを信じはしない。
「そんな荒唐無稽な戯言を、どう信じれば良いでござるか?」
「現に、いつもこの会社だけがウィルスへの特効薬を完成させているじゃないか。薬が認可を受けるには、臨床試験や様々な準備が必要になるし、ウィルスが流行った瞬間に特効薬を出せるなんて、マジでおかしいとは思わないのか?」
「企業で成功している者たちには、先見の明があるでござる! それをおかしな陰謀論で否定するのは失礼極まりないでござる!」
「はぁ……マジかよ。話し合いじゃどうにもならなそうだな」
こうなればスバルもお手上げだ。彼は毒ガスを生み出し、クレナイの身を包み込もうとした。突如、クレナイは姿を消し、スバルの腹からは刀の切っ先が飛び出てきた。
「お、おい……マジか!」
彼を背後から貫いたのは、もちろんクレナイだ。刺し傷からはあまり血飛沫が飛び出していないが、刀は徐々に赤みを増している。この時、スバルは己の意識が徐々に薄れていくのを感じ取った。彼はそれが失血によるものであることを瞬時に理解し、それがクレナイの異能によるものであることにも気づいた。
「お前の異能は……血を吸い取る刀を生み出す力か……」
「その通りでござる。拙者はもとよりお主の異能を知っているがゆえ、正々堂々と戦うために自己紹介をするつもりでござったが、その暇はなかったでござる」
「お前マジで言ってんの? 不意打ちを仕掛けようとしたくせによ」
いずれにせよ、クレナイの異能と俊敏な動きの組み合わせは極めて厄介だ。スバルは自らの腹に刺さっていた刀を引き抜き、クレナイを睨みつける。その目には、燃え滾るような闘志が宿っている。
「俺も少し、本気を出さないといけないな」
そう呟いた彼は、フロア一帯を毒ガスで包み込んだ。この戦いに介入していない社員たちも、巻き添えを食って気絶していく。
「お主……無関係者まで巻き込むつもりでござるか!」
「安心しろ……ちょっと眠っててもらうだけだ」
これなら、フロアのどこに移動しようと毒ガスを浴びることとなるだろう。クレナイは歯を食いしばり、睡魔に抗いながらスバルを睨みつけた。