番外編25「ある幸運な一個体の記録」3
今週は注意喚起が必要な描写なしのため、活動報告は出さずにいきたいと思います。
決して番外編26の原稿をやっていてあらすじ書くの忘れていたとかではありません。違うんですからね。
楽しんでいただければ幸いです!
現実が変化を見せないまま、数日が経った、と思う。
厳密には、変化自体はあったのだ。喜ばしくない変化が二つ、受け入れ難いことに。
一つ、出現する食料が明らかに減ったこと。切っては治しての実験がないことですっかり忘れていたが、これも恐らくは少佐の実験だ。
となれば、どこかからあたしたちを監視していて、人数の変化に応じて食料を減らしたか、もしくはこの変化によってどのような結果がもたらされるかを観察しているのかもしれない。
それはまだいい、二つ目の変化の方が問題だった。
三条が、以前のような活発さを失っていること。
あのようなことがあれば当然とは思いつつ、しかし楽観視できるような変わりようではなかったのだ。
「おはよ」
「……おはようございます」
隣に腰を下ろしながら声をかけると、三条は横になったまま、力なく答える。
誰より早く目を覚ましては、元気に挨拶をしてきた頃とはまるで違う、病人のような有様だった。
もはや比較する対象もいないが、この部屋にいた人間と比べると、まだ多少顔色がいいところを見るに、どちらかといえば精神的に追い詰められているのだろう。
「水と野菜と……あ、ラッキー。果物。ちょっとカビてるけど、ここ避ければいけるでしょ」
虚しくなるような空元気。萎びた葉野菜と、リンゴのような果物を渡してやると、三条はゆっくりと起き上がって壁にもたれかかり、死にかけのハムスターのように数口だけ口に運んだ。
小さいリンゴの方は硬かったようで、薄く歯形をつけると、申し訳なさそうに返してきた。葉野菜も完食できてはいない。
エネルギーを消費しないようにと横になっているとして、これだけでは到底持たないだろう。
もし三条が言っていたように、これが何らかの試験で、合格者はこの施設の外に出られるとする。
だが、もし今の三条を目にすれば、少佐は間違いなく彼女を処分するか、そうでなくてもこのまま見捨てるはずだ。
これまでのように食料を与えるでもなく、捨てるのも億劫なゴミを放置するかの如く、ただ勝手に死ぬのを待つ。容易に想像がついた。
「リンゴ硬いなら、細かくするから」
三条から受け取ったリンゴを、手のひらの間に挟み、左右両側から押してみる。
びくともしないと分かるなり、服の裾に包んで、床に叩きつけてみた。手が痛むばかりだ。
仕方なく、壁に向かって思い切り投げつけてみる。緩く跳ね返ってくる程度で、ヒビの一つも入らなかった。三条もそうだが、あたしもかなり消耗しているらしい。
今にも底を突きそうな、なけなしの力を振り絞り、リンゴにヒビを入れようと試みる。手で挟んで、床に叩きつけて、壁に投げて。
リンゴにヒビが入る頃には、すっかり息が上がっていた。
埃やゴミが付着したそれを拾い上げ、軽く払いながら細かく割っていく。汚れを拭いているのか、それとも汚しているのか分からなくなりながら、辛うじて食べ物と判断できる程度に汚れたそれを、三条へと差し出した。
「ほら……ちょっといろいろ付いてるけど、食べられそう?」
「…………」
三条は形の崩れたリンゴをそっと受け取り、細かくなった破片を少しだけ食む。
細かくなればいくらか食べやすいのか、少し大きなかけらを食べたのち、もう十分というように笑みを浮かべた。
三条の隣に腰を下ろし、壁にもたれながら残りを咀嚼すると、リンゴについた砂や埃と思しきものまでまとめて口に入ってしまう。食欲が減退していく食感を無心で耐えながら食べ終えると、三条がそっと尋ねてきた。
「……三上さんって、今いくつですか?」
「こっち来たのが十八。今は十九になるか、ならないかくらい」
「歳、近そうだなって思ってたんです。私はこっちに来たとき十九だったので……少しお姉さんですね」
はにかむように言った三条の言葉は、あたしにとってかなり意外なものだった。
歳下に向けてするには多少なり失礼な話し方をしていた気もするが、歳上だと明かしてもなお、三条が敬語を崩そうとしないのをいいことに、こちらも話し方を変えることはしない。ここで礼儀を持ち出す方がおかしな話だろう。
「完全に歳下だと思ってた。歳上の威厳どこよ」
「学年は同じかもしれませんよ。高校を出て、少し経った頃に来ましたから」
「え、じゃあマジで同学年?」
意外な共通点には三条も驚いたようで、少し目を丸くしたのち、親近感を覚えた様子で尋ねてきた。
「三上さん、大学とか行ってましたか?」
「……東京の大学。上京する予定だったの。新幹線に乗ってて、そのときに呼び出された」
言いつつ、自分の声が沈み込むのが分かる。気を遣われるのが嫌で、なるべく声色が変わらないようにしたつもりなのだが、やはり少しは表に出てしまった。
だが少なくとも、嘘は言っていない。受かったのは本当だ。入学金が払えず、結局は入れなかったというだけで。
三条はあたしの変化にも、嘘になりきらない嘘にも気付かなかったようで、無邪気に尋ねてくる。
「すごい……大学で勉強したいことがあったんですか?」
「別に。勉強より、東京での暮らしに憧れがあっただけなのかも。家を出て、東京の大学に通って、そのまま就職して、とにかく地元を離れて自立できる手段がほしかったから」
言いつつ、薄っぺらい話だと思った。あたしはこれでも必死に努力して、必死に掴み取った合格だったというのに、人に話すとあまりにもありきたりな物語で嫌になる。挙句に辿る結末がこれなのだから、嘆きたくもなるだろう。
思考が暗い方へ転がっていくのを感じ、無理やりに話題を切り替えるべく、今度はあたしから質問することにした。
「あんたはどうなのよ。高校出た後は?」
「大学とかは行ってなくて。バイトとレッスンとオーディションを繰り返してました」
「オーディションって、アイドルとか?」
「役者のオーディションなんです。これでも一応、昔は子役やってたんですよ」
思わぬ答えに、つい田舎者丸出しの率直な意見が飛び出す。
「……子役って本当にいるのね」
「母が女優なんです。家族も皆、演技の仕事をしてて。だから、物心つく前に事務所に入って、演技の仕事をこなしてました。飛び抜けて才能があるわけじゃなかったので、脇役ばっかりでしたけど」
母が女優、という言葉も、現実ではそう聞かないものだと思った。
元々役者には詳しい方ではないため、名前はあえて聞かずにおく。よほど有名でない限り、言われても分からないだろう。
ここに来てまで気まずい思いをする必要はないと思い、庶民視点の貧乏臭い感想を返した。
「芸能一家ってわけ? 家すごそう」
「広いだけの家ですよ。家族はほとんど帰ってこなくて、掃除とかは私が」
「そういう家って、メイドとかいないの?」
「お手伝いさんならたまに来てくれますけど、なるべく私にやらせてほしいってお願いしたんです。他の家族は忙しいのに、私だけ仕事もなくて暇だったので」
家族に対して妙に献身的な三条の物言いに、違和感を覚えなかったわけではない。けれど、あたしは何も見なかったことにして、ただ耳を傾け続けた。
「こっちに呼び出された日、オーディションの結果を聞いた帰りで。子役時代も含めて、初めて大きな役をもらえたんですよ。だから……家族の反応、見たかったなって」
それだけが心残りだと言いたげに笑う三条を見て、妙なことを言うものだと思った。
弱っているせいかもしれない。あのときとは少しだけ状況が違う。
だが、三条はここで朽ち果てることよりも、家族に認めてもらえないことを恐れているように見えたのだ。根源的な死への恐怖というより、死ぬことで家族に認めてもらう機会が失われることを恐れているような。
この状況で全員揃っての生存を諦めなかった三条が、どういうわけか家族から認めてもらうことは諦めている、ように思える。
勝手な憶測だ。あたしは三条のことを何も知らない。
ただ、もし本当にそうなら、これも一種の、慣れという名の防衛反応なのだろうと思うだけ。
どのみち何をしてやれるでもないのだからと、開き直って適当な慰めをかけてみた。
「どうせ見られないなら、好き勝手に都合よく想像すればいいんじゃない」
三条の丸い目が、こちらを見る。
自分の人生を他人に救ってもらえる人間というのは、一握りの「持つ者」だけ。
持たざる者であるあたしたちは、自分で自分を救う他ない。
現状を嘆いていても諦めていても、それで誰かが救ってくれるわけではないのだ。結局は自分で──自分たちで、打破するのみ。
「あんた得意でしょ。知りようのないことをやたらポジティブに変換するの」
からかうように笑うと、三条もようやく以前のような笑顔を浮かべてみせた。
皆で外の世界を見ようと言われたときは、一体何を言っているのかと思ったものだ。だが、今ではそれが、失われた目標の代わりとして収まっている。
何とかなる。そう言い聞かせていても、状況は変わらない。
それでも、何とかなるかもしれない、と動いた先には、少しだけ違う未来があるのではないだろうか。
皆で──二人で、外の世界を見に行く。そんな決意を胸に秘めると、三条は力の抜けた笑みでこちらを見た。
「……じゃあ、明日にはきっと、外に出られますね」
「それは楽観的すぎ」
「三上さんが言ったんですよ」
「あたしの冷静さと、あんたの打たれ強さ……だっけ?」
三条の言葉を蒸し返すと、意地悪を咎めるように、三条は口を尖らせる。もう高校生でもないのに、許される仕草なのだろうか。そんなことを思いながら笑い飛ばし、暗くなりすぎないようにこう続けた。
「……明日は、ちゃんと食べなさいよ」
「三上さんこそ。最近寝てばっかりですよ」
「あんたもね」
言いつつ、もう瞼が重い。体力を消耗しているせいか、最近は長く起きていられなくなった。
体がだるい。頭が重い。
このまま眠って、次に目を覚ますのはいつになるだろう。もう二度と目を覚まさないのではないだろうか。
漠然とした恐怖を、そっと押し留める。都合よく、ポジティブに考えるのだ。
明日には外に出られるという三条の言葉を、今このときだけは信じて──ゆっくりと目を閉じた。
次回更新予定日《5/17 20:00》




