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番外編25「ある幸運な一個体の記録」1

お久しぶりです!ようやく番外編25が書き上がりました!

過去一長いため、5週に分けて投稿していきます。妙に書き終わらないなと思ったら3万字を超えた大作が出来上がりました。終わらないわけですよ。


長さだけでなく残酷描写の濃さも過去一クラスですので、活動報告にあらすじを書いていこうと思います。

活動報告は予約投稿ができないため、投稿時点で活動報告の更新ができていないかもしれません。ご了承ください。

→出しました!遅くなりました!


楽しんでいただければ幸いです!


 慣れというものは恐ろしい。


 それは受容であり、諦観でもある。現状の変更を諦めて、ただ受け入れる、そのための機能だ。


 そのための機能なのに、いつまでも慣れなかった。


 手足を固定する拘束具の冷たさ。

 器具同士がぶつかる無機質な音。

 肌に触れる刃物の感触。


 実験の前に聞く、少し楽しそうな少佐の声を聞いて、これが夢でないこと、逃げようがないことを確かめる。


 ノア・ガーランド少佐。異世界召喚早々、魔法が使えないという理由で放り出されそうになっていたところを助けてくれた人。


 彼は右も左も分からないあたしに、この世界のことを少し教えてくれた。


 あたしの今いる場所が、グラストニアという国であること。


 グラストニアの軍人は、少佐を含めた多くが吸血鬼であること。


 この世界には魔法が存在しており、特別な魔法を使える聖女を求めて異世界からの召喚を行ったこと。


 それらを簡単に教えてくれた少佐は、しばらくは陸軍基地に滞在して、今後のことを考えるといいとも言ってくれた。


 そこまではよかったのだ。よかったのだろうか。その時点でもう、取り返しがつかなくなっていたのかもしれない。


 じゃあ、始めようか。

 料理の下拵えでもするような軽さで言葉が落ちて、そこから程なく、肉に沈む刃物。


 震えっぱなしの歯が、がちがちと音を立てる。その隙間から飛び出すのは、自分でも聞いたこともない呻き声に叫び声。


 頭は固定されているから、目を背けられもしなくて、痛みが信号になって頭を揺さぶる。体に訪れた危機を伝えようと必死なのだ。


 ドラマで聞いた、失血性ショックがどうとか。どのくらいで死ぬのだろう。


 自分の腕の断面を見たら、人はショックで死ぬのだろうか。

 死ななかった。


 じゃあ腹は? 捌かれた腹を見たら、気絶したまま目が覚めないのかもしれない。

 死ななかった。


 下半身をつま先からゆっくりと押し潰されたら、気が狂いそうになりながら最期を迎えることになるはずだ。

 死ななかった。


 あたしが特別丈夫というわけではない。少佐はそうやって、致命傷寸前のところまであたしの体で実験をして「遊んだ」後、そばに控える幽霊のような男──ムルという名前で、人間ではなく悪魔らしい──に、妙な力を使わせる。


 曰く、魔法によって傷を「奪う」のだそうだ。その割に、ムルの体はダメージを負っている様子がない。


 あたしにとっては死がちらつくほどの痛みや傷も、悪魔にしてみればさしたる問題ではないのだろう。理不尽だと思った。


 遊んで、奪って、リセットして、もう一度最初から。


 何不自由ない生活を送っていたある日、少佐から「手伝い」を頼まれ、何もしないままでは申し訳ないからと頷いた。


 それが悪かったのだろうか。手伝いを断って、そこから何をするでもなくダラダラと日々を送っていれば、痛みとは無縁でいられただろうか。


 少佐のことだ。いずれは本人の了承を得ることなく、引きずってでもあたしを実験台に乗せたかもしれない。


 どうすればよかった。いつに戻ればいい。何でこんなことに。


 固く冷たい台の上、拘束された状態で考えることはいつも同じだった。


 眼球を抉り取られながら考える。どうすればよかった。


 叫び声が外に漏れるからと、声を奪われながら思う。いつに戻ればいい。


 自分の肉と骨が粉々に潰されていく音を聞きながら叫ぶ。何でこんなことに。


 答えは出ない。血を流しすぎると、頭がぼんやりとしてくる。視界が冷たくなって、自分がどこにいるのか分からなくなって。


 そのまま目覚めずにいられたら、どんなにいいだろう。


 目が覚めないことへの恐怖は、目が覚めることへの恐怖にすっかり塗り替えられて、目覚めた安堵の代わりに、目覚めた絶望を連れてくるようになった。


 早く、早く、痛みが意識を引き戻す前に。


 何も分からなくなってしまいたい。



  ◇  ◆  ◇



「──おはようございます!」


 目を覚ますと、灰色の天井。いつの間にか息が上がっていたことを自覚しながら起き上がると、あたしと似たり寄ったりな黒髪に焦茶の目が浮かんでいる。


「魘されていましたよ。ここでは皆さんそうですが」


 丁寧な口調ながらも軽い調子で言うのは、数日前から一緒にいる二三九番。名前は三条美久、あたしと同じ日本人だ。


 教室ほどの空間の中に、鉄格子つきの小さな窓が一つ。そんな空気の悪い場所に、あたしを含めて人間が四人、押し込められている。


 ここは瞬間移動のような魔法を使う以外に、出入りの手段はない。魔法を使えないあたしたちに、脱出の手立てはないのだった。


 全員女なのは、彼女たちもあたしと同じように異世界から召喚され、聖女になり損ねたから。少佐に拾われて体をいじくりまわされた挙句、この部屋に放り込まれたところまで同じだ。


 全員から直接聞いたわけではないものの、そうでなければ管理番号など付けられていないだろう。


 一日一回、何もないところに現れる食糧──硬いパンとか、萎びた野菜とか──を食べて、あとは何もしない。何かの実験であることは間違いないが、家畜のような毎日はある意味平和で、不気味ながらも安心できた。ここにいる限り、少なくとも痛みとは無縁でいられるから。


 状況を思い出し、少し落ち着いてきた。夢見は悪いものの、まともに眠れる。少なくとも、目が覚めたら実験台の上、などという事態を危惧しなくて済むのは有り難かった。


「あ、お取り込み中でしょうか。聞こえていますか? フラッシュバックですか?」

「……大丈夫」


 やはり軽く尋ねられ、力なく答える。生い立ちは違えど、置かれている状況は同じ。あたしたちにとって、フラッシュバックはごく身近な存在になりつつあった。


 現に、誰かが突然叫び声を上げて、何かに怯えるように手足を振り回したり、周囲の人間に襲いかかったりすることはままある。


 ここにいる誰も他人ごとではないとあって、重く受け止めている人間はいないようだった。大抵無関心か、共感か。同類ばかりとあって、腫物扱いや忌避といった空気が出来上がらない空間は安心感すら覚える。


「顔色が優れませんね……」

「ここじゃ皆そうでしょ」

「はい! 皆さん土気色です!」


 力なく言い返すと、三条は何故か溌剌と返してくる。この明るさはあまりにもこの状況とミスマッチだが、ここだけ見れば教室で過ごす休み時間のようで、少し気が楽だった。


 落ち着きを取り戻したところで、辺りを見回してみる。最初、この部屋には六人の人間がいたが、先日一人が亡くなり、今はあたしたちを含めて五人だったはず。部屋にいる人間は、どう数えても四人しかいなかった。


 人数が減っていたところで、驚くことはない。何も、死んでいるとは限らないのだ。大方、部屋の外に出ているだけだろう。


 全員が一日中ここにいるわけではなく、人によっては部屋の外──どうやら使われなくなった施設丸々一つを実験場として使っているらしく、こことは別の部屋もある──に出たりもしているようだ。


 あわよくば施設の外へ続く脱出経路を見つけられるのでは、という期待があるのだろう。


 見つかりっこないと分かっていても、またいつあの人体実験の日々に戻されるのかと思うと、どうにかなりそうな気持ちも分かる。気を紛らわす手段が必要なのだ。


「全員生きてる?」


 目覚めるたび、恒例となっている質問を投げる。初日の夜に一人が息を引き取ったため、まず安否確認をする癖がついたのだ。


「今のところは、といったところでしょうか」


 返ってきたのは、思いのほか歯切れの悪い答え。てっきり部屋の外に出ているだけだと思っていたのだが、三条は心配げな眼差しを部屋の入り口へ向ける。


「二八五番さんが、先ほどから激しく嘔吐されています。あまり考えたくはありませんが、明日まで持つかどうか……」

「『与えられる食糧だけじゃ生き残れない、自分で調達してくる』だっけ。何食ったんだか」


 二八五番の言葉を思い起こしながら言うと、三条は困り顔で肩をすくめた。


 ここに集められた人間は、全員が三条のように友好的というわけではなく、中には本名を明かすどころか馴れ合いを嫌っている人間もいる。その最たる例が二八五番なのだ。


 壁の外に意識を向けてみても、人の声らしきものは聞こえてこない。えずきがここまで聞こえてきても迷惑だが、こうも静まり返っていると、最悪の想像をしてしまう。


 少し考えてから立ち上がり、食糧と一緒に出てくる水──ファンタジーものに出てくるような、袋状の水筒だ──を口に含む。濡れた口元を拭って、三条を振り返った。


「様子見てくる。場所は?」

「意外です。三上さんは放っておくものとばかり」

「……一応は日本人同士なんだし、こういうときはお互い様っていうでしょ」


 あたしはどれだけ冷酷非道な人間だと思われているのだろうかという疑問が首をもたげたが、三条と比べれば、大抵の人間は無慈悲に見えてしまうだろう。


 それでも何となく気恥ずかしくなり、言い訳のように出身を持ち出すと、三条は笑顔のまま立ち上がった。


「案内します! 日本人同士ですので!」

「何それ。現在進行形で減ってるってのに」

「少数精鋭! 洗練された部隊が出来上がっています! もしかするとこれは、何かの選抜試験なのかもしれません!」


 張り切った様子で部屋の外へ飛び出していった三条を、気乗りしないまま追いかける。


 足裏にへばりつく冷気が痛い。あたしたちは当然のように裸足で、ボロ布のような服を着させられていた。


 何日も同じ服だから、当然のように不衛生で、皆同じように汚れているが、三条のそれは昨日よりさらに汚れているように見える。懲りずに抜け道でも探していたのだろうかと思いながら、その背中に問いかけた。


「試験って、何の試験よ」

「軍人……ではないでしょう。吸血鬼のみで構成された軍隊と聞きました。そうなると、少佐の部下を選ぶ試験という線が有力です!」


 聞かなければよかった。目を覆いたくなるほど眩しい笑顔を見て、そう思う。


 何も分かっていないのだろうか。それとも、目を背けている? どうして三条がここまで希望を抱き続けることができるのか、あたしにはまるで理解できなかった。


「……なってどうすんの。実験動物が奴隷に昇格ってわけ」

「外に出られますよ」


 吐き捨てるように言うと、やけにはっきりとした言葉が返ってきた。


 三条の後ろに、開け放たれた扉と、青空が見える。一瞬、本気でそう錯覚しそうになるほど強く言い切った三条は、薄汚れた茶褐色の壁を背に、情けない笑みを浮かべて頭を掻いた。


「あ、絶対にそうだと言い切れるわけではありませんが……少なくとも、可能性はゼロじゃなくなります。大きな一歩だと思いませんか?」

「ゴールに辿り着くまで、あと何歩あるわけ?」

「かかる歩数は分かりませんし、必死にもがいて辿り着くのは、せいぜいスタート地点です。でも、三上さんの冷静さと、私の打たれ強さがあれば、きっとどんなことだってできちゃいますよ! その他の皆さんだって、私たちにはない強みがあるはずです!」


 こちらに来てから拝んだことのない、太陽のような眩さに当てられて、ゴミ箱に横たわっている「希望」を見つめ直してしまう。


 くだらない綺麗事、描くだけ無駄な夢物語。三条から見たあたしの持ち味だという冷静な思考は、安全装置としての暗い言葉を投げてくる。


 それなのに、何故だろうか。


 三条の話を聞いていると、「何とかなるかもしれない」という期待が湧き上がってくる。


「外の世界を見に行きましょう! 皆で一緒に!」


 三条はあたしに向き直ると、顔の近くで両手の拳を掲げてみせた。


 目の前の相手も、もちろん自分も、助かるものだと信じて疑わない。安全圏にいる第三者はそれを正常性バイアスと言い、渦中にいるあたしたちは、希望と呼ぶ。


 ゴミ箱からそっと拾い上げたそれを──ポケットに仕舞い込む。取り戻した希望を眺めるのは、今ではない。


「……まずは現実を見るのが先かもね」


 思わず顔が歪むのを感じながら、薄暗い廊下の先に目をやり、足を止める。


 酷い臭いだった。詳しい場所を聞かずとも分かる。口を開く気にもなれない。気を抜くと吐きそうなのに、思わずこぼさずにはいられなかった。


「臭いやば……」


 鼻を突く胃酸の臭いと、覚えのある食糧の臭いが混ざり合って、自分の腹にも同じものが収まっていることを嫌でも自覚させられる。


 二八五番はほとんど横たわるような角度で、浅い壺のような、桶のような、とにかく何かの容器らしきものに頭を突っ込んでいた。


 覚悟を決めて歩き出し、粗方吐き終えて落ち着いたと思しきその背中に向けて、鼻をつまみながら呼びかける。


「ねぇ、大丈夫?」


 声をかけてから、気付く。二八五番は動いていない。容器の淵まで溜まった吐瀉物の中に頭を突っ込んで──窒息していた。


 よく見ると、二八五番の口元付近に、ミミズのような細長いものが飛び出ている。


 先が細っているそれは、どうやらミミズではなく、ネズミの尻尾のようだった。


 それを理解するなりいよいよ吐きそうになり、口元を覆う。三条に支えられながら、どうにか元いた部屋へと戻った。


 鼻にあの臭いがこびりついている気がして、深く息を吸う。込み上げてくるものをどうにか押し留め、壁にもたれかかりながら上を向いてやり過ごしていると、がちゃり、という音と共に、部屋の中央に食糧を載せたトレイが現れた。


 部屋にいた二人が無言でそれを手に取り、自分の縄張りまで持ち帰る。こちらを心配そうに眺めていた三条だったが、トレイごと残りの食べ物を持ってくると、あたしに声をかけてきた。


「三上さん、食べられそうですか?」

「いい……ちょっと食欲ないわ」

「でも、ほとんど傷みかけですから、夕方までは持ちません。少しでいいですから、食べてください」


 三条からそう頼み込まれ、萎びた野菜を無理やり口に押し込む。一度口に入れてしまえばどうにか食べられないこともないが、やはり何口か運ぶうちに、手が動かなくなってしまった。


 食べなければならないと、頭では理解している。体がそれについていかないのだ。珍しくもない感覚だった。


 少し悩んだ末、トレイをそっと三条の方へ押しやる。


「残りは食べていいから」

「えっ、いいんですか?」


 余りを渡すと、三条は一瞬ぱっと目を輝かせたかと思うと、どこか申し訳なさそうにしてみせる。念押しするようにもう一度トレイを差し出してやると、増えた取り分を嬉しそうに口に運び始めた。


 友達の家で見たハムスターのようだ。小さな一口で萎びた野菜を噛み締めて食べる三条を見ながら、ついそんなことを思う。実験用ラットの立ち位置であることを思えば、あながち間違いでもないのかもしれない。


「あげておいて何だけど、あんたよく食べられるわね。ああいうの平気なの?」

「平気ではありませんが、私はゴキブリ並みの図太さと元気が売りですので! このくらいで減退する可愛い食欲は持ち合わせていません!」


 意図せず嫌味のようになってしまった言葉を、三条はどこか誇らし気に跳ね返す。


 ゴキブリ並みなどと卑下しているものの、結局、こういう場面で食べられる人間の方が、生き物としては強いのだと思う。人間も動物、飢えれば終わり。


 分かっていても、食べる気が起きないあたしは、果たして三条が言うように冷静な判断ができているのだろうか。


 食事が終わると床に寝転び、また目を閉じる。


 常に空腹で、することもない。暗くなるのに合わせて寝る。時代がいくつも遡ったような、健康で文化的な生活とは程遠い日々の心地よさから目を背けるように、意識を手放した。


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