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ある開発者の思い


早瀬 巌  148歳


あと2年で150を迎える。

平均寿命132歳の現在で、長生きをしているほうじゃ。

しかし、だんだんベットで過ごす時間が増えてくると、つらつらと昔のことを懐かしむようになった。

世界各地で戦争が勃発し、海に落とされた爆弾の影響で起きた津波に住んでいた町が襲(おそ)われたのは、ワシが8歳の時であった。

幼い私を抱え込んで守ってくれたがっしりとした祖父の腕は、今でも鮮明に覚えている。

父と母は、その津波で亡くなった。いや、多くの犠牲者が出た。


そして、政府は自衛に慢心(まんしん)した。

小国であった我が国に生き残るすべはそれしかなかったのかもしれない。


まず、海岸線に津波を防ぐための防波堤が築かれた。

上へ上へと伸びていくソレを眺めて、子供ながらに天まで届くのではないかと思ったものじゃ。

そのうち、今度は屋根がかけられるようになった。


政府が下した決断は、充満する汚染物質から人々の生活を守る為の外界からの隔離であった。

今のような半透明の素材ではなく、何かの鉱物でドームが作られ、空調設備と照明設備が整えられていった。

もちろん、それだけの広範囲にドームがかけられるわけもなく、私達は居住区と指定された場所に移り住むこととなった。


そして、その頃から、衣食住の管理が徐々に始まりだした。

一次産業・二次産業が集約され、栽培・畜産・収穫・加工までその地域で行なわれる。

もちろんそれに携(たずさ)わる人々もその地域に住み、居住区と呼ばれる場所に入るには許可を必要とするようになった。

そして、一括生産されたものは、居住区で配給として配られるようになった。

身に着ける衣服は、月々の上限が決めらていたが好きに購入できた。

毎回の食事は、栄養うバランスとカロリーバランスが計算された美味しい弁当が配られた。



しかし、そのころから爺さんは、婆さんの手料理を懐かしんだ。

当時のワシは、爺さんのその思いを鼻で笑ったもんじゃ。

焦げた魚や薄い味の味噌汁などより配られてくる弁当の方がよほど美味しかった。

婆さんは決して料理上手ではなかった。


しかし、徐々に死を意識しだした100歳を過ぎた頃から、思い出すのは婆さんが作ってくれた具の入っていない塩むすびだったり、しょっぱい味噌汁だったりする。

毎日、毎日、同じ味付けのものを食べ続けることは決して心の豊かさには結びつかなかったことに気付かされたのかもしれない。

日々、料理の出来をあれこれ言いながら食べる食事がいかに恵まれていたことか。


100歳も過ぎれば楽しみは食事だけじゃ。

ならば一層のことと、思い切って料理人を雇い食品エリアから生鮮食料品を直に取り寄せ、調理してもらうことを考えた。

料理人を雇うことも、加工されていない食料を取り寄せることも、かなりの費用を要した。

そしてなにより、したいからといって容易に実現することではなかった。

まず、料理人じゃ。

全て機械化してしまっていた時代。

一部の研究者を除いて料理が出来る人間がいなかったのじゃ。

そこでワシはまず、ワシと同年代の人間に当たってみた。

ワシ達(ら)の年代は、まだ親の手料理を食べて育っていたからじゃ。

その中には、親の手伝いで料理をしていたものもいるだろうと思った。

予想は的中した。

そして、この行動が予想外に嬉しい結果にも繋がった。

料理を出来る人間を探していくうちに、ワシと同じ考えを持つ人間に多くめぐり会えたのじゃ。

その中の1人が、野菜を生産するエリアを管理する人間であった。

そこから数珠繋(じゅずつな)ぎに、ワシは生鮮食品を手に入れれるようになったのじゃ。


そうして、多くの賛同者の後押しを受け、生鮮食料を買うことの出来る店舗を開設。

同時に料理教室を開いて、若者達にも、食のすばらしさを広めることにした。

50年経って・・・結果は、ご覧の通りじゃ。


残念ながら、高価な生鮮食料品を使い、手間と暇をかけることは一種のステータスや趣味とは成りえたが、一般の家庭には広がらることはなかった。

しかしながら、外食という概念が復活した。

ただ配られてくる弁当だけでなく、自分の気分で食べたいものを決めれることが受けたようだ。

料理人が調理している店舗は、まだまだ高価で高値の花だが、機械が調理する店舗などはかなりの広がりをみせた。



そして、死を目前に迎えて私はさらに一層、望郷の念にかられるようになった。

海で泳ぎ、野山を駆け回っていた幼少期。

ワシが一番私らしかった時代じゃ。

便利でクリーンな現在。

それを、もちろん否定するつもりはない。

政府に管理されてきたからこそ、ワシも今こうやって長生きできているのじゃ。

しかし、ワシ達(ら)の時代ではないとも思う。

自然に囲まれ、日々、大気汚染警報に脅えながら暮らしていた。

やはり、ワシ達(ら)の時代はそういった時代ではないだろうか。

そして、ワシはもう一度、賛同者に声をかけた。

ワシの同年代の仲間達はすぐに賛同してくれた。

そして、『冀望~創生への序章~』プロジェクトが始まった。



目的はただ一つ。

もう一度、自分の全身で故郷を感じてみたいということじゃ。

島育ちの人間が、島での生活をしてみたいと言い出した。

1人が絶対ネコミミ娘とモフモフしたいと言い出して、獣人の設定が必要になった。

農村出身の者が、畑がある光景を懐かしんだ。

昔の娯楽作品ではとても美しく描かれていたというエルフになってみたいと言う皺くちゃのお婆さんがいた。

食糧管理の名目で漁に出ることを禁じられた漁師の子供だった者が、父親に憧れて漁師をしてみたいと言った。


賛同者達の意見を全て取り入れてしまえば取り留めないものになってしまったが、それを纏め上げるのがストーリーテラーの役目だ。

すべての要望を入れ込んで辻褄(つじつま)あわせをし、地球の様々な自然現象を再現させ『冀望~創生への序章~』は完成を向かえた。



βテストはすばらしかった。

思い通りに動く手足にまず歓喜した。

そして、風の臭、土の臭いに感動した。

どこへ行ってもどこか懐かしい景色。

青い空。雨が降るときもあれば雪も降った。

乾燥防止の為のミストが噴射される湿り気ではない。

本当の雨。嵐だって経験できた。

外に出れば命の危険さえありえる自然現象。

今の若い世代には考えられない時代じゃろう。


ただ、一つ不満があった。

それは、レシピ一つで作成可能とされてしまうことだ。

パンを一から手作りすることが出来る世界を創りたかった。

いや、ワシもどうやって作るかは知らんが、婆さんの要望じゃ。

それはある程度は叶えられた。

しかし、材料とレシピでスキルを発動するものであった。

それは自分で手作りしたとはいえない。機械が自動で作ってくれる今となんら変わりはなかった。

今時(いまどき)の時代に何かを自らの手で何も無いところから手作りするような人間はいないとシステムの人間からクレームがでたが、本編では少しは改善してもらいたいものじゃ。

だが、我々の資財を投入して製作しているとはいえ、商業ベースにのせるには、システムの人間の言い分も取り入れざるおえないじゃろう。


ワシ達(ら)だけで楽しんでもよかったのだが、創りだされた世界はあまりにも広すぎる。

とても寂しすぎるのじゃ。

ドーム内への移住を最後まで拒んでいた者は、寂れ行く街をつぶさみ見て育った。

それはそれは寂しく、悲しい光景だったという。

あんな思いは二度と味わいたくないと。



そしてワシ達(ら)は現代の子供たちでも受け入れてもらえるだけの体裁を整えて『冀望~創生への序章~』本編を販売した。

魔物を倒し、遺跡を攻略していけば攻略できるストーリーになっているらしい。

しかし、過去の深い知識があれば、より効率的に攻略できるはずじゃ。

その為に、あらゆる化学現象も本編では入れさせた。

爺さん婆さんの知恵袋が役に立つはずじゃ。

今でも、爺さん婆さんの言っておった民間療法などは覚えておる。ちょっとした道具作りもじゃ。


昔でいう無双じゃな。

ワシ達(ら)は、かつての幼少の頃の生活を楽しみながら無双できるのじゃ。

もたもたしているようなら、ワシ達(ら)が魔物の王を倒してしまうかもしれない。

棺おけに片足を突っ込んでいるメンバーが若者を出し抜く。

それはそれで一興かもしれない。


さあ、ワシらの世界を楽しもう。

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