始まり
ミスト状の霧が適度な湿りっ気となった心地よい日。
億がつく高級マンションの部屋の前に一人の男が立っていた。
「あれ??澤木さん??今日でした??」
出てきた男は若かった。20代半ばだろうか。少し茶色ががかった髪は軽くウェーブがかかっており爽やかな好青年といったところだ。ただし、そのととのった顔に無精ひげさえ生えていなければ、だが。
「今日ですし、時間も間違っていませんよ。」
何度めかのインターホンの呼び出しに玄関先まで出てきた住人にため息混じりに澤木と呼ばれた男は答えた。
それもそのはず。
30歳半ばにみえるだろうか、上等なスーツに身を包んだ鋭利な印象の男は、かれこれ30分近くエントランスホールで部屋の住人を呼び出し続けたのだ。
呼び出されて時間通りに来てはみたものの、数十回目のインターホンでやっと住人が応答してくれたのは、前述の通りエントランスホールで不審な目を向けられながら粘ること30分たってからのことだった。
一見して上等と判るスーツをきっちり着こなし、いかにも出来る男的なオーラを漂わせているこの男だからこそ、それほどの長時間エントランスホールに居座れたともいえる。
でなければとっくの昔に管理人に通報されていただろう。
でなければ高い管理費を払っている意味がない。
「あっ、どうぞ」
『おかしいな』などといいつつ家の中へ招き入れてくれる住人に澤木は内心苦笑しながら続いた。
「裕也君、追い込みですか?」
部屋の惨状を見て、澤木からため息が出る。
上質な家具で統一された感じの良い部屋が、デリバリーの空箱や放置された店屋物であろう食器類で散乱している惨状は物悲しさを誘う。
「あの・・・」
「いいよ。勝手にさせて貰っていいのならやっておきます。」
「ありがとうございます。」
少し言いよどんで懇願の目で見られては知らないふりもできない。
さっそく澤木は上着をソファーの背にかけ、ゴミの分別から始めた。
その様子は、いかにも手馴れてますといったところで、二人の間ではこれがいつものことなのであろうことを伺わせた。
「お願いします。」
それでも一応、裕也と呼ばれている青年は申し訳なさそうな表情を見せながらも奥の部屋に消えていった。
「ただいま~~~」
「おかえり」
明るい声と同時に制服姿の女子高生がリビングに現れた。
勝気そうな大きな瞳に、すっと通った鼻筋。
10人が見れば10人が美人だと答えるであろうとびきりの美少女である。
「あれ?お父さん?パパとママは?」
「裕也君は追い込みで部屋。かや乃はまだ帰ってきてない。」
突っ込みどころ満載の問いかけに、的確に答える澤木。
これが2人のいつもの会話なのであろう。
その頃には、澤木はリビングの掃除を終え、台所の洗物に移っていた。
足元では掃除用ロボットが丁寧に床を磨き上げている。
少女の名前は、彩加。
澤木と7年前に別れた妻・かや乃の間に生まれた一粒種である。
ママとはその別れた妻・かや乃のことを指す。
ちなみにパパとは先ほど澤木に裕也君と呼ばれていた人物である。
裕也はかや乃の再婚相手で、小説家だ。
現在、どうやらその締め切り間近らしく、奥の部屋にこもりっきとなっている。
かや乃も彩加も家事能力は壊滅的だ。
しかし、何故か最新の全自動掃除ロボットを置く事を嫌っている。
現に今稼働中の掃除ロボットは、床を磨くのみしか出来ていない。
最新のものであれば、散らかったゴミも片付けてくれるというのに。
普段は家にいる裕也がある程度の家事はこなしているのだが、締め切り間近になると、家事をこなす余裕がなくなり、澤木が来た時の状態に納まっていく。
まだ、24歳の若い新しい母親の再婚相手をお父さんと呼ぶのも「どうかな~?」という感じだったので彩加は実の父親を今までどおり『お父さん』と呼び、新しい父親を『パパ』と呼ぶことにした。
ちなみに、その際、今まで『お母さん』と呼んでいた母親の呼び方を新しい『パパ』に合わせて『ママ』に改めている。
「おかしいな?ママがお父さん呼んでるって聞いて、絶対今日の昼には終わらすって言ってたのに。」
「俺がかや乃から連絡きたの昨日だぞ。無理だろ。」
澤木は昨日の時間だけを告げて切られた電話を思い出しながら答える。
かや乃の強引さは今に始まったことではない。思いついたら即実行の人間である。そして、それに人を従えてしまう魅力を持っているから性質が悪い。
「かや乃もまだ帰ってきてないしな。」
澤木は手を休めることなく立ち働きながら12日ぶりの娘との会話を楽しむ。
かや乃は家族や身内と認めた人間に対しては時間がルーズになる。というよりならざるおえない。彼女は幾つもの重要案件をかかえる売れっ子弁護士である。
対外的、仕事優先になってしまえば、そのしわ寄せはすべて身内にいくのは当然の結果といえば当然である。
ちなみに、澤木もかなり忙しい人間である。
某一流企業の社長秘書をしており、上司である社長に絶えず振り回され、公私の私などない状態ではある。
しかし、職業柄か人の使い方がうまいのか、かや乃を筆頭とする強引な人間のお誘いという名の一方的なお願い(無茶振り)も仕事の調整をつけてきちんと約束を果たすタイプだ。
ちなみに澤木を強引に振り回すかや乃の双璧は自分が仕える社長であるあたり、報われないのかもしれない。
「お腹すいた。」
彩加は母親の’いつものこと’に興味を示さず、テーブルの上に並べられていく料理に目輝かせている。
「もうすぐ出来るから、着替えてこい」
「はーい」
食器類の片付けも終わって、澤木はなぜか大量に冷蔵庫の中にしまわれている生鮮食料品の始末にかかっていたのだ。
ちなみに冷蔵庫の中の大量の生鮮食料品はかや乃が澤木を呼び出したついでに保存食を作ってもらおうと画策して適当に買い込んできたものだ。
こうゆうところで無駄にフットワークが軽いのはかや乃の残念なところである。
今の時代、生鮮食料は、欲しいからといってすぐ手に入るものでもない。
実行力とそれを成就させるだけのコネとツテ、そして実力と強い意思。全てを兼ね備えている女。それが、かや乃だ。
そして、わかっていて買い置きしてある物を使い切って保存食をつくり、小分けにして、さらに温め時間まで細かく記していくところが澤木の残念なところかもしれない。
なぜ別れたこの二人・・・。
「私達は新婚生活を満喫したいの」
かや乃のなぜか自信満々のドヤ顔の横で、申し訳なさそうな顔をしながらも、嬉しさが隠し切れない奇妙な表情で裕也は神妙に座っている。
指定時間から遅れること3時間。
ようやく帰宅したかや乃と、こちらはまだまだ終わりが見られそうにない様子の裕也に揃って夕食を食べさせた後のきれいに澤木の手で片付けられたリビングの一角。
もちろん澤木手ずから入れた香り高いコーヒーと、これまた澤木が手土産に持ってきたクッキーが4人の前に置かれている。
誰の家だかわからなくなりそうである。
「ということで、彩加と2人でよろしく」
ということとはどういうことか。
VRMMORPG『冀望~創生への序章~』を彩加がプレイしたいと言い出したことに端を発する。
夏休みを利用して冷凍睡眠装置に入って『がっつり』プレイしようという企画にゲームが好きな彩加が食いついたのだ。
そしてそれ以上の反応を示したのが、かや乃である。
彩加の目的はもちろんゲームだが、伽耶乃の目的はもちろん忙しい自分達2人の為にゆっくりとした時間を持つこと。
ゲーム時間は、現実世界で3~5日。ゲーム内時間で3~5年となる。
プレイ日数は個人で選択できるが初日から連続ログイン出来ることが条件となる。
ここで問題になるのが彩加が未成年ということだ。
ゲーム内時間が長くなると法律上、未成年者は成人の保護者同伴でなければプレイできないよう定められている。
早い話が、彩加は未成年な為、1人でプレイできない。
しかし、伽耶乃と裕也は2人で遅い新婚生活を楽しみたい。
決して彩加が邪魔なわけではないし、彩加がいても新婚生活は楽しんでいる。
そもそも結婚してすでに3年は経っているのだ。
しかし折角ゲームをするなら、2人きりで人目もはばからずいちゃいちゃしたい。(普段から彩加の目をきにせずいちゃいちゃしてるのだが、それは棚上げされている。)
そこで、(使い勝手の良い)澤木に久しぶりの父娘の時間をプレゼントするという名目で彩加を押し付ける、もとい彩加と楽しんでおいでという母親心をかや乃は滔々と語るが、下心のほうが駄々漏れというか、隠す気もないので、そこらへんの事情を澤木は右から左に聞き流し、『冀望~創生への序章~』のパンフレットを読んでいく。
『冀望~創生への序章~』は地球の数億年後、様々な環境変化により種族が別れた世界を舞台とするVRMMORPGである。
似て非なる地球で、冒険するもよし、生産活動に勤しむもよし、観光するもよし。
澤木が『冀望』の世界史に目を通している横で、彩加は母親のいつものことに無関心を決め込みクッキーを美味しそうに頬張る。
戦争や産業の発達と共に地球は汚染され、様々な人為的・自然的災害に見舞われた。
人々はそれに対抗すべく、人の生活空間を高い塀とシールドで覆い、人工降雨機で天候を管理。
あらゆる自然環境から人類を守る環境を構築した。
それにより、人類はさらなる科学技術の発達に邁進した。
しかし、科学技術が発達すると共に出生率が減少、ゆるやかに人口を減らしていくこととなった。
そして、その人口減少が、過保護なまでの子供保護につながった。
海岸沿いには津波防止の堤防が高く築かれ立ち入り禁止となり、全ての池・湖は水の事故防止のため埋め立てられた。
ちょっとした山や森ですら迷子防止の為、木は伐採され、更地にされアスファルトで固められた。
植物は植物園で、動物は動物園で、魚は水族館で鑑賞する。
海に出るのには専用の許可書の発行を必要とし、海が見れるということは一種のステータスとなった。
そんな現在。
家具には全て対人接触防止機能が設置され、人間の四肢には対物シールドが展開される装置がはめられることとなった。
子供達は、机の角に足の小指をぶつけうずくまったり、ドアに手を挟んで涙目になったりということを教科書の中で学ぶ。
「痛みを知ることで、人の痛みを知る」。
「自然の中で生きる喜びを知って欲しい。」
こぶしで語り合うといったことはさすがに過去の遺物にしろ、かろうじてブランコから落ちておでこを切ったり、母親のお手伝いをして包丁で指をきったり、そんな思い出話ができる時代の人間が立ち上がりこの『冀望~創生への序章~』を作り上げた。
『感覚レベルを最大限までリンクさせることにより、今の時代の子供達にも川のせせらぎ、自然の臭い、そして痛み、五感全てでこのゲームを楽しんで欲しい。
何事も管理さたこの時代に一石を投じることとなる。』
とは開発担当者の弁である。
完全に管理された環境の中に育ってきた現代っ子には余計なお世話といえなくは無いが、それをゲームシステムの中で上手にバランスをとることで、『懐古』を上手に隠し前評判を上げていた。
「’かおる’聞いてるの?大切な話なのよ!」
すでに、呼び出された段階でこの提案は、かや乃の中の決定事項であり、受け入れるしかないことは決まっている。
念押しされるまでもなく澤木のなかではYesの返事しかないのは解りきっていた。
それならば、予定している5日間の休みをどうやって確保するかに頭を働かせるほうがよほど建設的である。
決定を覆せないことはないことはないが、その労力を考えると流されたほうが精神衛生上も時間的なもろもろも良いことは経験則としてわかっているので、澤木は逆らわないようにしている。
これが、裕也であれば、逆らうことも思いつかない上に、もし逆らおうとしても決して決定事項を覆すことは出来ない。
ここらへんの力関係は伽耶乃>=澤木>大きな何か>裕也といったところである。
こういった経緯で、澤木は彩加と2人で『冀望~創生への序章~』の世界に降り立つことになる。
因みに、スタート地は自分が選択した種族の都市、ダンジョン、孤島の3ヶ所から選べた。
各々、一長一短があるのだが、彩加が選んだのはダンジョン経営から始まるストーリーだ。
伽耶乃は、もちろん迷うことなく2人きりになれる孤島出発である。
余談ではあるが、
「受験生だろ。5年の間に薄れた記憶とかはどうなるんだ?」
「ゲーム終了時に、ゲーム開始時の記憶を焼きなおすらしいよ。走馬灯のようにみせるのかな?」
「ゲーム中の記憶は?」
「もちろん覚えてるらしいよ。公式に発表されてた。」
「じゃ、折角だから受験勉強すれば、もう何ランクか上を狙えるな。」
「いやいや、ないない。そもそもそういうこと考える人がいるから、予防策として外部からのデータは
100KB程度しか持ち込めないようになってるし。」
「それだけ持ち込めれば、画像ならともかく、文書データなら厳選したら大丈夫だろ。4人で持ち込むんだ、十分だろう。どうせ何年か後には合流する予定なんだから。」
「いやいや、それ、手打ちで入力しろってことじゃん!そもそも、持ち込んだデータだって、ゲーム時間内で1年で消えるし!」
「なら、消える前に書き写しておけばいいだろ。」
「イヤイヤ・・」
「問題と答えを持ち込んでおけば、後は私でもかや乃でも裕也君でも解法は作れるし、教えられるんだから。」
「イヤイヤイヤ。せっかく楽しく遊ぶんだよ。」
「ゲーム開始まで一週間あるんだから、その間に解法見ながら問題と解答を自分でデータに落とし込めば勉強になるだろ。4人分のデータ用意しときなさい。」
「イヤイヤイヤ・・・」
という会話の後、彩加は父親に逆らえず渋々テキストをデータに落とし込んでアバター転送の際にメール添付するはめになった。
後日、これが思いもよらず良い結果に繋がったのだが、5年間(短時間づつとはいえ)余分に受験勉強をさせられた彩加にとって良かったのか悪かったのかは不明である。




