第015話:極上・結晶大蠍の炭火焼きと、月夜の不器用な約束
「金貨24枚……! 銀貨じゃなくて、ぴかぴかの金貨が24枚よぉぉっ!!」
その日の夕方、カルデラ冒険者ギルドの換金カウンターから戻ってきたミアは、革袋を胸に抱きしめたまま、工房の石床の上でくるくると歓喜のダンスを踊っていた。
地下17層で『蒼い狼』の9人の冒険者を無傷で救出した緊急指名報酬に加え、18頭分の『結晶大蠍』から採取した高純度の『紫水晶の魔核』、そして俺とセリアの調律槍によって一切のヒビ割れなく綺麗に切り落とされた「魔導石英のハサミ殻」が、最高ランクの鍛冶・錬金素材として破格の値段で買い取られた結果だ。
「へっ、あの硬え大蠍の殻を、断面がそのまま王都の宝飾品に使えるくらい滑らかにぶった斬ってくるなんざ、カルデラ広しといえどお前らくらいのもんだぜ」
作業場の丸椅子に腰掛け、木ジョッキのエールをグビグビと呷っていた隻眼のバルトロ親方が、豪快に笑いながら太ももを叩いた。
工房の隅では、今日の激戦を終えたセリアが、自分の身の丈よりも長い2.15メートルの『黒曜の牙』を大事そうに抱えながら、少しだけソワソワした様子で白炭炉の方をチラチラと盗み見ていた。
そして次の瞬間、彼女のスカートの下から、
ぐぅぅぅぅぅ……っ。
と、工房の石壁に反響するほど盛大で可愛らしい腹の虫の音が鳴り響いた。
セリアの顔がみるみるうちに熟れたリンゴのように真っ赤になり、彼女は慌てて槍の石突で床を「ガンッ、ガンッ!」と突いて音を誤魔化そうとした。
「わ、私のお腹ではありません! 今のは、床の石が湿気で鳴っただけです!」
「はいはい、床の石が腹を減らして泣いてるんだな。――待たせたな、セリア、ミア、親方。今夜の鍛冶場メシ、ちょうど焼き上がったところだぞ」
俺は吹き出しそうになるのを堪えて革手袋をはめ、摂氏900度に落ち着いた白炭炉の焼き網の上から、甘い磯の香りと香ばしい湯気を上げる「巨大な白いハサミの殻」を4つ、鉄トングで引き上げた。
今夜の主役は、地下17層から保冷用の氷晶石の箱に入れて持ち帰った、結晶大蠍の『特大ハサミの爪肉』である。
大蠍というと毒々しい名前だが、地下深層の清浄な湧き水と魔力水晶だけを食べて育ったこいつのハサミの中身は、実は王都の高級料亭で金貨を出しても滅多に食えない、極上の『巨大伊勢海老』にも勝る幻の白身食材として知られている。
俺はまず、14,000番の『蒼霞』で鏡面に研ぎ上げた小出刃包丁を使い、厚さ3センチある硬い水晶質の殻の上半分だけを、身の薄皮を1ミリも傷つけずにパカリと窓のように切り開いた。刃角13.5度に整えた小出刃は、モース硬度7の殻の継ぎ目を音もなく滑り、細胞を潰さずに殻だけを剥がしていく。
その中に詰まっていたのは、透き通るような真珠色のプリプリの繊維がぎっしりと束になった、人間の腕ほどもある極太の爪肉だ。
それを殻ごと白炭の遠赤外線にかけ、下の殻を天然の「石鍋」代わりにして、自身の持つ旨味たっぷりのエキスで3分間グツグツと蒸し焼きにする。
身がふっくらと盛り上がって純白に変わり、殻の縁から透明な出汁がぷつぷつと泡立ち始めたところで、上からカルデラ産の発酵バターを35グラム、すりおろした生ニンニク、そして熟成醤油をひと回し垂らす。最後に真っ赤に熾った白炭の火種を鉄網ごと上から2センチの距離まで近づけて、表面のバター醤油を一気に焦がした!
ジュワアアアアァァッ!!
醤油とバターが焦げる暴力的なまでに香ばしい匂いが工房中に弾け、白い爪肉の表面に狐色の美しい焼き目がつく。仕上げに香り付けとして、新鮮な緑色のスダチ(柑橘)の果汁をキュッと絞った。
さらに、ハサミの根元から出た濃厚な甲殻類の出汁と黄金色のミソを余さず使い、鉄スキレットで硬めに炊いた麦飯と山羊の熟成チーズをグツグツと煮込んだ『濃厚大蠍ミソの石焼きチーズリゾット』も同時に木机へと並べた。
「さあ、熱いうちに食え! 『結晶大蠍の炉端焦がしバター醤油焼き』と『濃厚ミソの石焼きチーズリゾット』だ!」
「わぁぁぁっ……! い、いただきますっ!」
セリアが我慢できずに銀のフォークを突き刺し、湯気の立つ真っ白な爪肉を大きく持ち上げた。
ブリンッ!とフォークが跳ね返されそうなほどの凄まじい弾力。それをふうふうと小さな唇で吹いてから口へ運んだ瞬間、セリアの琥珀色の瞳がまん丸に見開かれた。
「んんっ〜〜〜!! あ、甘い……! お肉がぷりっぷりで、噛むたびに熱いお汁と焦がしバターの香りが口いっぱいに弾けます……!」
サクッ、プリッ、と太い繊維が小気味よく歯に当たり、伊勢海老の10倍はあろうかという濃厚な甘みが、焦がし醤油の香ばしい塩気とスダチの爽やかな酸味に引き立てられて脳髄を直撃する。
セリアのスカートの下で、黒鱗の尻尾が「パタパタパタッ!」と床を叩いて幸せのリズムを刻み始めた。
「うっひゃあ、何よこれ! このチーズリゾット、大蠍のミソのコクが濃厚すぎて、お米の一粒一粒が黄金の塊みたいじゃないの! スキレットの端のお焦げのカリカリしたところ、全部うちの分よ!」
「こらミア、独り占めすんじゃねえ! くぅぅ、この殻の底に溜まったバター醤油の汁を肴に冷えたエールを飲むと、五臓六腑に染み渡るぜ! カイル、お前さん研ぎ師を辞めてもカルデラ1番の料理屋になれるぞ!」
「残念ながら、包丁を研ぐついでに料理してるだけだからな。ほら、セリアも遠慮するな、まだ爪肉は2本残ってるぞ」
「は、はいっ! お言葉に甘えて、もう1本いただきます……!」
ミアとバルトロ親方がリゾットのスキレットを取り合い、セリアが口の端に伸びるチーズをつけながら夢中で頬張る。
俺も自分の分の爪肉をかじり、冷たい湧き水で喉を潤しながら、その賑やかな光景を眺めて自然と口元を緩めた。王都の宿舎の裏口で、冷めきった残り物のパンを一人でかじっていた頃には、想像もできなかった温かい食卓だ。
* * *
やがて夜も更け、ほろ酔いのバルトロ親方が帰り、満腹になったミアが2階の屋根裏部屋でスヤスヤと寝息を立て始めた頃。
俺は一人、月明かりが差し込む工房の裏庭で、水を張った木桶を前にして、今日使った砥石たちの泥を柔らかな馬毛の刷毛で優しく洗い流していた。
チャプ、チャプ、と静かな水音が響く中、背後の引き戸がそっと開き、洗い終えた皿を拭いていたセリアが、俺の隣へと静かに歩み寄ってきた。
「……まだ起きてたのか、セリア。今日は18頭も相手にして疲れただろ」
「いいえ、ちっとも。カイルが研いでくれた『黒曜の牙』のおかげで、身体が羽みたいに軽かったですから」
セリアは俺のすぐ隣の踏み石にちょこんと膝を抱えて座り、桶の中で青白く光る14,000番の天然砥石『蒼霞』と、それを撫でる俺のゴツゴツした指先をじっと見つめた。
秋の夜の澄んだ月光が、彼女の銀黒色の髪と、長いまつげを白銀に縁取っている。彼女のスカートから伸びた黒鱗の尻尾が、月明かりを浴びて黒真珠のように艶やかに光りながら、俺のくるぶしのすぐ横でゆらり、ゆらりと静かに揺れていた。
「カイル。今日、地下17層で『蒼い狼』の人たちに、お礼を言われました。『お前があのセリアか、まるで別人のように強くなったな』って」
セリアは自分の右手を月光にかざし、滑らかに指を握りしめて開いた。
かつて0.4秒ごとに走っていた忌まわしい魔力痙攣は、もうどこにもない。
「あの雨の路地裏で、折れた槍を抱えて泥水をすすっていた時……私はもう、自分の人生は終わったと思っていました。でも、あなたが音叉を当てて、『お前は壊れちゃいない』と言ってくれた。……カイル。私のこの右腕も、私の命も、全部あなたが研ぎ直してくれたものです」
セリアがそっと身を寄せ、俺の右肩に自分の小さな頭を預けてきた。
側頭部の黒曜石の竜角が、俺の鎖骨のあたりにコツンと心地よく触れ、彼女の黒鱗の尻尾の先が、俺の足首にそっと控えめに絡みつく。
「だから、約束してください。もしこれから先、どんなに凄い貴族や王都の人があなたを迎えに来ても……私を置いて、どこかへ行ったりしないと」
普段は凛として迷宮の魔物をなぎ倒す竜槍姫が見せた、捨てられた子犬のような微かな震え。
俺は桶の中で手を止め、手拭いで水気をしっかり拭き取ってから、その不器用で硬いタコだらけの右手を、セリアの頭の上へとぽんと乗せた。
「バカ言え。俺がせっかく0.01ミリ単位でお前の右腕に合わせて調律した『最高傑作の相棒』を置いて、どこへ行くってんだよ。俺の砥石の隣には、お前の槍が一番似合うに決まってるだろ」
俺が照れ隠しに少し乱暴に彼女の頭を撫でると、セリアは「……んっ」と甘い吐息を漏らして目を細め、俺のゴツゴツした掌に自分の温かい頬をすり寄せてきた。足首に絡んでいた彼女の尻尾が、安心したようにキュッと優しく締まる。
静かな月夜の下で、二つの影がゆっくりと重なり合った。
――だが、その同じ時刻。
カルデラの南門に、王都から4日間の悪路を走り抜けてきた1台の泥だらけの豪華馬車が到着し、中から目の下にどす黒いクマを作った男――『紅蓮の覇剣』のガイルが、血走った目で降り立っていたことを、二人はまだ知らなかった。




