第011話:双剣使いの悪癖と、左右非対称0.8グラムの秘密
ゴードンの『受け流す鏡面大盾』が地下16層のミノタウロスを完封したという噂は、一夜にしてカルデラの酒場という酒場を駆け巡った。
開業3日目の朝、ミアが弾く黒檀のそろばんは、まるで機関銃のようにパチパチと乾いた快音を響かせていた。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……ちょっとカイル兄さん、セリア姉さん! 3日間の累計売上が、純利益だけで銀貨243枚――金貨2枚と銀貨43枚を突破したわよ! このペースなら、来月には工房の屋根の雨漏りも直せるし、特級の白炭を85俵まとめて買い占められるわ!」
ミアが帳簿を抱きしめて小躍りする横で、俺は水路の冷たい水で『黄昏巣板(3,200番)』の砥面を面直し(平らに削り直す作業)していた。
「浮かれるな、ミア。金が入ってきた時こそ、砥石の平面度を0.01ミリも狂わせないのが職人の鉄則だ。――ほら、次のお客さんがお出ましだぞ」
暖簾をくぐって入ってきたのは、黒革の軽装鎧に身を包んだ、長いポニーテールの女性冒険者だった。
年齢は19歳前後。カルデラの若手B級パーティー『疾風の牙』で斥候・遊撃役を務める双剣使い、リィンだ。
彼女は腰の両脇に、まったく同じ寸法の美しい白銀の短剣を2本差していたが、その表情は自信を失ったように暗く曇り、右手の親指で左の手首の革バンドを落ち着きなくいじっていた。
「あの……『灰色の砦』のゴードンさんから聞いて来ました。私のこの双剣『双子の白牙』を、診てもらえないでしょうか」
リィンが鞘から抜いて作業台に並べたのは、刃渡り38.0センチ、良質な魔導鋼で作られた一対の双剣だった。
だが、並べて置かれた2本の刃と、彼女の指先にできたマメの位置を見た瞬間、俺は音叉を当てる前にすべてを察した。
「右手に持ってる方の短剣は、切っ先から10センチの部分ばかりがノコギリみたいに刃こぼれしてる。なのに、左手に持ってる方の短剣は、刃こぼれが1つもない代わりに、先端の1センチだけに乾いた血脂がこびりついてるな」
「っ……! 見抜かれちゃいましたか……。ここ1ヶ月、ずっとスランプなんです。右の剣ばかり敵の武器や骨に深くぶつかって欠けてしまい、トドメを刺そうと繰り出す左の剣は、いつもあと数ミリ浅くて魔物の急所に届かなくて……」
リィンは唇を噛み締め、自分の両手のひらを恨めしそうに見つめた。
「鍛冶屋で見てもらっても、『2本とも寸分違わぬ同じ長さと重さ(482グラム)で作られた名品だから、お前の左手の修行が足りないだけだ』と怒られてしまって……。やっぱり、私には双剣使いの才能がないんでしょうか」
「才能がないんじゃない。その鍛冶屋の『2本ともまったく同じ長さと重さで作った』っていう几帳面さが、お前の剣筋を殺してるんだ」
「え……? 同じ重さだから駄目、なんですか?」
俺は返事の代わりに立ち上がり、工房の裏手にある小さな土庭へとリィンを促した。
庭の隅では、セリアがいつものように黒鉄竜槍の素振りをして、朝の澄んだ空気を鋭く切り裂いている。
「リィン、その双剣を持って、あそこの藁人形に向かって普段通りの連撃――右の剣で敵の武器を払ってから、左の剣で喉笛を突く動きをやってみろ」
「は、はいっ!」
リィンは低く身を沈め、土を蹴って藁人形へ肉薄した。
シュバッ!と右の短剣が横薙ぎに閃いて藁人形の腕木を叩き、続けて左腰から繰り出された左の短剣が藁人形の首元を掠める――が、やはり狙いよりも1.5センチほど手前で刃先が失速し、表面の藁を数本切っただけで止まった。
「なるほどな。リィン、お前、2年くらい前に左の足首を深く捻挫か骨折したことがあるだろ?」
「えっ!? な、なんで分かるんですか……!? D級の頃に落とし穴の罠に落ちて、左のくるぶしにヒビが……」
「踏み込む時の土の削れ方で分かる。お前は古傷を無意識にかばうせいで、左足の歩幅が右足より1.5センチ狭いんだ。さらに、利き腕である右腕の筋力が左腕より2割強いから、右の剣を振り抜いた時の遠心力で、右肩が後ろへ3度引っ張られて開いてしまう」
俺は彼女の両肩に手を置き、今のフォームのねじれを軽く押し戻してやった。
「人間の身体ってのはな、左右対称に見えて、利き手も筋力も心臓の位置も骨格の歪みも、左右でまったく違う生き物だ。それなのに、右と左で『1ミリも違わない同じ長さ・同じ重さの双剣』を持たせたらどうなる? 強い右腕は振りが速すぎて敵の武器に深くぶつかりすぎ、遠い左肩から出る左の剣は、歩幅の狭さと相まって1.5センチ手前で失速する。――お前がスランプなのは腕が落ちたからじゃない。お前の踏み込みのスピードが上がったせいで、左右対称の武器の嘘が暴かれただけだ」
リィンはハッと息を呑み、自分の左足首と手の中の双剣を交互に見つめた。
「じゃあ……私はどうすれば……」
「簡単だ。お前の身体の『ズレ』に100パーセント噛み合う『左右非対称の双剣』に調律し直してやる。1時間そこで待ってろ」
俺は作業台へ戻ると、2本の短剣にそれぞれ全く異なる処置を施し始めた。
まず、敵の攻撃を受け止めることが多い『右手の短剣』。
こちらは442ヘルツの音叉で内部の微かな魔力澱を揺すり出した後、荒砥の『赤鬼(220番)』で刃こぼれを落とした際、あえて切っ先を4ミリ詰めて刃渡りを37.6センチに短くした。そこから中砥の『青砥(1,200番)』と『黄昏巣板(3,200番)』を使い、少し厚めの『刃角16.2度(剛性・受け流し特化)』の緩やかなハマグリ刃に研ぎ上げる。さらに、振り抜いた時に右肩が後ろへ引っ張られないよう、柄頭の真鍮を精密ヤスリで削り落とし、天秤ばかりで測りながら重心を0.8グラム手元(親指側)へと引き戻した。
次に、トドメの急所突きを担う『左手の短剣』だ。
こちらは刃渡り38.0センチをフルに残したまま、鎬の厚みを0.15ミリ薄く削り込んで空気抵抗を極限まで減らし、6番目の『月雫(9,800番)』から7番目の超仕上げ砥『蒼霞(14,000番)』へと繋いで、剃刀のように鋭い『刃角13.8度(超刺突・切断特化)』の神代鏡面に仕上げた。砥石の上を刃が滑るたび、青白い鏡面に俺の真剣な目が映り込む。
そして最大の仕掛けは、左の剣の柄の内部を一度分解し、右の柄頭から削り出した分とまったく同じ質量の「0.8グラムの鉛の薄片」を、今度は鍔寄りの先端側に仕込んだことだ。
右の剣を0.8グラム手元重心にし、左の剣を0.8グラム先端重心にする――数値にすればわずか1.6グラムの非対称差。だが、高速で連撃を繰り出す双剣使いにとって、この0.8グラムの偏りは劇薬のように効く。リィンが右の剣を振った反動がバネのように左肩を前へ押し出し、先端重心の左の剣が遠心力で「勝手に1.5センチ奥まで伸びる」運動連鎖が生まれる計算だ。
「よし、出来たぞ。リィン、もう一度あの藁人形を斬ってみな」
俺から渡された2本の短剣を握った瞬間、リィンの肩がビクッと震え、ポニーテールの毛先が揺れた。
「……なに、これ……。見た目はさっきとほとんど同じなのに、右の剣は小さな盾みたいに手首へピタッと吸い付いて、左の剣は、自分の人差し指がそのまま伸びたみたいに前へ前へと引っぱられる……!」
リィンが低く姿勢を落とし、土の地面を蹴った。
先ほどとは初速も、靴が土を噛む音も違った。
シュッ!と右の短剣が最短のコンパクトな軌道で閃き、藁人形の腕木を火花も立てずに軽やかに受け流す。その瞬間、手元重心の右剣がブレずにピタリと止まった反動で、彼女の左肩が鞭のように鋭く前へと弾き出された。
朝の光を青白く反射する鏡面の左剣が、美しい白銀の流星となって一直線に伸び、これまでどうしても届かなかった最後の1.5センチの壁を突破して、藁人形の首筋を深く捉えた。
――スパァン!!
乾いた快音が裏庭に響いた。
浅く掠めるどころか、左の短剣は藁人形の極太の樫の芯木を真ん中から一刀両断し、リィンは1ミリの体勢の乱れもなくタッと華麗に着地した。
一拍遅れて、切り落とされた藁人形の頭部がゴロンと土の上に転がる。直径12センチの樫の木の切断面は、まるでカンナをかけたようにツルツルに光っていた。
「と、届いた……! ううん、私が突こうと意識する前に、左の剣が勝手に急所へ吸い込まれていった……!」
リィンは感激のあまり、双剣を鞘に収めると同時に俺の両手をガシッと握りしめ、潤んだ瞳でぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「ありがとうございます、カイルさん! あなた、本物の天才です! これでまた『疾風の牙』の最前線で戦えます!」
「お、おう、それは良かったが、近い、顔が近いぞリィン……」
俺が照れ隠しに首筋をポリポリと掻いていると、庭の隅で槍を構えていたセリアの周囲から、なぜか「ゴゴゴゴ……」という低い地鳴りのような気配が漂ってきた。
見ると、セリアは無表情のまま、手にした鹿革の布で自分の『黒鉄竜槍』の穂先をキュッ、キュッ、と凄い勢いで磨いている。スカートの下の黒鱗の尻尾が、不機嫌そうにパタッ、パタッ、と乾いた土を叩いていた。
「……カイル。私の槍も、今の素振りで0.01ミリほど刃先が曇った気がします。今すぐ手入れをお願いします。念入りに」
「いやお前、30分前に俺が『蒼霞』で撫でたばかりだろ……!?」
ミアが「やれやれ、セリア姉さんもわかりやすいわね」とニヤニヤしながら銀貨18枚の調律代を受け取っていた、その時だった。
工房の前の大通りから、けたたましい怒号と、100人を超える野次馬のざわめきが近づいてきた。




