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鼻毛男 vs 赤ん坊

市内で、原因不明の死亡事故が相次いでいた。


この一週間で四件。


年齢も性別も、死亡した場所も違う。


警察は事件性を含めて調べていたが、

死因には共通点がなかった。


ただ、一つだけ奇妙な一致があった。


死亡直前の映像が残っていた三件すべてで、

被害者は背後を振り向いていた。


コンビニの駐車場。


マンションの廊下。


深夜のコインランドリー。


誰もいないはずの背後から、

何かを聞いたように。


そして、振り向く。


映像はそこで乱れていた。


さらに警察の調べで、

四人全員のスマートフォンに、

同じ文章が残されていたことが分かった。


死亡時刻の直前。


送信元は不明。


『よろしくお願いします【赤ん坊】』


警察は、一連の死亡との関連を調べている。



午前二時十三分。


男は研究室にいた。


透明なケースの中央に、

一本の鼻毛が固定されている。


定規を添える。


七・二ミリ。


男は数値をノートに記録した。


室温。

湿度。

測定時刻。


前回との差はない。


そのとき、


研究室の扉が開いた。


いつ開いたのかは分からなかった。


扉の向こうに、

子どもが立っていた。


一歳ほどに見える。


裸足だった。


白い服を着ている。


泣いていない。


笑ってもいない。


男は鼻毛を見たまま、


「誰だ」


子どもは答えた。


「よろしくお願いします【赤ん坊】」


男は少し黙った。


「何をだ」


「ありがとうございます【赤ん坊】」


「質問に答えていない」


測定を続ける。


背後で、


ぺた。


音がした。


しばらくして、


ぺた。


また近くなる。


男は定規の位置を調整した。


「よろしくお願いします【赤ん坊】」


今度は、すぐ後ろから聞こえた。


男は振り向かなかった。


振り向く理由がなかった。


測定の途中だった。


ケースの透明な蓋に、

小さな影が映っている。


男の真後ろ。


男はケースを少し傾けた。


照明の反射が消えた。


影も消えた。


空調が止まった。


時計の秒針だけが動いていた。


カチ。


カチ。


カチ。


そして、


止まった。


午前二時十九分。


研究室から音が消えた。


男の耳のすぐ後ろで、


呼吸が始まった。


吸う。


吐く。


吸う。


吐く。


男はケースを見ていた。


こん。


ケースの中から音がした。


中には鼻毛しかない。


こん。


もう一度。


透明な蓋の内側に、

小さな手形が浮かんだ。


五本の指。


男は数秒見た。


布を取り出し、

手形を拭いた。


測定の邪魔だった。


「ありがとうございます【赤ん坊】」


「何が?」


返事はない。


男はノートを開いた。


最後の記録の下に、

一行増えていた。


よろしくお願いします【赤ん坊】


男はその文字を見る。


線を引いた。


研究記録ではない。


再び定規を取る。


背後で床が鳴った。


ぎ。


子どもの体重では出ない音だった。


ケースの蓋に、

また何かが映った。


小さな顔。


男の肩のすぐ横から、

こちらを覗き込んでいる。


目は開いたままだった。


瞬きをしない。


挿絵(By みてみん)


男はケースを少し右へ動かした。


反射が邪魔だった。


顔は見えなくなった。


そのとき、


ケースがわずかに動いた。


男の手が止まった。


ケースを元の位置へ戻す。


「触るな」


背後は静かだった。


「研究対象だ」


数秒後。


時計はまだ、


午前二時十九分を指していた。


そのとき、


机の上で、

スマートフォンが震えた。


男は画面を見る。


通知が一件。


送信者は表示されていない。


本文は一行だけだった。


よろしくお願いします【赤ん坊】


男は数秒、

画面を見ていた。


スマートフォンを伏せる。


再び定規を取る。


鼻毛に合わせた。


七・二ミリ。


男は数値を記録した。


背後から、


「よろしくお願いします【赤ん坊】」


今までで最も近かった。


耳元だった。


男は振り向かなかった。


測定を続けた。


やがて、


男は定規を置いた。


ノートを閉じる。


器具を片づけた。


ケースの位置を確認する。


時計を見る。


午前二時四十七分。


秒針は動いていた。


男は立ち上がった。


「寝るか」


照明を消し、布団に入った。


部屋には、


男の寝息だけが残った。

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