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第13.5話「ルシアの水曜日」



 ユウさんが「待ちたい」って言った瞬間、私の中で、いろんなものが、いっぺんに来た。


 嬉しいとか、怖いとか、信じられへんとか、そんなん全部が、混ざって、押し寄せて、どれが本物の私の気持ちなのか、わからへんくて、ただ、心臓がうるさくて、顔が熱くなって、何か言わなあかんのに、何も言えへんくて、口の中が、からからになって——


 それが、私や。


 私は、いつもこう。


 感情が、多すぎる。


 来すぎる。


 他人の感情も、自分の感情も、全部いっぺんに来て、どれがどれか、わからんくなる。


 配信してた頃も、ずっとそうやった。リスナーさんの感情が、何万人分も、いっぺんに流れ込んできて、私の中で、洪水になって、最後は、自分の感情なんか、どこにもなくなって、ただの、受信機みたいになって——


 倒れた。


 それが、半年前。


 倒れた後、しばらく、何も感じへんくなった。


 感情が多すぎて壊れた反動で、今度は、何も来えへんくなった。


 それも、怖かった。


 多すぎるのも怖いし、何もないのも怖い。


 どっちにしても、私は、自分の感情を、自分でコントロールできへんかった。


 それが、私の体質。


 ずっと、こうやって、生きてきた。


-----


 でも、ユウさんの部屋は、違った。


 ここには、ノイズがない。


 他人の感情が、流れ込んでこない。


 だから、初めて、自分の感情だけが、ちゃんと、見えるようになった。


 いや、見えるようになった、は、ちょっと違う。


 まだ、見えへん。


 でも、見える「余地」が、できた。


 今までは、他人の感情で、いっぱいで、自分の感情を入れる隙間が、なかった。


 ここに来て、隙間が、できた。


 その隙間に、ぽつぽつと、自分の感情が、たまり始めてる。


 ゆっくり。


 ほんまに、ゆっくり。


-----


 ユウさんが「待ちたい」って言った日。


 あれは、水曜日やった。


 ユウさんは、自分の気持ちに、名前をつけられへんって言うてた。「好き」とは違う、もっと別の何か、って。


 その気持ちを、口に出してくれた。


 私のために。


 たぶん、ユウさんにとっても、それは、すごく勇気のいることやった。


 感情が三日遅れる人が、自分の気持ちを、リアルタイムで口に出すって、たぶん、めちゃくちゃ難しい。


 でも、言うてくれた。


 「あなたが、自分の感情がわかるようになるまで、待ちたいです」って。


 その瞬間、私の中で、洪水が来た。


 でも、今までの洪水とは、ちょっと違った。


 今までの洪水は、他人の感情の洪水やった。


 でも、この時の洪水は——


 たぶん、初めて、自分の感情の、洪水やった。


 嬉しい、が、いちばん上に来た。


 次に、信じられへん、が来た。


 こんな私を、待ってくれる人が、おるんや、っていう、驚き。


 そして、その後に、ちょっとだけ、怖い、が来た。


 待ってもらって、もし、私が、ちゃんと答えを出せへんかったら、どうしよう。


 ユウさんを、がっかりさせたら、どうしよう。


 せっかく見つけた、この場所を、失ったら、どうしよう。


 いろんな感情が、順番に、でも、ほとんど同時に、来た。


 でも、不思議と、嫌な洪水やなかった。


 苦しい洪水やなかった。


 温かい、洪水やった。


 初めての、温かい洪水。


-----


 その日の夜、ユウさんが寝た後、私は、一人で、起きてた。


 布団の中で、ずっと、考えてた。


 ユウさんは「来週の水曜日に答えてください」って言うてくれた。


 一週間。


 一週間で、私は、答えを出さなあかん。


 でも、答えって、なんやろ。


 ユウさんは「好き」とは違うって言うた。私も、たぶん、「好き」とは違う。


 じゃあ、何やろ。


 この、胸の中の、大きな、温かい、でも、ちょっと怖い、この気持ちは、何やろ。


 名前が、わからへん。


 名前がわからへんもんに、答えを出すって、どういうことやろ。


 わからへんまま、朝が来た。


-----


 次の日も、その次の日も、私は、考えてた。


 ユウさんが学校に行ってる間、一人で、部屋にいて、考えてた。


 でも、考えても、考えても、答えは、出えへんかった。


 むしろ、考えれば考えるほど、わからへんくなった。


 「好き」かもしれへん。


 でも、「好き」って言葉は、軽すぎる気がした。


 私が、ユウさんに感じてるのは、もっと、重くて、深くて、でも、温かいもの。


 「好き」っていう、二文字に、収まらへん。


 どうしよう。


 答えが、出えへん。


 ユウさんは、待っててくれてる。


 でも、私は、答えを、持ってへん。


-----


 ある夜、配信をした後、私は、いつもみたいに、倒れた。


 「つかれた」って言うた。関西弁が、出た。


 最近、関西弁が、よう出る。


 昔は、関西弁、隠してた。配信の時は、標準語のキャラやったから。


 でも、ここでは、隠さんでも、ええ。


 ユウさんは、私が関西弁を出しても、何も言わへん。「いいですよ」って言うだけ。


 それが、楽やった。


 ほんまに、楽やった。


 倒れたまま、天井を見てた。


 ユウさんが、緑茶を持ってきてくれた。


 「ありがとうございます」って、私は言うた。


 その瞬間、はっとした。


 「ありがとう」が、自然に、出た。


-----


 昔の私は、「ありがとう」が、言えへんかった。


 いや、言えてた。でも、それは、「言わなあかん」から言うてた「ありがとう」やった。


 配信で、リスナーさんに「ありがとう」。


 事務所の人に「ありがとう」。


 全部、義務の「ありがとう」。


 心から出た「ありがとう」やなかった。


 自分の感情が、わからへんかったから、「ありがとう」も、ほんまの気持ちか、わからへんかった。


 でも、ここに来て、変わった。


 ユウさんに「ありがとう」を言う時、それは、心から、出てる。


 自然に、出てる。


 義務やない。


 ほんまの「ありがとう」。


 それに、気づいた瞬間、私は、わかった気がした。


-----


 答えが、見えた気がした。


 私が、ユウさんに感じてるのは、「好き」って名前のもんかもしれへん。


 でも、それより、もっと大事なことがある。


 ここにいると、私は、「ありがとう」が、自然に言える。


 ここにいると、私は、自分の感情を、ちゃんと感じられる。


 ここにいると、私は、私でいられる。


 それが、答えなんかもしれへん。


 「好き」とか、「ずっといます」とか、そういう、はっきりした言葉は、まだ、言えへん。


 でも、「ここにいたい」は、言える。


 「ここにいると、ありがとうが自然に言える」は、言える。


 それが、今の私の、精一杯の、ほんまの、答えやった。


-----


 水曜日が来た。


 約束の日。


 朝から、ずっと、緊張してた。


 ユウさんは、いつも通りやった。卵焼きを焼こうとして、失敗して、味噌汁を作って。


 夕方になって、私は、決めた。


 今日、言おう。


 完璧な答えやないかもしれへん。


 でも、これが、今の私の、ほんまの気持ちや。


 名前のつかへん、大きな気持ち。


 それを、私の言葉で、伝えよう。


 ユウさんが、勇気を出して、伝えてくれたみたいに。


 私も、勇気を出して、伝えよう。


 深呼吸を、した。


 心臓が、まだ、うるさい。


 でも、もう、逃げへん。


 私は、口を開いた。


 「白瀬さん」


 ——ここから先は、ユウさんが、知ってる通り。


 私は、私の答えを、伝えた。


 たぶん、人生で初めて、自分の言葉で、自分の気持ちを、誰かに、ちゃんと、伝えた。


 その日のことは、たぶん、一生、忘れへん。

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