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35.羞恥と自己嫌悪

「少し休まないか?」


「うん、僕もそうしようかなと思ってたところ」


 パフェを食べ終えてからカフェを出ての帰り道、駅近くの公園を指差して提案した。

 そこは以前デートの時に雨の中で待ち合わせをしていた、良くも悪くも思い出のある公園だ。


「座って待ってて」


 トラはそう言って自販機まで駆けていった。

 公園のベンチに腰掛けて、トラの後ろ姿を眺めていると、2本のドリンクを抱えて戻ってきた。


「はい」


「さんきゅー」


 手渡されたペットボトルのお茶を受け取り、お礼を言う。トラはどうやらブラックの缶コーヒーを手にしているようだ。

 あれ? トラってブラック飲めたっけ? 飲んでるところを見たことがないけど……。格好付けか?


「なんか口の中がずっと甘くてさ、今ならブラックのほうが美味しく飲めるんじゃないかと思って」


 視線に気づいたトラは、理由を説明しながらプルタブを開けた。

 どうやら格好付けじゃなかったようだ。まああれだけの量のパフェを食べたんだから、甘くないものが欲しくなるのも当然だろう。気持ちは分かるけどブラックは結構ハードル高いぞ、と思いながら渡されたお茶を口にしつつトラがコーヒーを飲む様子を伺っていた。


 トラは一瞬の躊躇の後、勢い良くブラックの缶コーヒーを飲み始める。

 しかしすぐに缶を口から離し、口を真横に引っ張ったような表情をして苦みを表現してみせた。


「……にがぁ」


「慣れないもん飲むからだ。ほれ、口直し」


 お茶を渡すと、勢い良くゴクゴクと飲んで口元を拭った。


「ぷはー。同じ苦みでもこっちのほうが断然美味しい!」


「だろうな。口直しって考えたらブラックコーヒーよりお茶だろ」


 トラからお茶を受け取り、そのまま口にした。


「……まあでも、せっかく買ったんだし、ゆっくり飲むよ」


 トラはそう言ったあと、缶コーヒーを抱えて隣に座って黙り込んだ。


◇◆◇


 ベンチに座った俺たちには緊張感が漂っていた。

 自分が緊張しているせいだとは思うけど、トラも緊張している様子が伺える。

 もしかしたら、俺の緊張で張り詰めた空気がトラにも伝わって、それで緊張させてしまっているのだろうか。


 ――早く、声をかけなければ。

 こんな緊張した状態、トラにとって居心地の良いものではないはずだ。コーヒーを飲み終えたら「帰ろうか」と言うだろう。


 ゴクリと唾を飲む。

 俺の心は決まっている。後は声をかけるだけ。――なのに、いざとなると勇気が足りない。

 口内の乾きを潤すようにお茶を口にして、何度目かの気合を入れる。


 今度こそ、今度こそだ! 一声発するだけでいい! そうすれば勢いだって付いて、話せるようになるはずだ。


 深く息を吸い込み、トラを見る。

 トラは手にした缶コーヒーをじっと眺めていた。――良かった。今、顔を見られていたらきっと何も言えなくて、またお茶を口にして、なんでもない振りをするところだった。


「トッ、トラ――」


 一言発すると、トラは顔を缶コーヒーからこちらに向けた。

 視線が交差する。緊張が高まって、顔を背けたくなる。「なんでもない」と言いたくなる。

 ――逃げるな。今、ここで、言うんだ!


「トラ――。ちょっと、話したいことあるんだ……。い、いいか?」


 思わず確認を求めてしまった。

 これは――逃げだ。トラがダメと言ったなら、今言う必要はなくなる。後回しにする口実ができて、勇気を出さずに済む。

 そしてトラは――。


「……ちょっとまって」


 その言葉がただの引き伸ばしに過ぎなくても、俺の心の中には嬉しさと残念さが入り混じった。


「うん」


 素直に頷いてしまった俺は、残念さより嬉しさが勝っていたのだろう。情けないことだが。


 トラは缶コーヒーを横に置き、自分のポケットを探って2つのレザーキーホルダーを取り出した。


「あらためて言わせて欲しい」


 その真剣で、気迫の籠もった眼差しに貫かれて、動けなくなった。


「……僕は、あなたを、悠木のことを心の底から愛しています。昔も、今も、全部ひっくるめて、僕にとっては大切なんです。悠木に僕は頼りなく見えるかもしれないけど、悠木に見合うように成長する。今の僕にはこれくらいしかできないけど、どうか、本気の僕の気持ちを、受け取って――欲しい」


 最後に、手にしたレザーキーホルダーの一つを両手で俺に差し出した。


 その行動に対して俺は、他の何よりもまず、自分が情けなく、恥ずかしくなっていた。先に本気を見せられて、こちらはまだ逃げ道を探していた。そんな自分がたまらなく嫌だった。

 実年齢でいえばトラは俺の半分以下。だというのに、こちらはまるで初恋した少女のように緊張し、言い出せなかった。あまつさえただの引き伸ばしの言葉を嬉しく思うなんて。

 これを情けないと言わずしてなんという。本当に恥ずかしい。


 しかしそんな俺の羞恥と自己嫌悪は、無尽蔵に湧いて出てくる歓喜の感情に一瞬で覆い尽くされた。

 大きな声で喜びを叫びたくなるような、身体が勝手に飛び跳ねそうになるほどの衝動に駆られていた。


 もし自分から声をかけていなかったのなら、喜びに打ち震えながら素直に「はい」と言えただろう。


 だけど今の俺は、それを許さなかった。そんな大きな衝動を、受け入れられなかった。

 ――羞恥と自己嫌悪。

 負の感情が、素直に受け入れることを許さなかった。

 俺の中にある羞恥と自己嫌悪は歓喜に覆い尽くされてもなお、反発した。


 恥ずかしいなら、誇らしく行動しろ! 情けないと思うなら、立派と思える行動を起こせ!

 そう反発した。


「トラ、聞いてくれ」


◇◆◇


 トラの、レザーキーホルダーを持つ手を両手で包んで、言葉を続けた。


「今は女の子になっているが、元は30過ぎのおっさんだ。心の中だって、多少の変化はしてきているが、大元は変わってないと思う」


「そっ! そんなの関係ないよ!」


「黙って聞け」


 静かに、諭すように言うと、トラは押し黙った。


「男の時の俺にとって、トラは可愛い友達である以上に、どこか自分の子供のような存在だった」


「――」


 トラは静かに聞いていた。だが、不安な表情のままだった。


「高校3年間預かることが決まった時も、これから3年騒がしくなるぞー、なんて楽しみにしてたものだ。だが直前にして俺は――女の子になっちまった。しかもこーんなに可愛く美人にな? あれ? ここ笑うとこだぞ」


「……笑えないよ。本当のことだし」


「それからは女の子として、トラと一緒の高校生活が始まったわけだけども……。段々な、少しずつだけど俺の心が変わっていくのが分かるんだ。トラに優しくされて、頼りがいのあるところを見せられて、胸がドキッとしたりしてな。最初は何かの間違いだと思っていたんだけど、海にみんなで行った時に色々と受け入れることができた。もう男じゃないことと、女だということ、……それに、自分の感情にもな」


 トラの不安な表情は、話が進むに連れて変化していっていた。


「後はもう、自分の中で決意を固めるだけだった。だけどこれは、今までの関係も心地良くて、それを壊すのが怖かった。だから中々決意が固まらなかった。――だけど、さっきのトラを見て、トラの気持ちをただ受け取るだけじゃダメだと思ったんだ。ここでただ受け入れるだけなら、また「流された」ことにして逃げるかもしれない」


 もう一度、深呼吸。もう一度、トラをまっすぐに見つめ直す。


「だから、俺からも言わせてくれ。――南川 虎之介みなみがわとらのすけ。お前のことを愛している。小さい頃からずっと見てきたお前になら、俺は自分を任せられる。こんな俺だけど、よろしく頼む」


 そう言って、トラの持つレザーキーホルダーを受け取った。

 トラは涙を浮かべて、今にも抱きついてきそうだった。


「待て。続きは帰ってからだ。流石にここでは不味いって」


「わ、分かった……」


 落ち着くように涙を拭ってやると


「ありがとう、悠木――」


 と、静かに応えた。


 その後は自分もトラも落ち着くまで待ってから、2人で手を繋いで家まで帰った。


◇◆◇


「ただいまー」


「……おかえり」


 丁度日が落ちる頃にデートから帰ってきて、いつものようにあいさつを交わす。


「悠木ごめん。もう我慢できないっ!」


 言うやいなや、トラは俺を振り向かせて、そのまま強く抱きしめてきた。

 そんなに我慢してたのか、と驚くと同時に少しの余裕が出てきた。相手に余裕がないと見えるほど、こちらには余裕が生まれるものだ。


 普段ならこちらもトラの背に手を回すところを、今回はトラの頭を撫でてみた。


「よしよし、よく我慢したね」


 意識して優しく、甘えん坊を諭すように言うと、トラの手に力が籠もるのが分かった。少し苦しいが、このくらいならまだまだ余裕だ。

 それになんだか、力強く求められるのは悪い気分じゃない。


 頭を撫で続けて暫くしたら満足したのか、トラはやっと解放した。


「ありがとう、悠木」


「気にするな、俺だって嫌じゃない。いやむしろ――もっと求めてきてもいいんだぞ?」


 軽くウィンクして見せる。それが男を挑発していることだと分かっているはずなのに。


「だけどその前にまずは晩飯の支度だ。手伝えよトラ」


「うん、分かった」


 2人でキッチンへと向かい、エプロンを着けて晩ご飯の準備を進めた。

 俺は終始ご機嫌で、昼間のデートを思い出しては、ずっとニヤニヤしていた。トラと目を合わせる毎に、思わず微笑みがこぼれる程度には幸せでいっぱいだった。


 それに、この後どうなるかも何となく分かっていて、そう思うたびに胸の奥がくすぐったくなった。


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