第75話 信頼と仲間と覚悟の賭け
ボロボロの状態で勢いよく吹き飛ばされてきたルーコちゃん。
その手には折れた短剣が握られており、遠目からでも見える全身の擦り傷や打ち身も相まって酷く痛々しい。
「っ〝広がる影、包み隠す幕、薄く暗く覆え〟――『影の暗幕』」
牽制を続けながら詠唱を成し、杖を振るって魔法を発動させる。
私の足元、その影がジアスリザード達の方に向かって伸び、視界を覆い隠すように広がった。
これで時間は稼げる……早くルーコちゃんのところに……。
突然、視界を暗闇に覆われて混乱している隙にルーコちゃんを抱えたトーラスへと駆け寄る。
「おいっしっかりしろ!」
「ルーコちゃんっ大丈夫!?」
近くで改めて容体を確認するも、見た目だけでは遠くから見た時以上の事は分からない。
さっきの勢いから考えて骨が折れてる可能性が高い……ううん、下手をしたら内臓が傷ついていてもおかしくないわ……。
もしそうだった場合、急いで手当てしないと最悪の事態に陥ってしまう。
「っトーラス!確か高位の回復薬を持ってたわよね!」
「っああ!ちょっと待ってろ――――」
回復薬自体が高価なものだが、こんな時にそんな事を気にしてはいられない。
慌ててトーラスが自分の腰袋の中に手を入れたその瞬間、ルーコちゃんが飛ばされてきた方向から何かが木を薙ぎ倒しながら向かってくる。
「ガアアアアアッ!!」
聞き覚えのある咆哮を上げて現れたのは通常のジアスリザードよりも数倍でかい魔物。
外見的特徴からその魔物が何であるかは理解したものの、私の知っているソレとは明らかに大きさが違っていた。
「ジアスリザード……キング……?」
「なっいくら何でも大きすぎるだろ!?」
おそらくルーコちゃんに重傷を与え吹き飛ばしたのはこの魔物だ。
吹き飛ばした獲物を確実に仕留めるために追いかけてきたのだろう。
「グガアアアアアッ!!」
「「「「グァァァァァァッ!!」」」」
ジアスリザードキングは手に持った大刀を掲げて咆哮を上げ、暗闇に閉ざされている他のジアスリザード達がそれに応えて叫ぶ。
「くそっ!こんな時に……」
「まずいわ……足止めに仕掛けた魔法が破られる……!」
まだボロボロのルーコちゃんに応急処置すらできていないこの状況で、ジアスリザード達に加えてあのキングの相手をするのは無茶を通り越して無謀と言えるだろう。
「……こうなったら仕方ない。僕が奴らの注意を引いている間にルーコを連れて逃げろ」
「ちょっトーラス!?」
そう言いながらトーラスは回復薬を取り出すと、私の方にそれを投げ渡してそのまま止める間もなく駆け出してしまった。
いくら何でもあの中に突っ込むのは自殺行為だ。
たとえ注意を引く事に専念したとしても、生き残れる可能性は低く、このままではトーラスはすぐに追い詰められ、殺されてしまうのが目に見えている。
「っ……迷ってる時間も後悔している暇もない」
駆け出す前に止められなかった以上、私にできる事は何もない。
だからトーラスの稼いでくれる時間を無駄にしないよう一刻も早くルーコちゃんを連れてこの場を離れるのが一番の正解なのだろう。
アライアさんからパーティを任されたのに……どうして私は……。
どうする事も出来ない自分に浅く唇を噛む。
もちろん、私にも切り札のようなものがないわけではないけれど、それを使ったところで状況が好転する保証もなく、下手をすれば魔力切れで動けなくなるかもしれないし、それ以前に発動すらさせてもらえないかもしれない。
やっぱりあの時、無理にでも止めるべきだった……大人しくアライアさんの増援を待って行動していたらこんな事には……。
事前にその脅威を聞いていても、今みたいに撤退すら危うい状況まで追い込まれるなんて思いもしなかった。
二人の喧嘩を止められず、意見をまとめる事も出来ず、大丈夫だろうという判断の甘さが招いた結果がこの最悪ともいえる現状だった。
「――――う……ぁ……ノ……ルン……さ……ん……?」
「っルーコちゃん!目が覚めたの!?」
後悔と自己嫌悪に押しつぶされそうになる中で私を現実に引き戻したのは意識を取り戻したルーコちゃんの声だった。
「こ……こは……?わ……たし……」
「落ち着いて、ひとまずこれを……」
無理に喋ろうとするルーコちゃんを制してトーラスから受け取った回復薬を服用させる。
……高位の回復薬って言っても治癒魔法みたいに劇的な効果があるわけじゃない。
あくまで回復薬は応急処置。痛みを和らげて治癒能力を促進し、少しずつ傷を癒すもの……だからこれを飲んでもボロボロのルーコちゃんはもう戦えない。
「――んく……けほっ……………すいません……もう大丈夫です」
「大丈夫って……そんなわけ……」
まだ癒えない傷をおして無理矢理起き上がるルーコちゃんを諫めようとする私を手で止め、彼女は大きく息を吸い込んだ。
まだ少し混濁する意識を体中に走る痛みで覚醒させながら私はゆっくりと立ち上がる。
……体中が痛い……けどまだ立てる。このくらい、長老やあの魔物と戦った時と比べれば何でもない。
心配そうにしているノルンに大丈夫だといってから息を吸い込み、詠唱を口にする。
「〝光よ、歪みを正せ〟――『癒しの導』」
掌から光の粒子が溢れて私の体を包み込み、全身の痛みを和らげていく。
私の魔法では完全な治癒に程遠いけど、それでも少しは動ける程度には回復する事ができた。
「治癒魔法……ルーコちゃん使えたんだ……」
「……私の腕じゃ効果は薄いですけどね。それに魔力もごっそり持っていかれましたし」
不慣れな魔法、それも効果範囲を全身に広げたせいで魔力消費は倍以上になってしまい、私の残存魔力は二割を切っていた。
こんな状態じゃ碌に魔法も使えない……まだ群れやあの大きな魔物は健在なのに……。
ただでさえ群れとの戦いで苦戦し、不利を強いられていたのに、速度も膂力もとんでもないあの魔物の相手もするとなると、全滅する可能性がぐんと高くなる。
こうなったら一か八か、切り札をきった上で賭けに出るしかない。
「……ノルンさん、私にこの状況を切り抜ける考えがあります」
「え……?」
唐突な私の言葉に戸惑うノルン。
ついさっきまでぼろぼろで、今もふらついている状態の私がいきなりそんな事を言い出したのだからその反応も当然と言えるだろう。
「……無論、絶対に成功するという保証はありません。けど、それをするにはノルンさん達の協力が不可欠……私を信じて命を預けてくれますか?」
今からやろうとしているのは一度も試した事のないもの。
できるかもしれないと頭の中で理論は組み立ててはいても、実際に使うのは初めてな上、この状況で使うには大分時間を稼いでもらわなければならず、あれらが相手では当然、そこに命の危険が伴う。
成功するか分からない考え、それも詳細を話す時間さえない状況で私を信じて時間を稼ぐというのはかなり分の悪い賭けと言える。
「……今更だよ。確かにルーコちゃんとの付き合いはまだ短いけれど、私達はパーティ……最初から命を預け合ってる仲間なの。口ではやいやい言ってたトーラスもそれは分かってる」
私の問いにノルンは口元を緩めてそう答え、一度言葉を区切ってから続ける。
「……こんな状況で保証がないのは当然、切り抜けられる可能性があるなら命だって賭けるわ」
「ノルンさん……」
信じる信じないではなく、最初から命を預けたパーティだから。
そう言い切ったノルンはそれに、と言葉を続けて悪戯っぽく微笑む。
「――もしこれが物語だったらこんな絶体絶命の状況からの逆転なんて一番の盛り上げどころよ?本好きとして乗らない訳にはいかないでしょう」
私の役が時間稼ぎなのは残念だけどね、と最後に付け加え、表情を戻して杖を片手にノルンはトーラスの元へと駆けていく。
「……これが物語だったら、か……ふふっ、そうですね……ならそれこそ失敗はできません」
駆け出したノルンの背中を見つめながら小さく笑ってそう呟く。
たぶん、私が気負っている事に気付いたからそんな言い回しをしたんだろうけど、不思議と気持ちが楽になった。
「――――今の私があれを使うには全部を出し切るしかない。だから……」
短く息を吐き出して覚悟を決めた私は森を出て以来、一度も使っていない詠唱を口にした。




