第29話 私の後悔とお姉ちゃんの本気
光の粒子となって霧散し、崩れ消える魔法壁の中を姉は一歩、また一歩と進んでくる。
「……これは驚いた。まさかお主がここにやってくるとは」
振り上げた手を下ろし、視線を私から姉に移す長老。その様子を見るに魔法壁を破られた事よりも姉がこの場所に現れた事に驚いているようだった。
「━━光よ、『癒しの導』」
長老の声を無視して私の方に駆け寄ってきた姉はその場にしゃがんで治癒魔法を使い、私の傷を治し始める。
あったかい……。
全身を光に包まれ、ぼろぼろで傷だらけだった体がみるみる内に治り、完治とはいかないまでも、先程まで私を苛んでいた痛みがある程度解消されていく。
「お姉……ちゃん……なの……?」
「……うん、ルーちゃんのお姉ちゃんだよ。もう大丈夫だからね」
治癒魔法によって回復し、はっきりとしてきた意識の中で改めてその姿を認識した私がどうしてここにいるのかという疑問を込めて口を開くと、姉は困ったような笑みを浮かべ、私の頭を優しく撫でる。
「……実はね、ルーちゃんが外に行くための下見を計画をしてるって気付いてたの。それで今朝起きたら書き置きがあって、ああ、今日行くんだなって」
そこで言葉を区切り、僅かに躊躇った後、意を決したように言葉を続ける。
「……最初は追い掛けるつもりはなかったんだけど、嫌な予感がして……いてもたってもいられなくて……ごめんね。ルーちゃんを信じるって言ったのに」
「……ううん、謝らないで。お姉ちゃんが心配してきてくれたおかげで私は助かったんだから」
もし姉がこなければ私はすでに殺されていただろうし、そういう意味では姉の信頼を裏切ったのは私の方だ。だから姉が謝る必要全くない。
「ありがとう、お姉ちゃん。それからごめんなさい。黙って出てきちゃって……こんな事ならちゃんと話しておけば良かった」
「ルーちゃん……」
撫でる手を止め、浅く唇を噛んだ姉はぎゅっと私を抱き締め、少し涙に濡れた顔で笑いかけてくる。
「……後は任せてルーちゃんはゆっくり休んでて……元凶はお姉ちゃんが何とかするから」
姉はそう言うと私を優しく地面に下ろして立ち上がり、私達の様子を静観していた長老を見据え、再び剣呑な雰囲気を身に纏う。
「━━おや、もう話は良いのか?儂としてはもう少し待っても良かったんじゃが」
「……必要ありません。後でいくらでも話せますからね……貴方を倒した後で」
視線に気付いた長老が軽い調子で尋ねると姉は普段からは想像も出来ない勝ち気な表情を浮かべ、言葉を返した。
「……なるほどのう。動揺してないところを見るに、お主も気付いておったみたいじゃな……儂が何をしてきたのか」
「別に、詳しい事は何も知りません。ただ長老が怪しい行動をしていたからそういう可能性もあると思っていただけです」
どこか探るような長老の言葉に対し、姉は表情を変えず、突き放すように答える。
「……それに長老が何をしてようと関係ない。ルーちゃんを傷つけた貴方は私の敵。それは変わらない」
単純かつ明確な理由を突き付けた姉に長老は感心した様子で首肯し、にやりと口角を上げて挑発するように口を開いた。
「ほう……そうか。なら儂が六年前のあやつの死に関わっていると言ったら?」
長老のその一言で姉は表情を一変させ、血が滲むほど両の手を握り締める。
「そう、そういうこと……だからルーちゃんを…………」
姉は今のやりとりで全てを察したのだろう。長老が何故こんな真似をしているのかも、あの人がどうして殺されたのかも。
「━━分かりました。なら貴方は確実にここで殺します」
「お姉……ちゃん……」
殺気を振り撒き、鋭い視線を長老に向ける姉。それは今まで一度たりとも見た事のない本気で怒った姉の姿だった。
「ほほ……殺すか、主の口からそんな言葉が出るとはな。よほどあやつの事が堪えたらしいの」
長老はあえて挑発するような言葉を姉にぶつけているように見える。もしかしたら姉を怒らせて判断力を鈍らせるのが狙いなのかもしれない。
「……『水の礫』」
挑発めいた言葉への返答は問答無用の魔法行使。無数の水の粒が視認不可能な速度で飛び、長老を穿たんと襲い掛かった。
「ふむ、なるほど。これ以上言葉は不要というわけか」
飛んでくる『水の礫』を全て防壁で受けきった長老は杖を振り、お返しと言わんばかりに無詠唱魔法による衝撃波を放つ。
「『土くれの防壁』」
それに対し姉は驚いた様子も見せず、迅速な魔法行使で土壁を生成。衝撃波を防いで再び水の弾丸による攻撃を放った。
「いくら撃ったところで儂の防壁は━━」
「『水の波礫』」
魔法同士が衝突する凄まじい轟音によってかき消される長老の声。最初のものと違い、今姉の放った水の弾丸は途切れる事なく撃ち出され、防壁を揺らし続ける。
無尽蔵かと錯覚しそうになる程の飽和攻撃に耐えきれなくなったのか、透明な防壁に目に見える形で亀裂が入って崩れ、あっという間に水弾の波が中にいた長老を呑み込んだ。
水弾は長老を呑み込んでなおも止まらず、木々を撃ち抜き、地面を抉り、辺りに破片を撒き散らした。
ようやく水弾の波が止まり、舞っていた破片が晴れて、姉の魔法が引き起こした惨状が露になる。
「これは……」
草木は抉れ、地面もほとんどが捲れており、姉の魔法の恐ろしさを物語っている。防壁もなしにあの最中にいたなら長老はその原形をとどめていないだろう。
もし長老があのまままともに魔法を受けたらの話だが。
「━━やれやれ、姉妹揃って容赦がないのう」
やはりと言うべきか、長老はまるで最初からそこにいたかのように五体満足で別の場所から現れる。
わざわざ防壁で魔法を防いでいた以上、あそこにいた長老が幻の類いではないはず……ということはあの一瞬で移動したってこと……?
どれだけ速くてもあの弾幕の中を無傷で脱出するのは不可能だ。それでも傷一つなく長老が別の場所から現れたという事はそれを可能にする魔法があるということに他ならない。
防壁だけでも厄介なのに避ける手段まで持ってるなんて……。
私との一戦で使わなかったのは虚を突かれたからだろうけど、防壁が破れると分かった今、長老は同じ失敗を繰り返さないだろう。
「まさかこうもあっさり防壁が破られるとは思わなんだ。やはり主は規格外というわけか」
「……その割にはずいぶんとお喋りですね。絶対に負けない自信でもあるんですか?」
余裕を崩さない長老にここまで黙っていた姉が口を開き尋ねる。
「さて、どうじゃろうな。お主の目で確かめると良かろう」
そう答えながら長老は杖を掲げて振り下ろし、私に使ったのと同じ広範囲に衝撃波を撒き散らす魔法を再び放った。
まず……っ!?
魔法は姉を中心とした一帯に放たれ、その範囲には未だ動けない私のいる場所も含まれていた。
「っルーちゃん!━━『水の防護幕』!」
着弾と同時に姉が私の方に駆け寄り、水の防壁を張って衝撃波を防ぐも強度が足りず、二人共吹き飛ばされてしまう。
水の防壁で直撃は避けれたものの、動けない私にはどうする事も出来ず、空中に放り出されたまま、ただただ落下していくしかなかった。
「『そよ風の独奏』!」
吹き飛ばされた瞬間に強化魔法で身を守ったらしい姉は空中で私を抱き寄せると、魔法を使って風に乗り、そのままふわりと着地した。
「っルーちゃん大丈夫?」
「……う……ん……大……丈夫」
いくら直撃を避けたといっても、その余波だけでもかなりの威力があり、蓄積された疲労も相まって私の意識は再び混濁し始めていた。
「っ……ごめんね、後は任せてって言ったのに」
「うう……ん……わた……しは……大……丈夫だ……から……」
泣きそうな表情の姉を安心させようと混濁する意識の中で言葉を紡ぐも、途切れ途切れになってしまい、余計に心配をかけてしまった。
「……今度こそ……今度こそルーちゃんには怪我させないから。大丈夫、お姉ちゃんに任せて!」
「待っ……」
姉は私を木の陰に降ろすとそのまま長老の方へと走り去ってしまう。
まず……い……意……識が……遠……退く…………。
呼び止めようと伸ばした右手は虚しく空を切り、限界を迎えた私の意識は走り去る姉の背が離れていくのを捉えたまま緩やかに途切れ、暗転する。
━━そして次に目を覚ました時、私はここで気絶してしまった事を激しく後悔した。




