第26話 正体と諦めとお姉ちゃんの不在(前編)
現状、互いに満身創痍とはいったものの、ここからの攻防は明らかに私の方が不利だ。
あの魔物は片足を失ってなお、一撃で私に致命傷を与えうる攻撃力を持っている。
それに対して私は片腕が動かないせいで使える魔法が限られる上、あの魔物の速さに対応できるものも少ないため、一発の魔法で勝負を決する事ができない。
それは強化魔法を用いなければ攻撃をかわす事も儘ならない私にとって、致命的ともいえる要素だ。
加えて片腕だけで連続して魔法を使おうとすると、どうしても一拍置く必要があり、それも含めたこの状況を打開しなければならなかった。
このまままともに戦っても私は殺される……かといってさっきのように魔法による連携が使えない以上、状況を打開できる案も思い付かないし、どうしたら……。
未だに仕掛けては来ないが、もしあの魔物が襲い掛かってきたらその時点で私の反撃がないと知られ、押しきられてしまう。その前に何か良案を思い付かなければ私は殺されるだろう。
……やっぱりあの魔物を仕留めるには文字通り手が足らない。せめて強化魔法を使いながら他の魔法が使えれば……。
そこまで考えたところで自分の言葉に引っ掛かりを覚え、改めて頭の中で復唱し、再考する。
手が足らない……強化魔法……全身を魔力で覆う……もしかしたら……。
とある可能性に辿り着いた私はそれが自分に出来るのか想像しつつ、ゆっくりと息を吐いた。
仮に私の想像が実現可能だとしても、ぶっつけ本番……失敗したら終わりの一発勝負、生きるか死ぬかの賭けになる。
……何か今日はこんなのばっかだなぁ。
何度もこんな生きるか死ぬかの賭けをしなければならないのは自分の力が足りないから。
それを自覚してしまっているからこそ、心底自分に呆れ、思わず自嘲の笑みが溢れてしまった。
「ル……?」
突然、笑いを溢した私に警戒しながらも戸惑ったような声を漏らす。
まあ、生きるか死ぬかの緊迫した膠着の中で突如として笑い出したのだからその反応も無理はないかもしれない。
「……言葉が通じてるのか分からないけど、一応、言っておくよ。私はあなたを殺して生き残る」
一方的に宣言してから強化魔法を発動し、詠唱を始める。
「〝指先の一点、小さな衝撃、放つ〟……」
「ガルッ!」
私が詠唱を開始した途端、魔物は全身に力を溜めて飛び掛かってきた。
まずはっ……この攻撃をかわすっ……!
繰り出される鋭い一撃を紙一重で避け、追撃で振るわれた爪も少し後退してかわす。
「ルッ……!」
「っ……」
片足だという事を忘れそうになるほど絶え間なく繰り出される連撃。そこにはここで私の命を刈り取るという明確な殺意が込められていた。
まだっ……まだ……ここじゃないっ……。
その全てをぎりぎりで避け続ける中で、爪が何度か肌を掠め、小さな切り傷が増えていく。
それでもなお、攻撃を避け、ひたすらにその機会を待ち続ける。
「っまず……!?」
避け続けている内に下がりすぎてしまったらしく、いつの間にか背中が巨大な木にぶつかり、逃げ道がなくなってしまった。
「ガルァッ!!」
その瞬間を好機と捉えた魔物は叫びと共に爪を振りかぶり、下から上へと斜めに振り抜こうとする。
「……ここっ!」
必殺の威力を持って迫る爪に対して私の取った行動は二つ。強化魔法を解き、足の力を抜いてしゃがむと同時にほぼほぼ勘で当たりを付けた魔物の腕目掛けて右手の先を向けた。
『一点の衝撃』
指先から放たれた小さな衝撃が魔物の腕に当たり、爪の軌道が僅かに逸れる。
爪は私の耳の先を切り落とし、髪を僅かに掠めただけで空を切り、その大振りの代償として魔物は今までで一番大きな隙を晒した。
「ガァッ……!?」
「これで……終わりっ!」
魔法を撃った反動を利用して地面に右手をつけ、勢いそのままに回転し、後ろ蹴りを放つ。
━━『突風の裂傷』っ!!
同時に詠唱を破棄して叫ぶように呪文を唱えると、後ろ蹴りの軌道をなぞるように風の刃が炸裂。魔物の体を斜めに切り裂いた。
「ガッ……」
「うっ……」
切り裂かれた魔物がその場に崩れ落ち、勢い任せで蹴りを放った私はそのまま受け身も取れずに地面に強く体を打ち付けてしまう。
「痛っ…………っ魔物は……!」
打ち付けた衝撃が折れた左腕にも響いて激痛が走る中、慌てて起き上がり、魔物の生死を確認する。
「ゥ…………」
詠唱を破棄した『突風の裂傷』では両断するまではいかなかったが、それでもすでに大量の出血をしていた魔物には致命傷だったらしく、倒れ伏し、最後に小さな呻き声を上げて事切れた。
「…………終わった」
魔物の死を確認して思わず安堵のため息と共に呟きが漏れる。
攻撃の軌道を変えるために放った魔法の位置、両手以外でも魔法が使えるか否か、全部が一か八かの連続で、どれかを一つでも違えていたらそこに倒れ伏していたのは私の方だっただろう。
まあ、両手以外でも魔法を使えるかに関してはお姉ちゃんも足で魔法を使ってたから私が出来るかどうかだったけど、上手くいって良かった。
「後はあの魔法壁をどうにか……いっつつ……」
さっきまで戦っていたから気にしている余裕はなかったが、緊張感が解けた今、全身の打ち身に折れた左腕、切り飛ばされた耳の先の痛みが一気に襲ってくる。
「うぅ~……痛い、打ち身や折れた箇所の鈍痛には少し慣れてきたけど、耳の方は……痛っ」
切られた箇所からどくどくと血が溢れたのに気付き、反射的に押さえてしまった事で激痛が走った。
「うぅ……せめて止血だけでもしとかないと……」
涙目になりながらも患部に手をかざして治癒魔法をかけ、応急処置をしていく。
「……慣れない魔法の使い方をしたせいかもだけど、思ったよりも魔力を消費したみたい」
本当なら折れた腕や痛む箇所全てを治したいところだが、それをしてしまうと魔力がすっからかんになってしまうだろう。
「……よし、ひとまずこれで大丈夫っと」
とりあえずの応急処置を終えてすぐに引き返す方向の魔法壁へと歩を進める。
思ったよりも距離が離れていなかったらしく、ぼろぼろで遅くなった足取りでもすぐに目的の場所へと辿り着く事ができた。
「さて、と、問題はこれをどうやって破るかなんだけど……」
魔法壁に触れながら見上げ、全容を視界に収めようと試みるも、その巨大さ故に途中で諦め、代わりに首を動かして全体を大まかに見渡す。
「うーん……綻びでもないかと思ったけど、それらしいものは見つからない……やっぱり正面から壊すしかないか」
見渡すだけでは木に隠れた下の部分は見えないが、それでも見える範囲にある魔法壁の精度を考えれば、綻びがあるとは思えなかった。
「……〝風よ、刃となって飛び進め〟━━『風の飛刃』」
物は試しと魔法で風の刃を放つも魔法壁に当たると同時に霧散。魔法壁には傷一つついていなかった。
「これで壊せるとは思ってなかったけど、まさか傷一つつけられないなんてね……」
私の得意としている風の魔法は他の魔法と比べて、切り裂く、あるいは貫くといった部分が突出しているものが多い。
そのためこういった場合にこそ、その真価が発揮されるのだが、魔法壁の硬度が高過ぎてあの程度の魔法では文字通り歯が立たないらしい。
「……この分だとこれより強い魔法でも壊すのは難しいかも」
同じ箇所に何十発も撃てるのなら別かもしれないが、そこまで魔力に余裕はない。
……『魔力集点』を使えばあるいは……でも確実とは言えないし、その後が問題だよね。
使ったまま走って戻れるならそれでいいけど、今の残り少ない魔力でどこまで持つか分からない以上、迂闊に使うわけにはいかない。
「……とはいっても他に手はないし、どこか安全そうな場所で休まないと━━っ!?」
休めそうな場所を探して辺りを見回そうとしたその瞬間、全身にぞっとするような悪寒が走り、反射的にその場を飛び退いた。
「ぐっ……!?」
さっきまで私のいた場所に不可視の衝撃波が走って地面を抉り、その余波で軽く吹き飛ばされてしまう。
「う……今のは……」
突然の出来事で上手く受け身が取れなかったものの、飛び退いたおかげで直撃を避ける事ができ、さほど吹き飛ばされる事なく大した怪我も負わずに済んだ。
「━━ふむ、今のを避けるとはな。存外、あれを倒したのはまぐれという訳でもないようじゃの」
「っ……!?」
衝撃波の飛んできた方向から聞こえた声に驚き振り向くと、そこには見覚えのある人物が立っていた。
「…………長老」
長い髭を蓄え、手には見覚えのない大きな杖を持ってそこに立っていたのは集落最高齢のエルフ、長老だった。
「ほう……意外じゃな。さして驚いてないように見える」
「……充分驚いてるよ……ただ予想してなかったわけじゃないだけ」
この魔法壁がある時点で張った誰かがいるのは明白。さらにそこから少し考えれば、その誰かがあの人の死にも関与しており、なおかつ、集落にいるエルフの誰かというところまでは予測をつける事ができる。
いくら強くても魔物の闊歩する森の中でずっと過ごすのは難しい。常に警戒していなければならないし、何より眠っている間の隙は致命的だ。
そうなると必然的にその誰かは集落の中にいるという事になる。
加えてあの人や私が外に向かおうとしたその日に襲撃をしてきた事も集落の中の誰かという結論を後押しする要因と言えるだろう。
「予想か……なるほど、もしやと思ったが、儂が主を監視していた事にも気付いておったな?」
「……気付いたっていうのは語弊があるかな。もしかしたらと思ってたけど、確信はなかったからね」
準備の段階で見られているという可能性に思い至り、迂闊に違和感について喋らないようにはしたが、そこに誰かがいると確証を持っていた訳ではない。
「ほうほう……やはりお主は中々に頭が回るようじゃな……まあ、そうでなければ外に出ようなどとは思わんか」
「…………」
一人で納得したように頷く長老に怪訝な視線を向けながらも、その動きを注視する。
ここで姿を見せたって事は長老がその誰かなのはもう間違いない……そして自分から出てきた以上、この場で私の息の根を止める気なのだろう。
たとえエルフ達が無関心だとしても、長老のしたであろう事を知れば流石に黙ってはいない筈だ。つまり、喋られると困る事実を色々知ってしまった私を長老がこのまま集落に帰すわけがない。
「さて、薄々察しておるじゃろうが、儂はここで主を殺すつもりじゃ。無論、抵抗してもらって構わん……出来るのならじゃが」
「っ……!」
言い終えると同時に長老から凄まじい威圧感が放たれ、反射的に身構える。
その瞬間、私の真横から不可視の衝撃波が発生、強化魔法を発動させる間もなく吹き飛ばされてしまう。
「がっ……ごほっ……」
あの魔物の蹴りよりも威力は劣るが、強化魔法が間に合わなかったせいで、衝撃をもろに受けてしまった。
「ふむ、儂としては今ので終わらせるつもりじゃったが、いかんせん、加減を間違えてしまったようじゃの」
軽い調子で杖を持ち上げながら首を傾げる長老。その様子は今から誰かを殺そうとする剣呑なものでなく、まるで料理の分量を間違えたかのような軽さだった。
「げほっ……ま、まさか……無詠唱……魔法……を……使える……なんて……」
「ほぉ……まだ喋れるくらいの元気はあったか。すまなかったの、苦しませるつもりはなかったんじゃが、この手の魔法を使うのは久方ぶりでの」
僅かに眉を上げて驚くような素振りを見せた長老はそう言いながら杖をこちらに向けてくる。
「とはいえ、まあ、もう慣れた。心配せずとも次で終わらせる━━」
「っ……『風を……生む掌』!」
長老が何かを仕掛けてくる前に体勢を整えるべく、呪文を唱えて風を生み、推進力に変えてこの場を離脱した。
片手だと姿勢がっ……!
元々『風を生む掌』での移動は両手で風を生み出す前提の方法だ。左腕が折れて使えない以上、高速で移動し続ける事は出来ない。
「くっ……あぁっ……!」
そのまま長老から少し離れた茂みにどうにか着地する事が出来たものの、その衝撃が傷に響き、思わず声が漏れてしまう。
っ……幸い長老はさっきの魔物みたいに速いわけじゃないけど、それでもあの無詠唱魔法は厄介だ。すぐ近くで使われたら見えないし、音にも気づけないから避けるのも難しい。
「っ……予想はしてても、長老がここまで容赦なく私を殺しにくるなんて……」
歯を食い縛り、近くの木に寄り掛かりながら吐き捨てるように呟く。
連戦に次ぐ連戦で魔力はそこを尽きかけ、体はぼろぼろで左腕も動かない。おまけに相手はおじいちゃんと慣れ親しんできた長老……精神的にも辛いものがある。
……流石にもう駄目かも。
諦めるとは言わないまでも、この最悪とも言える状況を前に私の心は半ば折れかけていた。




