001.1パック目の奇跡
その日、僕は人生で初めてカードパックを買った。
きっかけは、本当に些細なものだった。
「……暇だな」
仕事を終えた夕方。
いつものように駅から自宅へ向かって歩いていた僕は、
商店街の一角にあるカードショップの前で足を止めた。
店の外壁には、大きなポスターが貼られている。
そこに描かれていたのは、一人の少女だった。
銀色の髪。
青紫色の瞳。
月を背負い、手には細身の剣。
そして、その下には大きくこう書かれていた。
『召喚少女! 最新弾――月光の少女たち』
「召喚少女……」
最近、街中でよく聞く名前だった。
テレビでも、動画サイトでも、駅の広告でも見かける。
専用のカードパックから少女妖精のカードを引き当て、召喚する。
召喚した少女と一緒に戦い、勝利すれば賞金やカードが手に入る。
そんな新しいカードゲーム。
正式名称も、そのまま『召喚少女』。
子供から大人まで、今や知らない人のほうが少ないほどの人気コンテンツになっていた。
「……でも、僕には関係ないと思ってたんだけどな」
僕は苦笑した。
カードゲームなんて、これまで一度もやったことがない。
そもそも僕は、何かに夢中になるということ自体が少なかった。
仕事をして。
家に帰って。
ご飯を食べて。
動画を見て。
眠る。
毎日は平和だった。
不満があるわけでもない。
むしろ、平和であることは幸せだと思っている。
けれど――。
「……何か、新しいことでも始めてみようかな」
その言葉が、口から自然にこぼれた。
自分でも少し驚いた。
新しいことを始めたい。
そんなことを考えたのは、いつ以来だろう。
僕はしばらくポスターを眺めたあと、店の自動ドアをくぐった。
◇
「いらっしゃいませ」
店内には、たくさんのカードが並んでいた。
ショーケースの中には、一枚数万円、ものによっては数十万円というカードまである。
「高……」
思わず声が出た。
店員さんが苦笑する。
「最近は特にGRカードが高騰してますからね」
「GR?」
「最高レアリティです。普通のカードとは召喚したときの性能も全然違いますよ」
「なるほど……」
僕はショーケースを見る。
そこには美しい少女たちのカードが並んでいた。
N。
R。
RR。
SR。
UR。
そして――GR。
同じ少女でも、カードの種類によって絵柄や能力が違うらしい。
「召喚少女って、そんなに人気なんですか?」
「今一番人気のカードゲームですよ。大会も賞金が出ますし」
「賞金?」
「はい。小さな大会なら数万円、大きな大会なら数百万円規模のものもあります」
「……数百万円」
僕は思わずカードを見る目を変えた。
ゲームなのに。
遊びなのに。
そんな金額が動くのか。
「まあ、勝つには相当な腕が必要ですけどね」
店員さんは笑った。
「それに、カードを集めるだけでも楽しいですよ。召喚少女は一枚一枚に個性がありますから」
「個性?」
「ええ。召喚すると、その少女が実際に現れるんです」
「……実際に?」
「はい」
僕は思わず聞き返した。
もちろん知識としては知っている。
召喚少女カードは、ただの絵ではない。
カードを専用端末にセットすると、カードに封じられた少女妖精が実体化する。
しかし、それを実際に見たことはなかった。
「試しに一パック買ってみます?」
「……一パックだけでもいいんですか?」
「もちろん。むしろ最初はそれくらいがおすすめですよ」
店員さんが笑う。
僕は財布を取り出した。
「じゃあ……一つ」
「ありがとうございます」
差し出されたのは、銀色のパックだった。
表面には、月を背負った少女が描かれている。
さっきポスターに描かれていた少女と同じだ。
「……これが」
僕が初めて買ったカードパック。
たった一つ。
それだけだった。
◇
家に帰るまで、僕はパックを開けなかった。
なぜか、もったいない気がしたのだ。
夕食を済ませ、テーブルの上を片付ける。
そして、買ってきたパックを机の上に置いた。
「よし……」
妙に緊張する。
たった一パックなのに。
僕は封を切った。
中からカードが五枚出てくる。
少女妖精カードが一枚。
お助けアイテムカードが二枚。
衣装カードが一枚。
イベントカードが一枚。
「へえ……」
一枚ずつ確認していく。
少女妖精カード。
まずはこれだ。
僕はカードを裏返した。
「……え?」
思わず固まった。
カードの枠が、普通のものとは明らかに違う。
銀色。
そして、淡い光がカードの中で揺れている。
「これ……まさか」
カードの右上を見る。
そこには――。
『GR』
そう書かれていた。
「……GR?」
僕は数秒、動けなかった。
最高レアリティ。
店員さんが言っていた言葉が頭に浮かぶ。
「いやいや……」
そんなわけがない。
初めて買った。
たった一パック。
カードゲームの知識だってほとんどない。
なのに。
「いきなり……GR?」
僕はカードを持ったまま、呆然としていた。
カードに描かれている少女。
銀色の髪。
青紫色の瞳。
月明かりのような翼。
手には一本の剣。
カードの下部には名前が書かれている。
『GR ルナ』
「ルナ……」
名前を口にした、その瞬間。
カードが光った。
「え?」
淡い銀色の光が部屋いっぱいに広がる。
慌ててカードを落としそうになった。
しかし、光は止まらない。
カードから何かが飛び出してくる。
風が巻き起こった。
カーテンが大きく揺れる。
そして――。
月明かりのような光の中から、一人の少女が現れた。
「……召喚、完了」
少女は静かに床へ降り立った。
銀色の髪が、ふわりと揺れる。
青紫色の瞳が僕を見つめた。
しばらくの間、僕たちは何も言わなかった。
先に口を開いたのは、少女だった。
「月光に導かれて、私はここに来た」
そして、少しだけ首を傾げる。
「あなたが、私の召喚主?」
「……そう、みたい」
「みたい?」
「ごめん。僕も初めてだから」
「……そう」
少女――ルナは、僕の手元にあるカードを見た。
「私のカード」
「うん」
「あなたが引いたの?」
「そう」
「一パックで?」
「……うん」
ルナは少し黙った。
そして――。
「ふふっ」
小さく笑った。
「すごい幸運ね」
「え?」
「私、GRだから」
「……やっぱり?」
「ええ。かなり珍しい」
ルナは胸を張った。
「あなた、運がいいのね」
その言葉を聞いて、僕は少しだけ笑った。
「昔から、運だけはいいって言われるんだ」
「なら、悪くないわね」
「何が?」
「私の召喚主として」
「……そうなの?」
「たぶん」
ルナは真面目な顔で頷いた。
その姿がおかしくて、僕は笑った。
「何?」
「いや……なんだか変な感じだなって」
「変?」
「カードから女の子が出てきて、僕と普通に話してる」
「召喚少女だから当然でしょう?」
「それはそうなんだけど……」
「ふふ」
また笑う。
その表情は、カードの中で見たものよりずっと柔らかかった。
そのときだった。
部屋の隅に置いていた端末が突然起動した。
『召喚を確認しました』
「うわっ」
僕が飛び上がる。
『初回召喚特典を適用します』
「初回召喚特典?」
『召喚主登録を開始します』
端末の画面に文字が流れていく。
僕は言われるまま、自分の名前を入力した。
『召喚主――天城ユウ』
その文字が表示された。
「天城ユウ……」
ルナが僕を見る。
「あなたの名前?」
「うん」
「ユウ」
名前を呼ばれただけなのに、少しだけ胸がくすぐったくなった。
「じゃあ、ユウ。これからよろしく」
ルナが右手を差し出した。
僕は一瞬だけ戸惑った。
それから、その手を握った。
「こちらこそ。よろしく、ルナ」
その瞬間。
端末の画面に、一つの文字が浮かび上がった。
『絆ポイント――10』
「……絆ポイント?」
僕が首を傾げる。
しかしルナは、その表示を見て少し驚いた顔をした。
「もう10?」
「何かすごいの?」
「召喚直後なら、普通はもっと低いはずだけど……」
ルナは不思議そうに画面を見る。
「あなた、本当に運がいいのね」
「そうなのかな」
「きっとそうよ」
彼女は笑った。
このときの僕は、まだ知らなかった。
この一枚のカードが。
この少女との出会いが。
これから始まる僕の人生を、大きく変えることになるなんて。
そして――。
最高レアリティのGRカードを何枚も手に入れることになる僕が。
本当に最後まで大切にすることになるカードが。
この日、最初に引いたたった一枚だったことを。
◇
「ところで、ユウ」
「ん?」
「戦う準備はできてる?」
「……え?」
ルナは腰に手を当てた。
「召喚少女は、召喚しただけでは終わらないでしょう?」
「いや、僕、ルールほとんど知らないんだけど」
「……」
「ルナ?」
「……呆れた」
「え?」
「私を引いたのに、ゲームのルールを知らないの?」
「ごめん」
ルナは深いため息をついた。
そして――。
「仕方ないわね」
そう言って、僕の隣に腰を下ろした。
「最初から教えてあげる」
「ありがとう」
「ただし」
「ただし?」
ルナは僕の顔をまっすぐ見つめた。
「負けたら、私のせいにしないでよね」
「そんなことしないよ」
「……本当に?」
「うん」
「ならいいわ」
彼女は少しだけ笑った。
「私、あなたの最初の一枚なんだから」
その言葉の意味を。
僕はまだ、深く考えていなかった。
ただ――。
その夜。
僕は久しぶりに、明日が来るのを楽しみにしていた。




