第2話 キミと黒猫
「はぁ、はぁ、夢……夢か……」
心地よい風に揺れるカーテンから夕陽がチラチラと差しこんでくる頃、悪夢を見た。それは両親から虐待を受けてきた中学生の時の記憶。忘れたくても忘れさせてくれない忌々しい記憶。それが目を閉じるたび悪夢として現れる。そしていつも冷汗が滝のように流れ恐怖から息を切らしながら飛び起きる。
「……水飲も」
悪夢を見た後の重い足取りでリビングに向かった。薄暗いリビングの机に置かれたコップをもって台所の蛇口をひねりぬるい水をコップに入れて飲む。だんだん落ち着いてきた。
「そういえばこっちは夢じゃなかったんだな」
机の上にコップと一緒に置いてあった白い欠けた羽。僕はそれを手に取ってソファーに腰掛ける。昼間出会った不思議な少女、星月ノア。なんでも彼女は堕天使らしい。その証拠がこの欠けた白い羽だ。初めてその姿を見たときは自分の目を疑った。まさか本当に人に翼が生えるなんて。
「不思議なこともあるもんだな。堕天使か……」
そうつぶやいて欠けた白い羽を机に置き僕はベランダに出た。今日みたいに悪夢を見たときや気分が落ち込んだ時はよくここから街を眺めることがある。デカい公園が見えてビルが連なっていて、遠くを走ってる車はおもちゃの様に見える。
「眺めはいいんだけど……高いところ苦手だからなぁ……」
こんな高いところが苦手な僕だが、遠くを見ていれば意外と平気なのでそのまま陽が落ちるまで外を眺めていた。すると玄関の方から何やら扉をひっかくような音が聞こえる。僕は不思議に思いながら玄関へ向かいドアスコープをのぞき込んだ。だがそこには誰もいない。僕は恐る恐る扉を開けた。
「猫?ここ14階だぞ、どうやってここに……あ、ちょっと」
そこにいたのは黒い猫だった。黒猫は僕の足の間を通って家の中へ入っていった。そして黒猫はまっすぐリビングの机に置かれた欠けた白い羽の前で立ち止まった。
「その羽が気になるのか?」
黒猫は机に飛び乗り、欠けた白い羽に触れるとまばゆい光を放ち、さらさらと灰になって消えた。それを見届けた黒猫は僕の方に振り向いた。
「人間、何見てる」
「へ?」
立ち尽くす僕に黒猫は問いかける。気のせいじゃなければ今猫が喋ったような。
「どうした人間、何をそんな驚いた眼で見る?」
気のせいじゃない。今、目の前で確実にしゃべった。
「ね、猫が、しゃ、喋ったー!」
「何をそんなに驚くことがある。言葉くらい誰だって話すだろ?」
黒猫はさも当然かの様に話す。
「いやいや、普通猫は人の言葉なんてしゃべらないよ」
「そうなのか、人間界の猫は人の言葉をしゃべらないのか。まぁでも安心するといい我の声が聞こえるのは天使とその使い、それと人間、オマエだけだ」
「てことは、お前も天使の使いなんだな」
「いかにも我は、天使の使いロデムだ。まぁ、主は今、堕天しているがな」
黒猫はロデムと名乗り驚いている僕の眼を見ながらそう話す。どうやらこの黒猫ロデムはあの堕天使、星月ノアの使いらしい。
「ロデム……は、どうしてここに来たんだ?」
「……主はロクでもないからな。だからお前を探して住まわせてもらおうと思ったんだ」
「そんなにひどいのか」
「それはもうひどいぞ。まず住む家がない。それに飯はパンの耳だ。他にも……」
ロデムは僕から眼をそらす。
「ストップ!ストップ!それ以上はだめだ。いくらでも居ていいからそれ以上は言わなくていい」
「そうか?ならば遠慮なく居させてもらうとしよう」
ロデムはそう言うと机からソファーに移り体を丸めた。いやちょっと待て。
「今まで外に居たんだろ。まずは風呂だ」
僕はソファーで丸くなるロデムを抱き上げ風呂場へ向かった。
「何をする人間!なぜ我を閉じ込め湯を溜めるのだ」
桶の中にシャワーでぬるま湯を溜めているとロデムは慌てたように風呂場のドアをカリカリひっかく。
「あんまり暴れないで大人しくしてくれよ」
ロデムをぬるま湯にならすため、ぬるま湯を張った桶の中にゆっくりとロデムの足を入れ少量ずつ体にぬるま湯をかける。幸いにもロデムは最初こそ暴れていたものの、すぐに馴れたようでシャワーを当てても問題なくじっとしている。そしてあまりてこずることなくロデムを洗い終わった。ロデムの身体を拭き僕たちはリビングへ戻った。リビングの電気をつけ僕たちはソファー座る。
「一応これで綺麗になったぞ。後はちゃんと猫用シャンプー買ったらまた入ろうな」
「なに、またはやるのか。まぁ、良いか。ところで人間よ、飯はないか?」
「ご飯か、あいにく猫が食べられそうなものは家には無いかな。というかロデムは何食べるの?普通の猫と同じ?」
「うむ、基本的にはそこらの猫と同じだ。だが飯は基本何でも食うぞ」
それを聞いた僕は台所を漁り一個だけあったメロンパンを取り出しロデムに見せた。
「食べるか?」
「勿論だ」
袋を開けメロンパンを取り出してあげるとすぐにメロンパンに噛みつき食べ始めた。
「僕はカップ麺にしよ」
僕は昨日買って結局食べていないカップ麺を取り出し片手鍋に水を入れお湯を沸かそうとしたその時ベランダの方から何か物音が聞こえた。
「……人間、開けてやってくれ。主だ来た」
「え?」
ロデムの言う主。そう、堕天使の星月ノアだ。ロデムに促され僕はドキドキしながらベランダの窓を開ける。
「あ、優斗。昼間ぶりだな」
そこには、おそらく、急いで空を飛んできて乱れてしまった薄いピンク色の長い髪をした堕天使、星月ノアが立っていた。
「うん、昼間ぶりだね星月さん。よかったら中、入って」
「ありがとう、優斗。お邪魔します」
彼女は翼を畳んで部屋へ入っていく。
「あ、ロデム。なんだか心なしかきれいになった?」
「風呂に入れられたんだ。それとこの人間がここに住まわせてくれるそうだ」
「優斗、それは本当?」
メロンパンを食べながらロデムは突然そんなことを口走る。彼女も少し困惑しているがどこか嬉しそうにも見えた。
「ちょっと待ってくれ。ここに住むのはロデムだけじゃなかったのか」
「何を言う。使いである我が住むのだ、主も共にここに住まうのは当然だろ?それに断れば我と主がどうなるかわかるだろ?」
ロデムはまっすぐな瞳で僕を見る。そう、今ここで断るとロデムと彼女は帰るべき家がないため行き場を失い途方に暮れる。その話を事前にロデムから聞かされていた僕に拒否権はない。謀ったな、この猫。
「優斗?」
彼女は不安そうな眼で僕を見る。
「ここで良ければいくらでも居ていいよ」
「本当?やったー!ありがとう優斗!」
僕の答えに彼女は文字通り翼を広げ舞い上がっていた。すると突然大きな音が鳴った。彼女のお腹の音だ。当然彼女は頬を赤く染め恥ずかしそうにする。きっと肩の荷が下りて安心したんだろう。
「カップ麺しかないですけどいいですか?」
「う、うん」
「じゃあ少し時間がかかるので先にシャワー浴びてきてくださいお風呂場は廊下を出て左側の扉を開けた先です」
「わ、分かった」
彼女は赤く染まった顔を隠すように小走りで風呂場へ向かう。まさか好きな人と同居することになるなんて……僕、この先大丈夫かな。なんて心配をしながら僕はもう一個、カップ麺を取り出し、お湯を沸かし始める。




