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距離感ゼロの如月さんと自己評価ゼロのオレ  作者: 空色いろはに
夏休み② 編

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ファミレスで宿題写し会 前編 ~どこがいいの~

 夏休みの終盤。

 駅前のファミレスは、夕方手前の時間帯にしては妙に落ち着かない騒がしさがあった。

 ガラス越しの光はまだ強く、室内の冷房だけが現実を切り離している。


 窓際の四人席。

 正面に保坂美緒ほさか みお

 マサキの隣に如月理沙きさらぎ りさ


 この配置に座った瞬間から、マサキは呼吸が浅くなるのを自覚していた。


(……なんでだよ)


 別に何かあるわけじゃない。

 ただ、状況が状況すぎる。

 女二人に男一人。

 男子高校生の頭の中で一瞬だけ変な想像が走るには、十分すぎる配置だった。

 しかも相手はリサとミオだ。


 リサは、いつも少しトーンを落とした格好をしてくる。

 派手すぎない色、軽いシャツ、動きやすいスカート。

 それでも隠しきれないくらい、形が整っている。


 座り直すたびに布が軽く揺れて、スカートの裾がわずかに持ち上がる。

 太ももの柔らかいラインが一瞬だけ視界に入って、マサキの目が引っ張られた。


(……いや、見るな)


 そう思っても、一瞬だけ遅れる。


 ミオはその対極だった。

 落ち着いた雰囲気、控えめな服装。

 スカートも長く、動きも静か。

 けれど整った顔立ちが静かに目に残る。


(……そういえば)


 マサキはそこで、ほんの少しだけ引っかかる。

 今日のミオは、制服じゃない。

 学校でしか見たことがなかったせいか、私服姿というだけで印象が少しズレて見えた。

 派手さはない。

 色も落ち着いていて、無駄な装飾もない。

 それでも、きちんと選んでいる感じがある。


(……初めて見るな)


 気づいた瞬間、視線の置き場がわずかに変わる。


(……この二人とここにいるの、オレでいいのか)


 ◇   ◇


「オレは見直しだけ」


 言い切ると、リサがすぐ反応した。


「え、一緒に宿題写すって言ったじゃん」


 マサキは目を上げないまま返す。


(……言ってない)


「自分でやらないとって言った記憶しかない」


 リサはかすかに固まってから、軽く笑って肩をすくめた。

 その仕草を見て、マサキは小さく息を吐く。


(……まぁ、如月だしな)


 呆れるほどではない。

 でも、毎回こうなるのは分かっている感じのやつだ。


「ですって。リサちゃん、わたしが松前くんのを見直してる間、少しはやっててね」


 ミオの声は淡い。

 押しつけがましさがないのに、なぜか流れが決まっていく。


「へーい」


 リサはあっさり返すが、すぐにはペンを動かさない。

 机の上で指先を止めたまま、空気を見ている。

 マサキはかすかにミオへ目を向ける。


「いいのか、オレの面倒までみて」


 ミオは問題集を開いたまま、淡々と答えた。


「教える練習になりますから」


 その言葉で、マサキは引っかかる。


(……前も似たようなことは言ってたな)


 勉強会のときは理屈として納得した。

 教えることは知識の定着になる、と。

 でも今のそれは、少しだけ理由が足りているようで、余計なようでもあった。


(教える練習って必要か?)


 すぐに思考を切って、マサキは言う。


「教えるの上手くなってどうする?」


 ミオは目をわずかに上げた。


「わたし将来は教師になりたいんですよ」


 教師か。

「教える練習」という言い方も、その延長なら分かる。


「もう将来決めてる?」


 マサキがそう言うと、ミオは首を横に振った。


「決めたというわけでは…なりたいってだけです」


「でも、もう目指してるわけだろ。今こうして」


 マサキはそこで一度だけミオを見た。

 違和感というより、素直な感心に近い。


(二年の一学期で、そこまで言えるもんなんだな)


 まだ進路希望すら曖昧な時期だ。

 周りも「なんとなく理系」「なんとなく大学」みたいな空気の中で、ここまで具体的に言い切るのは少し浮いている。

 けれど、それが変に大げさでもなく、ただ事実みたいに口から出ているのがミオらしかった。


 ミオはかすかに詰まらせてから、少し慌てた声になる。


「そ、そんなことないです。ぶれぶれですよ」


 マサキに<決めてる人間>みたいに見られた気がして、否定が早く出たように見えた。

 それから、落ち着きを取り戻すように続ける。


「教師を目指したいって、先生に相談してみたことがあるんですけど。教師って、授業で教える時間より、むしろそれ以外の仕事のほうが多い。って言ってました」


 指を折るみたいに挙げていく。


「テストの作成と採点、成績の管理、部活動の対応、行事の準備、あとは生徒指導。『教えるのが好き』だけだと、保坂がやりたいこととは違うかも知れない。って言われまして」


 ミオは言葉を一度切る。


「ここだけの話、先生やってて一番大変なのは保護者の相手だ。とも言ってました」


 マサキは短く息を吐いた。


(なるほど…現実的だ)


 リサは横で小さく笑う。


「ふふ」


 ミオは続ける。


「でも、そうやって頼ってくれる生徒がいるからこそ、やりがいがあって続けられてるんだけどね。と……まぁ、そういうふうにおっしゃっていて」


(やりがい)


 マサキの中でだけ、その単語が少し浮いたまま残る。

 ミオはわずかだけ言葉を探すように間を置いた。


「だから、いいところも悪いところも両方見ないと、向いてるかどうかはまだ決められないですよね。今の段階では、教師だって言い切れる感じではないと思ってます」


 リサが軽く身を乗り出して、思いついたように言った。


「松前くんはねー。音楽の先生とかどう?」


 マサキはすぐ目を外す。


「喋るの苦手って知ってるだろ」


 リサは悪びれもせず、少し笑う。


「えー、音楽は身体で覚えるものだって教えてくれたじゃん」


「それはゲーム」


 間髪入れずに返すマサキに、リサは肩をすくめた。


「松前くんは真面目だなぁ」


「如月が軽すぎなんじゃ?」


 軽口の応酬のあと、空気がほんの少しだけ緩む。

 その流れを切るように、ミオが口を開いた。


「松前くんは真面目というより、慎重になりすぎてますね」


 間を置いて、続ける。


「ほら、難しい問題になると答えが出かかっているのに手が止まるじゃないですか」


 ミオは問題集を軽く指で叩いた。


「悩んでないでとにかく書き出しちゃえばいいんですよ。プリントの端を汚すのがそんなにイヤですか?」


 マサキはかすかに固まった。


(……それ、暗にオレの口数の少なさの話してる?)


 言いたいことがあっても止まる。

 変に考える。

 削る。

 黙る。

 <誰もそんな完璧な答え求めてない>、そう言われた気がした。


 ミオの言葉は続く。


「ほら、また悩んでる。答えは両方です」


「えっ、なんで分かるんだ。こわっ」


 反射で口をつくマサキに、ミオは返す。


「わたしがそういうニュアンスをこめて言ったからです」


「それに対して松前くんが簡単な質問にも黙って目を逸らした。確定じゃないですか」


「……」


 リサが横から首をかしげる。


「なんの話?」


 ミオは一拍置いてから、少し柔らかく言った。


「自覚があるならなによりです」


「自分を客観的に見れるのは大事なことですから、それが出来ているなら変えられますよ」


 マサキがかすかに眉を動かす。


「どっちの話?」


 ミオは即答した。


「両方です」


 ◇   ◇


 ドリンクバーの前。

 マサキはトングを手にして、無言で氷をカップに落としていた。

 普段ならコーラ一択で終わるところだが、せっかくのドリンクバーだと思うと、妙に選択肢が増えている気がする。

 メロンソーダ、アイスココア、オレンジジュース。

 それぞれボタンの前でわずかずつ目が止まる。


(どれからいく…)


 そんなことを考えていたところだった。


「松前くんさー」


 背後から声。


「っ」


 肩がかすかに跳ねる。

 振り返ると、同じクラスの男子が数人立っていた。


「なに女の子二人も連れてこんなとこいんの」


「しかも如月さんと保坂ちゃん」


「ずるくない?一人寄越せよ」


 軽いノリの笑い。

 深い意味はなさそうだが、距離感だけが雑に近い。

 マサキは一拍置いて、氷の音を止めないまま返した。


「本人に言えば」


「え、了解」


 男子たちはそのまま軽く手を上げて、席の方へ歩いていく。

 途中で振り返ることもなく、ノリのまま流れていった。


(ほんとに行くのか…)


 去っていく気配を背に感じながらも、マサキはすぐには動かなかった。

 カップを手にしたまま、ドリンクバーの前に残る。


(コーラ以外となると難しい……)


 目が再びボタンの列をなぞる。


 ミオはアイスコーヒーを飲んでいた。

 黒い液体を自然に口に運ぶ様子が、少しだけ大人びて見える。


(あれ、苦くないのか)


 真似するのは簡単だが、違う結果になる気もする。

 背伸びして失敗するのは避けたい。


 リサはアイスココアを飲んでいた。

 ストローをくわえる動きが軽くて、甘い飲み物がよく似合う。


(あれはさすがに甘すぎる)


 自分には少し重い気がする。

 さらに目を落とすと、野菜ジュースのボタンが入ってくる。


(こんなのまであるのか…)


 健康的ではあるが、今この場の流れには馴染まない。

 ホットのコーナーもある。

 コーヒー、紅茶、フレーバーティー。


(……ホットか)


 この季節にわざわざ選ぶものでもない。

 でも、なぜか少しだけ気になる。

 冷たい飲み物とホットの境目を見比べるようにして、マサキはその場に立ち止まったまま、しばらく決めきれずにいた。


 ◇


 ドリンクバー付近の一角に、少しだけ軽い空気が流れ込む。


「如月さんと保坂ちゃんじゃん、奇遇だねー」


「宿題やってるの?えらいねー」


 声をかけてきたのは、同じ学校の男子数人だった。

 気安い笑いを浮かべながら、目はリサとミオを順に追っている。

 ミオはかすかに眉を動かす。

 どう扱うのが正解かを測っている目。

 リサは気にした様子もなく、ぱっと顔を上げる。


「うん、真面目に写してるー」


 にっこりとした笑顔。

 内容そのものは雑なのに、言い方だけは妙にまっすぐで、少しズレている。

 男子の一人が小さく笑う。


「写してるんだ」


 その一言で空気が柔らかくなり、間の抜けた言い方なのに、妙に絵になる。

 そんな余韻のまま、男子が続ける。


「ねぇ、オレらあっちの席なんだけど来ない?」


 雑な冗談の延長のような誘い。

 リサはかすかに目を瞬かせてから、困ったように笑った。


「えー、友達と来てるから無理かなぁ」


 自然な断り方だった。

 強く拒んでいるわけではないのに、理由としてはきれいに成立している。

 そこで男子が、軽い調子のまま言葉を重ねる。


「松前くんも一緒でいいよ」


 その一言で、空気の置き場がずれる。

 リサは返答をかすかに失う。


 本来なら、「松前くんが大人数苦手だから」と言えば簡単な話だ。

 けれど今の流れのままそれを挟めば、判断の主体をマサキに移す形になる。

 決定権がマサキ本人に向けられる空気になる。

 それだけは避けたかった。


 その停滞を、ミオは見逃さない。


「イヤです」


 はっきりした拒絶。

 理由も補足もない。

 場の流れを<誰かに回すこと>自体を断ち切る。

 冗談の余地ごと切り落とすような線引きだった。

 男子はかすかに固まる。


 空気を戻すように、話題を少し変える。


「あのさ、普通に疑問なんだけど……」


 言いながら、リサの表情をかすかに確かめるように目を向ける。


「なんで二人とも松前と一緒にいるの?どこがいいのかなーって」


 リサはかすかに首を傾げて、あっさり言った。


「えー、普通に優しいからだよ?松前くんって変に見栄張らないじゃん。こっちも自然でいられるんだよね」


 軽いトーンなのに、理由としては妙に筋が通っている。

 続いてミオが口を開く。


「どこがいいのか分からない時点で、説明しても理解できないと思います」


 感情の揺れはほとんどない。

 ただ距離だけをきっちり引いた言い方。

 男子は苦笑するしかない。


「そんなこと言わないで教えてよー」


 軽く食い下がる声。

 そのタイミングで、リサが立ち上がる。

 椅子は固定されているため音は立たないが、代わりにカバンの位置がずれて空気が動く。


「松前くん遅いから見てくるねー」


 明るい声。

 軽さはそのままなのに、さっきまでの流れからふっと切り離すような間がある。


(逃げちゃお)


 そのまま、軽い足取りで席を離れていく。


 通路をすり抜ける動きに合わせて、スカートのひらがふわっと揺れた。

 歩くたびにわずかに動く腰のラインに、男子たちの目が自然に引っ張られる。


 ミオの目がかすかに止まる。


(……押しつけられた)


 空いた席と男子たちの目が、まっすぐこちらへ流れてきた。


「……そうですね。では答えましょうか」


 声は変わらず淡い。


「無理に人に合わせてないのがいいですね。変に盛り上げようとして空回りもしませんし、自分を大きく見せるために誰かを下げたりもしないので、一緒にいて疲れないんですよ」


 説明というより、事実を並べていくような調子だった。


 その少し離れた通路側。

 ちょうどドリンクバーの方から戻ってきたマサキとリサが、足を止める。

 ミオの声が聞こえた瞬間、二人とも自然に速度を落とした。


(……これ、誰の話だ)


 マサキはわずかに視線をそらすが、そのまま流れに引っかかる。

 リサはというと、少しだけ楽しそうに目を細めて、声を出さないまま立ち止まる。

 ミオの言葉は続く。


「あと、ちゃんと見てくれてます。誰かが嫌がってるとか、困ってるとか、そういうの気づいてるのに、恩着せがましくしません」


「それに、松前くんって相手によって態度変えないじゃないですか。人気ある人だから優しくするとか、静かな人だから雑にするとか、そういうのがありません」


 そのあたりで、マサキの眉がわずかに動く。


(オレの話だった……)


 止めに入るか迷うが、まだ出るタイミングではない。

 ミオは気づかず続ける。


「適当に流してるようで、会話をちゃんと覚えてくれてます。まぁ、信用できますよね。あと、頼れるので」


 そこで言葉が切れる。


「ご納得いただけました?」


 その瞬間、少し離れたところから声が落ちる。


「保坂さん」


 マサキだった。

 ミオが顔を上げる。

 そこで初めて、二人が戻ってきていたことに気づく。


「おかえりなさい」


 リサも隣で、面白がるでもなく、ただ軽く手を振った。

 マサキは短く息を吐く。


「勝手にハードル上げないでくれ」


 ミオは視線だけを少し横に流した。


「事実です」


 マサキはわずかに顔をしかめる。


「急に褒めるのやめてくれ…」


 ミオは視線を戻して続けた。


「質問されたので答えただけです」


 マサキがすぐに返す。


「ハードルは上げるな」


 ミオはわずかに首を傾ける。


「下げる理由もありません」


 言い切るというより、当たり前のことを置くような調子だった。

 マサキは短く言葉を落とす。


「そういうとこ」


 ミオは一拍だけ間を置いてから、すぐに返した。


「どこですか」


「…」


 マサキの言葉がそこで止まる。

 ミオはその一瞬を逃さず、わずかだけ楽しそうに目を細めた。


「……あれ、言い負かしちゃいました?」


 からかうというより、確認するみたいな軽さだった。

 リサが横で笑う。


「ねー、ミオちゃん意地悪だよね」


 そのやり取りの隙間に、別の声が割り込む。


「松前くんなんでこんな好かれてんの?」


 男子生徒の何気ない疑問だった。

 マサキは即座に肩をすくめる。


「オレが聞きたい」


 ミオはわずかに視線を上げて、あっさりと返した。


「さっき聞かせました」


 その一言の余韻を引きずったまま、男子は一度だけ視線を泳がせた。


「事実だったらさー」


 軽く笑いを混ぜながらも、その目線はわずかに強い。

 場を壊すほどではないが、引き下がるほどでもない、ぎりぎりの温度だった。


「松前くんって、そんな持ち上げるほど?」


「無口だしさ、正直ノリ悪いっていうか。どっちかっていうと陰キャ寄りだし」


 目に見える事実を並べていく口調。


「運動とかも別に目立ってる感じじゃないし」


「今も普通に勉強、女の子に教えてもらってるし」


 視線がわずかにミオに触れて、すぐ外れる。


「頼られてるっていうより、面倒見てもらってる側じゃん?」


 そこで軽く笑うが、冗談の形はすでに薄い。


「あとさ、顔も別にめっちゃいいって感じじゃないだろ」


 言い切る直前で、わずかに言い直すような間が入る。


「なんか、そこまで特別扱いされる理由ある?」


 最後は問いという形に落ちる。

 男子生徒の言葉が落ちたあと、空気がわずかに静かに固まった。

 その沈黙を切ったのは、リサだった。


「……あのさぁ」


 椅子からわずかに身を乗り出すようにして、リサは口を開いた。

 動きに合わせて、柔らかい髪が肩先でわずかに揺れる。

 怒っているというより、呆れと熱がそのまま混ざったような声だった。


「そういうところでしか人のこと評価しないから、モテないんじゃないの?」


「え?」


 返事を待たずに、リサはさらに一歩だけ言葉を踏み込ませる。


「運動できるできないとかで、人の価値決めてる時点で終わってるよ?」


「どうせ女の子に勉強教えてもらったことないから僻んでるだけでしょ」


 リサは机に軽く手をつきながら、姿勢をわずかに変える。

 細い肩のラインがすっと浮かび、動きに合わせて空気が流れる。


「頼る頼らないってそういう話じゃないんだよね、精神的な支えのことを言ってるの」


「誰かと一緒にいる理由なんて、そんなん一緒にいたいからに決まってるじゃん」


 そこで息を切ってから、視線を横に流した。


「あと顔の話したけどさ」


「普通にイケメン寄りなんだけど」


 言い切った瞬間、空気がほんのわずかにずれる。

 男子生徒が一瞬だけ、言葉にできない顔をした。


(マジで?女子から見るとそういう評価なの?)


 リサはそれに気づいているのかいないのか、軽く椅子の背に体重を戻した。

 その動きで、さっきまで前に出ていた空気が引く。


「派手に目立つタイプじゃないだけで、ちゃんと整ってるし」


「目も鼻も口もバランスいいし、主張強くないから崩れないの」


「変に気取らないから余計にそう見えるんだよね」


 わずかだけ間を置いて、最後を落とすように言った。


「ちゃんと見れば分かるやつ」


「これでかっこいいと思わない人って、たぶん見る目ないよ」


 その言葉が落ちた瞬間、リサは軽く姿勢を戻し、髪を指先で払う。


「如月」


 短い声が入る。

 リサはすぐに視線を向けたまま、わずかに首を傾ける。


「なに?あたし間違ってる?」


 動きは軽いのに、逃げる気配はない。

 一拍置いて、マサキは小さく息を吐いた。


「いや、落ち着け」


 その声はできるだけ感情を削ったものだった。

 だが内側では、まったく別のことが起きている。


(……いや、待て。今のは普通に褒めすぎだろ。しかも人前で何言ってんだ)


 顔の話をあそこまで具体的に並べられるとは思っていなかった。

 しかも、迷いもなく、断定で。

 視線の置き場がわからなくなる。

 耳の奥が妙に熱い。


(聞いてるこっちが無理になる)


 リサの方を見ていないのに、視界の端で動きだけがやけに鮮明だった。


(こっちは今普通に死にそうなんだけど)


 耳だけが少し熱いまま、マサキはそれ以上何も言えなかった。

 リサがわずかだけ息を吐いて、場の重さを切るように姿勢を戻す。

 さっきまでの熱を引きずらないまま、あっさりと手を軽く上げた。


「はーい、あとはミオちゃんお願いします」


 その一言で、空気がすっと切り替わる。

 ミオはわずかに視線を上げてから、口を開いた。


「松前くんは…わたしが勉強をみるのを断っているので、面倒をみているというのは違う気がします。わたしが押し切った形なので、ただ巻き込んでるだけですね」


「へー、でもだからこそなんだけど。なんでそこまでするわけ?」


 ミオはわずかだけ間を置いた。


「そこが違うんですけどね」


 感情は薄いまま、言葉だけが正確に並ぶ。


「こちらが特別扱いしているつもりはないです。ただ、他の人と同じ扱いをするのは違うと思っているだけです。…この人に対しては、こっちが特別扱いされたいと思っている方なので」


 さらっと言ったあとで、ほんのわずかだけ間が空く。


「だから勝手にやっているのは、わたしの方です」


「でもそれってさ……結局、松前くんのこと気に入ってるってことじゃん」


 ミオは小さく息を吐く。


「はぁ……さっきから話が堂々巡りですね。そういうの、本当に疲れます」


 視線をわずかに横に流す。


「松前くんならあっさり引いてくれますよ」


「保坂ちゃんて、つまりその…松前くんのことが好きってこと?」


 その問いに、ミオは即答した。


「ええ、人として好きですよ」


 その言葉だけが、かすかだけ空気の中で浮いた。


 その間、マサキは席へ戻ったところだった。

 ミオの声が聞こえた瞬間、手が止まる。


(好き)


 それだけが、妙に雑音なく入ってきて、逆に処理できないまま残る。

 一拍置いて、ミオは空気を切るように続けた。


「……自分の友達を貶められて、わたしはとても気分が悪いので。早く視界から消えてください」


 その一言で、男子の軽い笑いもそこで止まった。

 マサキは一拍遅れて息を吐く。


(え…保坂さんって、オレのこと好きなの?)


 思考がかすかだけ浮いて、すぐに行き場を失ったまま残る。


 さっきまでの言葉が、急に軽く見える。

 この場でマサキを下げることが、ただの会話じゃ済まない空気になっていた。

 それでも言ってしまったのは、いつものリサなら「受け流してくれる」からだった。

 いつもなら、笑って終わる。

『えー、そんなこと言わないでよー』そうやって場を丸くして終わる。


 今回もそういう流れだと思っていたから、大丈夫じゃないかと錯覚していた。

 けれど、違った。

 リサは、マサキを下げることに対して、ちゃんと線を引いた。


 軽く笑っているように見えて、今まで内側では違っていたのかもしれない、と男子生徒は思った。


 それを今さら気づいたことが、遅れてじわっと効いてくる。

 だからこそ、次に出た声は、かすかだけ小さくなった。


「ご、ごめん」


 ミオの声は変わらなかった。


「謝る相手が違います」


 それだけ言って、目をかすかに外す。

 もうそれ以上は踏み込まないという線引きだけが、静かに残った。

 その言葉で、場の目がマサキへ向く。


 男子生徒はかすかに口を開きかけて、すぐに閉じた。

 軽口で逃げられる空気じゃないと分かるまでに、少し時間がかかる。


 息をひとつ吐いた。


「……えっと、その。……ごめん、松前」


 言葉を選ぶ間が、さっきまでよりも慎重になっている。


「……さっきのは普通に言いすぎた」


「悪気っていうか、ただのノリというか……でも、普通に失礼だったと思う」


 途中で、目を落とす。


「あと、面倒見てもらってるとか、そういうのもさ……言い方悪かった」


「正直、ちゃんと見てなかっただけだと思う」


「勝手に決めつけてたっていうか」


 そこまで言ってから、自分で苦笑いを挟むようにして、頭を下げた。


「ごめん」


 静かに顔を上げる。

 その一連を、マサキは真正面から受け取っていた。

 受け取った感覚はある。

 ちゃんと謝られているのも分かる。


「……」


「………お、おぉ」


 沈黙が落ちる。

 そのまま数秒、何も続かない。

 男子生徒がかすかに顔を上げる。


「え、終わり?」


 その言葉で、さらに空白が一段深くなる。

 マサキは口を開こうとして、止まった。

 謝罪は分かる。

 納得もしている。

 ただ、それに対して<正解の返し>がどこにも見当たらない。


(こういうとき、まだ言うことあるのか……?)


 何も出てこないまま、目だけが少し宙に浮いた。

 マサキはリサの袖を軽く引いた。

 ほんの少しだけ布が動いて、リサがそれに気づく。


「ん?」


 リサは小さく頷いたあとに、マサキの耳元でこっそり囁く。


 声が低くて近かった。

 耳の内側に温度が入ってくる感じがして、マサキはかすかに息を止める。


「気にしてない」


 マサキはそれを繰り返す。


「気にしてない」


 同じ言葉を繰り返しただけなのに、そこに迷いはなかった。

 男子生徒の表情が、かすかに崩れる。


 リサはその横で、軽く息を吸ってから続けた。


「謝ってくれたから」


 その言葉に、マサキも同じように繰り返す。


「謝ってくれたから」


 リサがかすかに頷く。

 さらに、間を置かずに言った。


「それでいい」


 マサキも、少し遅れて同じように返す。


「それでいい」


 言い終えた瞬間、マサキは内心でかすかに頷いていた。


(……今の、ちゃんと言えたな)


 言葉としても破綻していない。

 相手にも伝わっている。

 問題はない。

 男子生徒の方は、少し拍子抜けしたような顔のまま立っているが、それも気にならなかった。

 リサが小さく笑う。


「よくできました」


 軽い一言。

 そのやり取りを見ていた男子生徒が、ようやく力の抜けたように笑いをこぼした。


「いや、喋るの下手すぎだろ……」


「いまのはちょっと面白かった」


 その言葉に、マサキは一拍遅れて目だけを向ける。


(……面白いこと言ったか?)


 特に何も思い当たらない顔のまま、ほんの少しだけ首をかしげる。

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