66. 夏の終わり 前編 ~たぶんオレだけ意識している2~ (挿絵)
「迎えに来たよー」
リサがぬいぐるみに話しかけながら、投入口に500円を入れる。
筐体に6クレジットの表示が灯った。
「では、お願いしまーす」
当然みたいに言いながら、横へずれる。
マサキはスティックを握った。
(天井入ってればいける)
確率機は、設定分の金額が投入された時点でアームの掴む力が上がる。
この台にも、既に何人かが金を入れていたはずだ。
アームが動いた。
"とんかつ"の真上へ移動し、ゆっくり降りる。
両端を挟み、そのまま持ち上がった。
「あ」
リサの声が漏れる。
アームは落としてたまるかと言わんばかりに景品を持ち上げ、そのまま出口の上へ運んでいく。
ぽとん。
落ちた音がした。
「一発!」
リサが勢いよく振り返る。
目が丸くなっていた。
「え、すごい! 一発で取れたよ? さすが! かっこいい!」
全部一息で言った。
マサキは視線を筐体に残したまま、
「……天井入ってただけ」
と小さく返す。
「でもすごい! かっこいい!」
なぜか二回言われた。
マサキは何も返さなかったが、リサが嬉しそうなのは素直によかった。
景品を受け取ったリサが、"とんかつ"を両手で抱える。
その顔が、分かりやすく緩んだ。
ただ、その横でマサキはクレジット表示を見る。
(……5クレジット残ってる)
「まだいけるの?」
リサが筐体を覗き込んだ。
「景品取ったら天井リセットされるから……アームの力、戻ってて……」
説明すると、リサは「なるほどー」と素直に頷く。
それから腕の中の"とんかつ"を見下ろし、もう一度筐体の中へ目を向けた。
"とんかつ"よりさらに小さい、白くて細いぬいぐるみ。
えびの尻尾みたいな形をしたそれが、奥で転がっている。
「あの子、とんかつといつも一緒にいる子なんだよ。友達なの」
「……友達」
「そう。食べ残された者同士で仲良しって設定があって」
「……食べ残された」
少し考えさせられる情報だった。
「可愛いでしょ」
「……まあ」
正直、どこが可愛いのかはよく分からない。
でも、リサが欲しそうにしているのは分かった。
「一緒にいた方が、とんかつも嬉しいし。えびふらいのしっぽも嬉しいよ」
そう言って、"とんかつ"を少し持ち上げる。
「取れなくてもいいから、残りはあの子狙ってほしい」
声は軽かった。
ただ、状況は軽くない。
天井後のアームは、通常の力に戻っている。
マサキは、確率が入っていない状態で景品を取れるほど上手くない。
一回もない。
本当に一回もない。
それでも。
リサは横で見ている。
さっき「かっこいい」と言った。
天井が入っていただけだと分かっていても、嬉しそうにしていた。
(ここで取れたら、絶対かっこいい)
マサキは思う。
"とんかつ"を一発で取った流れのまま、その友達まで回収する。
かなり格好いい流れだ。
問題は、アームのパワーがもう戻っていることだった。
細い景品は逆に滑る。
(無理なんだよな……)
脳内の冷静な部分がそう言っていた。
その時。
「あ、ちょっと待って」
リサが一歩横へずれた。
マサキが反応するより先に、通りがかった店員へ声をかける。
「あの、すみません。この子を入れる袋もらえますか?」
抱えていた"とんかつ"を見せながら聞いた。
近づいてきた店員は、二十代前半くらいの男だった。
その瞬間、マサキは改めて今日のリサの格好を確認する。
細い紐のキャミソール。
鎖骨から胸元にかけてかなり開いている。
少しかがめば谷間が見えそうな浅さで、ネックレスがそこへ視線を誘っていた。
ミニスカートも短い。
脚が長いせいで、丈が余計にそう見える。
しかも本人が慣れていない。
裾を触る。
肩を気にする。
胸元を押さえる。
なのに、人から見られている意識は一切なかった。
店員の男は、振り返った瞬間に目の動きが変わった。
まず顔。
そのあと胸。
脚。
また胸。
視線の動きが分かりやすすぎる。
「あ、ありますあります!」
声まで少し浮ついていた。
リサが「ありがとうございます」と笑うたびに、男の視線が揺れた。
胸元へ落ちる。
肩へ行く。
脚へ落ちる。
そのたびに、マサキの奥歯が少しずつ噛み合った。
(……見すぎだろ)
リサは気づいていない。
いや、気づいていて流しているのかもしれない。
いつもの愛想のいい笑顔で、そのまま受け流していた。
しかし、
(勝手に見てんじゃねぇよ)
胸の奥が妙にざらつく。
リサが袋を受け取ろうとして少し前屈みになった。
キャミソールの生地がふわっと緩む。
男の視線が一瞬止まった。
分かりやすすぎた。
マサキは無言のまま、視界の端だけで男を捉えた。
(……だからそういう服着るな)
思った瞬間、自分で打ち消す。
違う。
悪いのはリサじゃない。
勝手に見てる方だ。
でも、見られる。
今日の格好は、どうしたって見られる。
さっき一瞬見えた薄いピンクまで思い出した。
(……いや今それ考えるな)
余計に機嫌が悪くなる。
店員はニコニコしたまま筐体を開けた。
「次どれ狙ってます?」
「えっと、えびふらいのしっぽを……」
「じゃあ初期位置に直しますねー」
明らかにサービスだった。
既に一個取っている客に、普通はやらない。
出口近く、引っかけやすい角度。
しかも横向き。
(かなり甘い……)
店員は扉を閉めながら、またリサを見る。
「がんばってください」
「ありがとうございます」
リサがぺこっと頭を下げた。
前屈みになった拍子に胸元が揺れる。
店員の目線が吸われるみたいに落ちた。
「……っ、はい」
返事まで遅れている。
(……もう帰れこいつ)
店員が離れていく。
その背中を見送りながら、マサキの指が無意識にスティックを強く握った。
視線を筐体へ戻す。
出口近く。
横向き。
細い景品。
店員の"サービス"が、分かりやすすぎる。
(……これで取れなかったら逆にダサい)
問題はそこだった。
「取れそう?」
リサが横から覗き込む。
「……」
「松前くん?」
「……取る」
低く言った。
リサはきょとんとして、それから少しだけ笑う。
◇
「うん、お願い」
その声を聞いた瞬間、マサキの中で何かが変に燃えた。
絶対取る。もうそれだけだった。
仕組みは分かる。設定も読める。
でも、確率なしで取れた試しが一度もなかった。
一回目。
アームが"えびふらいのしっぽ"の端を掠める。
少しだけ動いた。
でも、落ちない。
「おっ」
リサが声を上げた。
二回目は滑った。
三回目で少し回転する。
箱の端へ寄った。
「惜しい!」
ぴょこっと跳ねるリサの横で、マサキは無言のまま筐体を見る。
(惜しいのが一番困る)
取れそうで取れない。
アームは弱い。
持ち上がらない。
でも、位置だけはいい。
(いや、これ普通にいける配置だろ)
(なんで落ちない)
(頼むから落ちろ)
四回目。
引っかかった。
持ち上がる。
そのまま落ちるかと思った瞬間、するっと抜けて元の位置へ戻った。
「あーっ」
悔しそうな声が横で漏れる。
クレジットが減る表示を見て、マサキの喉が止まった。
(やばい)
これで取れなかったら、普通に格好悪い。
しかもリサが見ている。
期待したみたいな顔で、ずっと横にいる。
(いや、別に期待はしてないかもしれないけど)
(でもお願いって言ったし)
(取れたら絶対かっこいい流れだった)
じわっと変な汗が出る。
それでも視線は筐体から外さなかった。
リサはずっと隣で、マサキを見ていた。
アームの動きを追う真剣な横顔。
少し寄った眉。
自分のために、本気で取ろうとしてくれている。
それが嬉しかった。
(かっこいい……)
残り一回。
最後のクレジットで、アームがゆっくり動く。
右。
少し奥。
止まった。
(ここ)
ボタンを押す。
アームが降りる。
片爪が、"えびふらいのしっぽ"の細い部分へ引っかかった。
少し浮いて、傾く。
ぐらっと揺れて――ぽとん、と落ちた。
一瞬遅れて、景品口の音が聞こえる。
「――取れたーーー!」
リサの声がゲームセンターに響いた。
次の瞬間。
むにっ。
勢いのまま抱きつかれる。
「っ」
柔らかかった。
胸がそのまま押し当てられる。
腕が首へ回る。
「取れた取れた! えびふらいのしっぽ取れた!」
興奮した声が耳元で弾む。
抱きついた勢いのまま、ぐにぐにと胸が押し付けられた。
肩へ体重を預けたリサが、ぴょこぴょこ跳ねるたびに柔らかさも動く。
(待て、当たってる)
(いや抱きついてるから当然だけど)
(しかも動いてる)
「如月……っ」
「すごい! ほんとに取れた!」
聞いてない。
そのたびに胸がまた押し付けられる。
(柔らか……)
思考が止まった。
リサは完全にテンションが上がっていた。
頬が赤い。
目がきらきらしている。
抱きついたまま、"えびふらいのしっぽ"を掲げた。
「ほら! 友達再会した!」
袋の中で、"とんかつ"の横へ"えびふらいのしっぽ"を並べる。
白くて細いしっぽが、薄茶色の丸いぬいぐるみの隣へ収まった。
その瞬間、マサキは少し黙る。
「……」
「どうしたの?」
「……いや」
もう一回見る。
白いえびふらいのしっぽ。
その横の、茶色い丸。
並んでいる。
確かに。
確かにこれは――
「……とんかつだな」
「でしょ?」
リサがぱっと顔を上げた。
「……いや、単体だとたわしだった」
「なぁにそれ」
リサが笑う。
そのまま袋を持ち上げて、"とんかつ"と"えびふらいのしっぽ"を向かい合わせるみたいに揺らした。
「よかったねぇ、再会できて」
ぬいぐるみに話しかけている。
マサキはその様子を見ながら、もう一度"とんかつ"を見た。
さっきまでどう見ても"たわし"だったものが、今はちゃんと"とんかつ"に見える。
理由は単純だった。
横に、えびふらいのしっぽがいるからだ。
◇
皿の端に残された者同士。
並んだ瞬間、ただの茶色い丸だったものに意味が生まれた。
えびふらいのしっぽの隣にいると、急にそれは衣のついたとんかつに見えてくる。
一人だと、ただのよく分からない形だったのに。
隣に誰かがいるだけで、ちゃんと"そういうもの"になる。
家族旅行の話は、一度も聞かなかった。
この夏、どこへ行ったという話もない。
きっと、一人で過ごしていた。
だからリサは、誰かとゲームセンターへ来て。
ぬいぐるみを取って。
くだらないことで笑って。
そういう"普通の夏休み"をやりたかったのかもしれない。
マサキの隣にいる時だけ、リサは急に"そういう女の子"に見える。
ただ明るいだけじゃない。
ただ距離が近いだけでもない。
夏休みの終わりを惜しむみたいに少し背伸びして、誰かに「見てほしい」と思っている、ごく普通の女の子。
まるで"とんかつ"みたいだ。
「?」
リサが不思議そうに首を傾げる。
マサキは視線を戻した。
「……いや、なんでもない」
リサは気にした様子もなく、また袋の中を覗き込む。
「仲良しだねぇ」
嬉しそうだった。
その横顔を見ながら、マサキはぼんやり思う。
たぶん、リサはこういうのが好きなんだ。
一人ぼっちだったもの同士が、並んでるの。
◇
「あ」
改札を抜けかけたところで、リサがスマホを見たまま足を止めた。
人の流れが横を抜けていく。
終電後の駅は、さっきまでのざわつきが嘘みたいに静かで、遠くの自販機の駆動音だけがやけに響いていた。
マサキは一歩先で振り返る。
「どうした」
リサが画面をこちらへ向けた。
時刻表アプリ。
表示された文字列を見て、マサキも動きを止める。
「……終電なくなった」
「は」
リサは顔を上げると、悪びれた様子もなく、むしろ少し楽しそうに口元を緩めた。
「えへへ、やっちゃったねー」
「なんで確認してな………オレもだけど」
言いながら、自分でも確認していなかったことに気づく。
途中で時間を見る機会なんて、いくらでもあった。
ゲーセンを出た時。
夜ご飯を食べ終わった時。
駅前をぶらついていた時。
なのに、どっちも見ていない。
リサは肩から提げた透明の袋を揺らした。
中で"とんかつ"と"えびふらいのしっぽ"が並んで揺れる。
「楽しかったから仕方ないねぇ」
笑いながら言う。
本当に、それだけみたいに。
マサキだけが笑えなかった。
終電がない。
つまり帰れない。
頭の中で、その意味だけが異様に大きく響く。
しかも、今日の格好だった。
肩の大きく開いたトップス。
短すぎるスカート。
動くたびに目のやり場がなくなる胸元。
駅構内の白い照明に照らされると、肌の白さばかり浮いて見える。
ネックレスの細いチェーンが鎖骨の上で揺れるたび、そこへ視線が吸われそうになって、マサキは何度目か分からないため息を飲み込んだ。
リサはそんなこと気にした様子もなく、改札横の路線図を見上げている。
マサキは少し迷ってから口を開いた。
「……とりあえず、タクシーとか」
「え、帰るの?」
あまりにも自然に返されて、マサキは言葉を失う。
困っているというわりに、全然困って見えない。
むしろどこか楽しそうだった。
その顔を見て、マサキは少しだけ視線を逸らす。
目に入るのは、夏休み終盤の夜。
まだ少し熱の残った空気。
コンビニ前に座る学生。
遠くで笑う酔っ払い。
夏休みの間、リサから家族の話は出なかった。
どこどこへ行ったとか、そういうよくある話が一回もない。
なのに今日は、朝からずっと楽しそうだった。
ゲームセンターで騒いで。
また変なジュースを買って押し付けてきて。
あてもないのにぶらぶらして。
人混みの中で腕を組んで。
思い出が、それだけしかない。
「どうしたい…?」
気づけば、そう聞いていた。
リサが振り返る。
ぱち、と目が合った。
「ネカフェとか」
軽い調子だった。
でも、そのあと少しだけ笑う。
「一回やってみたかったんだよね。終電なくしてネカフェ泊まるの」
マサキの思考が止まった。
ネカフェ。
頭の中で、その単語だけが妙に反響する。
(いや待て)
(待て待て待て)
たぶん深い意味はない。
本当にない。
リサはきっと、"終電逃したイベント"くらいの感覚で言っている。
誰かと夜まで遊んで。
帰れなくなって。
ちょっと困って。
でもそれすら楽しいみたいな。
そういう"普通の夏休み"の延長。
マサキだけが、勝手に重大事故として受け止めていた。
「……ネカフェって」
声が少し掠れる。
「うん?」
「如月、そういうの……平気なのか」
リサはきょとんとした。
「漫画いっぱいあるし、ドリンクバーあるし、楽しいよ?」
「そういう意味じゃなくて」
「あとシャワーもある」
「今それ言うな」
思ったより強く返ってしまった。
マサキは一度、目を閉じる。
帰さないと、と思う。
でも同時に、まだ一緒にいたいとも思っている自分がいた。
それが一番まずかった。
「行かないの?」
リサが下から覗き込んでくる。
「………行く」
答えた瞬間、リサがぱっと笑った。
「やった」
その顔が妙に子供っぽい。
終電を逃したことも。
夜の駅前をうろついていることも。
全部、"イベント"として楽しんでいる。
「ナイトパックだと安いし」
言いながら、リサがマサキの手を軽く握る。
そのまま当然みたいに歩き出した。
「鍵付きの個室にしよ」
「え」
「?」
「なんで鍵」
「だってお喋りできないじゃん」
本当に、それだけみたいな顔だった。
でもマサキの頭の中では、"鍵付き個室"という単語だけが変に残響していた。
狭い。
二人。
夜。
鍵。
最悪だった。
どうにもならなくなる。
挿絵はAI生成。
SDで生成、GPTで編集しています。




