9.再会2
扉が開く音がした。
「ただいまー……セレス?」
書類から顔を上げた。シオン様が入口に立って、こちらを見ていた。
「おかえりなさい」
「……うん」
シオン様は部屋に入ってきたが、自分の席には向かわなかった。こちらへ歩いてきて、私の机の前で立ち止まった。
「何かあった?」
「何もありません」
「セレス」
「書類の処理が終わっていないので」
「セレス」
もう一度、今度は静かに呼んだ。
顔を上げると、シオン様はいつもの飄々とした顔ではなかった。
「何があったの。教えて」
「……何でもないんです、本当に」
「お願い」
その一言で、何かが緩んだ気がした。
私は書類を置いて口を開いた。
「……廊下で、元婚約者に会いました」
シオン様は黙って聞いていた。
「義妹も一緒でした。領地の申請で来ていたようです」
「うん」
「それで……少し話しました」
言葉を選びながら続ける。
「手紙を送っていたんです。婚約していた頃、ずっと。交流も絶やさないようにしていました。それが……重荷だったと言われました。楽しくなかったと」
シオン様は何も言わなかった。
「未練がましいですよね」
自嘲する声が出た。
「過去の事なのに、まだ引きずっているんです。
私は、あの方のことが好きだったんでしょうね。だから今更こんなにも……」
「それは違うよ」
シオン様が静かに言った。
「え」
「セレスは、努力を認めてほしかっただけだよ。あの人への恋心なんかじゃない」
胸の奥で、何かがざわりと動いた。
「そんな……私は」
「手紙、書くの好きだった?」
「……」
「交流、楽しかった?」
好きだったか。楽しかったか。
答えは否だ。
本当は、手紙を書く時間があるなら本を読みたかった。交流の場で流行の話をするくらいなら、気になった論文の話がしたかった。
それでも、婚約者のためだからと、必要なことだからと、ずっと続けてきた。
「……苦痛でした」
「本当は。手紙も、交流も。でも、頑張ったんです。耐えて、続けて、それがいつか実を結ぶと思って」
喉の奥が詰まった。
「それが逆に重荷になるなんて、思っていなかった……」
瞬きをした瞬間、視界が滲んだ。
泣くなと思った。こんなところで泣くな。シオン様の前で泣くな。
でも、止まらなかった。
一粒だけ、零れた。
「セレスは頑張ったよ」
シオン様の声は穏やかだった。
「苦手なことを、ずっと続けた。それはちゃんと努力だよ。セレスに非があったとしても、歩み寄らなかった向こうにも責任がある。セレスは苦手でも理解しようとしていた。」
何も言えなかった。
シオン様はしばらく黙っていた。
それから、静かに言った。
「ねえ、セレス。僕と結婚しようよ」
私は思わず顔を上げた。
シオン様は真剣な顔でこちらを見ていた。
「僕だったら、セレスを泣かせない」
「……シオン様」
「僕はセレスと政治の話がしたい。論文の話もしたい。最近読んだ本の話も。セレスが話してくれることなら、何でも聞きたい」
胸が痛かった。
痛いのに、温かかった。
「私は」
俯いた。
「化粧っ気もないし、社交界も苦手です。流行もわからないし、交流も得意じゃない。シオン様の隣に立つには」
「構わないよ」
間髪入れずに返ってきた。
「そんなこと求めてない」
涙を手の甲で拭った。
みっともないとは思った。それでも、顔を上げた。
「……今は、答えられません」
「うん」
「こんな状態で答えを出したくないんです。今の私の言葉は、正しくない気がするから」
シオン様は少しの間、私の顔を見ていた。
それから、静かに笑った。
「わかった。待ってる」




