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第三十三話「檜風呂の境界線」

新幹線の窓ガラスに、私のリボンの影がゆがんで映る。隣の席で理子が「修学旅行のしおり」をパタパタと扇ぎながら、「絶対に隼人くんの班と合同自由行動になるように祈ってる」と早口で呟く。後方の座席から漏れる男子たちの笑い声が、転生前の会社の飲み会騒ぎと重なって耳に刺さる。


「美羽ちゃん、飴ちゃんいる? 喉渇いた~」

理子が私のリュックをガサゴソ漁る指先に、昨日一緒に塗ったピンクのマニキュアが光る。その色が、ふと男子時代に電車で見かけたOLの爪を思い出させて、胸の奥がざわめく。


「あ、これ女子部屋のルール表だよ!」

前の席から回ってきたプリントを受け取ると、4番目に「就寝前の着替えは浴室で」とある。喉の奥で心臓が跳ね、制服の襟元が急に締め付けられるような感覚に襲われる。


車内アナウンスが京都到着を告げる。理子がカメラを構え、「記念写真!」と言って私のひじを抱える。彼女の胸の柔らかな圧迫感に、バスケットボール部の合宿で同性の体に触れた記憶が反芻され、冷や汗が背中を伝う。


旅館の玄関でスリッパを履き分ける際、男子たちが女子の靴下を指差して笑うのが聞こえる。ふと転生前、部下の女子社員が「社員旅行でストッキング破れた」と泣いていたことを思い出す。その時私が「そんなもん気にするな」と言った言葉が、今なら重石のように胃に沈む。


「女子は二階の『梅の間』ですよ~!」

副委員長の声でぞろぞろと階段を上がる中、後ろから「委員長なら男子フロアも管理しろよ」と野次が飛ぶ。振り返ると健太がニヤニヤしており、隼人が彼の背中をそっと押さえつける姿が視界の端に入った。


畳の部屋に荷物を広げる女子たちの熱気が、まるで女子更衣室のようだ。カーテンレールに掛かった浴衣が、文化祭の劇で使った衣装と重なり、現実感が揺らぐ。


「美羽ちゃん早く! 風呂場の下見行こうよ」

理子に腕を引かれ、檜の香りがする浴室前まで来て我に返る。磨りガラス越しに湯気が立ち込め、女子たちの裸のシルエットがゆらめいている。


「ちょ、理子…今入ってる人が…」

「大丈夫だよ~。だって女同士じゃん」


その言葉が胸の傷を抉る。転生前、温泉で同僚の体を目にしてしまった罪悪感が、今度は自分が晒される側の恐怖になる。足が竜宮城の床のようにぐにゃりと崩れそうだ。


浴衣に着替える際、トイレの個室に閉じこもる。鏡の前で帯を締めながら、中学時代に彼女にプレゼントした浴衣の帯留めを思い出す。あの時「似合わない」と笑った言葉が、今の自分への呪いのように響く。


宴会場で隼人と目が合う。彼が女子たちに囲まれながらも、私の浴衣姿を一瞬見つめてすぐに咳払いする。その視線の先に、自分の胸元が少し緩んでいることに気付き、顔から火が出る思いがする。


「乾杯!」

コップのオレンジジュースが揺れる。隼人が男子たちに引きずられるようにしてカラオケコーナーへ向かう後ろ姿に、ふと転生前に部下から「課長も一曲どうですか」と勧められた光景が重なる。


入浴タイム、脱衣所でタオルを握りしめる手が震える。理子が「美羽ちゃん背中流してあげる!」と言いながらすでに裸で、頬に湯気で付いた紅潮が幼い日の姉の面影を宿す。


「あの…私最後に入るから」

「え~? 一緒に入ろうよ!」

「ちょっと体調が…」


嘘をついて洗い場を出ると、庭園の縁側で一人佇む楓先生と目が合う。彼女の浴衣の柄が、あのイチョウのブローチと同じ金色の刺繍だと気付く。


「七瀬さんを探してるの?」

「いえ…ただの散歩です」


先生の隣に座ると、庭石の間を流れる遣り水の音が、あの神社の水鏡のせせらぎとシンクロする。左頬のほくろがむず痒く、先生が懐から取り出した懐中時計の蓋に刻まれた紋様が、理子のペンダントと対になることに気付く。


「昔の恋人に似てるわ」

突然の言葉に喉が詰まる。先生が私のほくろを指差しながら、「祖母の日記に『泣きぼくろの少女』の記述がある」と呟く。


風鈴の音と共に理子の喚声が近づき、秘密の会話は霧散する。先生が去り際に落とした時計のネジが、私の掌で冷たく輝いた。


女子部屋の布団敷きで事件が起きた。私の寝床の隣に理子が潜り込み、「楓先生と話してたでしょ!」と詰め寄る。彼女の髪の水滴が頬に落ち、ラベンダーの香りが脳を痺れさせる。


「先生に…私のことどう思ってるか聞いた?」

「それは…」


答えに窮していると、部屋の明かりが突然消える。「お化け談義~!」という誰かの叫びに、女子たちの熱気が一気に布団の海に広がる。隼人が文化祭で修理したプロジェクターが、天井にゆがんだ影絵を映し出す。


「ねえ、美羽ちゃんって初恋の人いる?」

真っ暗の中で理子のささやきが耳元に這う。男子時代に片想いした先輩の面影が、なぜか隼人が工具を磨く後ろ姿に重なる。


「それは…」

「私ね、実は…」


理子の告白を遮るように、廊下から怒鳴り声が響く。「静かにしろー!」。それは紛れもなく健太の声だった。女子たちの笑い声が波のように押し寄せる中、私の手が布団の下で懐中時計のネジを握りしめている。


午前二時、トイレに起きた際に廊下で隼人と出くわす。彼が工具セットを抱え、「プロジェクターの調子が悪くて」とぼやく。私の浴衣の帯が緩んでいることに気付き、慌てて胸元を押さえると、彼がそっと工具箱を間に滑り込ませる。


「桜井さん、その…」

「わ、分かってます。何も見てませんから」


逆光で隼人の表情は見えないが、工具箱から漏れるネジの音が不自然に速い。ふと男子時代、部下の恋愛相談を受けた夜を思い出す。あの時と全く逆の立場で、笑いがこみ上げてくる。


「おやすみ」

「あ…おやすみ」


階段を上がる足音が遠ざかるまで、冷たい壁に背中を預けていた。手の平に刻まれたネジの跡が、なぜか神社の石段の凹凸に似ている。


翌朝、洗面所で理子が私の首筋にキスマークを発見し騒ぎになる。それは実際には蚊に刺された痕なのだが、隼人が通りかかった時の表情が一瞬曇ったことを、なぜか胸が痛むほど正確に察知してしまう。


修学旅行バスが出発する直前、楓先生が私の手に封筒を押し込む。中には古い写真——大正時代の女学生たちが、川辺で笑い合っている写真が入っていた。端に写る泣きぼくろの少女が、私の目の中の自分に瞬きする。

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