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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
樹下の盟約
9/179

<7>

 エドワードにボコボコに殴られた翌日、後ろに手枷を填められ、上半身の怪我をむき出しにしたままの状態で、リッツは玄関ホールに引き出されていた。

座らされた床は石造りで磨き上げられて鏡面のように光っている。熱っぽい体には、その床の冷たさが心地よかった。

 やることのないリッツは、ぼんやりと周りを見渡した。

玄関ホールは広々とした明るい空間で、華美ではないが、落ち着いた豪華さに彩られている。この館に連れてこられた時は混乱していて周りを見られなかったが、ようやく余裕が出てきた。

 玄関の大扉を入った広いホールは天井まで吹き抜けになっていて、大きな玄関扉の上に設置されたステンドグラスからの光が柔らかく降り注いでいる。

左右対になって二階から四階まで続くなめらかな曲線の階段は、磨き込まれて光っており、古い木材独特の深みがある。

左右の階段の間には巨大な扉があるから、その中はきっと立派な大広間なのだろう。

 さすが領主の住む家、こんな広い家を見るのは始めてだと感心する。

 その階段を背にして、グレイン騎士団がそろいの制服を身につけてずらりと並んでいた。

グレイン騎士団の前には、エドワードとマルヴィルと、知らないあと二人の男が立っていて騎士団を従える最も前の位置に、ジェラルドが立っていた。

 ジェラルドは今朝館に帰ってきて、リッツの元に一度顔を出してから、慌ただしく支度を調えたようだ。

 そんな列の一番後ろに隠されるようにリッツはいた。

最初から前にいたら目立つからといわれたのだが、一体何をするのか分からないリッツは、エドワードとジェラルドを信用しておとなしくしているしかない。

 エドワードの狙い通り、今日は顔と体の腫れが昨夜と比べて一段とひどく、熱を持っていてズキズキと疼いている。反射的によけてしまったせいで、エドワードの狙いがそれて口中が切れ、たまに血の味がする。

だがこれぐらいですんで幸運だったといえる。

 もしここがグレインではなく、他の貴族が支配する地であったなら、リッツは即座に極刑に処されていたに違いない。

少なくともリッツが知る貴族はそういう生き物だった。

実際リッツは行き倒れた時、もし貴族が通ったら殺されると覚悟をしていたのだから。だがこの自治領区の貴族は、リッツが知る貴族とは違うらしい。

 リッツを殴った後、少々拳を痛めたエドワードが自分の手をさすりつつ、リッツが動揺していた間の事を説明してくれた。

 リッツが気を失った後、マルヴィルとティルスに潜入しているグレイン騎士団の面々は、逃げ散った貴族たちが戻ってくる前にリッツを村に隠したのだそうだ。

でなければ貴族階級ではないリッツは彼らに連れ去られ、オフェリルの地で拷問を受け殺ろされるからだ。

だがこのままティルスにいたら、貴族が引き渡すように求めてきたときに逃れようがない。

 だから彼らはリッツをより安全なグレインの館に運んで、罪人という名目で人の目に触れぬよう隠したのだ。

案の定、貴族たちがリッツの身柄を要求してきた時には、リッツはグレインにいるから自治領主に直接掛け合えと追い払うことが出来たのだという。

さすがの貴族たちも自治領主相手では分が悪いらしかった。

 罰を受けるために軟禁されていたと思い込んでいたのだが、それは大きな間違いだったと初めて知った。

エドワードはあの状況で領民を見捨てた方が、彼らにとっても許されない大罪だと言って笑った。

考えてみればグレイン騎士団は、ジェラルドの私設部隊なのだから、ジェラルドの考えを反映していて当然だった。

 だからかグレイン騎士団は、ボコボコに殴られているリッツをいたわってくれた。

グレインの民を守っているという気概を持っている彼らにとって、リッツは蔑むべき罪人ではなく、守るべき領民の命を助けた人物なのだ。

 整然と立ち並ぶ彼らの後に座り、騎士たちの隙間から前を覗き見ていたリッツは、館の呼び鈴が澄んだ音を立てたのを聞いた。

 オフェリルの自治領主がやってきたのだ。

 リッツは緊張に体をこわばらせた。本当に丸く収まるのだろうか。

そんなリッツの不安をよそに、シャスタの父アルバートはいつもと変わらぬ穏やかさでジェラルドを見上げた。ジェラルドの微かな頷きを確認してから、アルバートは数人の召使いたちにホール正面の大扉をすべて開かせた。

外からのまぶしい光が差し込み、それと同時に十数人の男たちが入ってくる。

 最初の数人はグレイン騎士団と同じく武装をした男たちだった。オフェリルでグレイン騎士団と同じ役割をしている護衛だろう。

男たちはずらりと居並ぶグレイン騎士団をみて一瞬恐怖に近い表情を見せたのだが、すぐに無表情に立ち止まり、後ろから来る人物を迎えた。

 リッツはその人物をじっと見つめる。

その服装の豪華さから、オフェリルの領主であることがすぐに分かった。中肉中背で体格だけならどこにでもいそうな男だったが、息子に負けず劣らず派手な服を着ている。

服の構成はジェラルドが今着ている服と同じはずなのに、金の刺繍やビーズ刺繍があちらこちらに施された服は、一つ一つの細工は素晴らしいかも知れないが、それが一面にあるせいでお互いをつぶし合い、洗練された美しさとはほど遠い。

 年の頃はジェラルドと同じぐらいかも知れないが体を鍛えてはいないようで、農家の男たちよりもたるんだ印象を受けた。

だが綺麗に撫でつけた金に近い茶色の髪の下にある目は、抜け目なく神経質そうに光っている。

 その後ろにいたのは、ティルスの男を一人殺し、身重の女性に堕胎を迫っていたあの貴族の息子だった。あの日と同じように派手な服を着て、きょろきょろと目を彷徨わせて何かを探している。

 こんなところまで来ても何かを物色しているのかと思うと気分が悪かった。

 もし行き倒れのリッツと出会ったのがエドワードではなくこの男だったら、リッツはとっくに死んでいただろう。エドワードと違い、行き倒れた男をいたぶったあげくに殺すようなタイプの男だ。

 その男の後ろに、気むずかしげな顔をした男数人が続き、そして最後にやはり武装した男たちが数人続いた。きっと彼らが直接交渉をする人々なのだろう。

 全員がホールに入ったところで扉が閉められ、自治領主二人の形式的な挨拶が交わされる。

「グレインにようこそクロヴィス卿」

「お招きいただき光栄です、モーガン卿」

 二人は微笑みながら握手を交わす。一見穏やかなこのやりとりの中に、微かな棘があることにこの場にいる全員が気づいているだろう。特にジェラルドの手を握るオフェリル領主の声には険がある。

 騎士団の後ろにいたリッツは、騎士団の面々が微かな緊張感を持ったことに気がついたが、それ以上に自分の心臓が激しくなっていることに気がつく。

荒い呼吸をしている者がいるなと思ったのだが、それが自分だと気がつくのにも時間がかかってしまったほどだ。

 自分を落ち着かせようと息をついてリッツは自分に言い聞かせる。

 大丈夫だ、ジェラルドが大丈夫だと言っていたし、エドワードも大丈夫だと言っていた。だからここはきっと二人によって綺麗に丸く収まるのだ。

 だからリッツはやるべき事をやるしかない。

「グレインへの毎年のご足労、痛み入る」

「隣地故、さして苦労はありませぬ」

 探り合うような会話の後、オフェリル領主クロヴィスが口を開いた。

「ことにモーガン卿、我々は交易について話し合う前に、解決すべき問題があると思うのだがいかがか?」

 クロヴィスの言葉にリッツが奥歯をきつくかみしめると、傷が開いて血の味がした。

 どうしよう、どうなるのだろう。緊張で頭の中が真っ白になってしまいそうだ。

「ほう。クロヴィス卿もおありか。実は私もそう思っていたところだ」

 平然とジェラルドが答えた。

「お客人たるクロヴィス卿からお聞かせ願いたいのだが、解決すべき問題とはいかがなことか?」

 分かっているのに穏やかに、おそらく笑みでも浮かべながら語っているだろうジェラルドに対して、クロヴィスは目つきを険しくしてジェラルドを見据えている。

 ふたりの静かなにらみ合いは少しの間続き、苦々しげに先に視線を逸らしたクロヴィスが話し出す。

「先日我が息子ダネルがこの地で悲劇に見舞われましてな。親しい友数人を失ったのです。かわいそうにダネルは心から傷つき、悲しんでおるのです」

 わざとらしく苦悩の表情を見せたクロヴィスにあわせるように、ダネルと呼ばれた馬鹿息子が手で顔を覆う。

 いかにも安っぽい演技だ。場末の芝居小屋よりひどい。

「ほう……このグレインの地でということですかな?」

 そんな演技に目もくれず静かに切り返したジェラルドに、一瞬憎々しげに眉を寄せてからクロヴィスは話を続ける。

「いかにも我がオフェリルではなく、グレインで起こったことではあるが、遠乗りをしていて貴領地に入り込んでしまっただけのこと、それを斬り殺すなど、貴殿の領地の治安はいったいどうなっておるのか」

 そういうとクロヴィスは大きくため息をついた。

「しかも四人だ。一人など手を落とされて死ぬまで苦しみ続けたのですぞ? たかが遠乗り、それが命を落とすほどの重罪であろうか」

 遠乗り……遠乗りで入り込んだだけだと?

 リッツの脳裏にあの時の光景が浮かんだ。

子供の前で斬り殺された父親、身重ながら幼子をかばう母親。

 あの悲劇をあっさりと無視して都合のようにねじ曲げるとは。

 今度は怒りで奥歯をかみしめる。

手枷に着けられた鎖がリッツの怒りと呼応するかのようにシャラと重たげな音を立てた。

「ほう。では貴殿が語る事件と私のいう事件はどうやら違うものらしい」

 穏やかにジェラルドがそういった。

「……貴殿何を……」

 戸惑って視線を彷徨わせるクロヴィスを見ずに、ジェラルドが片手を上げた。

すると騎士団の前に立っていたエドワードとマルヴィルがリッツの元にやってきて、左右から腕をとり引き起こした。

そのまま乱暴に引きずるようにリッツをジェラルドの真後ろまで連れて行き、そこで投げ出すように床に座らされた。

エドワードとマルヴィルになおも鎖を引かれつつも、リッツは真正面に立つダネルを睨み付けた。

 するとダネルは傷だらけで縛されているリッツを見て嬉しそうに大声を上げた。

「こいつだ父上、こいつが俺の仲間を殺しやがったんだ! ざまあねえな!」

 静かだったホールにダネルの調子外れな歓喜の声が響いた瞬間、クロヴィスは舌打ちをしてダネルを睨み付けた。

「黙れダネル」

「だって父上、こいつだぜ?」

「黙れと言っている!」

 一括されたダネルは怯えた様に口をつぐむ。息子から目を上げて、クロヴィスはジェラルドを見つめ返した。

「失礼した。どうやら息子の友を斬り殺し、我々に悲しみをもたらせた男はそこにいる者であるらしい。その者はグレインの貴族ですかな?」

「貴族ではない」

「では領民ですかな?」

「そういうことになる」

 静かに答えたジェラルドに、クロヴィスはその目に暗い光をたたえつつ笑いかけた。

「では互いの領地の平穏のために、その男を頂きたい。その男はオフェリルの貴族を四人も殺した男、しかも平民だと申された。我らの民を殺めた男は我が領地で裁かせていただきたい」

「どうするのか?」

「貴族を殺めることは決して平民に許されぬのだと言うことを、死の苦しみの中で教えてやりましょう」

 その言葉にリッツは総毛立った。

クロヴィスは、平民のリッツの命一つで事件を終わらせるから殺させろといっているのだ。ダネルと同じくクロヴィスも平民を貴族の慰みの道具としか考えていない。

 まだ死にたくない、まだ死ねない。エドワードにせっかく生きる場を与えられたのに。

 そんな思いが渦巻く。

 静まりかえった中で、ジェラルドが口を開いた。

「貴殿が申されることが本当ならば、確かに我が部下は死に値する罪を負ったと考えて間違いない」

「分かったのなら、早くこの男を……」

 言いつのるクロヴィスの前で、ジェラルドはわざとらしく首をひねった。

「だが妙な話だ」

「……妙とは?」

「私が解決したいと望む事件は先ほどクロヴィス卿が語った事件とは違うのだが?」

 本当に分からないといった口調でジェラルドはしらばくれている。

もしかしたらジェラルドはものすごく演技上手なのかも知れない。そう思いつつもリッツは目の前のダネルを見据え続けていた。

 リッツはダネルの仲間を殺したかったのではない、ダネル自身を仕留めたかったのだ。なのに交易の問題としてマルヴィルに止められた。

もし止められなかったら、確実にあの時息の根を止めてやれたのに。

 対するダネルの視線もリッツを憎々しげに見つめている。リッツのせいで怒られたことに腹を立てているようだ。

 次元が違うと、リッツは内心で毒づいた。

「それがどうされました? 我々が引き渡しを願っている犯人と、卿が問題としている事件は関係がないのでは?」

 クロヴィスも誤魔化したが、穏やかにジェラルドに見つめられて固まった。

「確かに違う事件ですな。だがこの男は私が問題とする事件の重要な目撃者でしてね」

 ジェラルドは困ったような笑みを浮かべつつ口をつぐんだ。ホールが静まりかえり、人々の息づかいだけが満ちている。

やがて耐えられなくなったのかクロヴィスが大きく息をついた。

 聞いた方が負けだ。それは分かっていたのだろう。

だがクロヴィスは自分の不利を知りつつ苦虫を噛みつぶしたような顔で、渋々口を開く。

「どのような事件です?」

 そんなクロヴィスとは対照的に、笑みすら浮かべながら静かにジェラルドは話し出した。

「我が領地で殺人事件がありましてな。犯人はどうやらグレインの人間ではないらしい」

「……それが何か?」

「目撃者が多数いたのだが、彼らが語るに、どうやら犯人は貴領地の住民らしい。最も間近で犯人を見たのはこの男だ」

 ジェラルドがリッツの方にあごをしゃくって見せた。

「グレイン騎士団の新人で事情があって罰を受けている者だが、信用は出来る」

 そこで言葉を切ると、ジェラルドは厳しい声でリッツを呼んだ。

「リッツ」

「はい」

 反射的に返事をすると、ジェラルドは静かに尋ねてきた。

「お前が見た犯人はここにいるのか?」

 はいか、いいえしか答えてはいけない。だけど正直に答えていい。それを思い出して頷く。

「はい」

「ほほう。この中にいると申すか」

「はい」

 そのやりとりを聞いていたクロヴィスは血相を変えた。

「貴殿は我らの中に殺人犯がいるというのか?」

「いかにも。奴は私に嘘など言わぬ。犯人は貴殿が引き連れてきた交易団の中にいる」

 穏やかに、だが底知れぬ恐ろしさを秘めた瞳でクロヴィスを見つめながら、ジェラルドは微笑んだ。

クロヴィスの血の気が一気に引いていく。

おそらくクロヴィスも、自分が嘘の申し立てをしていることぐらい分かっているのだろう。

だが貴族の彼がここで認める事は、出来ないに違いない。

「失敬な。その男はオフェリルの貴族を殺した犯罪者にして、貴領地でも罪人ではないか。それに対して我らは貴族だ。平民にして罪人が言うことなど貴殿は真に受けるのか?」

 あくまでもシラを通す気なのか、クロヴィスは視線をジェラルドから背けながら抗議をする。

だがジェラルドはいっこうに表情を変えない。

「罪人と申されたが、この男はいま騎士団の規律を破ったため、騎士団の制裁を受けているだけであり、我が領地の法を破ったわけではない」

「騎士団の規律?」

「そうだ。事件を目撃したときには犯人を出来うる限り生きたまま捕縛し、裁きを受けさせるのが騎士団の掟。だがこやつはその掟を破り、我が領民を殺した犯人の一味を斬り殺してしまった。その制裁だ」

 ジェラルドはきつく手首に食い込んでいるリッツの手枷を持ち上げた。

その瞬間に焼けるような痛みが手首を襲う。元々熱っぽい頭が、痛みでかすんでくる。

「ううっ……」

 こらえきれず呻くがジェラルドはいっこうに気にとめずリッツを引き起こす。

「人の命は重い。だからこその掟だ。死した者には愛する家族がいる。彼らは何故愛する者が死んだのかを知る権利があり、それは裁きの場においてでなければならぬ。殺してしまってはその理由が聞けぬではないか。理由の分からぬ死ほど残った者を苦しめるものはない。だからこの者は制裁を受けた」

 そう言い切ったジェラルドは、静かに手枷を床に置いた。崩れ落ちるようにその場にリッツは座り込んだ。

手首に血が滲み痺れるような痛みに変わっていくも、目の前のジェラルドから目が離せずにいた。

「我が領地では無為に人を殺める者を許しはせぬ。まして命をもてあそぶように殺人を犯すような犯罪者には断罪をもってあたる。」

 静かだが威厳に満ちた声だった。

 エドワードが王国で一番優秀な自治領主といった意味が分かる。これが威厳ある領主の姿なのかと、その立ち居振る舞いに感動した。

 そんなリッツの気持ちなどつゆ知らず、ジェラルドはさらに続ける。

「グレインでは規律違反であっても厳罰に処す。貴殿にも分かるであろう?」

「それは貴殿が自らの領地にて行う法だ。だが我々はオフェリルの者だ。関係なかろう」

 苦しいいいわけをしたクロヴィスに、静かなジェラルドの視線がぴたりと止まった。

「我が領地にて、我が領民を殺した者がいる。我が領地では自らの欲により理由無き殺人を犯した者は、貴族、平民共に厳罰に処すとの法がある。事件が我が領地で起こったならば、犯人が誰であっても我が国の法律で裁かれる」

 その声はホールの中にりんと響き渡った。雷で打たれたようにクロヴィスとダネルは動きを止めた。

「隣地の者を裁けると? 貴殿の領民ではないではないのですぞ?」

「お言葉だがクロヴィス卿、貴殿は先ほど我が領地で起きた事件の犯人を引き渡せと申したではないか」

「そ、それは……」

「貴領地と我が領地は同等の権利を有しておる。同じように私が犯人の引き渡しを要求することに何の問題があるのだ?」

 ジェラルドの視線はオフェリルの人々をゆっくり眺めてから一点で止まった。その視線の先には、ダネルがいた。

 見つめられたダネルが、雷に打たれたかのように怯えた目をしてがたがたと震え出す。

「みよ。犯人は既に自分が犯した罪の重さに震えておるではないか」

 ダネルを見据えていた目がゆっくりとクロヴィスへと動き、ジェラルドは周りが震え上がるぐらい恐ろしい笑みを浮かべた。誰もが息をのむ中で、ジェラルドが続ける。

「もし貴殿があくまでも貴殿の息子の友を殺した犯人を引き渡せと申すのであれば、我々も我が領民を惨殺した犯人を引き渡すよう要求する。これこそが同等な権利を持つ自治領区として最も公正な取引ではないかね?」

 ジェラルドの言葉にダネルが震え上がった。

「父上、まさか俺をグレインに引き渡さないよな?」

 異様に静まりかえった中で、恐怖のあまり唇を振るわせながらダネルが父クロヴィスに詰め寄った。

 誰も彼を名指ししたわけではないが、先ほどからの怯えと今の言葉からも、彼が領民を殺したことは確実だ。

 グレイン騎士団が冷たく凍った目つきで見つめていることになど気づかず、ダネルは床に座り込んだままのリッツを指さした。

「あいつ以上の罪って、規律違反であれじゃあ俺は殺されちまうじゃないか! いやだ父上、俺は死にたくない!」

「だ、ダネルっ!」

「たかだか平民の男を一人なぶり殺しただけなんだぜ? あの野郎のロバの糞を俺は踏んじまうところだったんだ。なのにあの野郎、避ければいいと言いやがった。平民ごときが俺を馬鹿にしやがって」

「黙れ!」

「いつも父上は平民に馬鹿にされたら斬ってもいいって言ってるじゃないか。なんで俺が罪に問われなければならないんだ? 平民なんて貴族のおまけみたいなもんだろう? なのになんで俺が罰を受けないといけないんだよ!」

「黙らんか、ダネル!」

 ものを考えることすら出来ぬ馬鹿息子のおかげで窮地に陥ったクロヴィスは、まだわめき続ける勢いの息子を殴り飛はし、人々の冷たい視線を受けながら、怒りで震える声で怒鳴った。

「我々が殺されたのは四人だ! 平民ごときが貴族を四人も殺したのだぞ!? この方が重罪だ! そこの平民を引き渡して貰おう!」

「武器を持った貴族七人が農民の一家を取り囲み、一人を惨殺。その後、子供を殺して身重の妻を誘拐し堕胎を強要しようとした……」

 ジェラルドの瞳が激しさと鋭さを持ってギラリと光った。

「二つの罪、どちらが重罪か!」

 ジェラルドの一喝にクロヴィスは唇を振るわせて口をつぐんだ。

 厳しい目つきでクロヴィス親子を見据えながらジェラルドは低く静かに、だが秘められた激しさを持って言葉を続ける。

「グレインではこちらの事件こそ重罪だ。我が部下を引き渡せと言うのなら、今すぐに武器を持たぬ我が領民に、多数で襲いかかった悪辣な犯人を引き渡して貰おう。貴殿が先ほど我が部下に分からせると言ったように、犯人にこの国で法を犯すことがどれほどの重罪か、身をもって知らしめてやろう」

「そちらは平民の新人騎士で、こちらは領主の息子だ。それでは不公平ではないか! 貴族の子を平民の男を同等に引き替えることなど出来ぬ!」

「我が領地では犯罪者に身分の違いはない」

 毅然と言い切ったジェラルドに、クロヴィスは怒鳴った。

「おぬしも貴族だろうに!」

 特権を持ち、気に食わぬ者を殺める権利を持っているだろうと、クロヴィスは言いたかったのだろう。

 だがジェラルドは冷たく微笑しただけだった。

「確かに貴族だ。だがグレインにおいて自らの快楽のために人を誅しても裁かれることのない貴族はおらぬ。それは領主とて同じことだ。オフェリルとは違う」

「くっ……」

「卿が選べることは二つしかない。あくまでも犯罪者の引き渡しを申し出続け、寒い冬を迎えるか、それとも喧嘩両成敗として暖かな冬を迎えるか。貴領地の命運は卿が決めるがよろしかろう」

 静かにそういったジェラルドはそれきり口を閉じた。

 耳鳴りがするほど静まりかえった中で、リッツはじっとクロヴィスとダネル親子を見ていた。

 この二人の姿こそが、グレインに来るまでのリッツが知っていた貴族の姿だった。彼らほどひどくはないにしても、多かれ少なかれ彼らはこうして人々を苦しめている。

 生まれながらにして特権を持つ者と持たざる者。

 人間の階級制度は不思議だ。

 貴族が特に優れているわけでもないし、光の一族のように精霊を操れるわけでもない。

 なのに何故貴族が偉いのか、リッツはまだよく分かっていない。

 拳を振るわせ、黙って何かを考え込んでいたようだったクロヴィスは、幾度か呼吸を繰り返してから、ようやく大きく深呼吸をして顔を上げた。

「なるほど。よく分かった。今回のことで領民を飢えさせるわけにはいかない。グレインでの貴族殺害はなかったこととする」

 深々と息を吐き出しながらクロヴィスはそうジェラルドに告げた。

 クロヴィスは当然ダネルよりも統治者としてはまともで、この場で交渉が決裂すれば小麦交易に多大な爪痕を残すことをいち早く思い出したようだ。だがクロヴィスの横にいたダネルは目をむいた。

「父上! 何を言い出すんだ!」

 だが息子の言葉など聞こえなかったかのように、クロヴィスはジェラルドを見つめて言葉を続ける。

「だからこやつの罪もなかったこととしては貰えぬだろうか?」

「父上!」

 だだっ子のようにじたんだを踏むダネルをジェラルドだけでなくクロヴィスまで無視をして話を進める。

「よろしかろう。だが条件がある」

 あっさりと認めたジェラルドに、リッツはダネルとは違った意味で釈然としない。そんなリッツの気持ちを知るでもなくジェラルドは言葉を続ける。 

「殺された男の家族が今後親子三人で生きていけるだけの賠償をしていただこう」

「それだけでいいのだな?」

「私は約束を覆したりせん」

「……承知した」

 苦渋の想いを滲ませながら、クロヴィスは頷いた。

「父上、じゃああの男は許すのか! 仲間を四人も殺したのに!」

 悔しさを隠しきれずにわめくダネルに、ジェラルドは冷たく視線を向けた。 

「剣を持った貴族が七人で三人の農民を襲った。農民のうち二人が女と子供だ。それを助けに飛び込んだ騎士団員はたった一人。その騎士団員を故国に連れて帰り、なぶり殺そうというのだな」

「そうだ! 何が悪いんだ!」

 怒りで頬を染めるダネルに、ジェラルドは吐き捨てるように言い放った。

「貴族の誇りを捨てたか。愚か者が」

「馬鹿にしやがって、このじじい!」

 ジェラルドに躍りかかろうとした瞬間、ダネルはジェラルドの脇に控えていたエドワードとマルヴィルに剣を突きつけられて息をのんだ。

 ジェラルドはダネルの脅しに眉一つ動かしたりせず、その場に悠然と立っている。

「我が領主に手出しをする者は、このグレイン騎士団がお相手いたす」

 農民をしていた時とは、まるで違う鋭さでマルヴィルがダネルに告げる。顔を引きつらせるダネルとは対照的に、ジェラルドはゆったりと微笑んだ。

「我が騎士団の力、お試しになられるか? ならば止めはせぬ」

 鋭い視線を外さないエドワードとマルヴィルの迫力に、ダネルは震え上がった。

 ここにきてようやく自分が貴族であることなど、彼らの前では何の特権にもならないことに気がついたようだ。

 黙ったままクロヴィスは背後に控えた護衛たちに合図を送ると、心得たように屈強な護衛の男たちは、動けずに細かく震えながら固まってしまったダネルを、大きな荷物のように両側から抱えて館を出て行った。

 何事もなかったように、クロヴィスは再びジェラルドに向き直った。

「大変にお騒がせをした。本日は交渉のためのご挨拶に窺ったまで。明日、改めて小麦の交渉に入らせていただく」

「こちらこそお越し頂いたというのにもてなしもせずに申し訳ない」

「次回はもてなしていただきたいものだ。モーガン卿、失礼させていただく」

 言い切るとクロヴィスはきびすを返そうとしたが、それをジェラルドが呼び止めた。

「クロヴィス卿」

「何か?」

「もしまたあの村で事件があったとしたら、我々グレインは自治領区として正式にオフェリルに抗議を申し上げることになるだろう。それを覚えておいていただきたい」

 含みを持たせたジェラルドの言葉に、しばし押し黙ったクロヴィスが小さく息を吐き、苦々しげに口を開いた。

「我らもグレインと事を構えたくはない。貴領地に入り込み事件を起こす者など、今後は現れぬはずだ」

 二人の視線が厳しさを持ったままじっと交わる。

「ではもしあの地に再び事件が起こったとしても、もう貴領地とは関係ないのだな?」

 ジェラルドの言葉にクロヴィスはだまり、じっと何かに耐えるよう唇を噛んだ。この二人のやりとりの意味が全く分からないリッツは、ただ息を詰めて見ていることしかできない。

 やがてクロヴィスは苦々しげに口元を歪め、覚悟を決めたように頷いた。

「関係がない。そもそも自治領区は我が王からお借りしている地。その境をむやみに荒らすような者は、オフェリルにはおらぬ」

 クロヴィスの瞳が一瞬憎しみをもってジェラルドを見上げたのが分かった。ジェラルドもそんなクロヴィスの憎しみを分かっているだろうに、ただただ静かに微笑む。役者の違いってこういうことなのだなと、リッツは心から感心した。

「その言葉が聞きたかった。宿を用意させた。ゆっくりと街の宿で体を休めて頂きたい」

「ご厚意、ありがたく頂く」

 苦渋の表情を滲ませたままオフェリルの一団がホールを出て行った。

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