<8>
ホール内の緊張がほどかれ、騎士団の誰彼となくため息が漏れる。
リッツも体中の力が抜けて、崩れるように床に転がり込んだ。
リッツが感情的になって引き起こした事件だが、これで決着が付いたらしい。
少々納得がいかない部分はあるが、今それをほじくり返すつもりはない。気になることはまたいつもの山ごもりの時にでもジェラルドに聞けばいい。
大きく息をついて、手枷をされた両腕以外を投げ出してリッツは仰向けに転がった。
ダネルとのにらみ合いの間は忘れていた痛みが、じわじわと戻ってくる。何だか体中がだるい。
動きを止めたリッツの頭を軽く叩いたジェラルドは、騎士団に向き直り穏やかな笑みを浮かべた。
「ご苦労だった。とんだ茶番につきあわせたな」
いたずらめいたジェラルドの言葉にあちらこちらから笑いが漏れる。
騎士団と聞いていたから、堅苦しい集団かと思っていたのだがそうでもないらしい。
顔を捻って改めて彼らの顔を見回すと、みな穏やかで明るい表情をしていた。ここにいると軍人のイメージまで変わってしまいそうだ。
ジェラルドが彼らを前に話している声を聞きながら、天井を眺めていると、ふいに手首が軽くなった。
目をやるとエドワードが外した手枷を持って脇にかがみ込んでいた。
今まで自分を戒めてきた手枷を見ると、木でできた重たい手枷は、滲んだリッツの血で汚れている。
「ようやく軽くなったぜ」
自由になった両手を軽く振ると、リッツは床から体を引きはがそうと悪戦苦闘した。いつまでも転がっていてはエドワードたちに心配を掛けてしまう。
そんなリッツを見かねてエドワードが穏やかに微笑みながら手を貸してくれた。
「ご苦労だったな、リッツ」
「サンキュー、エド」
礼を言いながら見た手首は、擦り傷だらけだった。何故か外されてからの方がひりひりとしてかなり痛い。
エドワードの心配そうな表情を見てリッツは慌てて手首を振りながら笑う。
「これじゃあしばらく剣が持てねえな。稽古は休みだ」
「リッツ」
「それぐらい許されるだろ? 名誉の負傷だし」
軽口を叩くと、エドワードは苦笑した。リッツの気遣いが分かり易すぎて、すべて見抜かれているのだろう。
それは分かってもリッツには、それ以上のフォローが出来ない。困ってへらへら笑うリッツに、エドワードは小さく笑った。
「お前はサボることばかり考えて」
「何だよ。俺がいつもサボることばっか考えてるみたいな言い方して」
「違うのか?」
「違わねえけど?」
心からの言葉にエドワードはため息をついた。
「……お前という奴は」
あきれた口調で言ったエドワードが、首を振ると再び顔を引き締める。
「冗談はさておき、体は大丈夫か?」
「ん~、夕飯のこと考えてたから、以外と平気」
軽く聞こえるように言ったのだが、正直なところかなりきつい。
夕飯をおごって貰う約束だが、怪我の手当をしたらそのままベットに倒れ込みたい心境だ。
だがこの怪我を追わせた張本人であるエドワードに心配を掛けるのも悪い。
だがやはりエドワードにはそんなことなど見抜かれていたようで、真面目な顔のまま眉をしかめられた。
「顔が赤いぞ」
「熱を持ってるみてえだな」
「他人事のように言うな。正直にいうんだ。本当のところの調子はどうだ?」
まっすぐに見詰められるといつものごとく誤魔化しきれない。
リッツはぼそりと本当のことを答える。
「体が重いんだ。朝はだるくって、起きられねえかと思った」
「他には何かあるか?」
「ん~体中が疼く感じで、何だか寒気がするかな」
正直に答えたのだが、エドワードは表情を曇らせた。
「悪かった。俺がやり過ぎた」
明らかに落ち込んだエドワードにリッツは焦った。
もともとはリッツが捕らえねばならない犯罪者を斬り殺してしまったことが問題だったのだから、エドワードが責任を感じる必要はない。
「ま、結果オーライだからいいじゃん」
「何がだ?」
「馬鹿は帰って、俺は豪華な夕食が食える!」
「……この期に及んで夕食のことをいうのか?」
「うん。今日の夕食代覚悟しとけよ。喰いまくってやるからな」
エドワードに気を遣わせないために、あくまでも夕食のことしか口にしないことに決めた。
「お前という奴は……」
リッツの頑とした態度に、エドワードはため息をつく。
「困った奴だ」
その言葉に苦笑が混じる。リッツも笑い返して、口の中の痛みに呻いた。
その間もジェラルドの言葉は続き、やがて居並ぶ騎士団に指示を出した。
「第一、第二隊は持ち場へ戻れ。第三隊は急ぎティルスに戻り、境界線の防備を備えよ」
「はっ!」
「もちろん第三隊は麦の刈り入れも忘れるな」
ジェラルドの言葉に皆が笑う。
和気あいあいとした中で騎士団は広いホールから一団ずつ姿を消していった。
ジェラルドのそばに控えていたアルバートもいつの間にか姿を消している。きっと仕事がいっぱいなのだろう。
セロシア邸で会う時は普通のおじさんといった印象のアルバートなのだが、ここにいる時はまるで別人だ。
その立ち居振る舞いと雰囲気は、まるでジェラルドに付き従う物静かな影のようだ。
しばらくして残ったのはリッツとエドワードとジェラルドの三人だけになった。
「リッツ、ずいぶんと男前だな」
笑いながらジェラルドがリッツの元にかがみ込んだ。
「へへん、怪我は男の勲章ってんだよ」
本当は座っているのも辛いところなのだが、リッツはあえて虚勢を張った。
「やせ我慢も甚だしいな」
「うるせえや。いいんだよ、エドが美味いもん食わしてくれるから。にしてもひでえよ、おっさん。手枷持ち上げたら痛てえじゃんか」
「そうだな。だがあの男を脅すにはちょうど良いネタになったろう?」
「……うん」
リッツを見て動揺しまくり、殺されると叫んだダネルを思い出してリッツは頷いた。
リッツがぴんぴんして前に出てきたら、ダネルは殺されるという恐怖に怯えることもなく、リッツを指し示して大騒ぎをしただろう。
きっと平民のリッツが罰を受けていないのに、貴族の自分が罰を受けることはないから優遇しろと言ったに違いない。
だが騎士団に所属しているのに規律違反でこれほどの制裁を受け、大怪我を負ったと説明をされたリッツの姿を目の当たりにすれば、動揺してぼろを出し、自らが受けるであろう罰への恐怖に震え上がるに決まっている。
きっとダネルは心底恐怖を味わったに違いない。なるほどジェラルドはそれを狙ったのだ。
「それにしてもひどい怪我だな。これほどまでとは思わなかったぞ、エド」
不意に話を振られたエドワードは、申し訳なさそうに目をそらした。
「お前らしくないな」
ジェラルドが穏やかにそういうと、エドワードは顔を上げた。
「俺はリッツと逆に、とっくみあいの喧嘩をしたことがない」
「エド?」
何を言おうとしているのか全く読めずに、リッツはまっすぐにエドワードを見上げる。
「だからな、どれぐらい殴ればどれぐらいのダメージを受けるという加減がいまいち分からなくて……」
エドワードにしては珍しく言いよどむと、ジェラルドがフッと笑った。
「なるほど。だから手加減が全くできなかったのだな」
俯いたエドワードが小さく頷く。
思わずエドワードを見つめて素っ頓狂な声を上げてしまった。
「マジで手加減抜きだったのかよ!」
「だから悪かったと言ったろう」
「だからか! 途中で俺、本当はエドに嫌われてんじゃねえかって、ちょっと疑ったもん」
「そうなのか?」
「うん。正直、殺されるかと思っ……」
エドワードの瞳が暗く曇るのに気がついてリッツは慌てて話を変える。
「ていうか、喧嘩したことないって何事だよ?」
「何事と言われてもな……」
「ガキの頃なんざ友達のいねえ俺だって喧嘩しまくってきたのに!」
あまりに信じられない言葉に思わず深く踏み込んでしまった。
案の定エドワードは困ったようにリッツから目をそらす。
「だから、ちょっと特殊な環境だったんだ、俺も」
「なんだそれ。喧嘩しねえ特殊な環境って、んなもんあるのか……いてっ!」
突然なにかで後頭部をひっぱたかれて、思わず声を上げてしまった。
「いってえな! 誰だよ!」
振り返るとそこには軍服を着て、リッツよりも短い亜麻色の髪をした少女が立っていた。
少女といってもシャスタよりは年上で、リッツが自称している二十歳には届いていないぐらいだ。
だがリッツを睨むその目つきはきつく、その年の少女には珍しく化粧っ気が全くない。そればかりか、まるで少年のように気が荒そうだ。
リッツが抗議の声を上げる前に少女がリッツに向かって声を荒げた。
「さっきから聞いてたら、エディにひどい口のききようじゃない!」
「エディ?」
首をかしげてからエドワードを見る。
「エドのこと?」
苦笑しながらエドワードが頷く。この少女はエドワードの知り合いのようだ。
二人のやりとりを見て少女は口を尖らせてエドワードに向き直った。
「エディもエディよ。何を言われたままになってるの? いつもみたいにはっきり言うべきだわ」
矛先を向けられたエドワードは、迫る少女から一歩引き下がって曖昧な笑みを浮かべた。
「いや、それは……」
「私、何か変なこと言ってる?」
「いや、正論だ。だけどこいつの場合は……」
「言葉を濁すなんて、エディらしくないわ」
きっぱりと言い切った少女に、エドワードが完全に押されている。
リッツは愕然として二人のやりとりを見上げていた。
エドワードよりも頭ひとつ近く背の低い少女は手に木箱を持ち、腰に剣ではなく白銀の杖を下げていた。
それが語る意味はただひとつ。
精霊使いだ。
「あのさ、あんた……」
「あんた?」
「あ、うん。……っつうか、誰?」
間抜けな尋ね方になってしまったが、少女はようやくリッツの存在を思い出してくれたのかかがみ込むと、リッツの頬を両手で挟み込む。
熱っぽいリッツにはひんやりとしたその手の感触が心地いい。
動揺しつつも少女をじっと見ると少女の顔は、リッツが今まで見てきた中でもかなり可愛かった。
きっとこんな格好をせずにきちんと女性らしく装えばすごく美人に違いない。
それに気がつくと何だか少し恥ずかしくなってくる。
「ふ~ん」
「な、なんだよ」
「ひどい怪我ね。これで軽口叩いてるなんてあきれちゃうわ」
言葉は乱暴だが、まっすぐこちらを見つめる少女の綺麗なアメジストの瞳の中にはリッツを心配する色があった。
母親以外の女性にこんなに近くから見つめられたことなど一度も無いリッツは硬直してしまった。
手のひらの感触にどうしていいのか分からず、体は動かないのに鼓動が跳ね上がる。
何かいわなければ、黙っていたら悪いのかも知れないと一生懸命口を開く。
「あのさ、あんた……」
「口開けて」
「あ、うん」
きっぱりと命じる少女の声に反射的に口を開けると、少女は手早く木箱から小さな綿の塊を取り出した。木箱は薬箱らしい。
少女は何らかの軟膏をぬりつけて、リッツの口の中の怪我に強くなすりつけた。
その瞬間に口の中に何ともいえない妙な味が広がり、今以上の痛みが襲ってきた。
「いつっ、しみる!」
「男がいちいち騒ぐんじゃないの」
「でもこれ苦いし!」
「馬鹿ね。苦い薬は効くのよ。そんなことも知らないの?」
「知らねえよ。悪かったな」
「じゃあ覚えておくのね。さ、上着を脱ぎなさい。怪我はおもに上半身だってエディに聞いてるわ」
「……うん」
とても逆らえる雰囲気ではない。
おずおずと服を脱ぐリッツを見ても少女は動じずにてきぱきと手当を進めていく。
見る見る間にすべての傷にクスリが塗られ、必要なところには包帯が巻かれた。かなり手慣れた手つきだ。
「口に入ってる綿はしばらく口に入れて噛んでなさい。口の血が止まったら出しなさいね」
「うん」
「包帯と傷薬は明日の朝新しいのに変えるから、そのまま触らないで。分かった?」
「うん」
一気にまくし立てられてリッツは頷くのが精一杯だ。
少女はこれ以降口を閉じ、散らばった医薬品を薬箱に戻す作業を始める。
その仕草もまた手慣れていて、包帯は新しい物のように綺麗に巻かれていく。
鮮やかな手つきに思わず見とれていると、少女が不意に顔を上げた。
「何?」
「ええっと、あんた誰?」
改めて尋ねると、少女は厳しい視線を向けた。
「ます私に言うことは?」
「へ?」
「名前を聞く前に私にいうことがあるでしょう?」
「え、え~っと……」
戸惑いながら考えると、ようやく自分がお礼を言っていないことを思い出した。
「手当をしてくれて……ありがとう?」
思わず答えを求める生徒のように質問口調になってしまったのだが、少女は薬箱を見たまま返事をした。
「どういたしまして」
言葉と同時に少女は薬箱をパタンと閉めた。
それが合図だったかのように少女は顔を上げてリッツを見据えた。
「さっきから聞いていれば女性にあんたって、失礼じゃない? 少し気の利いた男なら『君』とか『あなた』って言うでしょ?」
「そ、そうなの?」
「そうよ。それに相手の名前を知りたければ自分から名乗るべきね。ローレンに習ったんじゃない? 紳士の振るまいとしては当然だわ」
再びまくし立てる少女に圧倒されながら、リッツはたじたじと答える。
「……ええっと、俺はリッツ・アルスター。エドの家の居候」
「初めましてリッツ。ようやく噂の人に会えたわ」
「へ? 噂の人?」
「父とアルバートとエディの話にしか出てこない、エディの拾った大きな友達のことよ」
「大きなお友達……」
まるで熊のぬいぐるみか何かのように、妙に可愛らしいいいようだ。
思わずエドワードを見ると、エドワードは軽く肩をすくめた。エドワードもこの少女にはかなわないようだ。
「私はグレイン騎士団第一隊の風使い、パトリシア・モーガンよ。パティでいいわ」
流れるように少女はそう言って手を差し出した。
「よろしく、リッツ」
「うん。よろしく」
恐る恐る手を握り返すと、想像以上の力で握りかえされた。
傷が痛んで呻くと、妙にすました顔で手を放された。
どうも先ほどからの無礼の仕返しをされたらしい。
少女の名前を覚えようと、もう一度頭の中で少女の名前を繰り返して、はたと気がついた。
「モーガン?」
思わずジェラルドを見ると、滅多に見ないような自慢げな顔でジェラルドが答えた。
「私に似て美人だろう?」
「ええ!? やっぱおっさんの娘!? 似てねぇ……」
思わず大声を上げると、薬箱で殴られた。
「お父様をそんな呼び方するなんて失礼よ!」
「いってぇ~、俺は怪我人だぞ!」
「礼儀をわきまえない奴にはこれぐらいの制裁が必要よ!」
「おっさんがおっさんでいいって言ったんだ!」
「そういう時は遠慮するものだわ! 常識外れにもほどがある!」
また薬箱で叩かれそうになって反射的にひょいっと避ける。
偶然にもパトリシアの顔が目の前に来た。
「あっぶねえな! そんなに可愛いくせに何で乱暴なんだよ!」
リッツの言葉に突然パトリシアが固まった。
「か……」
「?」
「可愛い?」
「うん。すごく可愛い」
聞かれたからパトリシアの目を見たまま正直に答えると、みるみるパトリシアの顔が真っ赤になった。
「へ? なに? どうかしたのか?」
全く意味が分からずパトリシアをのぞき込み、それからエドワードとジェラルドを見ると、二人が笑いをこらえているのが分かった。
この状況の意味が分からず戸惑っていると、薬箱が今までとは違った勢いで飛んできた。
至近距離では避けようがなくて正面からおでこに一撃食らう。
「く~っ……」
痛さのあまり額を押さえて悶える。
だが落ちた薬箱が開いて床に散らばるのも構わず、パトリシアは耳たぶまで全部真っ赤に染めたまま拳を振るわせて怒鳴った。
「この軟派者!」
「はぁ?」
「女だからってからかわないでよね!」
「何が? からかうって何?」
本気で訳が分からないでいるリッツに気がついて、何故かパトリシアはますます顔全体を真っ赤に染めてしまった。
「知らない!」
薬箱を残したままくるりとリッツに背を向けて、肩を怒らせながらパトリシアは早足でホールを出て行く。
取り残されたリッツは呆然とその姿を見ていたが、困惑したままジェラルドとエドワードを振り返った。
「何だ、あの嵐みてえね女は」
憮然とするリッツとは正反対に、目の前のエドワードとジェラルドは大笑いをしていた。
「何だよおっさん! エドまで!」
訳が分からず、おでこをさすりながら抗議すると、ジェラルドがまだ笑いを残しながらリッツを見た。
「あの子は母親がおらぬ故、子供の頃から剣技だ、乗馬だと騎士の鍛錬ばかりしていてな。女らしいことが何一つ出来ぬと劣等感を持っている。そのせいか、パティ自身も女性としての褒め言葉を言われることに、妙な違和感を覚えるようになったらしくてな」
「違和感?」
「そうだ。可愛いと言われると、からかわれているような気分になるらしい」
「……女に可愛いって言って何が悪いんだ?」
「世間一般的に女性は弱く守られる存在だと思われているからな。騎士団に入ったばかりの頃パティは、女性扱いされることは、弱いといわれるのと同義語だと捉えていた」
「女性が弱くて守られる?」
リッツにとって一番身近な女性は母親だったが、母親は父親よりも優れた精霊使いで、夫婦げんかをしても父親が勝った試しがなかった。
それにリッツが関わった集落でもティルスの村でも農家の女性たちは強く、男女は平等だった。
「お前には不思議なようだなリッツ」
「うん。母さんも農家の人たちも、絶対に女の方が強いよ。貴族の間は違うんだな」
「そうかもしれんな」
ジェラルドは苦笑しながらパトリシアが消えた扉の方を見た。
「だから騎士団の団員も私やエドもみなあいつを女扱いしたことがなかった」
「今もあいつ、からかわれたって思ってんのかな?」
「さあな。聞いたことがない」
娘に関しては妙に遠慮がちなジェラルドにリッツはため息をついた。
「あんなに可愛いのに女扱いしねえなんて、変な話だな。女だって強えのは強えのに」
リッツが呟くと、ジェラルドに変わって苦笑混じりにエドワードが答えた。
「子供の頃からああで、俺にも正直パティとどう接するのがいいのか分からないから、ずっと騎士仲間のようにしてきたんだが……」
そういうとエドワードは瞳を、妹を思いやる兄のような柔らかい表情で細めた。
「そうだな。パティも女の子なんだな」
妙に納得した様子の二人に、リッツは取り残されたような気がしてむくれる。
「……意味わかんねえんだけど?」
すると父親のジェラルドが口を開いた。
「すまんすまん。つまりお前は物心ついて以来、初めて正面切ってパティに可愛い女の子だと言ったことになるんだ」
「そうなの?」
「ああ。あいつは怒るだろうと思っていたのに、違ったな。嬉しかったんだろう」
「は?」
思い切り怒っていたような気がするのだが。
リッツが口にする前にジェラルドは独り言のようにため息混じりに呟いた。
「あの子ももう年頃の立派な女性だ。本当はそう言われたかったのかもしれん。だが私も周りの人間も皆、今までのあいつの扱いに慣れすぎて忘れていた」
「あのさ、おっさん」
「何だ?」
「……嬉しかったら、どうして薬箱で俺をぶん殴るんだよ。明らかに怒ってるじゃん」
口を尖らせたリッツの後ろにジェラルドは膝をつくと、リッツの肩を抱いた。
「覚えておけリッツ。女の言葉にはな、表と裏の意味がある。それを巧みに見分けることが出来たら、もてること間違い無しだ」
軽くウインクしてみせるジェラルドは確かにもてそうだ。だがリッツにはそれの何が嬉しいのか分からない。
「もてるって言われても、別に女なんていらないし。めんどくさいじゃん」
首をかしげると、ジェラルドとエドワードは顔を見合わせた。
「俺は今の生活でかなり満足してるもん」
あっさりとそういうと、ジェラルドが肩をぽんぽんと叩いた。
「なるほど。お前、女を知らないんだな」
「シーデナいるときは親父と母さんと一緒に暮らしてたし、出てから一年ちょっとだし、そのほとんどはティルスだぜ? 金もねえし当たり前だろ?」
正直、グレインに来るまで一人で生きていくことに一生懸命で、グレインに来てからは命を預かってくれたエドワードのためになろうと一生懸命だったから、女性に目が行ったことなんて一度もなかった。
「だが恋のひとつや二つしたことがあるだろう?」
「う~ん」
リッツにとって周りにいた女性と言ったら、母親と近くの集落の人々だけだった。
でも子供の頃に面倒を見ていたリッツにとって、成長した女たちは恋愛対象に入らなかった。
時にはおしめを替えてやり、少し大きくなれば鼻水を垂らして駆け回っていたのを知っているのに、その子と恋が出来るはずがない。
「ないなぁ……」
リッツたち光の一族は、成人するのに百年かかる。リッツだって例外ではなく、百歳までは親にかなり子供扱いされてきた。
それからたったの十一年だ。
その間に出会った人のことを思い出してみるが、これと言って印象に残る出会いもない。
何しろ一番印象的だった出会いが、エドワードとジェラルドに拾われた時なのだ。
そんなリッツだから恋愛という概念すら、まだよく分からない。というよりもそれが人生において必要な物だとは全く思えない。
首をひねっていると、いつの間にかエドワードが正面に膝をつき、リッツの顔を見つめていた。
「本当にないのか?」
「ねえって。それがなんか悪いことなのかよ」
何だか馬鹿にされているような気分でふてくされると、リッツの後ろにいたジェラルドは苦笑しながら何故か自分の上着を探り、ポケットから数枚の金貨を取り出してエドワードに渡した。
「エド、リッツへの小遣いみたいなものだ。グレインの街でぱーっと遊んでこい」
「了解」
「金貨! 金貨なんて大金じゃねえか! 何日食えると思ってんだよ!」
「リッツ、お前は人生の半分を損している」
「?」
「恋愛も遊びも人生を楽しむために必要不可欠な香辛料だ」
「……そうかなぁ……」
人生の価値が分からず死んでも構わないと思っていた頃に比べると、エドワードやジェラルドたちがいる今の生活はかなり楽しくて充実している。
今まで生きてきた中でもっとも人生を楽しんでいると言ってもいい。
「俺、エドがいればいいけど?」
「いまはそうかもしれんな」
「そうだよ」
だが戸惑うリッツの肩をジェラルドはさらに強く叩いた。
「いてぇって……」
「ここはユリスラ北東でもっとも大きな街グレインだ。ティルスに戻るまでの数日、存分に楽しんでこい」
「何を?」
「なんでもだ」
さっぱり分からない。
「とりあえず今は休んで夜にでも出かけるんだな。眠そうだぞ」
からかうようなジェラルドの言葉には、リッツを心配するような響きがあった。
強がって隠してみても、体調の悪さはエドワードだけではなくジェラルドにもばれているようだ。
正面のエドワードを見ると、エドワードも申し訳なさそうに微笑んでいる。
どうやらリッツには、顔に出さずに辛さをさらっと隠すような器用なことは出来ないらしい。
でもそれでも、大切な人たちに心配を掛けないように、少しは強がれるようになりたい。
ふと頭の中をパトリシアがよぎって、胸がちくりと痛んだ。
「どうした?」
エドワードに尋ねられたが、何が引っかかるのか分からずに首を振る。
「ん。確かに眠いなぁと思ってさ。手当もして貰ったし、よく眠れそうだ」
「そうか」
「うん。俺休むよ。おっさん、エド、お休み~」
リッツはよろめきつつも何とか立ち上がる。これ以上二人に心配を掛けたくない。
「手を貸すぞ?」
「このぐらい大丈夫だ」
心配そうに手を貸そうとするエドワードに何とか笑みを浮かべて断って、力の入らない足で必死で踏ん張って手すりにもたれながら階段を上る。
二人の視線を感じながらも振り返らずに、ようやく三階の廊下まで進んだ。
ここからなら二人から見えない。
今まで張っていた虚勢がボロボロとはがれ落ちて足が震える。
「くそっ、しっかりしろよ俺」
苦しさを紛らわせるために独り言をつぶやき大きく息を吸うと、壁伝いによろよろと隅の部屋に移動する。
そこがリッツの宛がわれた部屋だ。
部屋に入って後ろ手に扉を閉めたリッツは、そのまま崩れるようにベットに倒れ込んだ。




