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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
邂逅の光明
88/179

<13>

「エド、お~い、エド?」

 リッツはそっとエドワードの寝台を覗き込んだ。やれやれ、やっぱりここにいない。エドワードは感情を押し殺さねばならない時、ベットから抜け出して、夜の中に出ていくことがある。

 そんな時には、リッツはすぐにそれが分かった。

 何故だか分からない。

 みんなが分からないけれど、リッツだけはエドワードの心が揺れていることを理解できた。

 暗殺者の襲撃からもう二日経っていた。

 戦いの後処理、暗殺者の後処理など、最初の一日は忙しくてとにかくリッツもエドワードもばたばたしていた。だからエドワードが考え込んでいても、こうして抜け出さないことが分かっていた。

 全てが落ち着いた本日、事後報告を聞きながら司令部全員で食事を取っていた時、エドワードが妙に優しい口調で話をしていることに気がついた。

 みんなはそれが普通だと思っているようだが、リッツは『きたな』と感じたのである。

 今晩は、ちゃんと見張ってないと、どこかで一人悶々としそうだなと。

 エドワードは疲れている時ほど、他人に優しい。

 自分の感情が表に出ないように、とても回りに気を遣うからだ。

 だけどそれはとても疲れるはずだ。

 だからリッツぐらいはそれを察して、エドワードに『こん畜生~!』と叫ばせてやらないと、友達がいがないというものだろう。

 ごそごそと時計を取り出し、敵襲に備えて常時燃えているオイル照明にかざす。

 もうかなり真夜中だ。でもリッツはエドワードが出て行くことを想定して、幾度か起きてみていたから、そんなに長い時間は経っていないはずだ。

 天幕を出ると、夏であっても涼しい風が吹いていた。

 心地のいい風だ。

「さて」

 リッツは誰も見ていないことを確認してから、そっと目を閉じる。

 心を自分が立っている場所に溶け込ませるように、透明にしていく。

 昔母親に習った精霊使いの基本の集中だ。

 精霊使いの才能がなくとも、こうして何かを感じ取り、心を自然に溶かしていくことは可能だ。

 幼い頃から、一人で森にいる時に、回りの気配を察してこうして身を守ったこともあったのである。

 精霊を使えないから誰にも聞かれたくなくて、心の中でそっと精霊使いの父親から教わった精霊族の詠唱を唱える。

 詠唱も集中を高めるための一つの方法だ。

『共に生を受けし、我らの友、風の精霊よ。我が望みを聞き、それを叶えよ』

 一陣の風がふわりと吹き抜けて、髪が風になびいた。見えないし聞こえないけれど、何かを感じつつ、全身を風に溶かして、風の声を聞く。

 すると精霊を見ることが出来ないのに、何故か直感が答えを導く。

 もしかしたら、前にソフィアが『精霊の気配がする』といったのは、こういうことをしているからかもしれない。

 リッツは目を開けた。

 ほら、やっぱり答えが出た。

「おそらくこっち」

 リッツは迷い無く、本営を奥へと歩き出す。

 こちらには川がある。天幕からは結構離れているし、川なら多少騒いでも迷惑にならないだろう。

 夏の風が木々を揺らし、大きくさざめく。海で聞こえるさざ波のような音というらしい。

 昔、父親に海ってどんなものと聞いた時、『風に揺れる木々のさざめきが、無数に連なって重なり合うような音がする場所だ』と言っていたことを思い出した。

「海ねぇ」

 リッツはシアーズの港から見る海しか見た事がない。街の方が騒がしくて、波音を意識したことはあまりなかった。

 そういえばローレンが『シアーズはユリスラ最大の港町よ。覚えておくように』といっていたっけ。

 ローレンの顔をふと思い出す。すると同時に、あの仮面の男のことを思い出してしまった。

 そうだ。グレイグ・バルディアが言っていたっけ。本来、ルイーズと結婚するのはアルバートだったのだって。

 ローレンはあの仮面の男と結婚する予定だったのだ。

 でも実際は、アルバートの妻はローレンだ。

 よくよく考えれば、アルバートは愛した女性と憎い男の子共であるエドワードを引き取り、愛した女性の親友と家庭を持った。

 一体どんなことがあって、あの二人が結ばれ、シャスタが生まれたのだろう。

 二人の愛情は本物だと感じていたけれど、実は何か複雑なものがあったのだろうか。

 ローレンはもうこの世にいないし、アルバートはそれを語りたがらないだろう。

 だからきっとそれを知ることは、永遠に不可能に違いない。

 お互いを思い、愛情を重ね合う事って、とても難しい事なのかもしれない。

 それでもローレンとアルバートは、とてもお互いを思いやっていた。

 死ぬ間際まで、ローレンがアルバートを待っていたように。

 黙々と歩いていると、やがて天幕の集合した地帯を抜け、草原を抜けて、川へと至った。

 拓けた視界の中に川の水面に反射する青白い月が飛び込んできた。

 川縁に立ち左右に視線を向けると、川に面して森が迫る場所で、エドワードが膝を抱え、座ったまま眠っていた。

 青く澄んだ水面を渡る風が、長く伸びてきたエドワードの金の髪を優しくもてあそんでいる。

「みーっけ」

 小さく呟いた。やっぱり風の精霊がいると、エドワードの場所が割り出せる。

 もしかしたら風の精霊はエドワードが好きなのかもしれない。

 起こすのも悪いからそっとエドワードに歩み寄り、眠っているエドワードの横に腰を下ろした。

 話したければエドワードが話してくれるだろう。

 話したくなければ、それでも別に構わない。

 寝ていたければ、気が済むまでずっと隣に座っていればいい。

 木の幹に寄りかかって空を見上げる。

 空は綺麗に晴れていて、沢山の星々が見えている。黙ったまま星を見上げると、何だか星が静かに降ってくる音が聞こえそうだ。

 一人で夜空を見上げるのは嫌いじゃない。

 エドワードと出会うまでは、夜になればずっと一人で、自宅の傍の湖の畔に座り、空を見上げて星を見て過ごした。

 まるで夜空に呑まれそうで、でも一人でいるから飲まれてしまって、あの星に紛れてしまう方が、幸せなのではないかなと考えたこともある。

 でも今は星空に飲み込まれなくて良かったと思っている。ここにリッツを必要としてくれる人がいる限り、もう一人じゃない。

 水音と、風の揺らす木々の音を聞きながら、リッツは小さく歌を口ずさんだ。

 それは最近知った曲ではなく、母親が幼い頃に歌ってくれた歌だった。

 歌詞は闇の国ゼウムの言語で、ユリスラの人には理解できないだろう。

 半分が闇の血を引いているリッツは、話すことは出来ないけれど、この歌の意味ぐらいは、理解している。


 お休みなさい、私の愛し子。

 優しい闇のヴェールに包まれて、

 その深き慈しみの中で、

 苦しみも迷いも解けてしまうだろう。

 差し出す眠りの優しき御手は、

 私の抱えし罪をも包み、

 たゆとう眠りの精霊と共に、

 全ての愛に包まれる


「優しい歌だな」

 不意にエドワードがそういった。

「……起きてたの?」

「うたた寝してたんだが、心地いい声が聞こえたから目が覚めた。お前、そんな風に優しく歌うんだな」

 目を細めて言われ、リッツは頭を掻いた。

 そういえばエドワードの前で、酒場の女たちの歌以外の歌を歌うのは初めてだ。

「不思議な旋律だ。歌詞も全く意味が分からなかった。でも優しい歌なのはお前の顔と声を聞いていれば分かる」

 何だか恥ずかしくなって、リッツはふいと横を向いた。

 からかえばいいのに、こうして真っ直ぐに来られると、本当に恥ずかしい。

 それと同時に分かったのは、今もかなり思い悩んでいるのだろうことだ。

 エドワードがからかったり、皮肉ってこない時には、相当疲れている時だと、もうリッツは知っている。

「母さんが昔歌ってくれたんだ。なんか思い出した」

「ゼウムの子守歌か?」

「うん」

「共通語の歌詞を教えてくれよ」

「うん」

 頷くと、リッツは小さく今度は大陸共通語で歌った。

 母親とそんな言葉遊びをして、言葉をいれかえたりして遊んだから、ゼウムの歌の大半は、こうして共通語に切り替えられる。

 でもリッツは一番、ゼウムの言語で歌うこの歌が気に入っている。

 ユリスラやシーデナの森で歌うことは禁忌なのだろうけれど、エドワードなら歌ってもきっと大丈夫だ。

「もう一回、今度はゼウム語で」

「うん」

 息を吸い、望まれるままにまた歌う。歌い終わってみてみると、エドワードが目を閉じていた。

「眠ってるの?」

「……眠りたい」

「寝ればいいじゃん」

「眠れないんだ」

 顔を上げたエドワードは、リッツを見て弱々しく、微かに笑う。

「自己嫌悪で」

「自己嫌悪!?」

 あまりに意外な言葉に、思わず声を上げると、エドワードが溜息交じりに顎を抱えた膝に乗せた。

「俺はグレイグに、酷いことを言った。彼がどんな状況かなんて知らないのに、彼に死ねと言ったんだ」

 エドワードはそう言うと、再び膝に顔を埋めた。

「まだまだ人間が出来てない。ローレンを殺してティルスを焼いたのが叔父だと知ったら、我慢できなくなった。また俺の血縁者がやらかしたのかってさ。ハロルド国王、スチュワート、リチャード、俺の血縁者はみんなまともじゃない」

「まあ、否定はしないけど」

 確かにエドワードの血縁者で、この国は滅びそうになっている。

 でもエドワードが救うならば、それでいいと思うのだが。

「でもエド、それがどうして自己嫌悪なのさ。回りがおかしくたって、お前はおかしくならないって、俺、いつも言ってるじゃん?」

「違う。血縁者だからって、俺は相手の事情も知らずに死ねと言う男で、小さい男なんだなと思ってさ」

「……エド……」

「その上、お前に言われるまで、言葉も手も止められなかった。それで、グレイグに自分の喉を突かせるようなまねをした。一体俺は何をしているんだろうと思うと、目が冴える」

 言いながらエドワードは膝に顎を乗せたまま、水面を見ている。

 リッツも同じ方向に目をやると、川の中で小さな魚がはねた。

 銀色のきらめきは、まるで水に落ちた月みたいだ。

「綺麗だな」

 同じものを見ていたのか、エドワードが呟いた。

「うん」

 正直に頷くと、エドワードがこちらに手を伸ばしてきた。その手に、一通の封書がある。

「これ何?」

「読んでくれ」

「……うん」

 受け取った封書を開くと、そこには綺麗な女性の文字が書かれていた。文面を目で追うと、あの時の査察官、グレタ・ジレットの書いた物だと分かった。

 そこにはグレイグが置かれていた状況が、事細かに記されていたのだ。

 暴力と薬物による記憶操作の実態、シュヴァリエ家の奴隷として、暗殺や性的奉仕まで強要されていたこと等が詳細に書かれている。

 特に娘の立場を彼の妹に奪われたと逆恨みした、シュヴァリエ公爵は、酷くグレイグを虐待したのだという。

 後にイーディスの所有物とされてからは、少々の自由が与えられていたというが、それでも彼は奴隷だった。

 あの仮面の男が、こんな目に遭っていたなんて。だからあのように死のうとしたのだろうか。

 自分を儚んで?

 それともそんな悲惨な境遇に甘んじて、愛する人を殺してしまったから?

 なるほど、これを読んだら、エドワードは酷い自己嫌悪に陥るだろう。

 彼のしてきたことを、自業自得だと責めることなど出来ない。

「読んだよ」

「ああ」

「で、自己嫌悪?」

「そう。知らなかったは言い訳にならないからな」

「でも仕方ないって俺は思うけど」

 リッツはもう一度、手紙を広げてみた。

 赤裸々に綴られたグレイグの秘密。これを知っていれば、エドワードは決して自分で始末を付けろなんて言えなかっただろう。

「グレイグはさ、これ、エドに知られたくなかっただろうなぁ」

 ぽつりと呟いた。

「何?」

「知られちゃうんなら、あの状況になっても、エドに罵倒される方がましだったはずだよ。こんな事を、大切な妹の子に知られるよりもね」

 淡々とそう言うと、エドワードが眉を寄せた。

「そう思うのか?」

「うん。人には知られたくないことがあるもん。知られるぐらいなら、ののしられた方がましなことだってあるさ」

 そう。それはリッツにもある。

 エドワードには未だシーデナでの自分の姿を、全て打ち明けたわけではない。でもこれ以上は知られたくないし、言うつもりもない。

 エドワードと対等な友として笑い合えるように、同情されて優しくされるのではなく、お互いに思い合えるようにするには、それを知られない方がリッツは嬉しい。

 それにそこから先は、自分の中の話だからだ。

 でもエドワードはリッツの言葉を、さらりと流してはくれなかった。

「お前は、俺に自分を全部さらけ出すのは嫌だと思うか?」

 微かに暗く沈む口調に、リッツは迷った。ないと言えば嘘をついてしまうから苦しい。でもあると言ったら話さねばならなくなる。

 どちらも選びづらくて迷うも、結局正直に答えていた。

「お前にだけは知られたくない過去はある」

「俺にだけは?」

「うん。エドを信じてるし、エドは俺の光なんだって思うけど、だからこそ隠したい部分はある。俺の闇の闇の部分とかさ。つっても、この間ほとんど吐き出させられちゃったから秘密なんてほんの……」

 指で小さく丸を作って見せる。

「こんぐらいだ」

「聞いても答えてくれないんだろうな」

「うん。今は。でもいつかエドに話したくなるかもしれないし、話せる時が来るかもしれない。だから俺、エドがそれを知らずに俺を傷つけたとしても、俺は笑う」

 そう断言すると、エドワードは苦笑した。

「親友だから全部知っておきたいと思うのは、俺の思い上がりか?」

「どうかな? でもエドが俺を大切に思ってくれてるんだなって思ったら嬉しい」

「じゃあ……」

「でもやっぱり話したくないなぁ」

 話したくなるのは、どんなときだろう。どれほど後のことだろう。でもきっとこの闇は、エドワードにいつの日か、さらすことになるのだろうなと言う予感はある。

「俺はエドが秘密を抱えててもいい。俺に話せないことがあって、それでもそれごとエドじゃん」

「俺はお前に秘めていることなんてないよ」

「でも俺、色々知らないよ。お前が学校に行ってた頃とか、お前が国王の子だと分かる前はどんな奴だったかもさ」

「そうだな。話したことないな」

「うん。確かに色々知りたいって気持ちはお互いにあるけど、俺が見て欲しい部分とか、さらけ出してる部分だって全部俺だもん。単純で見え見えだけど、これが俺だ」

「だが、リッツ……」

「相手を慮るのもとっても必要なのかもしんないけど、俺はお前が見せているエド、お前が俺に知って欲しいエドの部分だけでも大好きだよ」

 エドワードに分かるだろうか。あの頃のリッツの心の澱みが。

 心の奥底に、闇がゆるりと横たわっている。

 その中から幼かった頃の自分の手が助けを求めてもがくように突き出ては消える。

 闇の中に沈んだ手は、やがて天上から降り注いだ一本の手に掴み上げられた。

 光はあまりに眩しく、闇の表面を輝かせ、闇の奥底までは見渡せない。

 だけどそれに安堵する。闇から救い出してくれたその手は本物で、救い出してくれた光も本物だ。

 その光がエドワードだ。

 闇の底はそのまま闇かもしれないけれど、光に助けられた自分は、奥底にたゆとうそれを認識しつつも、もうそこに浸からぬ自分に安堵する。

 光を得た。闇から抜け出した。だからその闇を広げて闇を全て消す必要はない。

 きっとその闇が自分を作った物だからだ。

 上手くそれが言葉に出来なくて、たどたどしくそんな意味のことを語ると、エドワードは穏やかな笑みを浮かべた。

「話の論点がずれてる」

「うん。分かってる。でもさ、なんかグレイグって人はきっと、事情を察して優しくして欲しくはなったかなと思ったんだ」

「何故だ?」

「受け入れて欲しくないから。ずっと自らの信じる道を突き進んできたエドに、そんな自分を全て許容されたら、自分が余計惨めになる。きっとあの人はそう思ったと思う」

 記憶を無くし、身を落としたのに、それでも逃げたり自分をとりもどしたりせず、唯々諾々と従っていた自分が。その自分が実はただの貴族の策略の駒でしかなかったことが。

「大変だったなって言われたら、きっと死にたくなるよ」 

「……俺がお前に手を差し伸べた時、お前は惨めになったか?」

「なるわけない。今までずっと夜だったのに、突然光が射したみたいだった」

「だったら……」

「だって俺の手を取ったの、エドだったからだよ。もしも俺の境遇を知り、俺の手を取ろうとした奴が、精霊族の中にいたら……俺は死にたくなったと思う。自分の惨めさに潰されると思う。結局俺は、同情で生かされるのかって」

「俺がお前にとって……完全な他人だったからお前は俺に救われたのか?」

「それだけじゃない。恥ずかしいけどさ、エド。お前の目を見た瞬間に確信したんだ。この人なら、一緒に生きられるって」

 それぐらい、エドワードの瞳は輝いていた。自信に満ちたその笑みは、リッツに生きることを確信させた。黙ってしまったエドワードから目をそらして、リッツは再び星空を仰ぎ見る。

「グレイグにとってエドは身内じゃん? しかも妹と憎んだ男の子だよ? 俺は何をやってるんだろうって、苦しくなるだろうな」

 同情で手を取られるほど辛いことはない。だったら死んだ方がましなことはある。

「ま、これは俺の個人的見解だけど。でもまあ、これで自己嫌悪に陥るんだから、お前のその、あり得ないぐらい厳しく、無意味なまでに人を理解しようとするところには恐れ入るよ」

 口調をかえ、微かに肩をすくめると、エドワードがこちらを睨んだのが分かった。どうやら、少々かちんときたようだ。

 これならリッツの思惑通り、上手くいくかな。ちょっとだけエドワードの怒りの気配にびびりつつも、軽い口調で言い切る。

「女神でも精霊王でもないのに、全部を分かろうとしちゃってさ」

「思い上がっているとでもいうのか?」

 微かに温度を下げる口調に、いつもなら謝るけれど、リッツは敢えて謝らずに笑う。

「そうだよ。エドがもしみんなの裏の裏にある気持ちまで知ってたら、すっげえ怖いもん。完璧に人の願いを、心を知って生きてたら、すっげぇ生きづらいだろうね」

「……じゃあ何も知らないまま、相手を踏みつけておけとお前は言うわけだ?」

 本当に腹が立っているのだろう、言葉にかなりの棘がある。

 でもエドワードがこうして棘だらけになるのはリッツに対してだけだし、それで嫌われる話でもないことを知っているから、自信満々に頷いた。

「そうだよ」

「それじゃ俺は馬鹿貴族共と一緒だな」

「違うよ。敵対している人とか、今まで恨んでいた人に対してでも落ち込むのに、奴らと一緒なもんか」

「じゃあお前は俺を何だと思ってるんだ? 女神でも精霊王でもないのに思い上がった馬鹿で、国民を虐げる貴族ぐらい馬鹿で、何も分からずに回りを踏みつけていく愚か者か?」

「エドを馬鹿で愚か者とかいっちゃったら、俺、そこら辺を這ってる地虫ぐらい無価値になるんだけど?」

 真剣に見つめると、エドワードは何とも言えない顔をした。どうやらリッツの言葉に、またリッツを卑下させたのだとでも思ったのだろう。だが言った言葉は歴然足る事実だから、そのまま笑ってエドワードを見つめる。

「エドは本当に、いい奴だよな。すっごく人の心を慮るんだもん。俺は俺が大切だと思っている人以外、表面をひょいっとかすめて、適当に言葉繋いで、それでいいと思っちゃう」

 だからエドワードが落ち込むと、切ないし、辛い。パトリシアが落ち込んでたら、道化になってでも笑ってもらいたい。大切な人のためなら、リッツは必死になれる。

 でもみんなを背負うことなど出来ないし、背負いたくない。

「俺の両手ってすっごく狭いんだ。大切で、大好きで、大事な人だけしか守れない。だからさ、後は割とどうでもいい」

「……どうでもいいのか?」

「うん。はっきり言っちゃうと、俺ユリスラとか、国民とかも、きっとどうでもいいんだと思う」

「! お前!」

 心底驚いたような、怒りを微かに含んだ声を上げたエドワードの目を、じっと見つめ返す。

「だけどエドは大事だ。どうでもいいなんて事はあり得ない。パティも、どうでもいいなんてあり得ない。おっさんも、ギルも俺を構ってくれる人はみんな大事だ。だから俺は大事な人の願いのために、その人たちの望む未来のためにならば、命を張っても悔いがない」

「リッツ……」

「だからエドは、俺を大切にしてくれるんだろ? 俺を分かってくれてるんだよな? パティにこの間怒られたみたいに、他人じゃないから慮って助けてくれるんだろ?」

 いつもリッツを問い詰める時は決して逸らさないのに、エドワードは微かに俯いた。

「それじゃ何だか、俺がお前を利用しているみたいで、いたたまれない」

「そんな言い方してないじゃん」

「別にお前が俺のために命を張ってるから、お前を大事にしてるわけじゃない」

「……うん」

「友達だから、感情をさらけ出せるからだ」

「うん。だよな。前にアリシアが言ったみたいに、きっと俺は、エドを中心に描く円の中心に近いところにいるわけだな」

 きっぱりというと、諦め顔でエドワードは小さく息を吐いた。

「……また話が飛ぶ」

「繋がってるよ! で、パティとかシャスタとかおっさんとかアルバートもその近辺にいるんだ。その輪が更に広がったところに、ギルとか、コネルとか、エリクソンとかマルヴィルとかいるわけだね。こうやってエドの円はどんどん広がっていく」

 リッツは地面を軽く探り、小石をいくつか見つけ出した。

「だけどそれにだって限りがある。どれだけ円が膨らんだとしても、敵との円は一つにならない。ぶつかったり触れることはあっても、繋がったりはしない。こういうふうにさ」

 リッツは小石を一つ投げ入れた。そのさざ波があるうちに二つ目を投げ入れる。川の流れがあるから、あっという間に二つの円は消えたけれど、それは別の形で消えていく。

「エドは、エドの円だけ大切にしたらいいよ。その円の中に、ウォルター侯爵とか、グレイグ・バルディアを含めなくてもいいんだよ」

 微かにエドワードがたじろいだ。

 ああ、やっぱりだと思う。

 グレイグのことだけではなく、こっちも心配していたのだろう。

 だから自分が何も知らない小さな男だなどと言い出したのだ。

「遠回りに、お前は気に病むなと言うわけか?」

「うん」

「身内だけ気を遣えばいいと?」

「うん。エドが自分の円の中にいる、と思う人だけに気を配ればいいよ」

「では敵は? あれだけのことをされていた男を、自殺させようとした俺に、責任はないのか?」

「ない。もしそれで責任問われたら、俺、絶対に問うてきた奴を怒るよ。んなこと、エドには関係ねぇだろって。知ったことかって」

「……」

 呆れたような顔をしたエドワードが、やがて大きな溜息をついて、リッツを見た。

「身勝手すぎやしないか、リッツ」

「身勝手なもんか」

「お前は敵だから、お前のことなど知ったことじゃないと、言い切れというのか?」

「似たような感じだけど、違うなぁ~。この方が格好いい」

「え?」

 リッツは大きく息を吸うと、微かに眉を寄せ、背筋を伸ばした。

 それから自信に満ちた笑みを浮かべると口を開く。

「もし理解されたいと望むならば、私の元に下れ。共に戦うならば、お前を理解してやろう」

 思い切りエドワードの口調と話し方をまねてそう言い切ってみた。意表を突かれたと言う顔で、エドワードがぽかんとしている。

 あまりに間の抜けた珍しい顔だったから、リッツの方が心配になった。

「……大丈夫、エド?」

 そっと手を伸ばして肩を掴み、顔をじっと覗き込むと、エドワードが一瞬俯いた。次の瞬間には、それが爆笑に変わる。

「エ、エド?」

 思い切り爆笑するエドワードに、リッツは焦った。何かおかしなことを言ってしまっただろうか。

「エドってば」

「俺は、馬鹿だ」

 笑いにむせながら、エドワードがそう声を絞り出した。何か取り乱させるようなことを言ってしまったのだろうか。

「馬鹿じゃない! エドは馬鹿じゃないってば!」

「違う違う。何を俺は考えてたんだろう。そうだよな、俺はもう自分の身分を隠して、誰にも関わらない、いい人でいる必要はないんだ」

「そうだよ! だからそう言ってるじゃん!」

「そうだよな、そうだよ。俺は今、王太子だった」

 ようやく笑いを抑えて、エドワードがそういった。

「俺はもうエドワード・セロシアじゃないんだ、エドワード・バルディアなんだ。なんだ、そうだったんだ」

 リッツの今までの訳の分からない話が、全部綺麗にエドワードの中で腑に落ちたようだ。

「敵を作るなら作ればいいんだ。味方を作るなら味方を作ればいいんだ。お前が言うように、全てを理解しようと、慮らなくてもいいんだな」

「うん」

「俺を回りに理解させればいいんだ。王太子なんだから、受け止める側ではなく、発信する側になれば良かったのか。それで理解を求めて集う人々を理解すればいいんだな」

 ようやく意図が伝わったみたいでホッとする。心の中にもやもやと感情があるのだが、リッツはいつもそれを的確に伝えることが出来なくて、自分に苛立つ。

 でもエドワードはそれを拾い上げて、言葉にしてリッツの前に持ってくる。それで凄く助かる。

「もし再びグレイグに会うことがあったら、俺は言えばいいんだな。過去を水に流し、共に来るならこい。お前の苦しみを理解してやる」

「うん。格好いいじゃん、エド。落ち込んでるよりずっといいや」

 手放しで喜ぶと、エドワードが少し気恥ずかしそうに笑った。

「全くお前は。俺の悩みをことごとく粉砕していくな」

「だって俺は馬鹿だからさ。一緒に難しく悩むのは違う気がするんだ。もっともっと前向きで明るい答えをお前に渡せたらって思うけど、俺、根が暗いし、そういうの持ち合わせてないし」

「それでもお前は、俺を助けてくれる。ありがとう」

「べ、別に、そんなにたいした事してねえし!」

 褒められると急に居心地が悪くなる。

 オロオロしていると、エドワードは心得ているように視線を外して水面を見つめた。だから少し落ち着いて小さく溜息をつく。

 この過剰反応、どうにかしたいのだが、どうも上手くいかない。

 しばらく二人で水面を見ていると、エドワードが呟いた。

「俺たちは将来、アルバートみたいに結婚して家庭を持ったりするのかな」

 グレイグの存在が、エドワードに家族を意識させていた。リッツは何気なさを装って返事をする。

「……エドはするんじゃねえの?」

「戦乱の国王になろうとしているのに?」

 かすかに口調に嘲笑が混じる。でもリッツはあえてそれを聞き流した。

「国王って、幸せになっちゃいけないのか?」

「……そんなことはないさ。暴君はいても、平穏に幸せに生きた国王はいっぱいいる」

「じゃ、エドもそうなればいいじゃん」

「乱世なのに?」

「乱世は終わるよ。その後に平和で平穏な国王になればいいじゃん」

 言いながらリッツはごろりと横になった。

 何だか眠い。ずっとエドワードを見張っていて、ろくに寝ていないからだ。

 エドワードも倒れ込むように草の上に寝転がる。

 頭のてっぺんをくっつけるように倒れて、二人でぼんやりと星空を見上げる。

 なんて綺麗な星空だろう。

 まるでファルディナで見た、高級ホテルからの街の灯みたいだ。

 でもこの光は街の灯と違って、青く冴えている。

 冷静に人々を見つめている時の、エドワードの瞳と同じ輝きだ。冴え冴えとしているのに、どこか安心する。

「幸せな時代の国王か。長い時間かかるだろうな」

「うん。だけどきっと幸せな国王になるんだ。パティは王妃とか、どう?」

「……やっぱり俺たちをくっつけたいか、お前は」

「うん。だってきっと俺は、エドとパティの子なら、自分の子と同じように愛せると思うから」

 ルイーズの子を育てた、アルバートのように。

 目を閉じると、夢うつつの中で、エドワードとパトリシアが、のんびりと柔らかな野原を歩いている姿が浮かんだ。

 二人の手に繋がれるように、小さな子供が歩いている。子供は両親を見上げて笑顔を浮かべる。

 エドワードが、パトリシアが子供を見て笑い、お互いに顔を見合わせて笑う。

 風になびいているのは、ティルスの金の小麦だろうか。

 そしてその後ろには、一点の曇りもない、真っ青な空が広がっている。

 ああ、エドと出会った時の景色だ。

 三人の幸せそうな笑顔を見ながら、リッツは一人で佇んでいる。

 大好きな人たちが、幸せで暮らせる、それが嬉しくて。

 でも少し切なくて。

「俺に未来はないけど、お前が死ぬまでの間、俺はその子をもちゃんと大切にしていきたい。だったらエドの伴侶はパティがいい」

「リッツ……」

「俺はずっと二人の間で、笑ってたい。パティと喧嘩して、エドに怒られて、二人の子を可愛がって。それで人生が終わればいい。あと六十年ぐらいなら、そうやって俺は生きたい」

 自分が結婚するなんて、そんな未来考えたくない。

 そんな不可能は事はあり得ない。あり得ない物を望んでもがいても、それは辛いだけだ。

 だったら、そんな希望はいらない。

 ふとジェラルドとアリシアが浮かんだ。

 何にも代えがたい、たった一人の人と結ばれるあの絆の強さ。暖かさ。たった一人の人として愛されるという憧れ。

 それは全てリッツに取っては、遠い遠い夢物語だ。

 夢うつつにぼんやりと星空が滲む。すると優しくエドワードが名前を呼んでくれた。

「リッツ」

「ん……?」

「きっといるさ。お前を愛してくれる、お前だけの運命の相手が」

 諭すような声色だった。そういえばエドワードは言っていたっけ。エドワードが死ぬ時、きっとリッツには伴侶がいて、一緒に死にはしないだろうと。

 でもそんな都合のいい話はない。リッツは精霊族で、人間を愛せる自信はまるでない。

 一番愛した人に、先立たれることは耐えられない。エドワードが先に逝くことだって、耐えられないのに。

「気を遣ってもらわなくても、俺は一人でいいよ」

「いや。俺はそう信じてる。お前が俺の幸せを願うのと同じように、俺もお前の幸せを願っている。きっと……お前よりもずっと強く……」

 語尾が微かにかすれて、続く言葉がない。微かに窺うと、エドワードはすでに寝息を立てていた。この調子だと、昨日もろくに寝ていないのだろう。

「……俺は一人でいいんだって。お前たちの少し後ろに、そっと置いてくれたら、それでいいんだよ」

 小さく呟く。

 そうしてエドワードが死ぬ時に、殺してもらう。

 そこで人生の幕は閉じるのだ。

 孤独にもがき、苦しむよりもいっそ潔い。

 もし、万が一にでも、そんな伴侶がリッツにいたら、世界はどう変わるのだろう。

 この世界が少しでもリッツの住みやすい世界になるのだろうか。

 エドワードがリッツの伴侶にと思い描く太陽のような女性の幻を思い描き、夜空に瞬く満天の星に向かって手を伸ばした。

「……どっかにいるなら、この手をとって。俺を愛してくれ。永遠の時間と一緒に」

 口にしてみて、自嘲した。

 馬鹿馬鹿しい。

 どこにもそんな存在はいない。

 力が抜けて、手がそのままぱたりと地面に落ちた。

 エド、お前の望みはみんな叶えてやりたいけど、でもこれだけは無理みたいだ。

 俺はたった一人の誰かに愛されて幸せになんて、なれやしない。ただこの仲間の中でからかわれ、遊ばれているのが幸せなんだから。

 リッツは瞳を閉じた。

 明日が来ればまた、戦いへの時間がゆっくり流れ始める。それまでの短い間、何も考えずに眠りたかった。 

燎原の覇者5「邂逅の光明」、これにて終了です。戦いが多い巻でしたが、いかがでしたでしょうか?


来週からは6巻の「背徳の功罪」が始まりますよ(^_^)/

戦場から離れ、北部同盟締結のためにとある街へ行ったリッツ達。そこで出会ったのは……。裏切りの罪と裏切りの功。それはなんでしょうか?


ここにきての重要人物(だと私は信じてますが!)が登場します。

来週からの連載ですので、お楽しみに~(^^)


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