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同日十一時。街のごろつきにしか見えないようか格好で、リッツはダグラス隊と共にシアーズ街道をファルディナから北上していた。街を出てからすでに三時間が経っているが、ファルディナからブルガンに向かう道の両側に広がる森は、深さを増すばかりだ。
ここからしばらく森林が続いて、途中で街道を折れたところには小さな村もあると言うが、この行軍はその村へは寄らない。せいぜい幾筋かの流れる川ぐらいしか変化を感じられるものが無く、思いの外行軍は単調だった。
リッツたちは現在、スティーヴンス侯爵の私兵部隊の一部としてブルガンの街に向かっていた。そこを治めているのがジョエル伯爵だ。この行軍の目的は、革命軍と手を組み、自治領主の座を狙うジョエルを倒し、匿われている革命軍を撃退することにある。
だがリッツはそれは革命軍が流した噂であり、その場には何もないことが分かっている。分かっているが、作戦で歩き続けることが要求されているのだ。
街から出て徒歩で約一日というブルガンの街は、森に囲まれた比較的大きな街なのだという。早く着きたいけれど、着いても待っているのは戦場だ。
あまりにも単調な道行きに、大きな欠伸をすると、隣にいたマルヴィルに笑われた。
「緊張感がないな」
「無いよ。だってあまりに単調でさ。早く何か起こればいいのに」
「こらこら。そういうことを望まないんだ。不幸は現実になるぞ」
「は~い」
苦笑したマルヴィルは、現在ギルバート率いる遊撃隊の第二隊長を努めている。ダグラス隊は第一隊ということになり、そちらの隊長はソフィアだ。
立場上だけならばリッツはギルバートの副官だ。そしてこの遊撃隊は現在、全員総出でごろつきに変装してスティーヴンスの私兵部隊に紛れているのだ。
だからリッツとマルヴィルの前にいるのはダグラス隊こと第一隊、そして後ろにいるには第二隊の面々なのである。
当然ながら元は騎士団第三隊であり、規律を重んじられていた彼らも、現在は完全にごろつきになりきっている。元々はティルスで農民を兼業していた者たちばかりだから、元々傭兵であるダグラス隊と同じで、妙に違和感がない。
ファルディナの浮浪者は農民上がりが異様に多いからだ。何しろ税が上がりすぎて暮らせなくなり田畑を手放した者が浮浪者になるのだから。
「おじさんたちさ、エドと離れて寂しくない?」
何気なく尋ねると、マルヴィルは不思議そうな顔をした。
「何故だね?」
「だって元々エドの護衛部隊だったんだよな?」
そのために出来たのが第三隊だったのだ。それにファルディナ高原の戦いでも、エドワードはこの第三隊を率いて戦っている。
「寂しくはないさ。たとえどんな任務であっても、殿下の道につながっているんだ。そう思うと力が入るよ」
にこやかに、だが確固たる決意を持ってそういったマルヴィルに何となく不思議なものを感じる。
「殿下って違和感あるなぁ……エドでいいじゃんって思うけど」
「お前さんはそう呼べばいい。何しろお前さんも英雄なんだから」
「だけど……」
「お前さんだけが殿下と同等に肩を並べられる。だから今まで通りに……エドを守ってくれよ」
マルヴィルが親しみを込めてそうエドワードを呼んだ。その気持ちが痛いほど分かった。今までのマルヴィルは必要の無い時、エドワードを近所の青年として扱っていた。当然ながら共に農作業をすることだって少なくなかったのだ。
でも人間というのは形式としての肩書きを大切にする。たとえその人物が今まで通りに変わらない親愛を抱く相手であっても、階級が変われば変わらなくてはならないのだ。
リッツはそうなれないし、そうなりたくない。
「当たり前だよ。エドは俺の友達だもん」
「いい答えだ。とても正直だな」
「そうかな。人間が面倒なだけだと思うよ」
正直に言うと、マルヴィルは苦笑した。
「違いない。そういう点ではお前さんが羨ましい」
リッツはまっすぐにマルヴィルを見ていた。マルヴィルは前を向き、リッツの方を見ない。きっとマルヴィルは今後一生エドワードに向かって『エド』と呼びかけることはないのだろう。
子供の頃からティルスの村でずっと見守ってきたエドワードを親しく呼ぶことも、畑のトマトを勝手に取って食べたことを怒ることも、麦束を背負えと命じることも、もう無いのだ。
「何か寂しいよ」
ぼそっと呟くと、マルヴィルが苦笑した。
「……それが人間さ」
「俺、人間の世界は嫌いじゃないけど、そういうところはあまり好きじゃない」
とぼとぼ歩きながら漏らした本心に、マルヴィルが苦笑しながら背中を叩いてくれた。
「好きなところだけ好きでいてくれ。人間はそういう生き物だが、お前に嫌われたくはないからな」
「嫌うもんか。俺も人間ならよかったんだ」
「お前が人間じゃなかったから、エドはお前に気を許したんだろう。お前はお前でいいじゃないか」
「だけど、だけどっ!」
自分が人間であればと幾度も願った。こんな風に長く生きずに、人と一緒に生き、一緒に死ねたらと何度も思った。
シアーズで自分の中に潜む孤独への闇を知ってしまってから、ますますその思いは強い。
ギルバートは夢を見ている間は楽しい夢を見続ければいいといったが、いつこの夢が覚めるのか、一人取り残されるのかを考えると寒気がする。
もしエドワードが年老いて、リッツを置いて先に死んだりしたら、どうしたらいいんだろう。それを考えると不安になる。
戦いの中でならリッツは身を挺しても、命をかけてでもエドワードを守る。でも寿命だけはどうすることも出来ない。
今はリッツとエドワード、年齢が近く見えるのだが、これが十年後にはどうなるのか、二十年後には、三十年後には……エドワードと離れていれば離れているだけ、そんなことが不安になる。
「どうした? 何故こんなに動揺する?」
マルヴィルの問いかけで我に返った。
「別に……」
小さく呻くが、マルヴィルは眉を寄せたまま心配そうにこちらを見つめてくる。何となく顔を向けづらくて前を見たまま視線を動かさないでいると、再びマルヴィルに声を掛けられた。。
「そんなに唇を噛むと内出血するぞ」
言われてようやく、きつく唇を噛んでいたことに気がついた。力を抜くと、血が通っていなかったせいか、唇がひんやり冷たい。
「あ……」
「悩みでもあるのか?」
「……ううん。ないよ」
誤魔化すように首を振ると、マルヴィルは子供を見守るような目をして微笑んだ。
「リッツ」
「ん? 何?」
「もしも誰にも話しづらいことがあったなら、私に相談しなさい。私がこの地位にあるのはダグラス中将が私の上官だったからだが、私は普通の農民で、お前が言うとおりただのおじさんに過ぎない。だからつまらぬ相談でも、私に持ってきなさい。例えばティルスの小麦でパンが食べたいとか、読めない単語があるとか、小遣いが足りないとか、そんな些細なことでもいい」
「……おじさん……」
「私はリッツに感謝しているんだ。それこそ言葉に出来ないほどにな。お前はサリーを救ってくれた。火の中からも、闇の中からも」
マルヴィルは父親の顔で微笑み、柔らかな感情で包み込むようにリッツを見つめた。
「あのままだったらサリーは遠からず命を絶つ選択をしていただろう。でもあの子は生き延びた。そして生きることを選んでくれた。お前のおかげだ」
「そんな……俺何も……!」
サリーがそもそもあの状態になったのはリッツの責任だ。あの時炎の中で立ち止まらなければ、サリーのスカートに燃え移った炎を消そうなんて思い立たず、命を最優先させていたならばローレンは死ななかった。
些事に目を奪われ、大局を見失うのはリッツの悪い癖だ。その癖が最も大きな悲劇を生んでしまったのがあの事件だった。
俯くとマルヴィルの手が肩に乗った。少し下にあるマルヴィルの顔を見ると、穏やかに笑っていた。
「すまんな。これから戦いだというのにこんな話をしてしまって」
「ううん。いいんだ」
小さく首を振ると笑ってみせる。するとマルヴィルは微笑みながらも真剣な瞳をリッツに向けた。
「リッツ」
「……うん」
「遊撃隊に配置になってからずっと考えていた。私はお前を全力で守ろうと思っている」
「……え……?」
「殿下をお守りする役目はまだ続いているだろう。だが殿下を守るならばお前を守らねばならない。殿下にとってお前は唯一の安らぎで、たった一人の心許せる友だ。だからこの遊撃隊として共にある限りはそうするつもりだ」
「……おじさん……」
「マルヴィルでいい。お前は英雄だからな。俺はお前のことをリッツ様とでも呼ぶか」
そう言われた瞬間に、背筋に鳥肌が立った。
「やだ! おじさんをマルヴィルって呼ぶのはいいけど、俺に様付けたら、絶対に返事しないからな!」
「お前は英雄になったんだろう?」
「それは表向きだろ! 俺を様付けで呼んでみろ!みんなの前で堂々とマルヴィル様って呼んじゃうからな!」
きっぱりと言い切って頬を膨らますと、マルヴィルは心底困ったように頭を掻いた。
「……それは困るな」
「困るんならやめろよな!」
「わがままな英雄だ」
「へへ~んだ。こんなことなら我が儘しまくってやるからな」
舌を出すと、マルヴィルが苦笑した。
「本当にお前は……殿下に比べると子供だな」
「どうせガキだよぉ~だ」
ふと視線を感じて周りを見ると、遊撃隊の面々の視線が集まっていた。どうやらみんな見ていたらしい。
「何だよ何だよ! 見せもんじゃないんだからな!」
むくれてリッツはすたすたと人を追い越してダグラス隊の先頭に立つと、黙ったまま歩いていたジェイの隣に立った。むくれたまま足取り荒く歩いていると、ジェイにぼそっと呼ばれた。
「ご機嫌斜めだな、リッツ様」
「ジェイまで!」
思い切りふてくされると、ダグラス隊から笑い声が起こった。
「子供扱いして!」
そう言って後方を振り向いた瞬間、えもいわれぬ視線を感じた。どこからの視線か分からないが、妙に敵意を感じる視線だった気がする。
視線の先に目を向けると、少し手前でやはり金で釣られてスティーヴンス侯爵の義勇兵になった人々の集団の中で、一人だけこちらから顔を背けた人影が見えた。
気にはなったが、それが誰だか今の状態で確認のしようがない。何しろ今のリッツの立場は、スティーヴンスの私兵でしかないのだから。
「どうしたフェイ?」
「ん? なんだか視線感じてさ。気のせいかもしれないけど」
リッツはへらっと笑って誤魔化した。これから戦いだというのに、リッツの気のせいで人々の不安をかき立てるようなことはしたくない。ただでさえ子供扱いされれているのに、これ以上彼らに心配を掛けさせるのは嫌だった。
慌ただしい動きがあったのは、その日の夕刻を過ぎた時間帯だった。日はすっかり沈み、行軍を終えて一休みしようという時間である。
最後尾をのろのろと歩いていた遊撃隊員は、すさまじい勢いで彼らを追い抜き、先頭へと走り去る馬を目にした。
「……かなり慌ててるな」
ぼそっと呟くと、近くで腰をかがめてフードをかぶり、老人のふりをして歩いていたギルバートが、低く笑う。
「ファルディナが落ちたようだな」
「……エドとおっさんか……」
「そうだ。あの二人に騎士団が七百人強。負けるわけがないだろう。おそらくファルディナでのすべての作戦行動が終わっているさ」
当たり前のように笑みを浮かべて断言したギルバートに、リッツも頷く。あの二人のことだから、きっと今頃領主の館に入って二人で書類とにらめっこだろう。
何しろ作戦行動としてこちらに来るのは、あの二人ではなく、騎士団長のエリクソンなのだから。
「やれやれこれでもうすぐ腰を真っ直ぐに伸ばせるってもんだ」
腰を軽く叩きながら愚痴るギルバートに、小さく息をつく。
「ギルがそんな変装をするから悪いんじゃん。もう少し楽そうな変装は無かったの?」
「お前と違って俺は色男過ぎる。これぐらいしか変装のしようがないだろうが」
「……ふ~ん」
「ベネットみてえに女装が似合うわけじゃないしな」
「うえ……」
思わずギルバートの女装を想像してしまった。際物以外の何者でもない。
「……失敬な奴だな。ま、俺も想像なんぞしたくもないが」
苦笑しながらギルバートは近くにいたソフィアとマルヴィルに手招きをした。先ほどの馬が前方の領主に追いついたのか、列の前進は完全に止まっている。
「作戦は大詰めだ。さっき領主の早馬が来たが、これからこの集団を追ってくるのは機動力を誇るグレイン騎士団だ。おそらくここに現れるまで、二時間もないだろう」
小声でそういったギルバートに、全員が頷く。リッツも深々と頷いた。リッツは元々グレイン騎士団第三隊の一員だ。その機動力は目の当たりにしている。
「おそらく領主は来た道を引き返し、総数が少ない騎士団を追い払い、ファルディナ奪還を図るはずだ。自分の本拠地がどこであるか、それを奴は分かっているからな。我々は流れのままに、行軍の列の最後尾に着く。すべて予定通りだ」
頷くと、すぐ横をまた馬が走っていく。馬の上から、伝令と思われる男が大声で叫んだ。
「直ちにファルディナへ引き返す。先頭より順に引き返すのでその場で待機せよ!」
伝令は列の最後尾まで行くと再び同じ言葉を叫びながら前方へと戻っていく。その様子を何気なく眺めていると、ふと数隊前のファルディナで徴収された難民と浮浪者の隊の中に、見慣れた顔があった。その顔がここにいることに疑問を感じる。
「……あいつ……リック?」
そこにいたのは酒場にいた青年、リックだったのだ。自分と名前が似ているから、何となく忘れずに覚えていた。
だが自治領主を悪くいい、エドワードが来ることを心から望んでいたリックが何故ここにいるのか、それが全く分からない。ここは自治領主が組織した隊の中だ。
リックは誰かを捜すように辺りを見渡していたが、リッツの視線に気がついたのか、慌てて列の中に紛れてしまう。
「どうかしたか、フェイ?」
近くにいたマルヴィルに尋ねられて振り返る。
「……リックがいた」
「リッツ? お前がどうかしたか?」
やはり紛らわしい。リッツは首を大きく左右に振った。
「違う、リック。俺の止まってた宿にある、酒場の息子だよ。何でこんな所にいるんだろう?」
あの言動と性格ならば、今頃ファルディナにいて、グレイン騎士団相手に待ってましたとばかりに、大騒ぎしているはずなのに。
「若い子かい?」
「うん。見た目は俺ぐらいだよ」
「では小遣い稼ぎかもしれんぞ? この戦いに参加することで、一人三ギルツは手に入るからな」
「……う~ん。そうかなぁ……」
なんだか釈然としない。何か忘れているような気もするけれど、その記憶が手に届きそうで手に届かない。何かがわだかまって頭を掻いていると、隊列が動き出してしまった。後ろからマルヴィルに肩を叩かれて慌てて行軍に加わる。
あまり親しくはないし、どちらかというと敵視されていたような感じだから、直接捕まえて何でこんな所にいるんだと聞くのもおかしい。
これはファルディナに戻ってから、酒場の主人にでも聞くしかないだろう。
疑問を棚上げにしてリッツは気を引き締めた。今はファルディナから攻め上がってくる騎士団と呼応して、自治領主を討ち取るのが最優先だ。
隊列は広いシアーズ街道を利用して折り返していく。目の前を自治領主の乗る四頭立ての馬車が通り過ぎた。この場で討ち取ってしまえば早いのにと思わなくもないが、それでは暗殺と変わりない。
エドワード・バルディアの革命軍として倒さねば意味がないのだ。
その場にとどまること一時間ほどで、スティーヴンス率いる部隊は完全に進路を変え、元来た道を辿り始める。再び遊撃隊は最後尾に着いた。
先ほどまでのどこか気の抜けた行軍と違い、戻る速度は速い。領主や貴族たちは馬車を急がせているのだろうが、一方で疲れたファルディナで徴収された難民や浮浪者たちは、徐々に遅れ始めている。
それよりも後ろに着いている遊撃隊は、それに合わせて下がらざるを得ない。どうあってもこの隊列を、騎士団と共に挟み撃ちにせねばならないからだ。
その際にこの浮浪者たちの集団を逃がすのも、遊撃隊の重要な役目だ。
戻り初めて三十分ほど経ったところで、不意に肩を叩かれた。振り向くとそこには見慣れた姿がある。
「ベネット!」
「は~い。元気だったフェイ? この間約束したありがとうのチューは?」
いいながらベネットはリッツに向かって、この間とは違って綺麗に紅の引かれた唇を突き出す。この間あっさり唇を奪われたのを思い出して、思い切り身を引く。
「するか!」
「この間キスしてくれたじゃない?」
「無理矢理奪ったの、ベネットじゃん! しかも男の格好で!」
「あらそうだった?」
「そうだよ! 見てる人がいないからよかったけど、もし見られてたら俺、次の日から飲みに行けなかっただろ!」
「あ~らごめんあそばせ」
いつものように笑みを浮かべたベネットの姿は、完全に女性の姿だった。あの穏やかな青年貴族、ジェイムズ・ガヴァンの姿ではない。
先ほどの行軍の中で幾度もジェイムズの後ろ姿を目撃していた。馬上にあり、貴族のような仰々しい鎧を着けているわけではなかったが、それなりに立派な姿をしていたその姿は、後ろから見ても堂々たるものだった。その際に腰には立派な剣を帯びていたのも知っている。
何しろ新規で収集されたこの私兵部隊を仕切っていたのはジェイムズだったから、遊撃隊からはとても見やすい位置にいたのだ。あれだけ目立つ姿をしていたというのに、いつの間にかジェイムズ・ガヴァンは姿を消し、あっさりとベネットはここにいる。
しかもどこに隠し持っていたのか、現在背負っている得物は、本来の得物である大弓だ。
「いつの間に戻ったの?」
「行軍がファルディナに戻ることになった時よぉ。隙を見て森の中に入って元の姿に戻ったの」
「あの目立つ格好で?」
「そうよぉ」
「誰にも気付かれずに?」
「当たり前じゃない。良いタイミングで伝令の馬がきてくれてよかったわ」
なるほど、伝令の馬に皆の視線が集まった隙を狙って、馬から飛び降りて森に駆け込んだようだ。どうやらベネットはかなり身軽らしい。
「だからこのタイミングで戻ったの?」
「当たり前よぉ。元に戻るチャンスを逃して、エリクソンと戦いたくないわよ。エリクソン、いい男じゃない? 独身だしぃ~」
「……ふうん」
エリクソンが聞いたら、きっと全身に鳥肌を立てるだろう。
「まあ、冗談はさておき。このままあそこにいたら、私も貴族として革命軍と戦わざるを得なくなるわ。あの立場は便利だけれど、諸刃の剣なの。長くは持たない。敵も多く作るしね」
ベネットの格好なのに、しばらく演じていたせいか言葉の端々にジェイムズ・ガヴァンの口調が混じる。でもリッツには何となくその意味が分かった。
革命軍が動き始めた現在、この部隊では貴族でいることは危険なのだ。それにファルディナも危険だ。ファルディナでは貴族はみな、自治領主のために、領主を非難した人間を捕らえて処罰してきた。おそらくベネットは、ヘラヘラと笑いながらそれをせずにいたのだろうが、それでも人々の恨みの意識は消えないだろう。
貴族であっても話せる人がいるとか、いい人もいるという理屈は、貴族を知っている人の理屈であって、庶民の理屈ではない。現にベネットはジェイムズとして酒場に来ただけで、リックに睨まれていた。本当に人間の階級制度って複雑で難儀だ。
ため息をつきながら頭を掻く。
「んじゃあ、ヴェラは?」
「私が従軍した時に、とっくにトンズラこいてるわよ。今頃はファルディナのホテルで高みの見物って所ね」
「ふうん。お役ご免ってわけ?」
「そ。あの子はどっちかと言えば作戦の前段階に必要な子で、作戦行動中はもう任務終了だから。エンとはまるで逆ね~」
クスクスと笑いながらベネットに言われて気がついた。そういえばこの行軍の中で一度もエンを見ていない。
「エンは?」
「どっかにいるわよ。あの人は隠れる名手だから、戦闘中は絶対に見つからないわ」
「……ダグラス隊でも?」
「ええ。私たちでも。でもどこかにいて怪我をしたら治してくれると分かっているから安心でしょ?」
「そうだね」
確かにヴェラとエンは正反対らしい。ヴェラは前段階、エンはすべてが終わった後にしか出番がない。
「お帰り、ベネット」
煙草をくわえたまま振り向いたソフィアがにんまりと笑う。
「ただいま。ソフィア~」
大げさにベネットはソフィアに抱きついた。端から見れば女性同士のほほえましい再会の抱擁だ。だがベネットの女装は完璧だが、背の高さだけはいかんともしがたくて、ソフィアはベネットの肩口に埋もれる形になってしまう。
「やっぱりこの格好がいいわね~。スカートがはけないなんて地獄よ地獄。ヒラヒラきらきらさらさらがないと生きていけないのよ私!」
ソフィアからさっさと離れ、大げさに頬を両手で挟んでため息をついたベネットに、女性であるはずのソフィアは素っ気ない。
「私はいらないけどね」
「もう、ソフィアは淡泊よ。淡泊過ぎよ! たまにはひらひらのスカートをはきなさい。スカートをはくとなったらピチピチむちむちなんだもの」
確かにファルディナでのソフィアはタイトな膝上のスカートを色っぽくはきこなしていた。前に服屋を演じていた時は、ぴったりと肌に張り付くパンツ姿に胸の谷間が見えそうな白シャツだった。
「あんな少女趣味のものはごめんだな」
性別がまるで正反対の二人に、リッツは苦笑する。この二人の性別が逆だったら、色々うまくいくのかもしれない。でもまあ……タイトなミニスカートをはくベネットは見たくないし、ひらひらのドレスを身にまとうソフィアも見たくない気がする。
疲れた浮浪者たちの後方に着いていたからのんびりとしていた行軍が突然止まった。前方から聞こえてきたのは、馬のひずめの音と、大勢の人間のあげる鬨の声だった。
前方の貴族が交戦状態になっているのだ。伝令たちが慌ててこちらに駆けてくる。
「敵襲だ! 前方に出よ! 敵を多く討ち取ったものには、領主から褒美が出るぞ!」
叫ぶように告げられた言葉に、浮浪者一団が自分の得物を抜き、我先にと前方に走っていく。領主の募集に応じた者たちだ、おそらく腕に自信があるのだろう。
浮浪者が駆けだし、遊撃隊の前方が見事に空く。遊撃隊は一歩も動かずに前方を見据えたままだ。
「お前たち、お前たちも早くいかんか!」
伝令がその場に足を止めた遊撃隊を怒鳴りつけた。まだ彼は、この浮浪者集団が革命軍の遊撃隊だとは気がついていないのだろう。
「お前たち、何をしているか! 早く行け!」
叫んだ伝令に、ギルバートはすっと曲がったふりをしていた腰を伸ばして、フードを取った。
「俺たちが出るまでも無かろう。何しろ敵と味方、ほぼ同数のはずだからな」
かぶっていたフード付きマントを取り払い、ギルバートは琥珀色の片眼で伝令を見据えた。その唇が皮肉な笑いを作る。
「それとも、さんざん庶民をなぶってきた貴様らが、平民であるグレイン騎士団に勝てないとでも言うのか?」
伝令の目がこれ以上ないと言うほどに見開かれた。震える唇が言葉を紡ぐ。
「ぎ、ギルバート……ダグラス……」
「ああそうだ。この地より追放された元男爵家の凶状持ちの跡取り息子さ」
壮絶な笑みを浮かべるギルバートに、伝令は調子の外れた声で叫ぶ。
「敵襲! 後方より敵! ダグラス中将だ!」
伝令の叫びが、戦場をさらなる混乱に陥れた。前の敵に全神経を注いでいた貴族と浮浪者たちが、完全に浮き足立ち、混乱状態に陥った。
そんな中、リッツはポケットから細長い布を取り出し左腕に巻いてからきつく縛った。水色のこの布は、エドワード・バルディアの象徴だ。味方で識別できる色をと提案されたときに、リッツとパトリシアが同時に提案した色がこの色だった。
リッツもパトリシアも、エドワードの瞳が一番好きなのだ。真っ直ぐに叡智に満ちた光を放つエドワードの瞳は、すべてのものを引きつける。
グレインを出る際に、浮浪者として戦場に紛れても、同士討ちしないために全員に配られている。
全員が水色の布を縛り終えたのを確認して、ギルバートが真っ直ぐにこちらを伺う敵を見据えた。リッツはその一歩後ろに控える。今のリッツはギルバートの副官フェイであり、英雄ではないからだ。
「我々はエドワード王太子殿下率いる革命軍の遊撃隊だ。ファルディナに恐怖政治を敷くスティーヴンス侯爵を倒し、ファルディナの人々を解放するために来た」
堂々たるギルバートの声が、森に囲まれたこの戦場に響き渡る。
「我々の目的は恐怖政治により、人々を貶め、その命を脅かし、自らの残虐な欲望を満たしてきた愚かな貴族の命のみ! 貴族と命運を共にする者はするがいい。だが平穏な世に再び自らの幸福を得たい者は退け!」
ギルバートの宣告に、一人、また一人と浮浪者たちが逃げ去っていく。
「待て! どこに行くか! 逃げるな、逃げるでない! 待つんだ!」
伝令や貴族たちが浮浪者たちを止めようとするが、いったん逃げ始めた人々は止まらない。
やがてその人数は爆発的に増え、浮浪者たちの大半は蜘蛛の子を散らすように森の中に逃げ込んでいった。
やがて一部の残った浮浪者と貴族以外は姿を消してしまった。その貴族たちの大半が前方の敵を戦っていて、後方は防御のしようがない状態だ。
「残るは貴族だ。今までさんざんファルディナの罪もない領民を虐殺してきた貴族に遠慮はいらない」
ギルバートは静かにそう言うと背負った大剣を抜きはなった。かなり幅広で柄まで含めて百五十センチはある大剣が鈍い輝きを放った。
「遊撃隊、俺に続け!」
ギルバートの号令と共に、遊撃隊七十名は乱戦状態の戦場に突入した。
リッツも剣を抜き、貴族たちに斬りかかる。敵の数はわずか百少々にまで減っている。それに対してグレイン騎士団を合わせたこちらは四百いるはずだ。勝ちは完全に見えている。
みるみる数を減らしていく敵を見ながら、リッツも剣を振るう。
返り血を浴びながらも、斬り殺した相手ではなくもう次の相手に目標を定めて剣を振るう。リッツの容姿から侮っていた貴族も、じりじりと後ずさり始めていた。
その姿をじっと見据えつつ、かすかに重心を移動させながら、一撃のタイミングを計る。
ギルバートとは違い、軽めの剣を閃かせて、リッツは戦場を駆けた。体のバネを使い、身軽に剣を振りかざす。
幾度かの戦闘を経て、人を斬ることをためらわなくなった。目標のため、生きるために、決して負けない。
血と人の脂で切れが悪くなった剣を、力強く振って血しぶきを斬り、自分の通ってきた道を振り返ると、いくつもの物言わぬ体が転がっていた。怪我を負わせたのではない。気がつくと完全に仕留めてしまっている。
軽く奥歯をかみしめて、自分の中の自分に対する嫌悪感を振り払う。ここは戦場だ。考えるなと言い聞かせた。
エドワードの進む王への道のため、決して振り返ることをしないと決めたのだから。
視線を前に向けると、今いる場所から目と鼻の先に、自治領主の馬車があった。そしてそのすぐ前には、たくましい男が一人立っている。
その男の目の前には、見慣れた駐留部隊の制服を着た男がいた。グレイン駐留部隊はグレインで留守を守っているから、この場にいるはずがない。ということは彼はファルディナ駐留部隊の人間だと言うことになる。
この場に駐留部隊がいる理由が分からなかったが、その腕にはリッツたちと同じ水色の布が巻かれていた。それならば味方だ。
対する男は、駐留部隊の男と同じぐらいの年で、同じように駐留部隊の制服を身にまとっていた。だが、その腕に水色の布はない。そして一見同じに見える駐留部隊の制服の形が少々違う。布を巻いていない男は、部隊長の制服をまとっているのだ。
加勢すべきはおそらく隊長ではない方だ。そう考えて駆けつけようとしたリッツに気がついたのか、水色の布を巻いた方の男が叫んだ。
「手出し無用だ! 我が隊の始末は我が隊で負う!」
「だけど……!」
「貴官は革命軍だろう? このファルディナを恐怖の街とした元凶がまだ馬車の中にいる! 彼らを、スティーヴンス侯を倒せ!」
真剣なまなざしで目の前の男を見つめたまま、布を巻いた方の男がリッツに命じる。馬車を見ると、確かにまだ中に人がいるのが分かった。
「分かった!」
馬車の敵を倒すために走りかけると、隊長だと思われる男が叫んだ。
「そうはさせぬ!」
隊長の制服の男が、リッツに向かってきた。力強い一撃を、剣で受け止める。
「くっ……」
今まで倒してきた貴族たちとは違い、重い剣だ。
「父上、離脱してください! 早く!」
「父上、だと!?」
「早く!」
男の叫びで馬車が突然走り出した。騎士団が大量に待ち構える前方ではなく、狂ったように遊撃隊に向かってきたのだ。
「ちっ! 逃がすかよ!」
舌打ちして馬車を追おうとした瞬間、ファルディナ駐留部隊の制服を着た一団に取り囲まれていたことに気がつく。
「な……」
その腕には布はない。その上、剣を構えるその腕は、素人ではない。目つきを見ても分かるが、人を斬りなれている顔をしている。
「何だ、何なんだよ! どっちが敵でどっちが味方だ!?」
思わず叫ぶと、布を巻いた男が冷静に答えた。
「王太子殿下の布を巻いたファルディナ駐留部隊が本物であり、現在エドワード王太子殿下の命により、ファルディナの治安回復に当たっている。巻いていない者は、偽物だ!」
リッツは自分を囲んだ男たちを見据えた。じりじりと迫り来る敵を前に、気がつくとすぐ背中合わせに先ほどの布を巻いた男がいる。
「了解! あんた、名前は?」
「ルイス。王都防衛隊ファルディナ駐留部隊長ルイス・グローヴァーだ。君は?」
「俺はフェイ。革命軍遊撃隊長の副官だ」
「ダグラス中将の?」
やはりギルバートの存在は、ここファルディナでは特別なようだった。
「そ。ギルの副官」
「なるほど。それは頼りになるな」
「だろ? ルイス、あんたに偽隊長は任せた。俺は雑魚をやる!」
「すまんな。恩に着る!」
次の瞬間、背中の気配が消えた。
「スティーヴンス! 覚悟!」
リッツの背で剣が合わさる音がした。ルイスと領主の息子の戦いが始まったのだ。リッツもこうして突っ立っている場合ではない。
目の前でこちらに迫る男たちに向かって、剣を構えた。
「何が何だか分かんないけど、あんたらが悪いってことだけは分かった。悪いけど倒していくぜ?」
言いながらリッツは男たちを見回した。全部で五人。同時にかかってこられたら面倒だ。
「……それはこちらの台詞だな」
一人がそういった瞬間、一度に全員が向かってきた。低く剣を構えて待ち受ける。男五人が同時に斬りかかった瞬間に、剣を右手に構えて胸元の短剣を引き抜いていた。
二本の剣で全員分の斬撃を受け止める。
「くっ……」
初めてやることだからさすがに重い。でもここからどうするかは、嫌と言うほどジェイにたたき込まれた。ジェイは二刀流のタガー使いだ。
男たちがかける力を、柔軟な体で剣を倒して受け流すと、微妙に男たちの重心が狂う。その瞬間を狙って、短剣を一番近くにいた男に投げつける。
短剣は見事に男の喉元に突き立った。驚きのために一瞬出来た男たちの隙を突いて、身近な男の腹を切り伏せた。
激しく血しぶきを飛ばす男が倒れることを見守ったりせず、間髪入れずにもう一人を切り上げた。返す刀で次の男を切り下げる。
一瞬にして三人の男たちが血に沈む。
「な、何だと!」
動揺する男たちの視界から、リッツはふっと姿を消す。持ち味の素早さを生かして後方に回り込んだのだ。
そして男が振り返る前に、首を叩き斬った。転がる首にもう一人が悲鳴を上げて、逃げ腰になる。この場になって初めて、リッツの実力に気がついたようだ。
「悪いね。俺、意外と強いよ?」
悠々と四人斬り殺して付いた血しぶきを振り払うと、ゆったりと剣を構えた。
「あとはあんた一人だ」
「う、うわ、うわぁぁぁ!」
逃げ出そうとした男に向かって跳躍した。一瞬に間を詰めて、目の前の背に斬りつける。
ぱっくりと開いた背中から噴き出す血を、軽く避けると、リッツは剣を納めた。
これだけのことをしても、返り血を受けることすら少なくなってきた。人を斬り慣れてきたのかもしれない。ふっと自嘲の笑みを浮かべると、それを苦笑の中に隠す。
「おおっ。ほぼ戦闘終了だな」
気がつけばすでに遊撃隊と騎士団の手によって、貴族たちと一部浮浪者たちはほぼ全滅していた。散発的にまだ戦いは続いているが、ほぼ収束に向かっている。まだけりが付きそうにないのは、ルイス・グローヴァーと、領主の息子だけだ。
力はどうやら互角らしい。手助けをしようかとも考えたが、手を出せるような雰囲気ではなかった。
戦場を見渡していると、見慣れた姿があった。
「エリクソーン!」
声をかけると、騎士団の制服に身を包んだエリクソンが笑いながら手を上げる。
「見ていたよ。強くなったな」
「そうかな? ま、ギルたちのおかげだよ」
自分でもこんな風に体が動くとは思わなかった。先ほどの技は、全部ダグラス隊に襲われていることで身につけた技だったのだ。
剣をとっさに持ち替えて短剣を抜くのは、ジェイに力業で迫られたときに使う技だった。体の柔軟性を使って短剣を取り出して、もう一本のタガーの直撃を避けるのだ。
短剣で剣を受け止めたのは、毎朝食らっていたベネットの弓を短剣で受け止めたことが役に立った。そしてナイフ投げは言わずもがなのファンの技だ。
「……グローヴァーは手出し無用と?」
「うん。ルイスの手で片を付けたいんだって。何があったの?」
彼の様子はただ事ではなかった。身内で戦うなんてどんな事情があったのか、想像が付かない。だがエリクソンに聞いた話で絶句した。
「じゃあ……ファルディナの人たちをひどい目に遭わせてたのは、偽の駐留部隊だったの?」
「そういことだ。そして彼らはずっと閑職に回されて、苦悩していたらしい。そのことを街の人々は知っていて、本当の駐留部隊には同情的だ。本来の職を奪われて戦うことを封じられたことは駐留部隊にとっては辛い年月だったろう」
「で、エドが……?」
「そうだ。殿下がファルディナの治安回復を命じられ、そのために偽物をその手で撃ちに来たんだ」
エリクソンの目が、再びグローヴァーに向けられる。リッツもその真剣な戦いを見つめた。二人の力は互角だ。
互角だったはずだ。
だが徐々にグローヴァーが押してきているのが分かった。領主の息子は息が上がりつつある。だがグローヴァーは呼吸を乱していない。きっと閑職に回されても、鍛錬を続けていたのだろう。
やがて一閃の輝きが、二人の勝敗を分けた。グローヴァーの放った一撃が、吸い込まれるように領主の息子に突き立ったのだ。
悲鳴を上げ、刺さった剣を抜こうともがく領主の息子だったが徐々に力を失っていき、やがて地に倒れ伏した。
完全に息が絶えたことを確認したグローヴァーは、足で男の体を裏返し、男の階級章をむしり取る。その階級章が隊長のものであることぐらい、リッツはグレインで見て知っている。
「これは……返して貰う。この階級章はファルディナを守る者が持つべきであり、ファルディナの人々を虐げる者が持つ物ではない!」
取り返した階級章を、胸に付けて、グローヴァーは部下を振り返った。
「長らく苦労させた。今後は再び共にファルディナを守るべく全力を尽くそう」
傷にまみれ汚れた男たちは、グローヴァーに向かって最敬礼する。その姿に誇りと自信を見た。
「これでファルディナは平穏になるな」
唐突に後ろから声をかけられてエリクソンと共に振り返る。
「いたの、ギル?」
「ああ。さてさて、これはこれで終了だな。逃げ散った浮浪者はまたファルディナに帰るだろうが、それはそれで何とかなるだろう」
「うん……って、あれ、領主は? 逃げちゃったじゃん!」
慌ててシアーズ街道の北を見つめると、少し先には逃げたはずの馬車が止まっていた。馬の姿が一頭足りない以外は、ほぼ無傷だ。
「あれ?」
「もう始末は付いてるぞ」
ギルバートに顎でしゃくられた方を見ると、そこには大弓を手にしたまま馬車を見据えるベネットの姿があった。
「……ベネットが?」
「ああ。ベネットほどの弓の名手はいない。走る馬車の窓から中の人を狙撃することなどわけもない」
「うわぁ……」
今まで一度もベネットが本気で弓を討つ所を見たことがなかったが、それほどの腕前だったのだ。やはりダグラス隊に一流以外はいない。
「それに今回の仕事は感慨深かっただろうな。あいつも一歩間違えれば、あそこに倒れている領主の息子になるところだった」
ギルバートの呟きに再びベネットを見る。ベネットの目は、あの日に弟の事を語ったのと同じように静かで寂しげだった。
「さてさて。穴でも掘って遺体をたんまりと放り込んでから、休憩をするか。明日はブルガンのジョエル伯を倒さねばならんからな」
「あ、そっか」
これで終わりではないのだ。このまま北上して、ジョエル伯を倒さねば、ファルディナに戻れない。ファルディナに戻れないとエドワードに会えない。
「あ~面倒~」
ぶつぶつと文句を言っているリッツを無視して、ギルバートはエリクソンと話し始めてしまう。
「エリクソン、悪いが騎士団の手を借りるぞ。色々持ってきただろう?」
「了解。中将、遊撃隊も手伝ってくださいよ」
「もちろんだ。フェイ、行くぞ」
「うげ……めんどい……」
「阿呆。放っておいたら、帰り道が恐ろしいことになるぞ」
言われて想像してしまった。確かに今は真冬じゃない。森には虫がいっぱいいるし、動物だっていっぱいいる。ジョエル伯を倒してここを通るのは少なくとも一日以上経過してからだ。そうなれば大変なことになるのは想像が付いた。
「分かったよ。やるさ」
ため息混じりに頷いたとき、隊長の階級章を取り戻したグローヴァーがやってきた。
「エリクソン騎士団長。ありがとうございました。これより我々はファルディナへ戻り、治安回復をはかります」
「気をつけてお帰りください。殿下には予定通りに進行している旨、お伝えいただきたい」
「了解しました」
ファルディナ駐留部隊は、見事な敬礼を返すと、ファルディナに向かって帰って行く。その後ろ姿を見ていると、不意にグローヴァーが振り返った。
「フェイ」
「何?」
「君は強いな。ありがとう。おかげで私は誇りを取り返せた」
穏やかに微笑むグローヴァーに、リッツは照れくさくて頭を掻く。
「別に、俺たいした事してないし……」
何となくモジモジしてしまう。やっぱり褒められるのは苦手だ。
そんな挙動不審なリッツに、グローヴァーは手を差し出した。リッツはおずおずとその手を握る。
「ファルディナで会おう。武運を祈っている」
「うん。ありがとう」
軽く微笑んでグローヴァーは去っていった。その後ろ姿に自らの使命感が満ちていて、少し眩しい。
将来的には、リッツもああいう風に、自信に満ちた姿になれるのだろうか。そもそも軍人でもないリッツには望むべくも無いことかもしれないが。
「フェイ、支度するぞ」
「あ、うん」
呼ばれて振り返ると、ギルバートは急に大声を上げた。
「革命軍に入って共に戦いたい者は歓迎するぞ! 森の中は冷たいだろう。出てきたらどうだ!」
その言葉に、一人、また一人と森から逃げ散ったはずの浮浪者が出てきた。やがて逃げ散った男たちの半数以上が森から出てくる。
「さあ、お前たちの最初の仕事は墓作りだ。食料はそのまま残っているから、死体を片付けたら飯を喰わせるからな。仕事の後はちゃんと川で手を洗うんだぞ。お袋からそう言われているだろう?」
ギルバートの明るい言葉に、浮浪者たちが笑った。




