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翌日、五月十一日に、遊撃隊と騎士団第三から五隊はブルガンの街に到着した。当然ながら私兵を相手にした戦いを覚悟していたのだが、結果は拍子抜けするほどあっけなかった。
街の入り口にやってきた遊撃隊員が目にしたのは、ジョエルの惨殺死体だったのだ。
「……どうなってるんだよ?」
リッツがギルバートの後ろで呟くと、ギルバートは酷薄な笑みを浮かべた。
「貴族共が命乞いをしているのさ」
「命乞い……?」
呟きながら死体の向こうに広がる街を見ると、街の中がなにやら騒がしい。彼らは遊撃隊に気がつき、慌てふためいているようだった。その様子とギルバートの言葉、そして目の前の死体を交互に見ながら、リッツは考える。
聞く前にまず考えることを自らに課したからだ。考えた末の答えならば、尋ねてもいいだろう。
昨日の戦闘でこの街に逃げ帰ったのは、領主の馬車の馬を切り離した貴族の子息ただ一人だった。その貴族は当然遊撃隊のことを伝えただろう。ギルバートの名はファルディナ貴族たちにとって恐怖の的であるから、おそらくブルガンを守る貴族たちはみな震え上がったのだ。
そこで貴族たちは愚かにも、彼らがブルガンに攻め込む理由はジョエルにありと決めつけ、ジョエルを殺してこうして入り口に放り出し、敵意は無いとでも喧伝しようとしたのだろう。
ギルバートに考えを話すと、満足げに頭を叩かれた。
「きちんと頭を使えるじゃねえか」
「……努力することにしたんだよ」
「いいことだ。使わねえ頭は、悪くなる一方だ。てめえほど長い寿命で頭が悪くなり続けたら、将来は虫けらにも劣る」
「ひでぇよ、ギル」
むくれながらも警戒心を保ったままブルガンの街に足を踏み入れた。ジョエルの死体からずっと引きずったような血の跡が続いている。迷い無く進むギルバートは、どうやらそれを辿っているようだった。
血の跡は、街の中心まで続いていた。おそらく普段なら人が安らぐための場所であろう、噴水と数段高い場所にあつらえられた彫刻のある広場が目の前にある。
そしてその階段の一番下の段に、おびただしい血の跡があった。
「ここで殺られたんだな」
見下ろしながら確認したまだ新しい血の跡は、すべてが黒く変わることもなく、赤茶けてそこにある。
「そうだな。俺たちが来る直前だろうよ」
肩をすくめたギルバートが街を見渡した。その視線を追い、一緒に街に気配を探った。先ほどまで感じられた気配は綺麗に消えていた。
まだ朝だというのに、夜更けのように街には人気がなく静まりかえっている。街の中心街にすらほとんど人出がないのは異常な光景だといえるだろう。
だが建物の中からは気配を感じられる。たぶん街の人たちはここにいるのだ。でも何故か出てきたりしない。妙に注目を集めている状況に落ち着かずにいると、ふいにギルバートが大声を出した。
「革命軍のギルバート・ダグラスだ。貴族が何を言ったか知らねえが、その貴族共は俺たちが追い出す。顔を出して状況を説明して貰えないか?」
呼びかけに答える物はおらず、再び沈黙が訪れた。あちこちに視線を巡らせたリッツは、窓の隙間から覗いていた視線と一瞬目があった。だが声を掛けようかと思った瞬間には奥に引っ込んでしまう。やはり街の人々は何かに怯えているようだ。
だがギルバートの呼び声は、他の集団を呼び寄せたようだった。やってきたのはひとかたまりにやってきた貴族たちだったのだ。
「ダグラス男爵! ダグラス男爵!」
貴族たちのその呼びかけに、ギルバートは不快そうに眉をしかめる。
「俺は男爵じゃねえ。男爵だったのは親父だ。俺たちが来たからには、貴族の称号なんてもんには何の価値もねえしな」
あからさまに不機嫌そうなギルバートに、貴族たちが身を震わせる。そんなに怖いのに何故わざわざ出てくるのか、彼らの気が知れない。ギルバートの隣でじっと貴族たちを観察していると、怯える人々の中から意を決したように、一人の男が進み出た。
「私はジョエル伯爵家を補佐していた子爵家のものだ。今回のこの騒動の元凶となったジョエル伯を詮議の下処罰した。もうこの街に問題はない。そうエドワード殿下に説明して貰いたい」
怯えているだろうに、妙に高圧的に男が宣言した。貴族という階級にいると、どうやら自然とこうなってしまうようだ。素直に土下座して謝った方が、ギルバートに受け入れられるだろうに。そう思いながら貴族とギルバートを交互に観察していると、ギルバートの目は細められ、口元には薄い笑みが浮かぶ。
「ほぅ。詮議か。それは自分たちの命が助かるよう、一人に責任を押しつけて自分たちは平穏を保とうということか?」
淡々としていつつも、ギルバートの言葉には明らかにこの場の支配力があった。大声を出したわけでもないのに、ギルバートから醸し出される圧倒的な迫力に押されるように、子爵を名乗る男が唇を振るわせる。
どうなるのか興味深く見ていると、黙っていては負けとばかりに貴族が言葉を続けた。
「そなたたちを迎撃しようと言い出すから、始末してやったのだ! 戦わずしてここまでこれたことを感謝されても不快に思われることなどないはずだ。我々は今後、エドワード王太子殿下の元に下り、革命軍に協力する!」
貴族の宣言が白々しく街に響く。今まで街の人々を恐怖で支配していたくせに、革命軍に協力するなど、あり得ないにも程がある。
不快な感情を隠すこともできずに貴族を見据えていると、唐突にギルバートに呼びかけられた。
「おい」
「何?」
「こいつらは殿下の役に立つと思うか?」
ギルバートの手が、貴族たちには分からないように、そっとギルバート自身の耳を人差し指で叩いた。その仕草で気がつく。リッツに精霊族の戦士として尋ねているのだ。
そういえばここにはたくさんの街の人の目がある。今ならばリッツはたくさんの人々を前に、エドワードの正義を示すことが出来るのだ。
昨日までは身分を隠して潜入することがリッツの仕事だったが、ここでは違う。街の人々にエドワードの正当性を示し、エドワードへの熱狂を集めるのが仕事だ。
小さくため息をつき、耳に付けられていた耳篭を片耳ずつ外す。髪に隠されていた耳が髪の上に立ち、ようやく風を感じる。
今まで少々籠もり気味だった音が急に綺麗に聞こえた。耳篭の存在は聞くことに問題はないけれど、本来の聴力の邪魔はしているようだ。
耳篭を外したリッツが顔を上げて貴族たちを見つめると、貴族たちがざわついた。
「精霊族……リッツ・アルスターか!」
本当に有名になっているらしい。アイゼンヴァレーのカルが言っていたとおり、情報はくまなく王国中に行き渡っているのだ。
「ギル」
「何だ?」
「彼らはエドワードの役には立たない。自らも民衆を押さえつけてきたことは、ファルディナの調査で分かっている。その親玉を殺して差し出したところで、その罪が許されるわけがないだろう? 差し出すは己の首、ただひとつなのだから」
そう告げてから、前に演じたときと同じように、幼き頃から自分に向けられてきた視線を貴族に向けて静かに笑う。貴族たちがよろめきながら一歩ずつ下がった。
「貴族であっても、民衆を守り、共に戦う者は私の選んだ王エドワードも歓迎するところだ。だが保身のために上に立つ者を手にかけた輩など、信頼に値しない」
エドワードの言いそうなことを見繕い、状況に沿うように言葉にする。もともとエドワードの思考や思想は頭に入っているから、内容を選ぶのは簡単だ。
ただエドワードの言うように丁寧に言葉を選ぶのが少し難しい。自分の言葉で言えば『おっさんたちみたいな貴族なら信用おけるけど、自分かわいさに人を殺す奴はちょっとなぁ』なのだが、英雄を演じろといわれているのにこれはないだろう。
「了解した。だそうだ。殿下の片腕たる精霊族が言ったのだから、お前たちの首が繋がらないことがよく分かっただろう?」
笑いながら剣を抜くギルバートに、貴族たちは歯ぎしりしながら剣を抜く。
「遊撃隊、行くぞ!」
言ったそばからギルバートは貴族に突っ込んでいく。リッツも剣を抜いて駆けだした。ギルバートは隊長なんだから少しは後ろにいればいいのにと思うが、どうやらギルバートとジェラルドはタイプの違う将らしい。ジェラルドが勇将ならばギルバートは猛将だ。
「殿下の片腕は後方で見ていればいいだろう?」
奇しくもリッツと同じような結論に達したらしいギルバートに言われて目の前の敵を切り伏せながら答える。
「ギルだって隊長じゃん」
「馬鹿だな。隊長はたくさんいるが、精霊族の戦士はてめえは一人だろうが」
「俺は死なないもんね~だ!」
軽口を叩きつつ、素早く回り込んで敵を切り伏せた。それからくるりとその場で反転してもう一人を斬る。二人の男たちがほぼ同時に地に伏した。
ただでさえ少ない貴族たちがあっという間に消えていく。遊撃隊は全部で七十名、騎士団は三百名。数の上では圧倒的にこちらが有利だ。
「……リッツ!」
ギルバートに呼ばれて、手を止める。周りを見渡すと、かなり敵の数が減っていた。このままでは革命軍における虐殺に他ならない。それではエドワードの理想に水を差す。ギルバートを見ると、軽く顎をしゃくって、街道の方向を示している。生きて逃げ延びる貴族の人間がでて、革命軍への恐れを貴族の中に植え付けていかねば、抵抗を弱めることはできない。
ギルバートの言わんとしていることが分かって、リッツは敵に向かって怒鳴った。
「最後まで抵抗し死者の国に赴くか、この街を出て行くか選ぶがいい! ファルディナ自治領区はすでに我ら革命軍の手にある。この自治領区のどこにもお前たちの場所はない!」
生き残っていた貴族たちが、着の身着のまま逃げ出していく。ぼろぼろの格好に、特権を無くし、金もないこの状態で逃げれば、きっと彼らは今民衆が陥っている苦しい状況を、身をもって知るだろう。
やがて重傷を負った者と死体だけを残して、貴族たちは街から逃げ出していった。
このまま街道を下ってもファルディナの街はすでにエドワードとジェラルドの支配下にあり、その先の第二の都市アーケルも本隊に占拠されるだろうから、彼らに行き場はないだろう。
「どこに逃げるんだろう」
剣を納めながら呟くと、すぐそばから答えが返ってきた。
「セクアナだろうな。あちらに抜ければシアーズに着く。戦いたい者はシュヴァリエ夫人の元に下る」
「マルヴィル! いつの間に……?」
意外な人が近くにいたことに驚くと、マルヴィルは静かに笑った。
「だから守ると言ったろう、リッツ」
「……あ……そうか」
街道でのやりとりを思い出して頷いたが、何だか妙な気分だった。守りたいと思ったことは多々あるが、守られるのは初めてだからだ。
微妙な気分をかみしめていると、男が駆けだしてきた。見覚えのある男だ。
「ギルバート様!」
「おお、シグレットか。役目ご苦労だったな」
「いえいえ。これもすべて今後のファルディナのため。ギルバート様のためではございません」
「……相変わらずいうなぁ、お前は」
「本当のことです。申し上げましたよ、もう二度とギルバート様のためには働きませんと」
ごくきまじめな顔できっぱりとそういったシグレットに、ギルバートは豪快に笑った。
「それならそれでかまわんさ」
シグレットはギルバートから視線をリッツに移してきた。まじまじと見つめられて、どうして良いのか分からずに頭を掻く。
「……フェイ・ダグラスでは、なかったんですね」
淡々とそういったシグレットは、静かに手を差し出した。
「初めましてシグレットでございます」
差し出された手を握ると、力強く握り替えされた。
「精霊族の戦士、リッツ・アルスターだ」
「お名前は耳にしておりました。今後ともファルディナをよろしくお願いします」
真摯なシグレットの言葉に頷くと、ギルバートが楽しげに口を開く。
「自己紹介が済んだところで、お前に一時この街のまとめ役をして貰おう、シグレット。だがお前には何の権限も与えないから、自らつかみ取れよ」
「言われなくとも、この街はすでに私が運営しているようなものでしたから」
頷くシグレットがどこかに合図すると、どこからか高らかに鐘が鳴り響いた。それを合図に街の人々が家々から飛び出してくる。今まで静まりかえっていた街が活気に包まれた。
「この日を境に、ここブルガンは、ユリスラ一の木工芸都市として生まれ変わって見せましょう」
「ああ。期待している。我々はしばらくファルディナを本拠地とするから、お前が何か悪事を企ててもすぐに分かるしな」
「ギルバート様……」
不本意そうに眉をしかめたシグレットが渋い顔をするのも関係なく、ギルバートは自信に満ちた笑顔でシグレットの肩を叩く。
「とりあえず我々に旨い飯と宿泊場所を与えてくれ。逃げ出した貴族たちの家族を馬車に乗せ、逃がしてやるといい。我々は家族にまで無体はしない」
「ええ。もとよりそのつもりです。遺恨を残したくはありませんからね」
「それから貴族たちの物品を没収し、街人たちで自衛のための部隊を作れ。貴族が復讐にこんともかぎらん」
「当然です。ここは我らの街。守って見せます」
シグレットは満面の笑みを浮かべて街の人々を振り返った。
数日後、ブルガンを発つ際にギルバートはシグレットに条件付きでこの街の管理を委託した。
一つは、この街に法を作る場合は、ファルディナ駐留部隊長とルサーン、三者で必ず検討して決めること。それが守られぬ場合、エドワード王太子が即位し、王になった時点でこの自治領区を治める人物を派遣することとなったのだ。
それを聞いてリッツは多少不安に思った。貴族もそうだが人間の心なんて変わりやすい。それを期待していいのだろうか。
だがギルバートによれば、三者で面談という形は、かなり有効なのだそうだ。第一に今は街での損得勘定から反乱など起こしようがないこと。もう一つは三者で決めると言うことは、決まり事が偏らないことに繋がるようだ。
駐留部隊長の仕事は、主に五年ほどで移動となる。その際に再び一度関係を作り直すことになるのだ。当然ルサーンとシグレット両家も年を取っていき、代替わりするだろう。なれ合えば損をする。その状況を作っておけば、緊張感から長持ちするらしいが、長期的な監視は必要だとのことだった。
「本当に面倒くさいよなぁ。人間」
呟いてみたものの、考えても見れば精霊族の何百倍もこの地にあふれているのだから、いろいろな考え方があるのだろうと思うしかない。この中で色々考えていくのは大変そうだ。
自分で物事を考えてから答えを聞くことを自らに課したリッツは、小さくため息をついた。
ブルガン陥落の翌日、五月十二日。
ファルディナ南のアーケルを、革命軍本隊が解放した。戦いらしき戦いもなく、本隊はあっさりとアーケルに入ったのである。当然それは偶然ではない。ギルバートとジェラルドの立てた作戦が、見事に功を奏してのことだった。
十日に革命軍がファルディナを占拠したとのの報を受けたデラノ伯爵が、ファルディナ奪還のためにシアーズ街道を北上したのは、十一日のことである。
ファルディナへ向かう道の途中、デラノは領主死去の報も受け取った。
そこでデラノは自分こそがファルディナ自治領主にふさわしいとして、ファルディナを再奪還しようと考えたらしく、アーケルに残してきた全勢力をファルディナに差し向けたのである。
常識で考えるならば、アーケルはファルディナの街よりも南にあり、通常ファルディナを通って南下しない限り、攻め入られることはない。現在ファルディナにグレイン騎士団がいるのならば、本隊はまだファルディナに到達していないとデラノは考えたのだろう。
そのためか、街道以外の道に関する情報に乏しく、大人数の本隊が街道外を通って攻め込むとは考えもしなかったのである。
そもそもアーケルを守っていた者たちは、デラノの私兵集団でしかない。戦い慣れてはいない貴族たちと貴族へ媚びへつらう者、そして金目当ての難民や浮浪者で構成されたこの部隊には大きな油断があったのだ。そもそも指揮を執るデラノですら、戦いを経験したことなどなかった。
その結果、アーケルを守るすべての勢力が、街道を北上してしまい、アーケルは見事なまでに戦力を失った。革命軍本隊は、その隙を利用した形になったのである。
館に残る貴族の家族以外、この街を守る者などいない状況になったアーケルにパトリシア率いる革命軍本隊が姿を見せたのは、十二日のことだった。
当初、街道南から現れた彼らを、アーケルの人々は革命軍と戦うためにやってきたスチュワート、もしくはリチャード王太子の軍かと恐れた。彼らの軍が街に入れば、平民に対しての略奪や強姦は当たり前に起こることを知っていたからだ。
怯える彼らの前に立ったのは、パトリシアだった。数段高くなった街の中央の大きな広場に立つパトリシアの視界には、怯えたように身を寄せ合う街の人々の姿があった。
そんな街の人々の視線を浴びながらも、ただ凜と前を見続けた。自分がやるべき事は分かっている。分かっているからこそ、落ち着いていなくてはならない。
柔らかく吹く春風に、リッツと同じぐらいしかない短い髪が心地よくなびく。今日は侯爵令嬢を演じるときに身につける長い髪のカツラをしておらず、行軍で乱れたまま梳いてもいなかった。
そして質素ながら美しく整ったドレスもない。装飾品は腰に帯びる精霊使いの白銀の杖のみ。これが偽ることなき、パトリシアの本当の姿だ。
こんな姿で大勢の前に立つのは初めてだ。侯爵の娘という隠れ蓑を利用していたのはもしかしたら自分だったのかもしれない。ここにいるのは確かにパトリシアなのだが、何の飾り気もない自分の言葉が人々に届くのだろうか。
怯え、震える街の人々を前に、パトリシアはグレイン騎士団の制服に身を包み、真っ直ぐに立った。ジェラルドとは違い、パトリシアはグレイン以外の街ではあまり知られる存在ではない。だからこそ、姿をさらし、この自分という存在一つで民衆のために立たねばならないのだ。
背には革命軍本隊を率い、前にアーケルの街人と向き合うと、緊張感ですくみそうになる。だが自らに自らの役割を課した今、隣に立つマディラとコネルの信頼に答えるべく、真っ直ぐに前を向かねばならないのだ。
パトリシアは、小さく息をつき目を閉じる。
大丈夫。エドワードはともかく、あの鈍感馬鹿なリッツにもやれたことが出来ないはずがない。
背ばかりが高く、パトリシアを見下ろすくせに、子供のようにむくれて、喧嘩をふっかけてくるリッツを思い出すと、少し心が落ち着いた。エドワードのことを思い出すとかすかに緊張するけれど、あのリッツは思い出すと腹立たしかったり、呆れたりすることばかりだから緊張している自分が馬鹿らしくなるのかもしれない。
それに子供扱いしているリッツが出来て自分が出来ないのでは、これから先、あの二人に注意できる立場ではなくなってしまうじゃないか。パトリシアが目を光らせて、二人の悪ふざけを止められなくて、誰が止められるというのだ。
パトリシアはそっと胸に手を当てた。服越しに指先に堅い感触が触れた。そこにはずっと大切に身につけてきたネックレスがある。ティルスの村祭りでパトリシアが選び、エドワードとリッツが買ってくれたあのネックレスだ。
目を閉じ、軽く息を吐いてその感触を確かめる。
古びてくすんだ金の台座にはめ込まれた一番大きなスカイブルーの宝石がエドワードの瞳。そしてその周りを飾り、スカイブルーを輝かせるブラウンの宝石がリッツの瞳。
そして古びた鎖が切れた際に、職人に依頼して、こっそりペンダントヘッドと鎖を繋ぐ場所につけてもらった自分の瞳と同じ色のアメジスト。
これは二人を守るという。パトリシアの誓いの印。この国のために英雄を演じる二人を支える、大切な誓約の品だ。
先陣を切って戦う二人を守るために、こうして地を固める。今はまだ共に戦場に立てていないが、これがパトリシアに出来る、二人への後押しだ。
ゆっくりと目を開けると、目の前にはたくさんの人々の不安な顔がある。不安の中で生きている彼らに笑顔を取り戻したい。戦いは続くかもしれないけれど、せめてこれから希望を持って生きられるように守りたい。
きっと自分にはそれができる。
いえ、やってみせる。
パトリシアは穏やかな満面の笑みを浮かべた。作り笑顔ではない。笑顔になってほしい国民がここにいるんだから、笑顔になりたい。
「私はグレイン自治領主ジェラルド・モーガンの娘、パトリシア・モーガンと申します。皆様、お騒がせしてしまって申し訳ありません」
笑顔のまま、パトリシアは深々と頭を下げた。貴族としての自分を捨て、一人のユリスラの民として人々と接しよう。
人々が自然に頭を垂れ、尊敬の思いを注いでくれるのは、持って生まれた階級ではない、自分の持つ思いと信念、それだけなのだ。それだけのことに気がつくのに、長い時間がかかったような気がする。いつも自分が貴族であるという一枚の色ガラスを通して世界を見ていたのだ。
そう、あの口が減らない、腹の立つ精霊族のリッツが現れるまでは。
リッツという存在がエドワードに絶大な信頼を受けたのも、ジェラルドやギルバートに可愛がられるのも、ダグラス隊に親しまれるのも、すべてリッツが精霊族だからではない。
ただ正直だからだ。悲しみ、怒り、むくれて、笑う。相手が貴族であろうと、平民であろうと、誰であろうとすべての態度が変わらない。ただただ自分の感情に素直なのだ。子供みたいだと馬鹿にしているが、実は少し羨ましかった。パトリシアにはいつも貴族の娘としての立場がちらついていたからだ。
きっと自然とそうして階級を無くしていければ、人は思いによって互いに信頼でき、尊敬しあえるようになっていくに違いない。
悔しいけれど、私、結構あなたが好きだわ、リッツ。きっとあなたが私を好きなのとは、違うだろうけれど。
むくれるリッツを思い出して、くすりと笑ってしまう。緊張の糸がほろりとほぐれていく。不思議な感覚だ。心が温かくなって、落ち着いてきた。
人々の尊敬を集めるのは後で良い。今はまず、彼らを安心させるためにも、アーケルの人々に一人の女性として笑いかけたい。
「私は侯爵の娘という称号を持っているけれど、お針子さんたちのように洋服を仕立てることは出来ません。料理人の方たちのようにおいしい料理で皆さんを笑顔にすることも出来ないし、そもそも農民の方たちのように食料を作ることも出来ません。精霊使いでもある私に出来ることは戦うことだけです」
隅々の人々まで目を合わせるように、ゆっくりと見回す。そこにいるのは皆一人一人の人間たちで、貴族たちのように平民とひとくくりにしてはいけない人々なのだ。
平民を守るためなどという考えで戦っていたら、それは革命ではない。結局貴族特権をそのまま持ち越したただの争いに過ぎない。
もしあのままパトリシアが貴族の娘として生きていたならば、理解できない感情だったのかもしれない。だけど階級を知らないリッツがいたから、今は人々が望む存在を理解できる。
「ですから私は自分の職業に誇りを持ち、毎日を過ごしている皆さんを尊敬し、共に生きたいのです。皆さんと一緒に、幸せなユリスラを作り上げ、共にこの国の平和な姿を笑顔で見たい。そう思ってこの街へやってきました」
笑顔のまま真っ直ぐに人々を見渡して告げると、人々の緊張が少しずつ和らいでいくのを感じた。
「我々はエドワード王太子殿下の元、偽王として王国を支配しようとするスチュワートと戦う革命軍です。ユリスラの民を貧困にあえがせたシュヴァリエ夫人の率いる軍は、民衆と共に立つ我々革命軍の存在を許しません。これから戦いはますます激しさを増すでしょう。それでも我々は、皆さんと共に生きる未来のために戦い続けます。我々は貴族平民の区別無く、共にユリスラの希望ある明日のために戦いたいのです」
人々の目は徐々に緊張から希望へと、輝きを変えていく。人々に必要だったのは何よりも希望だったのだと、初めて知った。
希望はむなしい絵空事じゃない。人の心に未来への夢を与える光なのだ。それを頭の中だけではなく、心から理解した。
「この街を支配していたデラノ伯は、我々革命軍によって、皆さんの恐怖と憎しみの代償を受け取るでしょう。もうアーケルに皆さんを縛る者はないのです。皆さんが皆さんの望む街を作っていくのです」
晴れやかに告げると、人々の声が少しずつ、そして徐々に大きく、エドワードの名と、革命軍を讃える声へと変わっていく。
「ユリスラの人々は未だ、貴族と現王族の恐怖政治に怯え、その支配に苦しんでいます。もし我々と共に戦ってくれる方々がいましたら、共に戦いましょう。ユリスラを我々皆の手に取り戻しましょう!」
真っ直ぐに笑顔でそう言い切ると、人々の間から拍手が起きた。その拍手がやがて大きなうねりを持つ拍手へと変わっていく。やがてその歓声は街を揺るがずような歓喜の声に変わっていった。
歓喜に沸く人々に手を振ると、パトリシアは周りを取り囲む人々に向かって尋ねる。
「街の代表の方は、おられますか? 今後のことを話し合いたいのですが」
数人に言葉をかけると、やがて一人の男が民衆に押し出されるようにして前に出てきた。
「ルサーンさん」
「ルサーンさん、頼むよ!」
人々の声に軽く頭を掻きながら現れた男は、少し高台となった広場に上ると、パトリシアに手を差し出した。
「この街を取り仕切っています、ルサーンです。ギルバートに聞いておられますか?」
人々の歓声に紛れるように小声で尋ねて微笑む男の顔を見返して、パトリシアは微笑んだ。
「ええ。ダグラス様から聞いています。色々と」
含みを持たせて笑うと、ルサーンは汗を掻きながら頭を掻いた。
「どのように聞いているのでしょうね、全く。では私がこの街を代理で統治する条件も聞いておるのでは?」
「ええ。ですけれど、それは後で話しませんか? 私たちはこれから、デラノ伯を倒しに参ります。ルサーン様と街の人々は、貴族たちの家族を、シアーズまで逃して差し上げてはいかがかしら? いいですか? 決して乱暴はなさらないでくださいませ。虐殺、惨殺は許しません。憎しみの連鎖が続くだけです」
きっぱりとパトリシアは告げた。もし貴族の家族を民衆が襲うことがあれば、この戦いが民衆対貴族の争いになってしまう。それを避けるのがパトリシアの役目の一つでもある。
「はぁ、しかし……」
煮え切らない返事をするルサーンに、目だけをじっと見つめながら微笑んだ。
「あら、街の人を御し得ないルサーン様ではないでしょう?」
「……自治権を試されている……そういうことですな……」
ため息混じりのルサーンの言葉は聞こえなかったふりをして穏やかに笑う。
「その際に革命軍として、シュヴァリエ夫人と本当に戦いたいと思っている者がおりましたら、お残しくださいませ。デラノ伯を倒した後、ファルディナでギルバート・ダグラスが話を聞くとお伝えくださいませ」
ギルバートと話をしなければならないと知れば、本心から革命軍に加わりたい者しか残らないだろう。それはコネルと相談して計算済みだ。
「はあ。ですがあの……我々だけでこの街を守るのですか?」
少々不安そうなルサーンに答えたのは、パトリシアではなく、コネルだった。
「元ユリスラ軍中将、コネル・サウスフォードだ。これよりこの地に、マディラ・カークランド率いる二千の部隊を護衛のために残す。補給物資の援助を頼む。もちろん商人であるお前さんに損はさせないぞ、ルサーン」
とたんに人の悪そうな笑みを浮かべたコネルに、ルサーンが身を引く。
「何しろ俺は、直属の上司と同じで、結構物わかりがいいつもりだからな」
その一言で察したらしいルサーンは肩を落としてため息をついた。
「……まったく、どこまで行ってもギルバートに祟られる」
「そうはいうが、平和な暮らしを維持するにはそれだけ必要ってことさ」
予定通りにマディラと歩兵集団をアーケルに残して、部隊は休む間もなくファルディナ街道を北上する。二百五十の騎士団と、元ユリスラ軍の騎馬兵が中心となり、街道を駆ける。その数はわずか三百五十でしかない。
その中にパトリシアはいた。馬上から風のように街道を駆ける。戦いへ向かう緊張感と、人々の思いを背負うその荷の重さを、改めて感じ取っていた。
更に重い荷を背負ったエドワードを思うと、その重圧に苦しんでいた頃、何も出来なかった自分をもどかしく思う。今こそ何かをしたい。
昨日出たという部隊に追いついたとき、彼らはすでにファルディナを攻略して街道を南下してきたグレイン騎士団と交戦中だった。その後方からラッパを吹き鳴らして戦闘に突入する。
パトリシアは、馬上から高々と白銀の杖を掲げた。
「天空を翔けし、自由なる風の精霊よ。我の求めに応じ、その力を我に与えよ!」
力強く風への祈りの言葉を捧げると、風の力がみるみる高まっていくのを感じる。周囲を吹く風が、パトリシアの周りで静かに渦を巻き始めた。
まだ短く結うことの出来ない髪が、風に巻き上げられて激しくはためく。
前方を見据えるとパトリシアの姿を認めた交戦中の騎士団が、さっと身を引いて離れていくのが分かった。あの部隊には副団長のオドネルがいて、パトリシアの戦いを熟知しているのだ。
そんな騎士団に戸惑いながらも深追いしようとするデラノの部隊に向かい、真っ直ぐに杖を振りかざす。
「吹き散らせ、風の槍!」
振り下ろした杖に従うように、髪を乱す風が真っ直ぐにデラノの陣営を襲う。荒れ狂う風は、人間の反抗など許しはしない。
大の大人であっても、ある物はその風の力に吹き飛ばされて両脇に広がる森の木にたたきつけられ、ある者はおもむろに転がり、騎士団の前に飛び出している。
吹き飛び、その場にたたきつけられた中から、起き上がり立ち向かう敵を、騎士団が倒していく。数の上ではデラノが勝っていたが、戦い慣れたグレイン騎士団の前では、なすすべなど無い。
「何奴か! 何奴だ!」
叫ぶデラノの前にパトリシアはゆっくりと馬を進めた。地面から見上げてくるデラノに向かって、パトリシアは静かに微笑んだ。
「グレイン騎士団第一隊風使い、パトリシア・モーガン」
「! モーガン侯の娘か!」
目を血走らせたデラノは、恐慌状態に陥った。
「何故だ! 何故侯爵の位にありながら……自治領主の位にありながら戦うのだ、モーガン! 狙うは国王の座か!? 偽の王太子を担ぎ出し、自分がこの国の王になるつもりなのか!」
叫ぶデラノに、哀れみを込めて微笑んだ。
「哀れな方、デラノ伯。父が望むものは王位などではございません」
「では、では何故!」
「父が望むのはユリスラの民が幸せに暮らせる平穏な未来。貴族も平民もなく、すべての人々が幸福を享受できる幸福な未来、それだけですわ。個人の幸福のみを願うあなたには、決してお分かりにならないでしょうけれど」
ため息をついて再びデラノを見つめる。
「本当に……お可哀相な方」
「見るな……俺を哀れむような目で見るな! 私は伯爵だ、伯爵だぞ! 人々にかしずかれず、平民と共に生きるなど、ごめんだ! そんな未来、分かりたくない!」
デラノの剣が、馬上のパトリシアに迫るも、パトリシアは一歩も動かなかった。
あとわずかで剣がパトリシアに迫ろうとしたその瞬間、すさまじい形相をしたままデラノはその場に横倒しになった。
そこには、馬上でデラノの血を滴らせた剣を構えたコネルの姿がある。
「一歩も動かずとは、たいした度胸だ、お嬢」
「あら。ちゃんとサウスフォード様がおられると分かってましたわ」
その姿はちゃんとパトリシアの目に映っていた。信頼できる相手だからこそ、動かずにいたのである。パトリシアが動けばデラノも動いてしまうからだ。
「……参ったな。これじゃああんたを、お嬢と呼べなくなっちまう」
「私はその方が嬉しいですけど?」
終結していく戦場を眺めながら微笑むと、コネルが苦笑しながら頭をかき回した。
「そういう所はモーガン閣下譲りだな、パトリシア。俺もコネルと呼んでくれ」
大人の笑みを浮かべたコネルに、パトリシアは笑いかえした。
「ありがとう、コネル様」
「礼を言われるほどの事じゃないさ。さあアーケルはマディラに任せて、我々は殿下のおられるファルディナへ戻ろうかね」
「ええ」
戦いから更に半日が経ち、現れた歩兵部隊と共に道ばたで夜を明かし、彼らに捕虜の輸送と戦場の後始末を依頼して、パトリシアたちがファルディナへ入ったのは、五月十三日の昼頃だった。
ここに、ファルディナ自治領区攻略戦が終了したのだった。




