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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
莫逆の誓い
63/179

<2>

 リッツたちを乗せた四輪の箱馬車は、宵闇が深くなりつつある街の中を走り続けた。

 石畳に揺られながらも。時折オイル灯越しにファルディナ駐留部隊が人を引きずる光景であったり、間違いなく斬り殺されたであろう死体が見えた。きっと密告によってその場で斬り殺された人だろう。

 静かで整った街並み。綺麗に整えられ、ゴミもほとんど落ちていない清潔な街。それなのにそこには取り残されたように、恐怖の名残が落ちている。

 リッツはため息混じりにその光景を見遣った。

 たくさんの難民や浮浪者があふれて危険な時代に、せめて自治領主の悪口でも言って気を紛らわせようとすれば斬り殺される。それならばいったいこの閉塞感を、人々はどこにぶつければいいのだろう。それともぶつけようのない苛立ちが、密告へと人々を走らせるのだろうか。

 だけどファンはそれが平穏でもあるという。それを望む人もいるのだと聞いた。でもこんなの全然楽しくない。互いに監視し合い、疑い合う生活なんて絶対に嫌だ。ものすごく疲れるし、神経がすり減る。

 ファルディナを解放するとは、そういうものをなくすことなのだろうと、リッツは深々と理解した。やはり実際にその場の空気を感じてみないと、何も分からないものだなと思う。

 リッツがそうこう考えているうちに、御者に扮した二人を加えた六人を載せた箱馬車はファルディナの中でも高級地にある大きなホテルで停車した。

 小さな窓から外を眺めると、馬車の乗り付け場には、赤々と照明がともっていて明るくきらびやかだ。ここにあるのはどうやらランプではなく、オイル灯なのだろう。

 丁寧にお辞儀をしながら馬車のドアを開けたドアマンの横を、ギルバートは深めにシルクハットをかぶって、悠然とした態度で降り立った。すれ違いざまにドアマンの手に数枚の銅貨を握らせる。

 きっとここではこうするのが当たり前なんだろうなと思ったが、リッツは自分がこんなところに泊まりに来るなんて想像もできない。

 ギルバートの数歩後をリッツはゆっくりと歩いて行く。ソフィアに念入りに梳かされた黒髪は、さらさらとしていて、何となく違和感がある。でもギルバートのように固めると、髪に隠した耳篭が丸見えだから髪をいじるのもこれが限界なのだ。

 その後ろにはファンとソフィアが続いていた。ファンはギルバートの執事といった出で立ちで、この二人はどう見てもギルバートの使用人だ。チノとラヴィは馬車に残り、警戒に当たるらしい。

 年代物の美しいカウンターの少し手前で足を止めたギルバートの横に並ぶと、ギルバートの代わりにファンがカウンターに向かった。カウンターの中には、埃一つ付いていない黒服を着た男が三人ほどいる。中でも一番年上と思われる男に、ファンは穏やかに微笑みかけた。

「シュテファン・ダルトンですが」

 聞き覚えのない名を名乗ったファンに男は深々と頷き、手元から美しい宝飾で飾られた鍵を取り出した。鍵一つとっても、リッツの給料では手が届かなそうな高価さだ。

「ダルトン様。お待ちしておりました。こちらのお部屋でございます」

 恭しく差し出された鍵を表情一つ変えること無く丁寧に受け取って、ファンは微笑む。

「朝食は二名分、部屋までお願いします。給仕係は必要ございません。それから朝食と共に新聞を全紙頂きたいのですが」

 いかにも有能な執事という態度のファンに、男は恭しく頷く。

「かしこまりました」

「本日、客人が見えられますのでご案内をお願いいたします」

「承りました。お荷物はどうなさいますか? ポーターをお呼びいたしますか?」

「家の者に運ばせます。お気遣いありがとうございます」

 頭を下げたファンは、静かな笑みを浮かべてこちらへ戻ってきた。いつものどこか人を食ったような笑みはなりを潜め、冷静で穏やかな笑みを浮かべたファンが、恭しくギルバートの前で頭を垂れる。

「参りましょう」

 すました顔で言ったファンに吹き出しそうになったが、何とかこらえて歩き出した。ここで吹き出したりしたら、リッツの知らない何らかの作戦が丸つぶれになる可能性があることぐらい、ちゃんと承知している。

 堂々とロビーの正面に鎮座する、磨き上げられた石造りの階段を見上げると、最上階まで吹き抜けになっていた。天井は外と同じように暗い。手すりは磨き上げられた木材で、美しく輝いていた。階段に沿っておかれた燭台にともされた明かりが揺らめき、天井から垂れ下がるシャンデリアは、無数の明かりに光を反射している。あれもオイルを使っているのだろうか?

「あれ、どうやって明かり灯すのかな」

 ぼそっと呟くと、隣にいたソフィアが囁いた。

「下ろすか持ち上げるかして着けるんだろうよ。もしくは長いろうそくで火を灯すかだな」

「ふうん。すっげえなぁ……」

 街のどことなくすさんだ雰囲気を思い出すと、その落差にため息が出る。ふと見るとギルバートが少し先を行っていたから、慌てて追いかける。やがてファンの案内でたどり着いたのは五階建てのこの建物の最上階の部屋だった。

 両開きの扉を押し開けて中に入った瞬間、その豪華さにリッツの目は奪われた。

「うわぁ……」

 目の前にあったのは大きなリビングだった。丸くて大きなテーブルにはきらめく銀の燭台が灯り、二カ所に果物篭が乗っていた。しかも果物満載だ。壁は白く塗り固められているが、所々に金の装飾がされている。暖炉を中心とした作りの部屋の一番目立つ壁には当たり前のように、国王ハロルドの肖像画が掛かっている。

 リビングの隣には、会議ができそうな広いダイニング、そこから奥まった扉の向こうには、磨き上げられた石造りのバスルーム、簡易な調理ができそうなキッチンに、広々とした三つのベットルームがあるのだ。

 そのベッドルーム全てが人が二人余裕で寝られるぐらいに大きいベットが置かれていて、天蓋付きだ。もちろんその部屋全てが白い漆喰の壁に、金の装飾である。

 ルイーズ・バルディアが暗殺された時にシアーズに泊まった時、ジェラルドの高価な部屋を見せてもらったのだが、それ以上にこの部屋はすごかった。

 物珍しくてあちこちを開けて見て回っていたリッツを放ったまま、ギルバートたちは、何らかの打ち合わせを始めている。呼ばれないから、おそらくリッツは良いのだろうと勝手に解釈して、あちこちを見る。

 部屋の中に満足してリビングに戻ったリッツは、窓の外を眺めて絶句した。そこにはファルディナの街を一望できるテラスがあったのだ。ガラスの戸を開けて、テラスの外に足を踏み出してみる。

 天には隙間なく輝く青い星々が輝き、地には柔らかく暖かな暖色の輝きが満ちている。まるで一面の星空が、上も下もなく広がっているようだ。

「うわぁ……地上にも星空があるみたいだ……」

 夜も更けてきたファルディナの街は、オイル灯と家々から漏れる明かりで、幻想的な美しさをしている。テラスの手すりから身を乗り出して、リッツは街を見下ろした。先ほどまでとは違って、街は悲惨さを感じさせることなく美しく輝いている。

「綺麗だなぁ……」

 心の底から感動して呟くと、いつの間にか隣に立っていたギルバードが楽しげに答えた。

「だろう? 意中の女を連れてきてみろ。この雰囲気で大概落ちる」

 といわれても、リッツには未だ意中の相手などいない。一瞬パトリシアの顔がよぎったが、慌てて頭からたたき出す。駄目だ駄目だ。パトリシアのことなんて考えたら、何ともいえない気恥ずかしさがこみ上げてきてしまう。

 そんな自分の感情を誤魔化すべく、リッツは素っ気なくぼやく。

「……無理」

「ほう?」

「こんなに高級なところ、俺の給料じゃ無理だよ」

 口をとがらすと、今までの執事の演技はどこにやら、いつもの砕けた口調でファンが笑う。

「身なりさえちゃんとしていれば、一階のレストランだけなら入れるよ。高台にあるから一階でも見晴らしはいい。夕日が最高に綺麗だと聞いたことがあるし、あそこなら君の給料でも何とかなるだろう」

「……いくらぐらい?」

「ん~、一番安くて、二人で二ギルツあればいいんじゃないかな」

「だから俺の給料、年間百五十ギルツだってば。一食でそんなに使っちゃったら暮らせねえよ……」

 ため息混じりのリッツに、煙草に火を付けたソフィアが鼻で笑う。

「じゃあシアーズでは、ずいぶんな年月分給料を使ったみたいだね」

「え?」

「マリーの店の娼婦は、最低一晩一ギルツ以上だ。高級娼婦になれば三ギルツはくだらない。君はシアーズにいた三ヶ月のほとんど毎晩娼婦を抱いてたんだ。さあ、いくらになる?」

 初めて知る事実に思い切り血の気が引く。

「……最低で……百八十ギルツ……」

「違うな。君のことを気に入ってよく顔を出してたのは、ほとんど三十前後の高級娼婦だ。一ギルツで抱けるような若い子は、自分の稼ぎだけで手一杯だからね」

「うわ……じゃ、じゃあ……」

「そう、最低で五百四十ギルツ。それから君は女王とも、マリーとも寝たことがあるはずだ」

「ある。うん。最後の日はマリーが相手してくれたよ。おっさんとギルより年上だなんて思えないぐらい綺麗だったし、すっげぇよかったなぁ……」

 思い出してにやけると、ため息混じりにソフィアが煙草の煙を天井に吹き出した。ストイックなミニスカートに白いシャツ、黒縁眼鏡に一つに結った髪。堅物そうにみえて少し色っぽさの漂うソフィアはさすがギルバートの愛人だ。

「ほんとエロガキだね、君は」

「……何かやだ。エロガキって……」

「そう? 君のためにあると思うけどね」

「ひでえよ……ソフィア~」

「ともかく女王は十ギルツ、マリーは同額。君は六ヶ月で豪快に六百ギルツほど使ったことになるね」

「え……」

 リッツの背に冷や汗が流れ落ちる。六百ギルツといえば、リッツの丸々四年分の給料と同額だ。

 マリーの店では暇つぶしに高級娼婦たちがリッツと遊んでくれたのだが、実際に買っていたならば、はっきりいって、完全に身代を傾けている。いやそれどころか破産して浮浪者になっているだろう。

 娼婦に遊んでもらっててよかった。もし客をやってたら、エドワードやジェラルドに、どれだけの迷惑をかけたか想像できない。

「それだけの豪快さなら、このホテルのロイヤルスイートなんて簡単に泊まれるだろ? この部屋は一泊たったの二十ギルツだ。女王とマリーと過ごした二日間だけで事足りる」

 にやりと笑ったソフィアの言葉に、リッツはがっくりとうなだれて手すりに額を押しつけた。リッツの給料を十三ヶ月で割ると、一月十一ギルツほどだ。つまりこのホテル一泊は一月分の給料の二倍だ。

「ソフィア、久しぶりで楽しいのは分かるが、リッツが大分落ち込んでいるぞ」

 言葉だけ聞くと助けてくれているようだが、ギルバートの口調はただ単に面白がっているだけだ。

「俺には縁のない、金持ちのホテルだってのは身に染みましたよ~だ」

 思い切りむくれると、眼下の光景に目を向けた。やはりここから見る街は綺麗だ。この街が戦場になったりしたら、やっぱりちょっと嫌かもしれない。戦わずに済むことはないのだが、最小限の戦いで済めばいいのだが。

「で、ギル。俺はどうしてここにいるの? それでどうしてここに泊まるんだよ?」

「決まっているだろう。仕事だ。今夜ここに二人の男がやってくる」

 そういうと、ギルバートはいつものように何気なくソフィアに歩み寄り、その口から煙草を抜き取ってくわえた。薄く紅のついた煙草をくわえるギルバートにソフィアはため息をつき、新しく煙草に火を付けた。シアーズでよく見た光景だ。

「一人はブルガンのシグレットという男だ。こいつはファルディナを中心とした木工芸や林業を取り仕切っている。もう一人はアーケルのルサーンという男だ。こいつは街の商店を束ね、自治領主との交渉を生業としている。つまり二人ともファルディナの有力者だ」

「それって貴族ってこと?」

 有力者なら絶対に貴族だろうと何気なく聞くと、ギルバートは首を振った。

「いや、平民だ。この街の貴族は商業に興味がない。税は取るが実務には一切関わっていないのさ。だからこの二人の男とその一族がいなければ、自治領区の経済が成り立たないことを貴族たちは知らない」

「ギルは知ってたの?」

「当然だ。この二人と実質交渉していたのは、俺が片眼をあの野郎に潰されるまで親父だった」

 ギルバートの父母は、ジェラルドの実の両親であるグレイン北部湖水地方にすむ男爵家を頼り、そこで生活しているのだと聞いた。

「二人ともなかなかしたたかな男たちだが、街の経済と自治権を平民にとの希望を持っていたのさ。俺はこの街を、サラディオに次ぐ平民が納める自治領区になればおもしろいと思っている」

 ギルバートの口から、細く紫煙が吹き出される。その口元は楽しげだ。

「もしそういう条件を付けたなら、彼らは喜んで貴族を自治領主の座から引きずり下ろすだろう」

「じゃあ……」

「そうだ。もう噂は十分に広がりつつある。何しろ、先月末からあちこちに遊撃隊総出で噂をばらまいてきたからな。一つの噂は噂を呼び、そして裾野へと広がっていくってわけだ」

「ふうん」

「お前が精霊族の戦士だって言う話が王国全土に一月で広まったのと原理は同じだ」

「ううっ……」

 その噂が広まったのはちょっと嫌だ。父親に知られたら絶対に、面白がられてからかわれるに決まってる。そういう父親だ。

「ジョエルはデラノがジョエルを滅ぼし、林業の利益をすべて独占しようとしていると疑い始めているし、デラノはジョエルが商業の独占をはかるためブルガンに攻め入ってくると疑っている。この疑いをこれから来るシグレットとルサーンに協力させて決定的にし、ジョエルとデラノをファルディナの別邸からそれぞれの街に構える本邸に戻せば、第一段階終了だ」

 ギルバートの言葉に頷く。エドワードが作戦会議の席で、ギルバートのそうできないかと提案していたからだ。ギルバートはそれを実行していたのである。その仕上げを今リッツは目の前で目撃することになりそうだ。

 短くなった煙草をもみ消し、再びソフィアの煙草を奪おうとしたギルバートの行動を読んでいたのか、ソフィアが素早く別の煙草に火を付けてギルバートの口に指した。

「人の煙草ばかり奪わないでよ、ギル」

 小さく文句を言うソフィアに、ギルバートは明るく笑った。

「悪いな。お前の唇に触れた方が旨く感じるのさ」

「よく言うよ。めんどくさがり」

 かすかなため息に漂う色気に、どきりとする。二人の関係は愛人だというが、お互いにどんな存在なのだろう。

 ただ単に寂しさを紛らわせるために女のぬくもりを求めるリッツは、やっていることは大人だけど、頭の中身は子供なのだとギルバートは言う。ギルバートとソフィアは愛人関係にあるというのだが、どうもそれは恋人とは違うようだ。

 二人の間にある大人の関係はリッツにはまだよく分からない。割り切るのが大人なんだろうか。

 思考がそれてしまった自分を元に戻すべく、小さく首を振る。

「じゃあさ、自治領主も罠にはめるんだろ?」

「当然だ。自治領主スティーヴンスは、今この二人が革命軍と共謀して自治領主になるためスティーヴンスを殺しに来ると思い込んでいるというわけだ」

「どうしてそれを知ったのさ。だって貴族って庶民の噂とかに興味ないだろ?」

 当然の疑問だ。エドワードのように農家の子として暮らしているならまだしも、ずっと貴族をし続けている人間には、噂の届きようがない。それに関するギルバートの答えは明確だった。

「庶民の噂に興味はなくとも、身内の噂は気になるものさ。館の中の婦人たちの噂話ならば、自然と領主の耳に入る」

「……そうか。そうだよな。家の中で噂してたら分かるよ。でもどうやって家の中にまで噂を持ち込むんだ?」

「スティーヴンスの館に、ヴェラとベネットが入り込んで、使用人たちに噂を流したのさ」

「あの二人、またそんな仕事してんの?」

「二人とも得意な分野だからな」

 確かに二人は戦場にいるよりもその方が数段にあっている気がする。ベネットは将来立派なおばさんになりそうな性格だし。ついつい口うるさい老女になったベネットを想像して首を振る。今はそんなことを考えている場合じゃない。

「それを自治領主は全部信用しちゃうわけ?」

「信用はせんだろうが、気になって情報を集めるぐらいはするさ。そして部下に命じて人々の噂を集めると、本当にそういう噂が広まっているってわけだ。当のジョエルとデラノは、なにやら怪しげに動き回っている上、街の人々は革命軍が来るかもしれないと、浮き足立ってる。街が戦場になると、逃げ出す者たちも出始めているからな」

「すっげぇ……噂ってそんなに人を動かすの?」

「ああ動かすさ。噂ってのは生き物だ。とびきりすさまじい繁殖力を持ったな」

 のんびりと足を組み直したギルバートが、余裕に満ちた表情でソファーにもたれかかって煙を吐き出した。自信に満ちたギルバートがものすごく大人で格好いい。こんなギルバートに比べれば、やはり自分は子供同然なのだろう。

 その時、扉に取り付けられた呼び鈴が音を立てた。

「ギル、開けていいかい?」

 先ほどまでの執事の顔をしたファンが音も立てずに扉に歩み寄る。ファンはその気になれば暗殺者になれるんじゃないかと言うほど、静かに動く。

「丁重にな」

「了解」

 ソフィアはさっと煙草を消すと、紅のついた煙草の吸いさしが入った煙草をさっとソファーの下に隠し、眼鏡の位置を直してギルバートのソファーの後ろに立った。

 リッツは促されるままにギルバートの隣に座る。

「いいかリッツ、お前は黙って見てろ。それで俺がお前に声をかけたら、ただただ曖昧に笑ってろ。それで事が済む」

「……それだけでいいの?」

「ああ。それで完璧だ」

 よく分からないが、何も分かっていないリッツには従う以外道はない。

「分かった」

 かすかな緊張感の中で身を縮めていると、執事然としたファンに連れられて二人の男が入ってきた。二人とも似たようなスーツを身につけ、片方は細めのタイを、もう一人は上品な蝶ネクタイを結んでいる。

 ソファーの近くにやってきた二人を目にすると鷹揚に構えたギルバートが立ち上がった。

「久しぶりだな、二人とも。元気だったか?」

 問いかけながら差し出されたギルバートの手を、男たちは穏やかに微笑みながら交互に握った。

「ギルバートこそ、元気そうで何よりです」

「死んだという噂も立っていたんですよ」

「なあに、そんなに簡単にはくたばらんよ」

 楽しげなギルバートは、リッツに軽く頷きかけた。リッツは何となく察して立ち上がる。にこにこ笑っていろといわれたから、男たちの前でへらっと笑う。

「俺の息子のフェイだ」

「え……? 息子?」

 固まった二人を前に、ギルバートがリッツの肩を抱いて引き寄せる。

「ああ。娼婦に生ませたから、今まで離れて暮らしてたんだが、この年になるとやはり寂しくてな。な、フェイ?」

 ギルバードの満面の笑みに、リッツは曖昧に笑うしかない。演技ではなく、意味が分からないから本当にそれしか態度の取りようがないのだ。

「俺はこいつが可愛いのさ。生まれはどうであれ、俺の血を引いてるんだからな」

 全く意味が分からないが、ギルバートは端から見ても本気でそういうと、そのまま二人にソファーの向かいに座るように促した。

 全員が座ったところで銀のティーセットに乗せたお茶を、そつなくファンが運んできた。その手が迷い無く美しい動作で紅茶を注ぐのをぼんやりと眺める。ファンは何をやらせても器用なんだなと感心してしまう。もしかしたらソフィアの方がこういうことが苦手かもしれない。何しろソフィアは格段に男らしく冷静だ。

 訪ねてきた男たちが紅茶に手を伸ばすこともせずに固まっているのを尻目に、ギルバートは紅茶を手に取った。リッツもそれに倣ってカップに口を付ける。すごく美味しくて薫り高い。こんなお茶を飲んだことがなかった。高いホテルはお茶もいいんだなと感心する。

 田舎者のリッツがそんなことを楽しんでいると、やがてギルバートが目の前の二人に少々意地悪い顔で笑いかけた。

「どうだ? 儲けてるか?」

 言われた二人は微妙に居心地悪げにしている。リッツもじっと二人を観察していると、やがて蝶ネクタイの方が肩をすくめて苦笑した。

「儲けさせてもらいましたとも。ある意味あなたのおかげですね、ギルバート」

「お前はしたたかだからな、ルサーン」

 どうやら蝶ネクタイはルサーンと言うらしい。ならば細めのタイの方はシグレットというのだろう。二人ともギルバートより年上に見えるのだが、ギルバートの方がどう見ても上手だった。

「そう言わないでください。元々ダグラス様がこの地を追われる時に、商業を牛耳る算段を付けていったのはギルバートではありませんか」

「はて? 俺はただ、ダグラス家が負ってきた商業管理が手薄になるなとぼやいただけだが?」

 片眼だけとはいえ、威力のある琥珀色の瞳に見つめられて、ルサーンは冷や汗を掻いている。

「よくもまあ、ここ五年で商人を束ねてまとまった儲けを出す仕組みを作ったもんだ。商人たちも潤ってるが、相談料でお前さんの財布はさらに肥えているってのがもっぱらの噂だぞ?」

「ギルバート、それは……」

「別に俺は責めている訳じゃない。感心しているのさ。金儲けは人を貶めない限り悪ではないだろ。まあ、あの仕組みなら貶められるだろうがな、スティーヴンス侯爵を」

「ギルバート!」

 ルサーンが青くなった。だがギルバートは全くそれを気にせずに、楽しげにルサーンを眺めてから、ゆっくりともう一人の男、シグレットに目をやった。

「お前の方もいい利益を出しているらしいな」

 冷笑しながら見つめられたシグレットは、かすかにギルバートから目をそらせながら小さく呟く。

「……微々たるものです」

「ほぅ。川を下って木材を王都へ運ぶ交通料まで取るようになったのにそれを微々たるものとは、お前の金銭感覚は上位貴族並みだな」

「ギルバート様……」

「難民を雇って作らせている家具は、南部貴族たちにも人気のようで、何よりだ」

 意地悪な笑みを浮かべて、ギルバートはゆったりとソファーにもたれて片腕を背もたれにかけた。ただでさえ大きな体が、さらに大きく見える。本人はただくつろいでいる顔をしているというのに、ものすごい威圧感だ。

「何故……それを……」

「さあ。スティーヴンス侯に見つからぬよう、ルーイビル産と偽っているようだが、時折ルーイビル産には少ない木材が混ざるらしいぞ。気をつけておけ」

 笑いながらいうギルバードに、シグレットは両膝の上で拳を握りしめた。その拳がかすかに震えているのが分かる。どうやらシグレットは、ギルバートに怯えているようだった。

 ルサーンに目をやっても、ルサーンも唇を青ざめさせてかすかに震えていた。二人がギルバートの何に怯えているのか、リッツには全く分からない。だがそんな二人の態度など、ギルバートはどこ吹く風と受け流し、ただただ楽しそうに笑う。

「さてさてこうしてお前たちと旧交を暖めあったわけだが、そろそろ本題に入ろうか。お前たちも商人だ。情報を仕入れているだろうが、もうじきここに革命軍が攻めてくる。これは噂じゃない。俺はその先陣だ」

 かすかに身を震わせた二人に向かって、ギルバートはかすかにあざ笑う。

「街の連中が騒いで逃げ出している通り、この街は戦場になるかもしれんな。ルサーン、お前の作り上げた商業網も、所詮は無駄だったようだ」

「そ、そんな……」

「それからシグレット、悪いがファルディナは革命軍が頂く。お前の牛耳っている木材はすべて徴収するやもしれん」

「ギルバート様……!」

 さらに青ざめた二人に、向かってことさらのんびりと伸びをしてから、ギルバートはわざとらしく少々前屈みになり、開いた膝に両肘をついた。笑み浮かべたギルバートが正面に身を乗り出すと、案の定、目の前の二人は怯えたようにかすかに身を引く。

「なんなら領主の元に駆け込むか? ここにギルバート・ダグラスありとな。そうしたければ止めはしない。やってみるがいい。戦争は止まらんがな」

 ルサーンが追い詰められたように眉を寄せ、顔を上げた。

「そうしたならば、我々は今まで領主に秘めて行っていたすべての商業収益を知られ、あなたを自らの利のために街へおびき寄せたとして領主より死を賜れると、そうなるのでしょうギルバート?」

 ルサーンの言葉にあっけにとられる。リッツには何がどうしたらそうなるのか、全く見えないからだ。だがシグレットもどうやらルサーンと同意見のようで、眉間に深くしわを刻んでいる。

「さあな。やってみれば分かることだ」

 二人の男は、さらに苦悩の色を深めて考え込んでしまった。

 二人の視線が全くリッツに向いていないのをいいことに、リッツはかすかにギルバートを伺う。ギルバートは楽しげな笑みを口元に浮かべていたが、リッツに気がついて視線を向けてきた。

 戸惑うことしきりのリッツに気がついたのか、いつもの不敵な笑みを浮かべて軽く肩をすくめている。どうやら話にはまだ続きがあるようだ。何がどうなっているのかは、後でギルバートに聞けばいい。

 しばらくしてからシグレットが顔を上げた。

「何が条件です?」

「何がとは何だ?」

「惚けないでください。どんな条件で我々を利用しようとしているのですかと申し上げているのです」

 気がつけばルサーンもまっすぐにギルバートの目を見ている。二人とも自分たちの選択肢が、自治領主につくか、革命軍につくかしかないことに気がついたのだろう。

「そんなに熱くなるな。折角のお茶が冷めているぞ。この茶葉はサラディオの区境にほど近いところでしかとれない最高級茶葉だ」

 何事もないように、ギルバートは笑みを浮かべて紅茶を勧める。逆らえるような雰囲気でもなく、二人は渋々紅茶をすすった。二人の不承不承の態度を眺めながら、穏やかにギルバートは口を開いた。

「俺はファルディナを意外と愛しているんだ。何せ気にくわないことも多かったが育ったふるさとだ。革命軍と王国軍の戦いでこの街が崩壊することを、俺は望まんよ」

「では……!」

「だがな、俺は革命軍の将官だ。お前らも知っているとおり、革命軍にはエドワード王太子殿下がおられる。俺はこの目のことと、家族のことでバルディア夫人に多大なる借りがある。ここを攻め落とさずにはおれんな」

 穏やかながらも信念に満ちた瞳で、まっすぐにギルバートは二人を見遣った。二人は苦虫をかみつぶしたような顔でギルバートを見ていた。

 だがギルバートも人を食ったような笑みを浮かべながら、それきり口をつぐんでしまう。

 重苦しい沈黙の中で、リッツは黙ってことが進むのを願うしかない。何がどうなって、どうすることが決着なのかさっぱり分からないから、心と体がなんだかムズムズしてくる。

 もしもここがグレインのモーガン邸にある会議室で、目の前にいるのが革命軍の幹部たちならば、今頃いつものように『意味がわかんないから教えろよ!』と騒ぎ立てているのだが、この状況ではそうもいかない。

「どうしろと言うのですか、ギルバート!」

 ついにルサーンが沈黙を破った。

「このことを領主に報告するならば、我々の身の破滅だ。忠告して革命軍と領主たちを戦わせることもできない。その上ファルディナを愛していると言ったと思えば、今度は革命軍だから攻めるという。あなたの考えは無茶苦茶ではないか」

「無茶苦茶かな?」

「無茶苦茶以外に言いようがありますか? これから革命軍が街を滅ぼすから、我々に指をくわえてみていろと、そう言いたいんですか? からかうにもほどがある!」

 息も荒く言い切ったルサーンに、シグレットが小さく息をついた。

「同感ですな。我々の逃げ道を塞いで、何をさせようというのです?」

 あくまでも冷静なシグレットだが、かすかに拳が震えているのが分かった。もしかしたらルサーンのように怒っているのかもしれない。

 怒らせてどうするんだろうとギルバートを見ると、ギルバートは膝においた手を軽く組んだところだった。

「俺は別に逃げ道を塞いでないぜ。よく考えることだ。この自治領区を平穏無事に維持するには、この街を戦場にしないこと、それだけだろう?」

「戦場にしないですと……?」

「そうだ。簡単なことだ。我々革命軍は現実としてこの街を攻め落とす。正確には自治領主スティーヴンス侯爵と、その取り巻きである大貴族を倒して、ファルディナをその手から取り戻す」

「あっ……!」

 何かに気がついたのか、ルサーンが声を上げた。シグレットも今まで寄せていた眉をフッと開く。その二人の変化に気がついただろうに、視線も向けずにギルバートは言葉を続ける。

「そして我々革命軍が木材を必要とするのは必然だ。これが分かっているのだから、お前たちにも選択肢が残るだろう」

 沢山の人がいるというのに、部屋の中に深い沈黙が落ちた。ルサーンとシグレットが唾を飲み込む音まで聞こえるようだ。

 やがて恐る恐る顔をあげたルサーンが、伺うような目をしながらギルバートを見つめる。

「つまりギルバート、あなたはこの街が戦場にならぬように、我々に手を貸せと?」

「どうかな。お前がそう取ったのだからそうかもしれないし、違うかもしれない」

 口元に笑みを浮かべつつ、ルサーンを眺めるギルバートに、シグレットもかすかに安堵の吐息を漏らして頷いた。

「もし事前に我々と革命軍の間に密約がなっていたならば、木材は接収されないということになりましょうな?」

「さあ、どうだろう」

 ますます楽しげにギルバートは笑う。それがこの二人への答えだった。あからさまにほっとしたように、ルサーンとシグレットは肩を落とす。

「本当にギルバート様は……お人が悪い」

「お前が言うのか、シグレット」

「あえて言わせていただきましょう。ダグラス様から依頼されなければ、私は乱暴者で手の付けられないあなたの面倒など見たくなかったのですよ。そうすればこうして苦しまされることもない」

 先ほどまでとは多少異なり、シグレットの言葉が丸みを帯びた。ギルバートもかすかに笑う。

「お前もルサーンも、俺の代わりに謝るために雇われたからな。だがお前たちが身を立てるだけの収入を手にしたのは、俺がお前たちをさんざんこき使ったからに他ならないだろう?」

 二人の男は苦笑した。どうやら三人は昔からの顔見知りのようだ。しかもとても近しい位置にいたらしい。

「ギルバート様、条件をお出しください。我々がこれ以上無駄な議論を続ける必要がおありか?」

 きっぱりと言い切ったシグレットに、ギルバートも一言で告げる。

「ないな」

 それから楽しげに口元を緩める。

「お前たちの本心はよく分かった。自分たちの利を得ることが重要で、俺のことが好きではないが、領主は更に嫌いだというな」

 二人の何ともいえない不快そうな顔を目の前にしても寸分も表情を変えずに、ギルバートは笑みと余裕の表情を崩さない。

「ブルガンのジョエルとアーケルのデラノをファルディナから私兵ごと撤収させてくれ。お互いがお互いを疑い合うところまではいっているはずだが、お前たちに決定的にしてもらいたい」

「それは……」

「簡単なことだろう?」

 二人が絶句した。だがギルバートはたたみかけるようにして、黙ったままの二人に尋ねる。

「収益の一部を、後ろ盾としてジョエルに払っているようだな、シグレット。家具の工場はブルガンにあるらしいじゃないか」

「そこまでお調べですか……」

「ああ。それからジョエルが納めさせる金額をつり上げてきているから、生産個数を誤魔化していることもな」

「……あなたは本当に嫌な方だ、ギルバート様」

 シグレットは眉を寄せたまま、小さく首を振って深々とため息をつく。

 確かにギルバートを敵に回すのは大変そうだ。ギルバートは相手の逃げ道を徐々に塞ぎ、思う方向にのみ動かすように仕向けてから、この人の心を飲み込んでしまいそうな高価なホテルに彼らを呼んでいたのだ。

 もしも自分がルサーンとシグレットの立場ならば、きっと一言も言わないうちにギルバートに陥れられそうだ。

「それからルサーン、お前は有利な商業契約を結ばせる条件として、アーケルの後ろ盾を得ていたな。アーケルの借金と引き替えに」

「……はぁ」

「アーケルは借金を無くしてやったにもかかわらず、あちこちの商人のところで、お前への付けで好きに買い物をしている。お前はそれに辟易しているらしいじゃないか。そのアーケルを痛い目に遭わせることに、ためらいがあるのか?」

「ごもっともで……ですが……」

 まだ言いよどむルサーンに、ギルバートは朗らかな笑みを見せた。その笑みが朗らかであればあるほど、何か恐ろしいものが言葉の中に隠れているような気がしてならない。 

「お前たちがこれからこの二人の伯爵を引き連れて、このホテルを急襲しても構わんが、計算のできないお前たちでは無かろう? 革命軍がこの地を支配した後、笑うのは誰か、自明の理だ」

 そういうとかすかにギルバートはリッツを見遣った。つられたようにルサーンとシグレットの目がリッツを見る。

 突き刺さるような視線が居心地が悪かったが、ギルバートに言われたようにへらへらと笑うと、何故か二人は深く納得したようにため息をついたのだ。

「了解しました。だがダグラス家の元使用人として、あなたのために動くのはこれ限りにして頂きたい」

「おや、俺がいつお前たちに使用人としての働きを期待したんだ? 俺はお前たちに自分の利益を自分で守れと言っただけだ」

 意地の悪い言葉に、二人はまた眉を寄せたが、ギルバートは素知らぬ顔で笑う。

「さあ、親交を深めるために乾杯しようかといいたいところだが、お前たちは長く俺の顔を見ていたくはないだろう?」

 そう言われるとあからさまに安心したように、ルサーンとシグレットは立ち上がった。

「お察しの通りなので、そろそろ下がらせていただきたいのですが」

 丁寧だがあっさりとシグレットが言い出した。ルサーンも静かに頷く。

「ご用件は確かに承りました。ギルバートには多大な恨みはありますが、それ以上に大きな恩もある。それは今回で帳消しにしていただきます。吉報をお待ちください」

「どれぐらいかかりそうか?」

「……ほんの一週間お待ちいただければと……」

「一週間か。ほどよいな。分かった」

 あっさりとギルバートが頷くのを確認して、ルサーンとシグレットはギルバートに頭を下げた。

「お客様、お手数でございました」

 いつの間にか後ろに来ていたファンが、穏やかなほほえみを浮かべて二人の客人に頭を下げる。

「それではギルバート。失礼します」

「次にお目にかかる時は、ファルディナに平穏があるよう祈っております」

 言葉だけは丁寧にそういった二人は、ファンに先導されて足早に部屋を出て行く。一刻も早くギルバートのそばから逃げ出したいと思っているのは明白だ。どうやら本当にこの二人はギルバートが苦手なようだ。

 数分してファンがいつもの顔で戻ってきたところで、リッツは大きくため息をついた。

「だぁぁぁぁぁ……つっかれた~」

「疲れたも何も、てめえは座ってただけだろうが」

 ギルバートに笑いながら言われてむくれる。

「だってさ、状況が何も見えなくて笑ってろなんて、疲れるに決まってるじゃんか」

 正直にそう言って、両膝に肘を突いて顎を載せる。

「まるっきり俺、馬鹿みたいじゃん」

「馬鹿ガキだなてめえは。こういう交渉をちゃんと見ていやがれ。エドワードは表だった交渉しかできないが、こうした交渉をやる人間だって必要なんだよ」

 笑いながらも真面目な雰囲気のギルバートを見返して、意味が分からずにリッツは首をかしげる。

「裏の交渉ってこと?」

「そうだ。今は俺がやればいいが、将来的にはどうする? 俺は一人しかいないから、同時にいくつかの交渉をすることになったら、お前がダグラス隊を連れて行くしかないだろうが。お前はエドワードの名代だと自信満々に名乗れる強みを持っている。お前だけがエドワードの片腕となり得る」

 あまりに意外な言葉に、リッツは目を丸くした。まさか自分がこんな交渉ごとができるとは夢にも思っていないからだ。

「……え? この交渉を、俺がやるの?」

「こういう交渉だ。よく見ておけ。はったりと裏付けで、有利な条件を引き出すのは、エドワードが望んでいる戦いにおいて最も重要だ」

「どうして? それって正々堂々と王位に挑むことにならないだろ?」

 王太子として王都への進攻作戦をとると聞いた時、正々堂々と戦い、勝ち抜いていくのだと思った。なのに違うのだろうか。

「確かに戦場では正々堂々と戦うことが重要だ。勝つために手段を選ばずは、庶民を味方に付けた革命戦争ではありえんからな」

「だよな。じゃあなんでさ?」

 裏で動いて何かを進めるのは、間違いではないのだろうか。それはエドワードの理想と合致しないのでは無いか。それが気にかかる。

 ふと見るとギルバートはまっすぐにリッツを見ていた。ジェラルドのように、何かを諭そうとする大人の目をしている。

「リッツ、どこでどう戦うかは、戦いぶりとは矛盾しない。分かるか?」

「? 意味が分からねえけど……?」

「戦場となる地を決めてから戦えばいいだろう?」

「戦場を決めちゃうの? 先に?」

 戦いが勃発したら、そこが戦場ではないのか。よく分からぬままに眉をしかめると、ギルバートはわざとらしくため息をついた。

「正々堂々とした戦いは革命戦においてもっとも不利だと知っているか?」

「不利?」

「そうだ。例えばこの戦場だ。正々堂々と革命軍がグレインをでて、オフェリルを超えてファルディナを占拠すべくファルディナの街を包囲し、戦いを挑んだならどうなる? 街が戦場にならないか?」

「あ……」

「革命軍は王国軍とは違い、不正規兵が多い。正規の軍人のように、大義名分のためなら多少の犠牲はやむを得ないと、街の人々を巻き込んで戦えると思うか?」

 黙ったまま小さく首を振る。巻き添えを食らって死んだ民間人の上に、民間人があぐらを掻いたりできない。

「もし街が戦場になり、何の罪もない人々が殺されるのを目の当たりにしてみろ。戦いが戦いではなくなる。俺たちは人々を圧政から救うべく立ち上がったんだぞ? 民間人を多く殺せばエドワードの人望が落ちていくだけだ」

 革命軍が……グレイン騎士団が一般の民衆に牙を剥くのを想像してみた。それは恐ろしい光景で、リッツは身震いする。考えられない光景だ。

「もしそうなったら……エドもやっぱり、スチュワートと同じ王族なんだって思われちゃうって事?」

「その通りだ。そうなれば人々はエドワードに期待をかけなくなる。民衆の支持が得られなくなる。それが革命戦争の怖さだな。エドワードがどれほど人格者で、どれほど国を思っても、民衆を無駄死にさせれば無能と蔑まれる」

 言葉を失ってギルバートを見た。戦い一つに関しても、こんなに考えられていた何て思わなかった。

「とくにファルディナは今後戦いにおいて重要な拠点になる。北部と王国直轄区を直で結ぶシアーズ街道を支配した者が戦争に勝つのさ。この街で革命軍への恨みを残せば、後の憂いとなる。この戦闘で必要なのは、あくまでも表向きは正々堂々と。だが綿密な計算をして、街の人々に被害を出さないことだ。そのための少数精鋭が俺たち遊撃隊だろうが」

 ようやく正々堂々の意味をはき違えていたことに気がついた。戦いは正々堂々でいい。だが事前にいかに犠牲を少なくできるかを、頭をひねり、裏で手を回してでも考えなければならないのだ。

 それをエドワードが望むなら、二人で対応策を練り、エドワードに全件委任されるもう一人の英雄、リッツが先陣を努めるのが正しい選択だ。

「じゃあ俺はこれを学ぶためにギルといるの?」

「今はそうだ。だがその内に、お前個人の顔が売れてくる。戦場でのお前はエドワードの常に隣にいなけりゃ駄目だろう? だがお前の顔が知られることで、俺と同じように動けるようになっていくだろう。無名でははったりの聞かないことが多いが、知られるほど選択肢が多くなるのも事実だ。まあ、反面自由に動けなくはなるがな。俺のように」

 そういったギルバートがかすかに自嘲の笑みを浮かべているのに気がついた。そういえばここはギルバートの故郷なのに、ギルバートは偽名を使い目深にシルクハットをかぶっていた。

 なるほど革命戦というのは結構難しいことなのかもしれない。

「じゃあさ、ギルは俺にそれを教えるためだけに、俺を息子だって言ったの?」

 正直に尋ねると、ギルバートは人が悪い顔で笑う。

「さあ、どうだかな。もしかしたら本気でお前が可愛いから、養子にしようと思っているかもしれないぞ?」

「やめろよ気持ち悪い!」

「本気にするな、馬鹿が」

 大声でギルバートに笑われた。なんだかそんないつものことにちょっと心が苛立った。いつまでたってお何も分からないどうしようもない奴だといわれたような気がしてしまったのだ。だからついつい声を荒げる。

「どうせ俺は馬鹿だよ! だからって何にも分からないまま利用されるのは嫌なんだぞ! さっきみたいにちゃんとした意図があるなら言ってくれよ! 俺、何にもしらないじゃんか!」

 思わずでてしまった大声に、ギルバートはふと真面目な顔をした。でもリッツは言葉を止められない。

「エドを守るって決めたんだ。英雄演じてやるって決めたんだ! さっきギルが言ったことが本当なら、俺はエドのために、露払いをしないといけねええんだろ!? だから俺は馬鹿だけど、馬鹿でいられないんだよ! 馬鹿なりに必死でやりたいんだよ!俺の馬鹿を笑うなよ!」

 一気に怒鳴って大きく息を吸うと、ギルバートにまじまじと覗き込まれていた。怒らせたかなと身を軽く引くと、やがてギルバートは大きく息をついて頭を掻く。

「お前は馬鹿じゃない。些細な疑問に気がつく、頭の回転の速いガキだ。その上、相手の感情を読むのが得意だときた。これは交渉をする上で有利だ」

 真面目にそう断言されて戸惑う。からかっているのか本気なのか、意味を取りかねたのだ。

「だがお前はまだ無知で、その上何かをはき違えてる。特に人と人との駆け引きにおいてはどうしようもないほどな」

 小さくため息をついて告げられた言葉には重みがある。だがその重みが何であるのか、リッツには分からない。

「ギル……」

「今日の俺と奴らのやりとりを全部覚えておけ。その上でお前がどうなっていくのかちゃんと考えてみろ。同じ状況になったら、お前はどう戦うのかをな。その上で考えれば、お前が俺の息子として後ろで笑ってた意味が分かる」

 そういうとギルバートはいつもの笑みを作り、リッツの頭を軽く叩いた。これ以上話す気は無いらしい。リッツは小さく呻く。

「……教えてはくれないってことだな?」

「そうだ。これぐらいの宿題は自分で解け。答えはお前が答え合わせに来た時にちゃんと教えてやる」

 そう言われてしまえば、これ以上は食い下がれない。

「分かったよ……」

 うつむいて頷くと、頭を大きな手でぐりぐりとかき回された。されるがままにがくがくと首が動く。リッツの頭に手を置いたまま、ギルバートは今までのやりとりが無かったかのように、明るい声を出した。

「飯、喰うか。コース料理を運ばせるぞ。喰ったことなんざねえだろう、こんな高級な飯は」

「うん」

 うつむいた視界には、生きていた頃のローレンが映っていた。

 ローレンがエドワードの片腕としてリッツに望んだのは、きっとこういうことも含まれるのだろうなと思う。だから歴史書を読ませたり、新聞を読ませたりしたのだ。世間の流れを知らねば、世間を利用することができない。

 そんなことは当たり前だったのに、今になって気がつくなんて。

 うつむいたままのリッツをよそに、ファンが注文をするために部屋を出て行くのが見えた。  

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