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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
一対の英雄
59/179

<19>

 ティルスの小屋は、随分と古びていた。ティルスの焼き討ちから、あと三ヶ月で一年になる。その間この小屋は住む人も手入れする人も居らずに放置されていたことになる。

 新しいティルスは、今までの場所から少し離れたところにあり、そこからこの家は離れているから、周囲に人気もなかった。

 部屋をエドワードと二人がかりで黙々と掃除し、一週間の間泊まれるように布団を干した。夕方を過ぎると、全くやることが無くなってしまいリッツはぼんやりと窓の外を眺めていた。

 エドワードは、何故か置いたままになっていた本を読み始めてしまって、終わりまで読ませろと言うから退屈だ。

 椅子に腰掛けて窓枠にだらしなく肘をついて外を見ていると、夕日が赤くティルスの村の跡地を照らしていく。

 完全に焼け落ちたティルスは、村民によって綺麗に片付けられていたが、所々に真っ黒に炭化した家の破片が積み上げられている。

 目を閉じるとティルスの穏やかな日常が浮かんでくるようだ。

 買い物籠を持って街を歩けば、肉屋が、雑貨屋が、青果店がリッツに声を掛けてきてくれる。リッツは彼らと挨拶を交わしながら、覚え立ての字で書いたメモを読みながら買い物をする。

 走り回る子供たちの歓声は止むことなく、それを追う母親たちの声もまた、止まらない。

 村で一番背が大きかったリッツは、街を歩いているとよく、母親たちに子供の居場所を聞かれたものだった。そんな時は背が高いだけで、そんなに見える景色は変わらないと、笑って答えるのが日常だった。

 夕日が落ちてくると、どこからともなく夕食の香りが漂ってきて、自然と家路を急ぐ足が早足になる。早く夕飯の支度をしないと、シャスタに怒られてしまうからだ。

 家に駆け込むと、エプロンを着けて木べらを握りしめたシャスタが、料理をしながら『遅いじゃないですか!』と怒るのだ。

 その頃になると、学校の終わったローレンが、小脇に紙束を抱えて帰ってくる。シャスタより少し小さい子供たちの授業は、夕方に終わるのだ。

 そして料理を作る男二人に見向きもせずに、うきうきとワインのボトルを手に取る。料理が出来る頃には、ローレンは毎日少しほろ酔いだ。

 そして毎日ではないけれど、完全に外が暗くなった頃、エドワードが顔を出す。食卓に並んだ料理をしげしげと見つめ、リッツとシャスタに『料理上手になって来たな。いつでも嫁に行けそうだ』と冗談を言うのである。

 それに対してシャスタは憮然とし、リッツは笑いながら『俺を嫁に貰えるもんなら貰ってみろ』と舌を出したものだった。

 家族の食卓は暖かかった。週に一度の休みの前日ともなれば、アルバートも帰ってきて、賑やかに食卓を囲む。モーガン邸にいる時とは違って、よき夫、よき父であるアルバートは、酒に酔うといつも決まって男とは、父親とはを力説する。

 そして最後にはシャスタ、エドワード、リッツの三人に向かって『結婚はいいぞ。ローレンみたいな妻と、お前たち三人のような息子を持つと、本当にありがたいと思うさ』というのだ。

 本当の父親がまだ生きていて、しかも家出中というリッツに取って、それは嬉しくもちょっと照れくさかった。

 リッツは身を乗り出して、セロシア邸を見る。そちらには明かりが灯っていない。ローレン亡き後、アルバートはシャスタを連れてモーガン邸で暮らしている。

 リッツはあれからずっとシアーズにいたし、エドワードもモーガン邸にいたから、この明かりが最後に灯ったのは、ローレンを看取ったあの日だったのかもしれない。

 いや、リッツが立ち直るまでの三日間、エドワードたちが暮らしていたのが最後だろうか。

「色々思い出すか?」

 突然尋ねられて、リッツは我に返った。いつの間にか、目の前にエドワードがいる。

「ん。まあね。エド、本は?」

「読み終わった。お前も読むか?」

「何の本?」

「ユリスラ建国物語」

 思わず顔をしかめる。

「……やだよ」

「そうか? 面白かったがな」

 エドワードはそう言うと、窓の外へ目を向けた。

「精霊族の戦士が出てくるんだ。お前と違って、その戦士の姿は典型的な精霊族らしいが、性格はお前と似てるよ」

「……ふうん」

 リッツは建国神話を知らない。精霊族が出てくる物語は、何となく避けてしまう。なぜならそこに精霊族の本当の姿はないからだ。本当の精霊族の、異端を断固として許さず、一族を大切にする姿は、痛いほど身をもって感じている。

「もしかしたら精霊族の戦士とは、お前のような家出人なんじゃないのか?」

「俺たちの一族から、千五百年に一度、決まって家出人が出るのかよ?」

「そうかも知れないぞ。そう思うと親しみが湧くだろう?」

「そうかなぁ……」

 そう言われても、何だか複雑だ。もしかしたら本当に精霊族の戦士は一族に遣わされてきたのかも知れない。そうじゃなかったとしても、容姿を聞く限りではリッツのように森を追い出されるような出自を持っていたとは思えない。

「聞きたくなってきたか、建国神話」

 今夜のエドワードはしつこい。きっと建国神話を話したいのだろう。どうしてだかその理由は分からないが、付き合うことにした。

「……うん、ちょっとだけ」

「じゃあ話してやる。精霊族は、戦禍がシーデナに迫るのを許さなかった。彼は精霊族の代表として、ただ一人、北部を納めていた豪族の若者と共に、沢山の小国が乱立するこの国を平定していくんだ。いつしか若者と精霊族の間に、友情が芽生える」

 エドワードの言葉に、リッツはエドワードを見た。エドワードの視線は相変わらず窓の外の夕日を見ている。夕日に照らされたエドワードの横顔が、妙に寂しげだった。

「二人は次々に小国を平定し、自らの国とすることで、領地を広げていく。それは北部から始まり、徐々に南部へと広がっていった」

 リッツの頭の中に、グレインの光景と、途中で通ったファルディナ、シアーズの光景が浮かぶ。エドワードの声は、心地よく耳に伝わってくる。

「軍勢はやがて巨大な港町を持つシアーズへと到達する。そこで小国総てが青年と精霊族の元に一つになった。ここにユリスラ王国が建国される。元々ユリスラ王国の名は、精霊族の青年が付けたらしいな」

「それでお終い?」

「建国神話はな。でも続きがある。精霊族の青年は、若者がユリスラ王となったと同時に、とある言葉を残して姿を消してしまう。それが建国宣言だ。有名な言葉だな。人間への呼びかけで始まる」

「……もしかして……」

「そう。お前がシアーズで言ったのとほぼ同じだ。『人間よ……』」

「いい、それはいい! 恥ずかしいから! そんで続きは?」 

「そうか? じゃあ続けよう。初代の王となった青年は、王国の国旗を定めることとなる。斜め半分より上を、空と海、最後に平定したシアーズと青年の象徴として青。下半分をシーデナと精霊族の青年を象徴した緑、そして中心に白い線に挟まれた赤い帯。これは戦乱によって流された血の象徴だそうだ」

 リッツはモーガン邸に掲げられている王国の国旗を思い出す。そんな意味があったなんて、今の今まで知らなかった。

「じゃあ、真ん中のユニコーンは?」

「あれは純真と誠実の象徴だそうだ。精霊族である友にこの国を守り通していく誠実の証として、ユニコーンが掲げられている。だがユニコーンは元々精霊族の象徴であったとも聞くから、精霊族の若者を象徴しているのかも知れない」

 話し終わったエドワードは、ゆっくりとリッツを振り向いた。

「ユニコーンはシーデナにいるのか、リッツ?」

「……俺は見たこと無いけど……うん、親には聞いたことあるよ。この森の何処かに伝説の生き物がいるんだよって。シーデナってものすごく広いんだ。土地だけならグレインに負けないんじゃねえかな。その総てが森だもん、いるかもしれないよ」

「そうか……見てみたいものだな」

 エドワードは何かを言いあぐねているようだった。それに気がついたけれど、リッツはそれが何かを聞けない。ただ黙って外を見ていると、エドワードが切り出した。

「リッツ」

「何?」

「お前は今……夢を見てるのか?」

「……え……」

「俺が死んだら、お前は夢から覚めるのか?」

 目の前が真っ白になった。それは絶対にエドワードに知られたくなかったことだ。まさかとは思うが、ギルバートがエドワードに話してしまったのだろうか。一番知られたくない人に。

「ギルに聞いた?」

「いや……」

「じゃあどうして……!」

「お前が俺を庇って怪我をした時に言ったんだ」

 リッツは口をつぐんだ。自分で言ってしまったのなら、もう取り消せない。だが今が幸せで夢みたいで、夢から覚めたらもう孤独で生きられないなんて、エドワードに話せるわけがない。

 唇を噛みしめて、リッツは顔を上げた。

「お前が死んだら、お前とローレンの夢が消えちまうってことだよ」

「……本当か?」

「本当だよ。だからお前が死んだら夢から覚めちまうって、言ったんだよ。変な風に取らないでくれよ」

 誤魔化し切れたか分からない。おそらくエドワードだから誤魔化せないのだろう。でもエドワードは何も言わずに、また視線を外に戻した。

「そうか」

「うん」

 それ以降、エドワードはその事をリッツに聞いては来なかった。だからリッツは、それきりそれに関しては口をつぐんだ。リッツの孤独をエドワードに悟らせたくなかったのだ。

 リッツの孤独はエドワードが死んでから、一人取り残されることだ何て言ったら、きっととても気にするに違いない。

 エドワードの寿命は、どんなに長く生きたとしても、あと八十年もない。リッツの寿命はまだ八百年近くもある。

 十倍以上、リッツはエドワードよりも長く生きねばならない。仲間が死んで、だれもリッツを知る人がいなくなっても、たった一人で生きなくてはならないのだ。

 それが精霊族からは異端視され、同じ時間を生きる者がいないリッツの運命だった。

 今はエドワードやみんなと一緒に生きたい。でも一緒に死にたい何て言ったら、エドワードはどんな顔をするのだろう。きっとものすごく困った顔をさせてしまうのだろう。

 でも……一人で永遠に生き続けるなんて嫌だ。

 苦悩を押し隠して、リッツは立ち上がり、埃を被っていたチェスを取り出した。

「チェス、教えてくれよ、エド。一度でいいから、お前に勝つんだ」

「お前が俺に? 一生かかっても無理だな」

「やってみなくちゃ分からねえだろ」

 リッツはふて腐れながら駒を並べ始めた。

 翌日も、その翌日も、何か事が起こる前の休日のように過ごした。

 気まぐれに馬で遠乗りに出たり、山ごもりしたあの山に入って、あの頃のように二人で争いながら獲物を捕って、たき火で調理しながら食べた。

 ふざけ合って、喧嘩をして、騒いで飲んで、大いに話した。皮肉や冗談を飛ばすエドワードに、リッツはふて腐れたりからかわれたりして過ごした。それがとても楽しかった。

 家に帰れば、剣技の稽古をした。最初は圧倒的に有利なのに、何故か最後はいつもリッツの負けだ。エドワードは本気でかかってこいというのだが、リッツは自分が気を抜いているつもりは全くないのである。

 本当にいつも通りの毎日だった。総てが動き出す前の、総てが始まる前の日々が、ほんの一瞬だけ戻ってきていた。

 休日最後の日、エドワードが誘ったのは、あの大樹の下だった。

 酒瓶をぶら下げて、二人で大樹の下へやってくる。そこには二つの墓があった。

 ルイーズ・バルディア。

 ローレン・セロシア。

 共にエドワードの母親だ。ローレンとルイーズの墓には、真新しい花束が供えられている。

「……誰かが来たようだな」

 呟きながらエドワードはかがみ込んで、ローレンの花束に添えられていたカードを拾い上げる。エドワードの手元を覗き込むと、そこには几帳面な字でこう書かれていた。

『大好きなお母さんへ。あなたの息子シャスタ・セロシア』

「シャスタか……」

 風が強く吹き、木の陰から花の香りが漂ってきた。振り返ると、そこにグレイン騎士団の制服を着たパトリシアが花束を抱えて立っていた。

「シャスに先を越されちゃったわね」

「パティ……」

「お花、供えさせて貰ってもいい?」

 許可を求めながらも、パトリシアは返事を待たずにさっさと花束をローレンとルイーズの元へ供える。

「ルイーズ様、エディをこの世に残してくれてありがとう。ローレン。我が儘な私を、本気で怒ってくれてありがとう」

 手を合わせて、パトリシアはそういうと、立ち尽くすリッツとエドワードに向き直った。だがその視線はもっと遠く、大樹の方に向けられている。

「シャス、出てきたら?」

 呼びかけられて、おずおずとシャスタが木の陰から姿を現した。

「お前もいたのかよ、シャスタ」

「……ええ」

「サリーに会いにか?」

 率直に聞くと、シャスタは顔を赤くした。

「そうです。結婚を申し込んできたんです」

「……は?」

「僕も、エドワード様とリッツさんと、従軍することに決めたんです。だから……死んでしまうかも知れないから、気持ちをちゃんと伝えておこうって」

 顔を赤らめながらも、シャスタは晴れ晴れとした顔で笑った。ローレンが死んで、サリーが不安定になっていたことで、シャスタのこんな笑顔を見る事が無くなっていたから、その久し振りの屈託無い笑顔に安心した。

「結果はどうだった?」

 思わず身を乗り出すと、シャスタは頭を掻いた。

「条件付きだけど受けてくれました」

「条件付き?」

「はい。ユリスラが平和になって、その時に僕が生きていたら、結婚してくれるそうです」

 シャスタはそういうと、エドワードを信頼の瞳で見上げた。

「新しい時代を拓く手伝いをさせてください、エドワード様」

「……シャスタ……」

「僕は血が繋がっていなくても、エドワード様を本当の兄と慕っていました。ですからお手伝いがしたいんです。出来る事はまだ少ないけれど、でも精一杯頑張ります」

 真剣な眼差しのシャスタを見つめていたエドワードはやがて小さく息をつき、静かに微笑んだ。

「俺もお前を、本当の弟だと思ってきたよ。だから危険な目に会わせたくないんだ」

「子供扱いしないでください。僕はもう十五になったんです!」

 シャスタは真っ直ぐにエドワードを見上げる。真剣にシャスタの瞳を見返していたエドワードがやがて柔らかく微笑んだ。

「お前が言うのなら共に来てくれ」

「はい!」

 嬉しそうにシャスタは頷いた。一歩下がってそれを見ていたパトリシアが、ゆっくりと腕を組む。

「じゃあ、私は帰るわ」

 そのままあっさりと道を引き返そうとするパトリシアを、リッツは思わず引き留めていた。

「パティ」

「何?」

「お前、何で来たんだよ?」

 ちょっと乱雑になったリッツに、パトリシアは肩をすくめる。

「別にどうでもいいじゃない」

「どうでもいいってこと無いだろ? グレインから結構かかるじゃん。散歩の距離じゃねえし」

「私がどうしてここに来ようと、いいじゃない」

 ふて腐れたように言ったパトリシアに、エドワードが笑う。

「そういえばパティ。君はリチャード親王の嫁にと言う親書の話で退室した後、盗み聞きをしていたんだったね」

「……そうよ」

「リッツの事が気にかかったかい?」

 リッツは目を見張った。

「エド? どういう……?」

「あの後の話を、パティはみんな聞いていたって事だ」

「え……ええっ! ホントに聞いてたのかよ!」

 思わず詰め寄ると、パトリシアが真っ赤になって一歩下がった。その態度に、自分の言動を思い出す。そういえばあの時に、みんなに言われて、パトリシアが好きとか何とか……そんなことになっていたのだ。

 一気に自分の顔にも血が上ってしまった。

「いや、あれは、あの、違うからな! お前のこと好きとか、俺はそんなこと一言も言ってないから!」

「き、聞いてないわよ私! そこまで聞いてないんだからね!」

 お互いに赤くなってしまって、どうしようもない。それを見ていたエドワードとシャスタが豪快に吹き出した。

「笑うなよ!」

「そうよ!」

 思わず叫ぶと、パトリシアまで叫び出す。

「だって、だって……ふたりとも!」

「似たもの同士、面白いな」

 大笑いをしているエドワードとシャスタの二人は、異様に似ている。姿形ではない、雰囲気そのものがだ。

「お前が用もないのに来るから、変なことになるんじゃんか!」

 思わずパトリシアに怒鳴ると、パトリシアも怒鳴り返してきた。

「迎えに来たのよ! エディとリッツの二人が、そのまま何処かに消えちゃったらどうしようかって、不安だったのよ!」

 エドワードの笑いが止まった。リッツもまじまじとパトリシアを見つめてしまう。

「パティ?」

 エドワードがパトリシアの肩に手を置くと、パトリシアは肩を振るわせて言葉を絞り出した。

「だって……ユリスラの英雄だなんて、どれだけの重荷を私たちは背負わせるのだろうって思うじゃない。私だったら嫌よ。重圧で潰れるわ。あなたがそれを背負う覚悟をしていることは知ってるし、そうなれば私は臣下としてあなたに忠実に仕えるつもりよ。でもあなたたちに背負わされた荷はとてつもなく重いでしょう?」

 泣くまいとしているのか、パトリシアの瞳は真っ赤に充血している。

「お父様はエディをローレンにあげてしまえば良かったんだわ。そうすれば幸せにシャスと兄弟として暮らしていけたもの。もしリッツと出会ってもエディが農民ならば、共に畑を耕して笑っていられたでしょう?」

「……エドが農民だったら、きっと俺を拾わないよ」

「拾うわよ! エディよ?」

 そう言われると否定できない。

「二人は二人とも平気な顔で立場を受け止めて冗談を飛ばすけど、二人で一週間の休暇をと言った時、私不安に思ったのよ。二人でユリスラを出てしまうんじゃないかって。その方が幸せでいられるもの。だからつい……迎えに来たのよ、二人を」

 パトリシアはそういうと、俯いた。

「ごめんなさい。エディもリッツもそんなに身勝手ではないし、責任感が強いって知ってるわ。だから私、戻っているわね。明日にはグレインに帰ってきてよ」

 パトリシアはそう言い切ると、くるりと背を向けて走り出そうとする。だがその瞬間に、エドワードがパトリシアの手を掴んで抱き寄せていた。

「え、え、エディ?」

 パトリシアが動揺して目を白黒させている。だがエドワードは全く動じない。

「心配かけてすまなかった」

「……エディ……」

「君は暖かいな」

「え、エディ? どうしたの? 前までエディはこんなことしなかったのに……」

 動揺するパトリシアに、エドワードが笑った。

「リッツのお陰だ。こいつがいつも俺にべたべたと抱きついてくるから……俺は自分が他人の暖かさに手を伸ばせていなかった事に気がついたんだ」

「エディ……」

 エドワードはシャスタを手招きした。おずおずと近くに来たシャスタも、エドワードはまとめて抱き寄せる。

「手を伸ばしてもいい人だっていた。それに気がつかなかったな。ローレンにも手を伸ばせばよかった。いくら距離を取ったって、母さんは母さんじゃないかって、手を伸ばしてよかったんだ。もしかしたらローレンは、それを待っていたのかも知れない」

 そういったエドワードは、二人をもう一度強く抱きしめる。

「シャスタと同じだ。俺も後悔しないようにここに来た。思い出を辿り、自分が一人ではないことを知るためにここに来た。これでもう、迷いなく前を向ける」

 言葉を切ったエドワードが、優しく二人を手放した。そして冗談めかせてリッツに向かって、両手を広げる。

「お前も来るか?」

「……やだよ」

「そうか? 俺が倒れそうになるぐらいに飛びついて、さんざん頬ずりしていたのは誰だったかな?」

「ううっ……俺だ……」

 恥ずかしさで穴があったら入りたいリッツの肩を軽く叩き、エドワードは笑顔をで空を見上げた。日が傾き、夕日が赤く輝きだしている。

「綺麗……」

 パトリシアが呟いた。シャスタが頷き、リッツは二人を見てから、エドワードと同じように夕日を眺める。

 総てを赤く染め抜いて、夕日が沈んでいく。一日が終わり一日が始まるのだ。

「聞いて欲しい」

 夕日に照らされて、エドワードが振り返った。

「これからユリスラは戦禍に包まれる。俺はこの国を救うために、絶対に王座に就くつもりだ。だがもしそれが失敗に終わったら、俺たちは王国を混乱に導き、内戦を起こした犯罪者になる」

 真剣な眼差しでエドワードはゆっくりとリッツたちを見た。

「それでも俺はもう迷いはしない。理想のために戦い抜く覚悟だ。みんなもそれに付いてきてくれる。だけど俺にだって大切な人たちがいる。リッツ、パティ、シャスタ。三人とも、俺は友であり兄弟であると思っているんだ。その三人を巻き込むことを、俺は申し訳ないと思っている」

 そういいながらエドワードは再び夕日を見た。

「それでも俺は……みんなにいて欲しいと思う。そう望むのは我が儘かも知れないが、それでも構わないか?」

 きっとエドワードはそれをずっと聞けなかったのかも知れない。リッツはエドワードの本当の気持ちを知っている。知った上で英雄になろうと決めたのだから。

 だからリッツは頷いた。

「当たり前さ。俺はお前に命を預けてる。お前が望むなら、どこへでも付いて行ってやるさ」

「リッツ……」

「私も同じ気持ちよ。憧れのエディ兄様が戦場に行くのよ? 妹としては当然じゃなくて」

「パティ……」

「僕だって同じです! 戦う事には不向きだけど、色々なお手伝いが出来ます!」

「シャスタ……」

 エドワードはゆっくりと振り返ると、本当に穏やかに微笑んだ。

「三人ともすまない。俺の我が儘だ」

 我が儘なんかじゃない。共に生きられることが嬉しいのだ。リッツだけじゃない。きっとパトリシアもシャスタもそう思っているに違いない。

 エドワード・バルディアは、特別な存在なのだ。王位継承者である以前に、人としてまばゆい輝きを放っている。

 だからみな、その存在に惹かれる。

 じっと見つめていた夕日がほとんど沈み、空が濃い紺色に染まり始めた頃、シャスタがはしゃいだ声を上げた。

「僕、食料分けて貰ったんですよ! 今日は家で久し振りに腕を振るいますよ!」

 シャスタが笑顔で指さしたところには、食材が満載された買い物かごがある。

「よし、俺も手伝うぞ! まてまて、そういや掃除からだったな」

「じゃあ私は掃除を手伝うわよ。とてもじゃないけど、包丁は持てないわ」

 三人ではしゃぐとエドワードが微笑んだ。そんなエドワードに手を伸ばす。

「行こう、エド。一緒に」

 お前が望む、未来へ。


 四月十八日は快晴だった。

 シアーズでは今頃、華やかに賑やかに、そして怨嗟の声をもってスチュワートの即位式が行われているのだろう。

 エドワードは目の前の群衆を、ジェラルドの背中越しに眺めた。モーガン邸の中央に広がる大きな広場に、エドワードは立っていた。身につけているのはグレイン騎士団の軍服である。

 横には、エドワードと同じ軍服に身を包んだリッツの姿があり、更に後ろには、ギルバートやカークランド、コネルたちがずらりと立ち並んでいる。

 ハロルド国王へ追悼の辞を述べていたジェラルドが、やがて群衆をゆっくりと見渡した。

「先月、長きに渡ってユリスラを守ってこられたハロルド国王陛下が亡くなられた。以前より国王陛下は、その玉体が危険にさらされているとお感じになり、グレイン自治領主である私に、書状を下賜された」

 言いながらジェラルドは書状を取り出した。これがエドワードの運命を変えた書状だった。それを初めて目にした時の、戸惑いと重圧は今でも昨日のことのようにはっきりと覚えている。

「書状に寄れば、ハロルド国王陛下はイーディス・シュヴァリエ夫人により、少量づつ毒を盛られており、もはや逃れられぬ病に陥っているとあった。それを息子であり王太子であられるスチュワート殿下とリチャード殿下も知り、共謀して陛下を弑逆し、王位簒奪を企んでいるのだというのだ。

 その罪自体も許されぬ事ではあるが、シュヴァリエ夫人は動くことかなわぬハロルド陛下の断り無く王妃と名乗り、諸君が知るように今や王国の権力を欲しいがままにしている。

 諸君は、これからのユリスラの行く末を不安に思っているのだろう。だがハロルド陛下亡き後も、この国に希望の光が消えることはない。陛下は国民のために、このグレイン自治領区に希望の光を授けてくださったのだ」

 ジェラルドの目がエドワードとリッツに向けられる。群衆の視線はざわめき合いながら、リッツに注がれていた。未だ短い髪から伸びた耳は、やはり少々目立っている。ここグレインでもシアーズで人々に誠の王の存在を告げたリッツの事は知られるようになっていたのだ。

 みな何が始めるのかまだ知らない。だが皆がこれからのユリスラに不安を抱き、この国の行く末に皆が心を痛めているのを、エドワードは知っている。

「本日、私はこの場で、諸君に未来への希望の光を授ける。諸君の望む世界を拓く希望の光だ」

 ジェラルドが振り返って頷いた。エドワードは静かに頷き返して、ゆっくりとジェラルドの前に立つ。一人控えるリッツが後ろで微かに息をつくのが分かった。緊張しているのだろう。

 だが不思議とエドワードは落ち着いていた。

 仲間と友に大樹の下で語り合った時、完全に覚悟は決まった。もう自分の行く末に迷いはしない。

 この国の平穏で幸福な未来を、皆、願っているのだ。特権階級に命を弄ばれることなく、心から安心して暮らせる国家を人々は求めている。

 自分の存在が希望の光になるのならば、希望の光になってみせる。この国を皆が望む幸福の中に、連れて行く。

 大きく息を吸い、エドワードは目の前に集まる大群衆を見た。この瞬間からエドワードは、グレイン騎士団第三隊所属のジェラルドの隠し子エドワード・セロシアから、王太子エドワード・バルディアへと変わるのだ。

 もう、躊躇いはしない。

「共にこの国の未来を憂う人々に、告げねばならない事がある。しばしの時間、私の言葉に耳を傾けて欲しい」

 ゆっくりとエドワードは群衆を見渡した。威厳を失わず、それでいて穏やかさを無くさずに話すこと。そして難しく、権威を振りかざす話し方はしないこと。分かり易く民衆に真実を伝えること。これがカークランドから与えられたアドバイスだった。

 だがエドワードは理想の統治者ではなく、自分の言葉で人々に語りかけようと考えていた。きっと今まで生きてきた道の中に、真実があるのだと信じて。

 エドワードはゆっくりと、群衆を見渡すように語りかける。

「私はエドワード・バルディア。ハロルド陛下とルイーズ・バルディアの子にして、ハロルド王から次期国王として後継者に指名された、もう一人の王太子だ」

 群衆が一瞬静まりかえり、次の瞬間には激しいざわめきが起きた。王太子がもうひとりいる。それは今まで誰も知らなかった真実だ。

 だがもう隠す必要は無い。

 その事によって、戦乱を招き寄せるとしても、もう迷いはない。平和なユリスラを取り戻すのだ。彼らを見つめたまま、エドワードは再び口を開く。

「私は暗殺者から逃れるため、物心ついた頃からティルスに住み、民と共に畑を耕し、種を撒き、共に収穫の喜びを味わって成長した。成人してからは騎士団第三隊に所属し、グレインのために戦ってきたのだ。

 私は、人々と共に喜びを分かち合い、悲しみを分け合ってきた。それは私の誇りである。

 その私の目から見た現在のユリスラ王国は、誤った方向に進んでいる。このままではユリスラ王国は疲弊し、滅びの道を辿るしか無くなるだろう。

 無意味な階級社会の増長が国家を歪ませ、人々に血を流させる。苦しみを背負うのは、いつも平和に生きることを望む、大多数の民衆なのだ。

 私はそんなことを許してはおけない。

 先ほどモーガン侯が言ったとおり、我が父ハロルドはシュヴァリエ夫人たちによって謀殺された。だがその前にハロルド王は、私に書状を賜れた。陛下から賜った書状には、こう書かれている。

 王家にありながら、国王を軽んじ、命を奪う者たちに処罰を下す。イーディス・シュヴァリエおよび、その息子たちを王国から追放し、永遠に王位継承権を剥奪する。そしてもう一人の王太子に、総てを継がせるものとする、と」

 ふと肩にリッツの手が乗せられた。微かに横を見上げると、リッツが穏やかな笑みを浮かべてエドワードに頷く。その姿に人々がまたざわめいた。

 誠の王を探すと言ってシアーズを出た、精霊族の戦士が認めたエドワードが、精霊族が選んだ誠の王であると民衆が信じたのだと分かった。

 なるほど、リッツとエドワードは一対の英雄だ。二人揃ってこそ、英雄として民衆の前に強烈な印象を植え付けることが出来る。リッツだけでは英雄にはなれず、エドワードだけでは人々の中に熱烈な信仰を生むことが出来ない。

 二人揃ってユリスラ王国建国神話をなぞることによって、まだ何の実績もない二人が英雄になる足がかりが整うのだ。

 今は幻想に過ぎない英雄を、エドワード自身の実力と、実績で、真の国王であると、民衆に認めさせていくのが、エドワードに残された課題になる。

 それならば、ユリスラの真の王として、認めさせてみせる。それが国を救うことならば、迷うことはない。

 エドワードは民衆を眺めながら、言葉を紡ぐ。

「よって私は、陛下の意志と人々の希望のために戦う事を宣言する。ユリスラを私と共に、総ての人々が平和に暮らせる国に作り替えるのだ。

 その日が来るまで戦い続けることを、私、エドワード・バルディアはここにいる諸君に、そして平和と幸福を願う総てのユリスラ国民に、この身を賭けて誓う。みな、ユリスラに住む総ての人々の幸福のために、私に力を貸してほしい!」

 口々に人々はエドワードの名を呼び、誠の王に選ばれたことに祝福の声を上げる。その熱い思いと熱気に、エドワードはユリスラ国民総ての思いを背負う覚悟を改めて決めた。

 肩に手を置いたままだったリッツが、力を込めてエドワードの肩を掴む。

 この手の熱さ、思いの強さ。

 同じ時間を生きることが出来ないが、同じ時代を生きる、親友の存在。

 それがエドワードを強くした。

 エドワードは、未だ興奮冷めやらぬ群衆の声に片手を上げて答えると、群衆に背を向け、仲間たちのいる場所へと歩き出した。

 この日、ユリスラ王国に一対の英雄が誕生した。 

これで燎原の覇者3巻、終了です。

ここまでお読み頂き、ありがとうございました!


次巻から、ついにエドワードたちの革命軍が打って出ます。リッツのヘタレは相変わらずですが、各々が少しずつ変化をしていきます。

次週から4巻、莫逆の誓いでお会いしましょう!


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